第9話 暗殺


 拝啓、お父様。

 勇者暗殺の任を受け、数週間と時が経ちました。私はなんとか勇者の仲間として潜入する事に成功し、現在は暗殺する機会を窺っている最中です。

 お父様…待っていてください。必ず、必ず勇者を暗殺してみせますから!


「何を書いてるんだい?」

「どぁうっ!?」


 潰された蛙のような素っ頓狂な声と共に紅の髪が大きく舞い踊る。

 まるで心臓が握り潰されたみたいに、心臓部に手を当てて何度か確認すると、ティアナは声の主をキッと睨んで声を荒げた。

 

「と、突然部屋に入らないでよヒナタ!!」

「あっはは!ノックはしたんだけど、返事がないからさぁ!そのまま開けちゃった!」

「ふっざけんなぁ〜ッ!!」


 げしげしばしばし。

 平然とヒナタを蹴ったり叩いたり、けれど怒る素振りは見せることなくヒナタは愉快そうに「HAHAHA!」と笑っていた。

 対してティアナは殺意を向けてガチギレの様子だが…。


「プライベートくらい守りなさいよ!!そうやって勝手に部屋に入るのもう何度目だと思ってるの!?」

「ん〜〜二回?」

「二十回目よバカァッ!!」


 ぺちぃんっ!と小気味良い音が響く。

 ぐわんぐわんとヒナタの頭が揺れると、痛いなぁと対して痛くもなさそうに頭をさする。

 これが、二人の日常だった。

 初めての依頼である薬草採取から三週間。

 一ヶ月がとうに過ぎようとするくらいの時間が流れ、二人の仲はそれなりに深まっている様子。……いや、深まってるのかな。


「そもそも、ここはボクの家だからねぇ?家主が何しても別によくないかなぁ〜?」

「ぐ、ぐぬぬぅっ…確かにそうだけどぉ!」


 煽るように、事実を喋るヒナタ。

 実は二人、一緒に暮らしていたりする。

 

 元々、ティアナの提案のこともあるが。最初の数日は宿で暮らしていた。

 ただ、思っていたよりも早くに所持金が底をついたため、ティアナは願うようにヒナタに縋った。


『家…泊めて』


 恥ずかしさを奥に忍ばせて、敵であるヒナタに庇護を求めるその姿は、ティアナ自身とても屈辱なのだろう。

 けれど、ふるふると震えるその様を見てヒナタはティアナの真意に気づかない。

 

『うん、いいよ…なんて言ったってティアナのお願いだからね』


 震える彼女にそっと抱擁する。

 その日はちょうど雨だったので、冷えていると勘違いしていたのだろう。

 と、まぁそのような経緯がありまして。二人は一緒に住んでいるのだが……ティアナはいい加減な性格のヒナタに苦戦しているようだ。


「いいヒナタ!?ここは私の部屋よ!私の許可なく絶対に入らないで!いいわね!!」

「んー…覚えてたら守るね♪」

「覚える気ないでしょ!!」


 げしっ!とヒナタの足にいい音が響いた。



「…はぁ、やっと出て行った」


 ヒナタが出て行ったのを見計らって、私は深い溜息を吐く。

 危なかった…。

 お父様に送る手紙を見られていたら、私が暗殺者だという事がバレてたかもしれない…。


 そうなったら私は、雷でズドン。


「それだけは絶対に嫌だわ…」


 いつの日かの大雷を思い出して、ぶるりと寒気が走って身体を震わせる。

 あんなのを喰らったら肉片すらも残りそうにないもの…。

 こんな初歩的なことでバレて殺されるなんて、たまったものじゃないわ…。


「ほんっと、ヒナタってば相変わらずヒヤヒヤさせる…」


 ヒナタと暮らし始めてから、それなりに時間が経った。

 最初は敵に庇護を求めるなんて…とても屈辱だと思ってはいたけど、ものは考えようだ。

 標的であるヒナタのこれだけ近いなら、弱点の一つや二つなんてすぐに見つかるだろう。

 

 そう考えると、この生活もそれなりに悪くないとも思えた。

 だから私は四六時中ヒナタの事を観察するのことにしたの。


 寝てる時とか、食事中とか…部屋でごろごろしてる時に、あと一緒にお風呂の時…とか。

 

 と、まぁ敵の偵察は基本なわけで!!

 私はヒナタのことを完璧とまではいかないけど、それなりに理解する事ができたわ!

 例えば、好きなものはだし巻き卵で、嫌いなものはきのこ!

 いつも寝相が悪くてベッドのシーツをぐしゃぐしゃにしてたり、握力がとても強いから棚のものを吹き飛ばしたりする!


 あとスタイルがムカつく程良すぎる…!!


「……………」


 いや、暗殺に役立つことひとつもないじゃない!!?

 無駄な知識ばっかり蓄えられてた事に今気づいちゃったよ私!!


 ヒナタの弱点…というよりヒナタの事が詳しくなっていたことにようやく気付く私。

 思い返せば…ヒナタの弱点とか私、見たことないのよね。

 とてつもない魔力出力と雷の魔力が衝撃的すぎて、正直攻略できるの?ってなるし…。


「っていやいや、なに弱気になってるのよ私は!」


 ぶんぶんと頭を振って、弱気になってた私を振り払う。

 そして、机の引き出しに手を掛けてからソレを取り出した。


 ヌルリと、滑らかに刀身が現れる。

 ギラリと光に反射して、その刀身からは歪に笑う私が映っていた。


「ふふふっ…」


 恍惚に、見惚れるようにその短剣を取り出して怪しく笑う。

 この短剣は、依頼から得た報酬をコツコツ貯めて買ったお気に入り。


 柄が黄金で出来ていて、いくつか宝石が散りばめられている。

 赤、青、緑と小さいながらもキラキラと輝く宝石は私の心をくすぐって止まらない。


 それなりの値段はしたけど、一目惚れした私はコツコツと貯めて購入した。

 ヒナタは「見た目だけのやつだから買わない方がいいよ〜」と言っていたけど、そんなのは知らない。


 性能とかそういうのじゃなくて、やっぱり見た目こそ正義なのだ。

 そして、私の短剣をバカにしたヒナタを今宵…暗殺する!!

