第4話「二人に欠けているもの」

「ごめん、落ち着いた」

「大丈夫?」

「うん、行こう」


 目の周りを真っ赤に腫らした紅葉は精一杯の笑顔で笑って見せた。


「辛くなったら言ってね」

「あのさ、お姉ちゃんもこうやって泣くことあったの?」

「楓が泣くことね――」


 一回だけあったな。

 あの時は最後の手術が終わって、何日か経った後だったっけ。

 外の空気が吸いたいって言うから、車いすを押したのを覚えてる。

 それまでは気丈に振舞ってたけど、その時だけは「独りにしないで」って涙が枯れるまで泣いてたんだよな。

「大丈夫だよ」と言おうとして、上辺だけの言葉しか掛けられない自分にイラついたのを覚えてる。

 目の前で散っていく恋人を眺めることしか出来ないことがいかに歯がゆかったか。

 できるなら変わりたかった。


 ただ、看護師さんの随伴ずいはんすら断って二人きりになったってことは、よっぽどあの姿を誰にも見せなくなかったんだろう。

 ならそんな楓の気持ちを気まぐれで踏みにじるようなことはできない。


「――なかったよ。楓は強かったからね」


 なるべく自然な笑顔に近づくよう、精一杯の笑顔を見せる。


 どうせ作ってるのはバレてるだろう。

 作り笑顔を見せた時、楓も紅葉も一瞬困ったような顔をするから、自分の笑顔が下手なのがよくわかる。

 ただいくら嘘だとバレていても本当のことを伝えるよりも何千倍もいい。


「そっか……、すごいなお姉ちゃん」

「けど色々背負ってるのはわかるのに、頼られずになにもさせてもらえなかったのは辛かったかな」

悠真ゆうまにそっくりだね」


 おかしそうにクスクスと笑った。


「そっくりかな?」

「だってほら、誰にも何も言わず、お姉ちゃんがどう思うかすら無視して橋の上に立ってたのは誰?」


 ああ、たしかに。

 昨日のことを言われると、ぐうの音も出なかった。


「けどあの時は誰も言う人がいなかったから……、俺よりもつらい人がたくさんいる中で俺だけなにか言うわけにはいかないよ」

「もういるよ、これからもずっと」


 俺の頭を掴むと、半ば強引に目線を合わせてきた。


「紅葉はいなくならないの?」


 紅葉の顔を見ていると、どうしても楓のことが頭をよぎる。


『ずっと悠真と一緒にいるし、どこにも行かないから安心して』


 ふと初めて病気のことを伝えられた時の言葉がよみがえってきた。

 ただそう言った楓はもういなくなってしまった。

 あとには紅葉だけが残る。


「絶対いなくならない! もし病気になっても向こうが勘弁してくれって逃げ帰るまでしぶとく抵抗するもん」


 紅葉は胸を張ってそう宣言した。


「紅葉は強いね」


 もし昨日先に橋にいたのが紅葉だったら。

 俺が止める側だったら。

 果たして今二人で笑っていられただろうか。


「弱いよ……、誰かに支えてもらえないとそのまま消えて無くなっちゃうくらい弱いんだよ」


 そうか成り行きで止めることになっただけで、紅葉も本来は死にに来たんだった。

 どんなに強そうに振舞っていても、そのことを忘れてはいけない。

 誰かが必要なのは俺だけじゃないんだ。


「大丈夫だよ、楓がいない分俺が支える。力不足かもしれないけどできる限り頑張るから」

「ありがとう……、けど私がたのんだんだし悠真は無理して最後まで付き合わなくていいんだからね」


 そう言うと一筋の雫が紅葉の頬を伝う。


「大丈夫、紅葉が一人で立てるようになるまでそばにいるから」


 すでに真っ赤になっている目を何度か擦ると、彼女は言った。


「ありがとう。ごめんね、なんか最近すぐ泣くようになっちゃって」


 どうにか笑顔を見せようと頑張っていた。

 ただ涙は止めどなくあふれてくるようだった。


「我慢しなくていいよ、泣きたいときは泣こう」

「よかったそう言ってくれて……。なんか私だけ支えられっぱなしだね」

「そんなことないよ、俺だって――」


 なぜかその時、「紅葉が楓の代わりとしていてくれるだけで支えられてる」とはなぜか言えなかった。

 言ってはいけない気がした。


「俺だって、なに?」


 不思議そうな顔をしながらそう尋ねてくる。


「俺だって昨日止めてもらった時から十分支えてもらってるよ」

「これからも支えるから安心してね」


 言いたかったことをすべて理解しているような目線を向けながら彼女がそう言った。

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