第8話 ヒナタ


「…な、なるほど?」


 震え、困惑する声が木霊こだまする。

 ふるふると小刻みに震える丸眼鏡の青年は、私達の依頼主である薬剤の人だ。

 そんな彼は…勇者が巻き起こした『雷槌イカヅチ』の影響によって、ここまで来て…絶望にも似た表情を浮かべていた。


 たらたらたらと汗が滝のように流れてる。

 いやまあ、彼からしたら…たまったものじゃないと思う。

 薬草採取をお願いしたら、まさか森を吹き飛ばしてクレーターを作るなんて思いもしないのだから困惑するのも当然だと思う。なのに勇者はけろりとした表情で…。


「えっと、指定されてた薬草は確保してあるので後で渡しますね?あ、それと魔物の件ですが、ご覧の通り討伐しておきましたよ!」


 と、快活な笑顔で言ってのけた…。


「そ、そうですか…なるほどそうですか?えっと、その…ありがとう、ございます???」

「いえいえ!感謝される程の事はしてませんよ!!」


 勇者…相手かなり困惑してて考える事を放棄ほうきしてるみたいなんだけど!?てか、あの状態を見てよくそんなコトが言えるわね!!?

 平気で笑う勇者にドン引きして、私は逃げるように一歩退いた。

 すると、それに気付いた勇者が私の方に向くと、心配に満ちた表情を浮かべていた。


「ティアナ、大丈夫?あの魔物に追いかけ回されて大変だったでしょ?休んでてもいいよ?」

「む…まだまだ元気ありますけど?ていうか、試練の件……どうするのよ」


 私の疲れなんて二の次だ。

 正直、あれだけの醜態しゅうたいを晒しておいて…とても試練をクリアしたとは考えられなかった。だから多分…暗殺も以前に私は。


「私はもう…あなたの仲間じゃないんでしょ?」

「もちろんクリアだよ、もうボクはティアナがいないとダメになっちゃったからねぇ〜」


…………………ん?


「「んん?」」

 

 あ、あれ?聞き間違いかしら…私ってば随分ずいぶんと耳が聞こえづらくなったものね…とても困るわ。

 今度は聞こえるように、一歩踏み出して勇者の顔を近付ける…。


 聞き間違いじゃ…ありませんように。


 そう願いを込めて、目をつむって…私は魔王の娘なのに、祈る。

 そんな罰当たりな祈りが通じたのか、柔らかい勇者の声が近くで聞こえた。


「ティアナはもう、ボクの仲間だよ」

「うそ」

「うそじゃないよ?うそじゃなかったらボクはあそこまで本気にはなってないよ」


 ふふっと笑って、クレーターを指差す。

 まぁ、確かにそうだ…と視界に映るクレーターに納得して、思わずなんと言ったらいいのか、私は泣いてしまった。


 頬に伝う生温かいしずく

 どうして泣いてるのか分からない。

 なんで流してるのか理解できない。


 けど、あの怪物に追いかけられて、恐怖して…この関係も終わって、お父様からも見限られて、期待すらされなくなって……って思うと酷く恐ろしくなった。

 身体が極寒に放り込まれたような寒さで、私は死人のように果てる。


 そういう未来を想像していたからこそ、私は…涙を流して、安堵あんどしているのだと、勝手に納得する。


「怖い思いをさせて、ごめんね?」

「おそいのよ…ばか」


 優しい声で私を包み込む勇者に、私は涙を流して罵倒する。

 けれど勇者は怒る事はなく、涙を流す私に…優しく抱擁ほうようした。



 森から村へ移動して、未だ状況を把握はあく出来ていない依頼主は、疑問符を浮かべたまま薬草の入った籠を確認するとやけくそ気味に笑った。


「ははっ…あ、ありがとうございます。これでポーションが作れます」

「いやあ、それは良かったです!では報酬金をば…」

「…………いや、おかしいでしょう」


 途端、依頼主が声を上げる。

 なんだなんだと私も思わず彼を見ると、納得のいかない切羽詰まった表情で勇者を睨んだ。


「あの森は、代々僕達薬剤師が大事にしてきた森なんです!それをあんなめちゃくちゃに…!」


 ああ、やっぱりすごく怒っている。

 どうするのよ勇者と、私は彼女の背を見つめる。すると、怒ってる相手にも関わらず、普段と変わりない声で勇者は告げた。


「怒る気持ちは分かりますが、こっちだって命を賭けているんですよ?仲間の命を救う為なら、ボクは森一つ消し飛ばす覚悟でいますから」

「んなっ……」


 顔一つ変えずに言い切った勇者に、薬剤師は驚愕の表情を浮かべる。

 丸眼鏡がかたむき、汗をたらりと流しながら…何か合点がてんがいったのか「そうか!!」と声を荒げた。


「あ、あなたは…もしかして勇者ヒナタか!!」

「もしかしなくても、そうだけど」


 さらりと肯定する勇者。

 いや、それよりも…なんで薬剤師はああも狼狽ろうばいして、まるで悪魔でも見ているような表情で見ているの?


