第86話 受肉とは
騎士団『蛇の団』を名乗る彼らは悪魔の受肉について知らない様子であった。
大図書館にもそのことに触れた資料がほとんど見つからなかったことを思えば、本当に知らないとしてもおかしくはない。
彼らが本物の騎士団でない可能性も未だあるが、しかし隠し立てするようなことでもないので港町ペティでの出来事を教えた。
「そのようなことが……情報、感謝する。なにぶん悪魔の資料は事実と浮説が錯綜していてな。人体実験をするわけにもいかず、解明が遅々として進んでいないのだ」
隊長は言い訳みたいなことを口にした。
「北東部の事件ならばそろそろ詳細が届くだろう、これで捜査が前進するかもしれん」
「それは良かったです。もう帰ってもいいでしょうか?」
「ああ、あそこの角を曲がれば三番通りに出る」
「ご親切にありがとうございます。それでは」
そうして蛇の団の面々と別れ、言われた通り歩くときちんと大通りに出られた。
……司書の青年とは昼食を一緒にする約束をしていたが、置いてきてしまったな。まあ、彼も俺を誘い出すための口実作りのつもりだったのだろうし、今から戻る必要もないだろう。
午後からも大図書館で調べ物だ。午前と変わらず受肉の解除方法についてである。
しかし、それまで探して見つからなかったものが急に見つかるはずもなく、やはり成果は上がらなかった。
夕焼け空の下、帰り道を急ぐ。
「やっぱねぇんだろうな」
観念したように小さく呟いた。
メルチアでも、王都でも探し、見つけられなかった。国の組織である騎士団ですら知らなかった。悪魔について調べていたというペティの元S級冒険者、ヘンリエッタも戻せないと言っていた。
ならば、そういうことなのだろう。悪魔に乗っ取られた人間を元に戻す方法はない。
「よし。……次があれば、殺す」
ようやく、決心がついた。
他にやりようがないのなら。たとえ人間の姿でも。迷いなく、躊躇いなく、気負いなく、殺せる。
……はずだ。
「…………」
……暗いことを考えているのは良くないな。気分まで暗くなる。
悪魔の受肉というのは珍しい現象のようだし、それが起こる前に契約者を捕えてしまえば問題はない。
何なら王都で起きている契約者の異常発生の原因を突き止め……いや、それは止めといた方がいいか。
俺は今も尾行されている。尾行者の気配は蛇の団とのやり取り中からあった。この程度の《潜伏》をあの隊長が見逃すとは考えづらいので、恐らく蛇の団の仲間だろう。
一応、検査で身の潔白は証明したが、悪魔の受肉について知っていた俺への疑いは完全には晴れていないのだろう。
そんな状態で下手に悪魔に関わろうとするのは疑念を深めることになる。
ここは大人しく騎士団を信じよう。人数も捜査能力も彼らの方がずっと上なのだから。
「……焦り過ぎたか」
それよりも今は目の前の問題に取り組まなければ。
俺の前に続くのは暗い細道。大通りに比べて舗装の甘いその道が、先ほどからずっと続いている。
夕暮れだからと焦ったのが良くなかった。考え事をしていたため注意散漫でもあった。地図での確認を怠り、記憶を頼りに歩いてしまったために、どこかで道順を間違えたのだろう。
端的に言うと迷った。
この裏路地は似たような道が入り組んでおり、かつ、建物の陰になって王城が見えない。迷いやすい区画なのだ。
とりあえず、最寄りの──尾行者を除く──気配に向かって歩いて行く。
少しして、目のやり場に困る格好をした三人組の女性が現れた。護衛と思しき厳つい男性も後ろに控えている。
「あら、お兄さん。今夜はお暇? 良かったら私──」
「それよりも五番街の方角がわからず困っているのですが」
「五番街? それならここからだと少し歩くわね。道も複雑だし、私達が案内しましょうか?」
「いえ、結構です。方角さえ教えてもらえれば」
集団の代表らしい女性に、蛇の団から貰った銀貨を一枚渡しつつ言う。
「そ、そう? 五番街はあちらの方だけれど……」
「ありがとうございました」
それだけ聞いて急いで歩みを再開する。あまり時間をかけると尾行者に不審がられる。
教えてもらった方角だけ忘れないようにして裏路地を進んでいると、尾行者がさっきの集団と接触した。
「《
そのタイミングで飛行能力を発動。屋根の上に飛び上がり、そのまま五番街の方角に飛んで行く。
尾行者は追ってこない。屋根の上に登るに充分な《パラメータ》であるが、民家の屋根を足蹴にするのに抵抗があるのか、あるいはあの集団に聞き込みでもしているのか。
いずれにせよ待つ義理はないのでそのまま飛び去る。
拠点を特定されるデメリットと逃げ出したと思われるデメリットを天秤に掛けた時、どちらの方が重いかは俺には判断できなかった。
なので、もし付いて来るようならその時は宿まで一緒に行くつもりであったのだが、来ないのならそれでもいい。
五番街に着き、通り越し、その向こうの六番街へ。
六番街を貫く六番通りの一画、宿屋の前へ降り立つ。
「あ、リュウジ君、遅かったね」
「すまん、ちょっと道に迷ってな」
何事も無かったように宿屋に帰り、待ってくれていたマロンと一緒に夕飯を食べた。
そして翌日。
「第十一階層到着~。すっごいね、聞いてた通り真っ白。こんなに降ってるの初めて見たよ」
「そのせいでめっちゃ寒いけどな。〈コールドレジスト〉」
そこは一面の銀世界。しんしんと雪の降り積もる平野だった。
外との温度差も手伝い、一層染み入る雪の寒さを、冷気耐性を上げる〈魔術〉で防御する。マロンや若竜二匹にも掛けた。
「ありがとー。補助〈魔術〉使える人がいると助かるねぇ」
「それはどうも」
白い地面を踏み固めながら二人と二匹で進んで行く。
降雪量はそれほどでもないが、それでも遠くの景色は見えづらい。昨日の俺のように迷わないよう、こまめに地図を確認する。
「九時の方から一体接近中」
「了解」
応えて、杖を構える。魔力は練り上げるまでもなく、常に構築済み状態で維持している。
敵影を目視。銀の毛に覆われたゴリラのような魔物、《ラブリィイエティ Lv47》だ。胸部の体毛が桃色でハートの形をしているのが特徴である。
《洗脳系状態異常》である《魅了》を使って、冒険者を従えていることがあるらしい。気付いたら雪原に一人置いてけぼりにされていた、というようなこともあったとか。
《抵抗力》の低い前衛はもちろん、後衛もうっかり操られた冒険者を攻撃しないよう注意が必要だ。
だが今回は他の冒険者は見当たらない。射程に入ったところで遠慮なく〈魔術〉を放った。
「〈ゲイルセイバー〉」
疾風が刃となり、雪を斬り裂き翔ける。イエティは咄嗟に両腕を盾にしようとするも、疾風の敏速を前にそれはあまりに遅すぎた。
スパンッ、という音が聞こえて来そうなほど綺麗に両断された魔物は、上半身と下半身を白雪に落とし、赤で白を塗りつぶしていく。
しかしその赤も、イエティが《ドロップアイテム》に変わると消えてしまった。
「こんなもんか」
「まだ私達の方が《レベル》高いしね」
「それもそうだな」
〈ガストブレード〉の上位版たる〈ゲイルセイバー〉。その威力には目を
《大型迷宮》であっても十一階層では今の俺達の相手にはならない。
警戒はしつつも、素早く攻略してしまおう。
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