まだまだこんな程度じゃ

 判生ばんせい京子けいこにとっての<幸せ>とは、それこそ自分の勝手気ままに思い通りに生きることだっただろう。

 しかし、この世はそんなに甘くない。判生や京子のような人間が好き勝手に生きることを許してくれたりはしない。だから二人の望む幸せは、一生手に入れることができるものではなかった。事実、この二人は生涯、幸せを実感することがなかったが。

 その不幸が、娘の玲那にも連鎖したとも言えるのかもしれない。

 なお、この頃、判生は昔の不良仲間の先輩に誘われて風俗店の店長をしており、バブル崩壊の影響は受けながらも、不況の中にあっても性に対する人間達の欲望は失われることがなく、かつ判生自身も社会の状況を察知していち早く料金の引き下げを行い格安店として人気を博すなど、思わぬ才覚を発揮してそれなりの稼ぎを得たりしていたが。

「ははっ! ちょろいもんだぜ……!」

「あんた、そんな才能あったんだねえ…!」

 二人して笑いが止まらないとばかり、札束をテーブルの上に転がしながら上機嫌で酒をあおったりもする。

 だが、それは、娘である玲那の生活環境を改善することには使われなかった……

 判生と京子は事務所と称してマンションの一室を実質的な住居とし、玲那のことは古びた元の家に置き去りにして、食事だけを、二日に一回、多い時でも一日に一回程度の割合で置いていくというだけの生活をしていたのだった。自分達は好き勝手に贅沢な生活をしながら。

 空腹に苛まれ一人で水風呂に入りくたびれた家が作り出す恐ろし気な闇に怯えながら敷きっぱなしの布団にくるまって眠る玲那とは対照的に、美味い食事を食べ宝飾品を買い漁り高級外車を乗り回してもなお、

「まだまだこんな程度じゃ<幸せ>とか言えねえよな!」

 などと口にしながら、判生と京子の心は満たされることがなかった。

 掴むことができるはずもない幸せを求め当然の結果としてそれを手に入れることができない二人の精神は、飢え乾いた<何か>に常に苛まれてささくれ立ち、そしてそれは、まるでそうするのが当然のことであるかのように、歯向かうすべを持たぬ非力で幼い我が子へと向けられた。

「なんだその生意気な眼は!!」

 などと、言いがかりでしかない理不尽な苛立ちをただぶつけてくる両親の暴力に怯え、玲那はいつもびくびくと他人の顔色を窺う陰気な子供へと育っていった。

 ただ一方で、幸いにも玲那が通っていた学校はイジメなどのトラブルの対応に熱心なところであったことで学校でまでイジメられるようなことはなかった。

 また、行けば給食にありつけることもあり、玲那は学校には欠かさず通った。家にいるよりはずっとマシだったのだ。


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