第7話 石熊使い

 宿に戻ったヒメノが簡単な夕食を終えて床に就こうとしていた頃、飼い主を失って放浪していたキジノハは宿の前にいた。

 キジノハが事件現場で嗅いだ匂いは二人と一匹。

 そのうちの人間の匂いを辿った先がこの宿と言うわけだ。

 夜中になって窓から宿を抜け出す二人組に気づいたキジノハはヒメノの方を見てから跡をつける。

 同じ匂いを感じ取った彼女なら力になってくれると感じているが、ここで吠えればあの二人に逃げられる。

 故にキジノハは一人で行動する。

 一方でキジノハの事を意識せぬままに件の二人が向かったのはこの町唯一の運送屋。

 主に農作物を他の町に運ぶことを生業としており、農作物を集積している麦問屋と双璧をなす農家の町サーカエにとってはお金の集まる場所である。


「見張りが多いな。昨日の今日というやつだろうな」

「でも麦問屋は現物ばかりでお金はなかったし、こっちで稼がないと赤字だよ。どうする?」

「いくら数を集めても王都の騎士団が来たわけじゃない。ゴローなら楽勝さ」

「なら予定通りでいこう」


 二人は警備の手厚さを前に襲う算段を練り直したあと、そのうちの小柄な方が懐から笛を取り出した。

 すぐさま吹くが音はしない。

 聴覚に優れる犬のキジノハにさえ聞こえないこの笛は音色ではなく聖石の力をゴローと呼ばれる一匹の獣に届けたからだ。

 しばらくして大きな足音とともに近づく仇の匂い。

 察知したキジノハが吠える頃には既にそれは目の前である。


「く、熊だ!」

「まさか昨夜のもこいつが?」

「こんなところに石熊が、なんでいるんだ。このあたりだとオバタの方にしか居ないはずなのに」


 遠吠えに振り向いて気がついた見張りの従業員たちも犬の声より熊に目を奪われた。

 月明かりの中で光る熊の目は充血していて興奮状態を表しており、こうなった石熊は人の手では対処は困難。

 沈静化するまで逃げるか王都の騎士のように強い武力で殺す以外にはどうしようもなくなってしまう。

 熊と倉庫の直線上にいた見張りの三人は蜘蛛の子を散らすように散開したのだが、そのうちの倉庫に逃げようとした小太りの男に熊は狙いを定める。

 低く唸る音を伴った熊が一歩踏み込むと風のような速さで間合いを詰めた。


「わ、やけ、ひえ!」


 興奮し眼を充血させた石熊が危険視されるのはこの力があるから。

 興奮に比例して全身を震わせた石熊が起こす振動は強い力を生み出す。

 駆ければ足の早い男の3倍以上も早く、そして触れれば掠めただけで人間の骨など容易に砕く。

 昨夜のツキタケたちを殺したのは文字通り、興奮した石熊という化け物だ。

 この独身男性は名前をタキヤと言い、女に縁がなく惰性で運送屋の夜間警備を行っている。

 そんな彼が夢でしか見たことのない女の園を唐突に思い浮かべたのは逃避であろう。

 夢の中の美女に包まれながら彼は熊の一撫でで絶命して無惨な肉塊に変わってしまう。

 昼間ならば死体の有様だけで御婦人や子供は気分を悪くするほどだ。


「いいぞ。うまい具合に他の見張りは逃げ出した。このまま倉庫を破ってくれ」

「うい!」


 大柄な男の命令に合わせて小柄な男が笛を奏で、熊は操られるがままに倉庫の壁に穴を開けた。

 相手が興奮した石熊と言うことで他の見張りたちも襲撃の情報を伝え合うが、安全圏まで距離をおいたあとから危険な間合いに近づく勇気が有ろうものか。

 そもそも混乱のあまりこの熊が二人の男に操られていることも、そのうちの一人が壊れた壁から倉庫に忍び込んだことも知らない。

 二人組の見立てのとおりに倉庫の中にいた人間も逃げ出しており、大柄の男は難なく中を漁り始めた。

 唯一抵抗しているのは遠巻きに吠えるキジノハだけだろうか。

 いや……他にも抗うものが居るようだ。


「石熊ごときが何するものぞ! このトモタメの剛弓が目に入らんか!」


