第8話 キジノハ
夜中の大立ち回りから一夜明けて。
ヒメノは宿屋の主人の声で目覚ました。
それというのも血を拭うために裸になったあと着替えもせずに眠ってしまったことで、タオルがはだけた姿に変な誤解を与えたからだ。
若い女で猛獣と悪人相手に大立ち回りをして熱った肢体。
その熱に当てられて男を連れ込んだのかと誤解した主人は小言の一つも言いたくなったわけだ。
「ここは連れ込み宿じゃねえんだぞ」
その一言が目覚めたヒメノの胸に刺さる。
そういうことをしたこともなければ、そもそも同年代の男の子と仲良くなったことすらない。
父やオバタの猟師仲間も自分を邪な目で見たことがなかったので、ヒメノは主人に言われるまで自分がそういう意識を向けられる対象だということに無頓着だったようだ。
変に意識してモヤモヤした頭で向かったのは昨夜の運送屋。
昨夜の後始末のためで、流石に殺されたタキヤの遺体は夜のうちに片付けられていたが、熊の死骸はそのまま残されていた。
「寝床からの挨拶で失礼する。ワシはこの運送屋の主でトモタメという。キミのおかげで被害が最小限に食い止められただけではなく、盗人を捕まえることもできた。まずはありがとう」
聞けば捕まった二人組は町に咎人が出たときに使用している共同の牢屋に手枷足枷をつけて投獄されたそうだ。
この二人は元々は旅芸人の家に生まれた兄弟で、石熊を操るのに使用していた笛は伝来の秘密道具だという。
所属していた旅芸人の一座を引き継いだ息子に動物使いの芸は不要だと言われて追い出された彼らは流れ者となり、その途中に出会って使役した石熊にゴローと名付けて強盗働きを思いついたそうだ。
ヒメノが昨夜予想した通り彼らに背景はなく、父の敵である奴ら──サンスティグマーダーとは繋がっていない。
それを知ったヒメノはやや複雑な思いでトモタメの話を聞いていた。
「──それで、キミには何かお礼をしないと申し訳がない。何か欲しい物とかはないか?」
「貰えるものなら貰っておきますがとりあえず一つ。こういう痣に見覚えはないですか?」
ヒメノは説明のために袖をめくって右腕のサンスティグマをトモタメに見せた。
「ボクも似たようなものを持っていますが、これと同じような痣を持った殺し屋の集団が居るはずなんです」
「お嬢ちゃん……何故そんなモンモンを腕に彫ってるんで?」
ヒメノの腕を見たトモタメの目の色が変わり、その影響で部屋の空気が一気に凍てついた。
「これは父の形見。そして父を殺したのはこれと同じ痣を持った特殊な力を持った集団だからです」
「それが本当ならば驚きだ。あいつらに恨みがある人間は多かろうが、恨んでいる上で同じモンモンを持っているやつは連中の仲間割れ以外では初めてだよ」
「そこまで言うのならば知っているんですね」
「試すようなことをして申し訳ない。お嬢ちゃんが実際に連中の同類ならば昨日の賊のように金目の物を奪ってトンズラこくよな。お察しの通りお嬢ちゃんが言っている連中には心当たりがある。最初に聞くが、お嬢ちゃんは手がかりすら知らんのか?」
「サンスティグマーダーっていう名前くらいしか。ボクの父は奴らの創始者とは旧知の仲だったそうですが、奴らが殺し屋家業を始めた頃には交流を断っていたそうなので」
「サンスティグマーダーと言えば、変わった痣と怪しい能力を併せ持った暗殺者集団だな。本拠地は隣のデジマ国にあるからこっちではあまり見かけないが、奴らの手下になったあと逃げ出した半端モンが強盗を働く被害はウチらの界隈じゃ日常茶飯事さ」
「半端者と言っても痣の力を持っているんだよね。おじさんたちは大丈夫なんですか?」
「半端な連中は大した力は持ってねえ。昨日の石熊のほうが強いくらいだし、何より一人か二人でうろついているだけだからそこまでの相手じゃねえんだ。だがホンモノは別。ホンモノのサンスティグマーダーに狙われて生き残った人間なんてワシは見たことがねえよ」
トモタメの言葉には「だから親父さんの仇討ちなんて諦めたほうがいい」という意図が含まれていた。
理屈で言えばトモタメの意見は正論かもしれない。
だがそれでもヒメノはあとには引けない。
「それでもボクは……」
「皆まで言わんでも言いたいことはわかる。ただワシからすれば若くて弓の腕が立つお嬢ちゃんが無駄死にするつもりだってのが勿体ないだけよ。だから付け焼き刃にしかならんだろうがコレだけは教えておく。ホンモノのサンスティグマーダーは統率が取れていて、常に一人は様子見として戦わずに隠れている。だから伏兵が居ることは前提に考えたほうがいい」