 

「ふふ、ふふふっ!」


 見ていなさいバカヒナタ…!

 いつも服は畳まなかったり、勝手に部屋に入ってきたり!お風呂覗きに来たり!!

 そういう恨みつらみを全てこの短剣に注いで…今日!あなたの喉元を裂いてやるわ!


「呑気に寝てるといいわ…ヒナタ!」




 時刻は深夜。

 おやすみなさいと言葉を交わして、私達は決められた部屋へと入って眠る時間に…。

 私は目を大きく見開いて待っていた。


「…そろそろかしら」


 ぎゅっと短剣を握りしめて、壁に耳を押し付けたまま…反応が消えるのを待つ。

 完全に眠りについたその時が…暗殺決行の合図!


 ドキドキと迅る心臓を抑えようと、何度も深呼吸をして心を落ち着かせる。

 壁の向こうからは…何も音がしなかった。

 しーーんと静けさだけが聴こえてきて、余計に心臓の音だけが響き渡る。


 そして。

 すうすうと…寝息が聞こえた気がした。


「……寝た!」


 どくんっと心臓が跳ねる。

 暗殺のチャンスが…来たっ!!


 短剣を忍ばせて、私は足音を立てずに廊下へと出た。

 そして、もう一度確認するために…扉に耳を当ててヒナタが寝ているか確認する。


『すぅー…すぅー』


 寝てる…。

 ついでに、寝始めたくせに…もう寝相の悪さを発揮しているのか、ガサゴソと音が聞こえていた。


 今なら…いける。


 想像通り、計画通り…この短剣でヒナタの喉元を裂くことが……できる。


「………なんで、震えてんのよ私」


 なのに、身体が震えていた。

 ふるふると…全身が、ドアノブに掛けていた右手が小刻みに揺れる。

 ははっ…これが武者震いってやつなのかしら?これから起こる血の惨劇が楽しみで仕方ないのかしら?


 ……………なら、なんで扉が開けれないのよ。


 震えてるせいで…力が入らない。

 それはまるで拒むように、大きく震えていた。


 なんなのよ…。

 ビビってるワケ?確かに私は…虫すらも殺したこともないけど…人一人くらい、なんだって…!


「……………」

「…………」

「私は…」


 

 きぃ…と扉が開く音が響いた。

 部屋は暗闇に染まっていて、視界は黒に塗りつぶされている。

 ひしひしと…足音を殺して暗闇を歩く。

 探るように、寝息に耳を傾けながら…一歩、一歩と足を踏み出す。


 黄金の瞳が…大きく見開いていた。

 瞳孔が開き、静かな呼吸のまま…寝息を立てるヒナタを見つめる。

 右手には短剣を握りしめて、刃先を喉元に狙いを澄まし…固まる。


 どうして…震えてるのか。

 どうして…怖いのか。


 ティアナにはそれが解らない。

 ティアナの目的は、父親に認めてもらうこと。

 出来損ないではなく、一人の娘として見てもらいたかったから。

 そのためなら、なんだってすると心に決めていた。

 兄や妹のように…見て欲しかったから。


 その為なら…。

 その為ならと…。


「………ッ!!!」


 例え仲のいい存在でも殺す。

 


 パキィンッと氷が爆ぜるような音が響いた。

 けれど、正体は氷ではなく…ギラリと光る刀身だった。


「……えぇ?」


 視界に広がる光景を、驚愕の表情で黄金の瞳はそれを見つめる。

 突き付けたナイフは…音を立てて刀身が二つに割れた。そして、ひゅんっと先端が跳ねてティアナの頬を掠める。


 裂かれるような痛みが頬に走った。

 けど、痛いという感想よりも先に…ティアナは突き刺したはずのヒナタを見て、声を漏らす。


「なにそれ…」


 透明な壁が…突き刺す瞬間に現れた。

 刃が壁に当たると、跳ね返すように衝撃が返ってきて…短剣の刀身がボキリと折れた。

 

「自動防護魔術…」


 オートガード。

 特定の場所に術式を編み込むだけで効果を発揮する魔術。

 ティアナは思い出したようにその名を告げて、一歩後ずさって納得する。


 強力な戦士がそういう術式を身体中に仕込んでいてもおかしくはない…。

 特にヒナタのような勇者とも言われている人間は、夜襲を警戒するだろう。だから多分…喉元以外にも、他の場所に術式があるのだと察する。

 そうなれば暗殺どころの話じゃない、ティアナの力で魔術が突破できないなら暗殺は失敗だ。


 ティアナはそれを悟って、短剣を仕舞う。

 そして、折れた刀身を回収して…逃げるように部屋から去っていく。

 幸い、ヒナタが起きる素振りはなかった。


 暗闇の廊下に、足音だけが木霊する。

 暗殺者なのに、失敗に終わった事が嬉しいのか…ティアナの表情は少しだけ和らいでいた。

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