 倉庫の上によじ登って大見得を切っているのはこの運送屋の主人トモタメ。

 彼は若い頃は大弓使いのボディガードとして名を挙げた武闘派だ。


「弓で狙われたときはお前は身を隠しつつゴローには優先して叩かせろ。万が一ゴローが死んでも、流矢でお前が死ぬのだけは避けなければいけないからな」


 一方で事前の打ち合わせ通りに弓の斜線から逃れた小柄の男は笛を吹き次の指示を熊に送る。

 それは屋根の上に飛び乗ってトモタメを殺せと言うものだが、昔取った杵柄は強いようだ。


「くぁ!」


 駆け寄り倉庫の屋根に登ろうとした熊の腕を正確に射抜く矢に怯んだ熊は尻もちをついて叫んだ。

 主人の仇が弱る姿を見てさらに威勢を強めるキジノハの吠える声も大きい。

 このままでは近づけないなと小柄の男はの命令を変更し、それを聞いた熊は腕を地面に突き立てる。

 高振動する腕は巣穴を作るときの要領で地面を安々と掘り、土を思い切り握り固めたあとはそのままトモタメに向かって投げつけた。

 咄嗟に二の矢で土塊を射抜くトモタメの腕も見事だが、空中でぶつかり合ってそれた矢とは異なり土塊はバラけながらトモタメを目指す。

 飛んでいるのは握りしめた土に混じった石の粒。

 小さいとはいえこの速度と量を一度に受ければ大怪我も必至だ。


「よーし。いい子だゴロー」


 結局小石の散弾をまともに受けたトモタメは激痛を押し殺しながら屋根から落ちた。

 片腕は一の矢で潰したとはいえまだ片腕が残っている。

 そんな状態の熊が仁王立ちして倉庫を睨んでいる。

 要であるトモタメが熊に倒されて打つ手なしと諦めた従業員の頭には逃げることしかなく、倉庫に忍び込んだ賊のことなど気づきようもない。

 大柄の男はしめしめと倉庫から金目の物を漁り、小柄の男は逃げ遅れた人間の目を引くように熊を倉庫の周りで暴れさせた。

 人気もなくなった様子に戦利品を袋に入れて出てきた大柄の男。

 コレだけあれば大金星と言いたげのホクホクとした顔は遠目にも憎らしい。


「よしよし。アイツらがキミの仇か」


 騒ぎに気がついて宿から飛び出したヒメノが到着した頃には既に手遅れ。

 一人が殺されてもう一人も重症を負っている。

 ヒメノはもし犯人が自分の仇の仲間ならばと気にかけてこの町に来ただけであり、事件の犯人を成敗したいわけではない。

 なので第二の犯行を防げなかったことに責任や悔しさはないが、自分の父と同様に悪人によって理不尽に殺された人間を見て怒らないわけがなかろう。


「ボクの仇とは違うようだけど……あんな連中は生かしてはおけない!」


 弓を取り出してキリリと引き絞ったヒメノの右腕の痣が熱を帯びる。

 指先からほとばしる気を矢にこめたヒメノは狙いを定め、念じるように矢を射た。

 標的までの距離はおよそ100メートル。

 単純な飛距離は足りていても狙って当てるのは困難な距離なのだが、ヒメノの矢は地面に水平に飛んで狙いの先……大柄な男の肩を貫いた。

 相棒が激痛に悶えて袋を落とす様子を見た小柄な男は遠くにいるヒメノの姿を見ると笛を奏でて熊を向かわせる。

 近づいてくる熊は昼間に巣穴にいたあの熊だろうか。


「キミもかわいそうだが……こんな騒ぎを起こしたら生かしてはおけないよ」


 ヒメノは笛を吹く小柄な男にも気づいており、原理はわからずとも熊はその笛で操られていると予測していた。

 古文書で見たサンスティグマの能力とはかけ離れた動物使いの能力を見て彼らが父の仇とつながっている可能性をヒメノは捨てている。

 その上で人を殺した熊も熊を操る二人組も許すラインを超えていると判断した彼女は目先の熊に狙いをつけた。

 下手に触れれば頑丈な毛皮と震える肉体によってこちらが危険になる。

 なので最善手はトモタメも見せた通り弓による間接攻撃。

 残る矢を右手に握ったヒメノは一度につがいて一気にそれを飛ばした。


(名付けて──乱れ櫻!)