「ありがとうございます」
「良いってことよ。これだけの情報じゃあ昨夜の恩には足りていないくらいさ。だからお嬢さんの目的地まで荷車で送っていこうじゃないか。何処まで行くつもりだい?」
「とりあえず王都まで。今の話を聞いて、余計に一人で突っ込んでも勝ち目がないことだけはわかったので」
トモタメの情報を噛み締めたヒメノはこれまで漠然とした協力者探しのつもりでしかなかった王都行きに大きな意味を見出した。
奴らことサンスティグマーダーとの戦いでは一度に多数を相手にする必要があるのはヒメノも理解していたが、それは一介の若い猟師に過ぎない彼女の理解を越えた集団である。
同じサンスティグマの力を持っているとはいえ、集団としての力を持たないままでは勝ち目は薄い。
それを味方につけるためにはダイサクの言うとおりに王都にいるコサクに会う必要があるようだ。
「パチゴーならばもうすぐ荷車を出すところだ。旅支度は出来ているか?」
元よりヒメノは最低限の荷物しか持ち合わせていない一人旅で、トモタメに呼び出されて宿を出た時点で手荷物は全て持ち歩いている。
なので文字通り渡りに船なこの申し出に首を縦に振ると、もうすぐ出発となる荷車の前に移動した
この荷車はセイチンという男をカシラにした三両編成の馬車で、一両は作業員を乗せるための車両なのでヒメノを乗せる余裕がある。
とりあえず麓まで荷物を運んでそこからは王都行きの船引きに荷物を託すそうなので、ヒメノはそこまで乗せてもらうこととなった。
同席する作業員たちに挨拶をしたヒメノが出発を待っていると、一匹の犬が彼女に会いに来る。
キジノハはヒメノの前に来ると、行儀よく座ったまま尾を横に振り始めた。
どうやら彼女に懐いている様子だ。
「どうしたの? お別れの前におやつが欲しいのかな」
ヒメノは昨日餌を与えたのに味をしめたのかと思って燻製肉を取り出したのだが違うようで、彼女に覆いかぶさると顔を舐め始める。
傍目には愛犬の愛情表現そのままな姿。
ハアハアと息を荒げるキジノハにヒメノはたずねた。
「もしかしてお前……ボクと一緒に行きたいのか?」
ヒメノの問いかけにワンと答えるキジノハ。
昨日の賢さや夜の騒動での吠えて危険を周囲に伝える様子からヒメノは彼の賢さを知っていたので、これは同意の意味なのかと小首を傾げてしまう。
そんなヒメノの推測を後押しするようにセイチンが横から出てきた。
「まさかね」
「あいやその通りだと思うよ、ヒメノ」
「あらセイチンさん。どうしてそう思うんですか?」
「俺はその子の飼い主……ツキタケとは仲が良かったからね。ソイツとも同じく仲がいいから気持ちが読めるんだよ。このキジノハがあんな感じに鳴いたときはイエスの意味で間違いない」
「でも勝手に連れて行ったらツキタケさんの家族も心配するって」
「アイツの家族はキジノハだけだから問題ねえよ。このままノラになっても常に面倒を見れるやつはいないし、ヒメノに着いていくと言うんならこの子の好きなようにさせたほうがアイツも喜ぶ。なあに、キジノハがアンタと一緒に居たくなくなったらそこで別れればいいし、アンタがコイツを邪魔に思ったら見捨てても構わんだろう。色々と事情を抱えているのはさっきの大将との話から察するし、死ぬまで面倒を見れとまでは言わないさ」
「そうなのか?」
セイチンの解説が正しいのかとヒメノがたずねると、再びキジノハは威勢よくワンと吠える。
これはもう否定できないようだ。
「だったらボクと一緒に来るか? ボクはわりと面倒見が良くないから、嫌になったらお前の好きにしていいから、キジノハ」
ヒメノの言葉にワンと答えるキジノハ。
荷車の出発時間になると車両の座席に座るヒメノの前でキジノハは行儀よく座り、頭を撫でるヒメノの手にうっとりとした顔を見せた。
このまま順調に行けば夕方には王都の麓オイスタに到着する。
そこから先はまだヒメノも細かく考えていないが、馬車の揺れにうとうとと眠り始めた彼女の寝顔は同席する男たちの目を引き付けた。
彼女は同世代の異性にはあまり慣れていないせいか無頓着なのだが、着飾れば周囲に持て囃される美形。
この状況はさもありなん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます