第76話 刎頸
「は?」
俺も、悪魔も、唖然としていた。いや、悪魔の方はそれどころではなかったかもしれないが。
悪魔の頭が宙を舞う。鋭い刃物で斬られたように滑らかな首の断面が、強化された視力でよく見えた。
噴き出す血液が視界を彩る。首を刎ねた不可視の斬撃が水の縄を切ったことで、悪魔の体が落ちて行く。
悪魔になっても血は赤いのだな、などと錯乱する意識の隅で思ったところで、そんなことを考えている場合ではないと思い至る。
「《双竜召喚》、《若竜化》っ」
攻撃があった方に振り返りながら盾にするようにチョコを召喚した。
果たして、そこに居たのは老婆であった。白髪混じりの金髪で、優し気な風貌をしている。
「横取りのような形になってしまってごめんなさいね」
「……そのことは気にしてないです、ヘンリエッタさん」
ペティの町の凄腕治癒師。元S級冒険者のヘンリエッタにぺこりと頭を下げる。
他の人物は見当たらない。あの攻撃を行ったのは彼女だろう。
《光魔術》と《闇魔術》を高い練度で持っていると、透明な〈魔術〉を使えるようになる、と以前本で読んだ。
先程の見えない斬撃や、この距離まで見つからず接近できたのもその〈魔術〉によるものだろう。
全身に力の漲る感覚。悪魔が死に、俺の《レベル》が上がった感覚を覚えながら、努めて冷静に質問する。
「……悪魔に乗っ取られた人は、本当に元には戻せないんですか?」
「ええ、戻せないわ。アタシも冒険者時代に調べて回ったのだけど、見つからなかったの。そもそも、悪魔が受肉するということ事態、とても珍しいからねぇ……」
「そうですか」
突然の死に心は未だざわついているが、納得は出来た。
目の前の老婆は元S級冒険者であり、その知識は俺よりずっと広く深いはず。
裏付けは取れていないし、新たな方法を発見できないとも限らないが、そんなことを言っても仕方がない。
事情を説明してくれれば良かったのだがそうすると隙を生みかねない。
元に戻せない以上、あの場では一刻も早く殺そうとするのが正解の一つであったのだろう、
「ところでどうしてこちらに? 治療屋に居なくて良いのですか?」
「悪魔が出たって患者さんに教えてもらったのよ、そこの黒いドラゴンさんが運んで来た患者さんにね。それは一大事と文字通り飛んで来たのだけど、まさか一人で倒しちゃうなんてね。こんなに驚いたのはいつ以来かしら」
「相性に助けられただけですよ」
実際は相性よりも、あの悪魔が戦い慣れしていなかったこと。
それから、手加減して魔力を浪費した挙句、無闇に突っ込んで来たことが大きいのだが。
「しかし、ヘンリエッタさんがこちらに来て大丈夫なのですか? 最初の一人以外にもあと三人、重傷者が居るのですが」
「心配することはないわ。治療屋の他の子達だって立派な治癒師ですもの、アタシが居なくたって問題ないわ。それに、もしあの子達の手に余る患者が来ても《
まあ、本職の人がそう言うのなら問題はないのだろう。
この話はここで打ち切って、これからのことについて切り出した。
「それで、これからどうしますか? 自分はもう一人の飛救士を船に連れて帰ろうと思うのですが」
採掘船の行き来には、最低二人の飛救士が欲しいとロイ船長は言っていた。
帰りの船旅の安全性を高めるためにも、これは必要なことだろう。
「船に怪我人はいないのね?」
「はい、今運んでる重傷者の方以外は、全員治療できました」
「それならアタシは町に戻ろうかしら。今回のことはアタシの方から漁師組合の方々に説明しておくわ」
「そちらはお願いします」
そうして俺達は共にペティへ帰った。
それからの時間は慌ただしく過ぎ去って行った。
へとへとになっていた飛救士を抱えて船に戻り、事の顛末を話した。
間接的にとはいえ仲間を殺したというのに、冒険者達も船乗り達も責めたりはせず、よくやったと労ってくれた。それが半分、空元気なのは何となく察しがついたが、気遣ってもらえているという事実に心が安らいだ。
帰りの航海は行きと同じく、何事もなく終わりを迎えた。ペティに帰り着き、諸々の作業を終えてその日は解散となった。
こんな事態になっても採掘はきちんと行ってくれていたようで、帰り際、今回のお礼だと言って《潮風鉱》をたくさん譲ってもらえた。
宿に戻った俺は、張り詰めていた緊張が解けたのか、どっと疲れに襲われた。
実のところ、肉体的疲労はあまりない。
悪魔との戦いで《
何もせずとも部位欠損すら再生してくれるこの能力は、疲労にも作用する。回復速度は控えめだが、じっとしていれば疲れも立ちどころに癒えてしまう。
だから、体に疲れはない。
けれど、色々あって精神的な疲労が溜まっていたのだろう。
ベッドで横になった俺は、すぐに眠りについてしまった。
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