 彼の変わりように私は疑問に思う。

 すると、答え合わせのように彼は言った。


「王国随一の嫌われ者の勇者が、まさか貴女だったとは…!なんで正体を隠していた!」

「なんでって…聞かれなかったから」


 問いただすように薬剤師は勇者に詰め寄ると、気になるワードがその口から飛び出した。

 王国随一の…嫌われ者?

 どういう事だろう?勇者はこの国で一番強くて最強の勇者って言われるくらい…偉いんじゃなかったの?


「…どういうこと?」


 怒りを浴びせられながらも、飄々ひょうひょうとする勇者の背を見て…私は首を傾げる。

 結局、あの怒り様では話が通じず…依頼の話は無しになって、勿論報酬も無し…。

 勇者は「森一つであんなに怒んなくてもいいのにね」と小言をこぼして、私に賛同を求めていたみたいだけど…。


 怒るに決まってるわよ、とバッサリ言い切った。


 


「ねぇティアナ」

「なにかしら?」


 王都行きの馬車に揺られて、ふと勇者の声がして振り返る。

 夕日を背景に映し出される勇者の姿は、不覚にも心臓が飛び跳ねるほどカッコいい。

 

 思わず頬を紅色に染めて、呆けていると「大丈夫?」と勇者の声が耳に入って、意識を取り戻す。

 慌てて「なにかしら?」と尋ねると勇者は自虐気味に笑いながら、言った。


「気にならないの?」


 それは多分、さっきのことを指しているのだと思う。

 勿論すごく気になる、今だって問いただしたいくらいは聞きたいけど…まぁ、教えてくれるとは限らない。


「聞いたら教えてくれる?」

「ん〜……教えないかなぁ」

「ほら」


 自分で聞いておいて、教える気がないんじゃ、聞く必要もない。

 ほらみたことかとしたり顔で笑うと、勇者も釣られて笑う。


 勇者はどこか安心した様な笑顔を浮かべると、何故か両手の指を絡ませてもじもじと身体を揺らした。


「あ、あのさティアナ」

「? なにかしら」

「魔物との戦闘中にさ…ボクのコト、ヒナタって呼んでたよね?」

「……あーー」


 確かに、そう言ってたかもしれない。

 あの時は咄嗟とっさだったし、言われるまで完全に忘れていた。

 というより、どうして突然そんなことを言い出すのだろう?はっ!もしかして名前呼びダメだったとか?


 突然名前で呼ぶとか馴れ馴れしいんだよ!って怒られるのかな?やばい、勇者にボコボコにされるのは流石にイヤなのだけど!!


 最悪の想像をして、思わず泣き出しそうになるのを堪える私。

 そして、せめもの慈悲を求める様に…掠れた声で私はお願いした。


「…で、できればデコピンにしてください」

「え、なにが!?」

「え?名前呼びに怒ってたんじゃ…」

「いや、その真逆だよ!すごく嬉しかったからこれからも呼んでほしいって思って!」


 あたふたと慌てて勇者は言った。

 すごく嬉しかったって…名前呼びで大袈裟すぎるよ。

 

「…これからも、呼んでほしい…ねぇ」

「うん」


 名前呼び…名前呼びかぁ。

 私、あの時は咄嗟だったから言えたけど…実を言うと、名前呼びで言い合う関係って少し憧れだったから…なんていうかその。


「ちょっと恥ずかしいから、少し待って」

「えぇ!名前を呼ぶだけじゃんか!」

「それが恥ずかしいのよ…だって、そういうの今までなかったから………」


 恥ずかしさで頬がもう一度染まる。

 今度は分かりやすかったのか、勇者は「わっ、顔真っ赤!」と指摘されて…ボッと燃える。


「そ、そんなこと言うなら呼ばないわよ!」

「あーいやいや!言わないから!」

「……もう」


 どうして、名前呼びにこだわるのか分からないけれど……。

 そこまでお願いされたら…断れないじゃない。


 唇を尖らせて、言葉を紡ぐ。

 名前を言うだけなのに、なぜか緊張する…喉の奥が燃えるように熱くなって、思わずつっかえる。そして。


「…ひ、ヒナタ」


 勇者の名前を…恥ずかしながら、私は告げた。

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