第6話 フジシロ強盗事件

 エビゾー家を出発して3時間ほどが経過した正午前。

 ヒメノは川沿いで荷物を解いて一休みすることにした。

 杖の先に座布団を差し込んで使用する一本椅子に腰掛けて、水を浄化する聖石入りの水筒にくんだ水を片手にかじるのは猪肉の燻製。

 女の子の食事としてはややワイルドだが猟師としてはむしろ大人しい。


「なかなか遠いな王都は」


 食事がてらにダイサクからもらった地図を広げたヒメノはその距離に小さなため息をついてしまう。

 今居る場所がアースデンの農耕地帯で、そこから30キロほど北に進むとフジシロという町がある。

 さらに10キロ強の市街地と5キロの森を通った先にあるスノーイン山の頂上にストーンヒル王国王都パチゴーが築かれていた。

 いわば王都は天然の要塞であり、それ故に交通の便が悪い。

 馬で行こうにもスノーイン山を登りきれる健脚の馬は少なく、麓から荷物を王都まで運ぶ船引き人夫が大きな需要があるほどだ。

 スノーイン山の麓まで行くのに寄り道無しで二日かかるとして、山を登るのは何日かかるであろう。

 だが王都の騎士はこの山登りを鍛錬に活用しているそうなので、自分にとっても丁度いい鍛錬になるかもしれないな。

 そうポジティブに気持ちを切り替えて食事を終えたヒメノが農道を歩いていると、農家の御婦人がしている噂話がヒメノの耳に届く。


「サーカエの方で事件があったんだってさ」

「麦問屋が襲われた件でしょう? 見張り番が無惨な目にあったとかいう」

「そうそう」


 通りすがりに聞いた話。

 しかもサーカエは現時点から農耕用に掘られた支流に沿って西にある町で王都を目指すヒメノとしては寄り道である。

 物騒な話だし寄り道は避けよう。

 そう思っていたのだがつい立ててしまった聞き耳にヒメノは惹かれてしまう。


「内側から破裂していたんだってね。ありゃあ化け物の仕業だよ」


 化け物の仕業───普通の人には無理そうな、人体破裂による惨殺が行われたと聞き、ヒメノは彼らの影を感じ取った。

 気を操る痣の力を使えば人体を内側から破裂させることも可能だろう。

 やろうと思えば自分もできる。

 ならばその現場に向かってみてもし犯人が奴らならば戦うのが筋だろう。

 予定を変更したヒメノは進路を左に取りサーカエに向かった。

 途中さらに大回りをしたヒメノは近くの林に入ると、新品の弓をカバンから取り出す。

 この弓はエビゾーと別れたあと、町を出発する前に購入しておいた物だ。

 自宅には使い慣れた弓があったわけだが、置き去りにして出発したのでその代わりである。

 真新しい弦を弓に張ったヒメノは慣れた手付きで張り具合を調整し、軽く矢をつがえる。

 そのまま5メートルほど先にある木に向けて矢を放つと、狙ったよりもすこし右に矢が飛んで木の横を掠めて後ろに飛んでいった。

 誤差としては狙いの木に当たったので上等。

 あとは微調整をしつつ新しい矢の放ち方を試したヒメノはそれに手応えを持ってサーカエに入った。

 サーカエは農家の町で宿泊施設は一つだけ。

 ヒメノも到着して早々に手続きをしたのだが、既に2組の先客がいるようだ。

 一組めは隣国デジマから来た、熱を出して寝込んでいる弟を看病するために滞在している兄弟。

 二組めはどこから来たのか明かさない旅人。

 もしどちらかが奴らの仲間で昨夜の蛮行を引き起こしたとするのならば、旅人のほうが怪しいだろうか。

 そう考えながら部屋を確保したヒメノは前金を支払って事件現場の野次馬に向かった。

 既に現場は遺体を葬儀屋が運んだことで綺麗になっており死体はない。

 襲われた場所にあった柵や倉庫も大きく破壊されており、作業をしている麦問屋の人間は煉瓦を積んで壁の補修をしているようだ。

 気になるのは補修作業をしている男性たちの後ろをウロウロと歩いている大きな犬。

 あの犬は何であろう。


「コイツは昨夜殺されたツキタケさんが飼っていた犬さ。名前は確か……キジノハと呼んでいたかな」


 まるで何かを探しているように見えるその犬に自分を重ねたヒメノは手荷物から燻製肉を取り出すと匂いに気づいた犬はヒメノに歩み寄る。

 ご主人が殺されたのが昨夜と言うことは、それから何も食べていないのかもしれない。


「食べるか?」


 キジノハは賢い犬のようだ。

 ヒメノの言葉を理解して「わん」と返事をした彼はヒメノから肉を受け取ってかじり出す。

 食べ終わるまでしばしその様子をヒメノは眺めていたが食べ終わったツキタケはおかわりの要求なのか再び吠えた。

 仕方がないなともう一切れを取り出したヒメノだったがどうやらキジノハの望みは違うようだ。

 プイっと踵を返したキジノハは少し歩くとヒメノに振り向く。

 まるでついてこいと言わんばかりの態度を見て歩み寄るヒメノを牽引するキジノハはそのまま町の外に彼女を連れ出した。

 夕焼け空になるまで付き合ったヒメノが連れて行かれたのは町に入る前に弓の試し打ちをした林の中。

 その奥にある大きな木の下で歩みを止めたキジノハは何かを伝えたい様子で吠える。


「この木───」


 キジノハの視線の先を見たヒメノはその根本にあるものに気がつく。


「危ないよ」


 それはヒメノも地元では見つけても避けるようにしている熊の巣穴だった。

 ストーンヒル王国周辺に生息する石熊という品種は普段は温厚なのだが巣穴に入られると暴れ狂う性質がある。

 そのため人に飼われている熊が旅芸人のお供として愛玩される一方で、野生の熊は危険な猛獣として恐れられていた。

 そんな熊に吠えるキジノハをヒメノは抱きかかえるのだが彼は悶える。


「こら。殺されたいの?」


 しばらく抱きかかえているとようやく落ち着いたのか動きを止めた。

 それを見たヒメノに腕の中からおろされると、キジノハはトボトボとした足取りで町の方へ戻っていった。


「まさかね」


 もしかしたらツキタケを殺した犯人がこの巣穴に逃げ隠れているのかもしれない。

 その疑惑だけで熊に喧嘩を売ることになったらリスクが大きいし、なにより熊を暴れさせた場合に一方的な都合でサンスティグマを使って殺すのも気が引ける。

 なので無影灯でちらりと照らして中を検めてみたのだが、一匹の熊が気持ちよさそうに寝ているだけだった。

 起こせば暴れさせることになる。

 起きないうちにと後ずさりをしたヒメノも町に戻る頃には日が沈んで次の日を迎えていた。

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