 ヒメノが現時点で考案した空のサンスティグマを使った術は二つ。

 一つは鉈の刃先を気で覆い切れ味を増やし、一刀のもとに斬り伏せる楓。

 そしてもう一つは矢にこめた気で威力と飛距離を増やしながら、目視で矢の動きを調整する櫻。

 つまり今回のは櫻である。

 一の矢は正確に大柄の男の肩を狙った一条櫻なのに対し、二の矢は複数の矢を気で威力を補い同時に飛ばす乱れ櫻。

 ヒメノは矢を六本用意していたので二の矢で放ったのは五つ。

 それら全てがトモタメの剛弓にも劣らない威力で同時に襲いかかったのだからこれには熊もひとたまりもない。

 甲高い声で呻く熊は操られていなければ戦意を無くしていたであろう。

 そして操られていても極度のダメージを前に目の色が濁り体の震えが止まっているようだ。

 刺さった矢が震えていないことと動きが極端に鈍ったのを見て好機と判断したヒメノは鉈に持ち替えて熊に駆け寄る。

 そのまま交差するように飛び跳ねた彼女は楓の一刀を持って熊の足を一本切り取り、足が泣き別れして倒れた熊はもう戦うことなど無理である。

 こうなったらかわいそうだがあとは丁重に弔って鍋の具にする以外にない。

 血を払うために十字を切るヒメノの所作はさながら死者に手向けた祈りのクロスであろう。


「あの熊はキミが操っていたんだろう?」


 血を払ったヒメノは鉈を小柄な男に向けて威圧した。


「だったら何だって言うんだ。そもそも証拠でもあるのかよ」

「キミが熊をその笛で操って騒ぎを起こして、向こうの男がその騒動を隠れ蓑にして盗みを行う。そんなの見ればわかるじゃないか」

「知るか!」


 小柄の男はヒメノの尋問を前にシラを切りながら、再び笛を構えて熊に命令を送る。

 何でもいいからこの女を攻撃しろ。

 その指示を可能な限り叶えようとした熊は切り落とされた自分の足に手を伸ばすと腕の力でヒメノに向けて投げる。


(よし! 直撃コース)


 小柄の男がほくそ笑む通り、ヒメノが気づかなければそのまま直撃して彼女は昏倒していただろう。

 だが熊の動きを見ていたキジノハが吠えるのに合わせて目線を向けたヒメノは悪あがきの攻撃を察知し、そんな状態でもなお命令に従う熊を哀れに思いながら飛来する足を鉈で弾く。

 空に飛び上がり二つに別れた足の断面からあふれる血が雨のようにヒメノと小柄な男の顔にかかる。

 そんな血に濡れたヒメノの姿を悪魔か何かのように見た小柄の男は尻餅をつき、殺されると思い失禁するとともに気を失った。


「この野郎!」

「よくも!」


 一方で熊が倒されたことと矢を受けて一度落とした袋から盗品を覗かせた大柄な男が盗人であると気がついた運送屋の従業員たちは彼の身柄を取り押さえる。

 ヒメノともう一人のやり取りに騒動のからくりに気づき、しかも熊という脅威も取り除かれた彼らの抑圧された感情を向けられた大柄の男に逃げ場などない。


 こうしてサーカエを騒がせた化け物騒動は犯人の二人組の捕縛と操られていた石熊の死を持って終わりを迎えた。

 ヒメノは二人組への沙汰を運送屋の人間に任せると身を清めて一眠りするために宿に戻る。

 空のサンスティグマを用いた初めての殺し合い。

 狩りや練習の時のように力を狙ったとおりに発揮することは出来たわけだが、精神的な疲労はヒメノが思っていた以上のようで、熊の血を洗い落とした彼女はタオル一枚を羽織った状態でそのまま寝てしまっていた。

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