どこまでも残酷

「……」

 玲那は考えた。

 生きる為に。

 少しでも暴力を回避する為に。

 自分の毎日が平穏なものになるように。

「レバーをエーのいちまでまわして、それからビーのいちまで……」

 漢字が読めるようになってくると風呂の焚き方の説明書きも読めるようになり、自分で風呂が沸かせるようになった。自動で湯温を調節できるタイプの湯沸しではなかったので、

「……っ!?」

 最初のうちは沸かしすぎたりして浴室内がもうもうと立ち上がった高温の蒸気に満たされてしまったりと大変だったものの、何度か使っているうちに要領を掴んだ。

 トイレは和式の水洗だが、もちろん玲那が自分で掃除をする。しかも、かなり丁寧に。

 と言うのも、京子けいこが食事を持ってきたついでにトイレを使おうとすると汚れていたのにキレて、

「こんな汚いのが使えるか! ちゃんと掃除しろ! 舐められるくらいにピカピカにすんだよ!! お前、これが舐められんのか!?」

 などと怒鳴りながら玲那の顔を汚れた便器に押し付けたりしたこともあったからだ。それ以来、トイレは特に綺麗にするようにしていた。

 そのような暮らしをしているうちに、彼女は小学三年生になる頃には、ほぼ一人暮らしができるまでになっていたと言えるだろう。

 それでも、この古めかしい家での夜はどこか恐ろし気で、玲那はテレビのアニメに夢中になることでその不安を紛らわせようとした。

「……」

 アニメの中では、苦しいこと、辛いことがあってもそれらは必ず解決し、主人公達は最後には幸せを掴むことができた。たまにそうでないラストを迎える話もあったが、それでも多くの物語は幸せな結末が用意されていて、彼女も、

「わたしもいつかきっとしあわせになれる…」

 と自分に言い聞かせていた。

 なのに、神だか仏だかは本当にどこまでも残酷だ。


 それは、玲那が四年生に上がる直前の春休みのことだった。

 平日の夕方、彼女がいつものように一人でアニメを見ていると、玄関の方で人の気配がした。

「…?」

 両親がまた金を持ってきたのかと思って出てみると、しかしそこにいたのは全く見ず知らずの中年男だった。

「……!」

 男は玲那の姿を見た瞬間、恐ろしい速さで走り寄り、彼女の口を押えた上で包丁まで突き付けて耳元で囁くように言った。

「れいなちゃん、だっけ? いつも一人でお留守番、偉いねえ。でも一人はさみしいだろ? だからオジサンが遊んであげようと思って来たんだ。大人しくしててくれたら怖いことはしないよ。オジサンと一緒に楽しくて気持ちいいことしようよ」

 言葉は優しげだが、玲那はそこに恐ろしいものしか感じなかった。

「……」

 そんな彼女の細い足を温かい液体が伝い流れていたのだった。


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