第3話 天空屋敷のメイドは、坊ちゃまの愛犬と仲良くしたい 前編



 転移の先にあるファンタジーワールド、アルデント・エクスプローラー。

 現在、こちらの異世界では、実に千五百人もの地球人が暮らしているそうなんですけれども。私ほど間の抜けた理由で異世界転移を果たした人間など、どんなに探した所で恐らく他には居ないでしょう。


 ワースト・オブ・お間抜け・異世界転移者。

 それが私。藤崎アカネ、その人なのです。


 何があったのか。

 順を追って説明しましょう。


 あれは今年の夏まっさかり、友達と海水浴に出かけた時の話でした。

 ひとりアヒルのゴムボートに乗り海上でくつろいでいた私は、あまりの気持ち良さについ寝入ってしまいました。日頃の勉学で疲れ果て、グースカ眠りこけていた呑気な高校生女子は、別次元の入り口『ポータル』に飲み込まれて強制転移。

 遂にはエメラルドグリーンの海をのぞむ砂浜へと流れ着くのでした。最後まで眠ったままで。


 その安らかな寝顔に、私を発見した辺境警備隊の人もあきれ果てたらしくて。

 そうなんです、私ったら寝ている間に異世界送りになっちゃったんですよ!


 なんでもその砂浜はよく次元漂流者が流れ着くことで悪名が高く、地元民からは「いつもの浜辺」と呼ばれて忌避きひされているのだとか。


 叩き起こされた私はそのまま首都エッジナまで連行され取り調べを受けることになりましたと……さ。

 こんなの! まったく、めでたくなーい! 

 そして、王宮の取調室にて出会ったのは、異世界ファンタジーの世界観とは似ても似つかぬ背広姿の老紳士でした。ニス塗りの事務机に肘をつき、片眼鏡をかけた銀色の瞳で探るようにこちらをうかがっていたっけ。



「災難だったね、アカネ。しかし心配することはないよ。君の新生活は我々サンジェルマン・グループが全力でサポートさせてもらう」

「貴方は、いったいどちら様なんです? サンジェルマン・グループですって?」


「地球にも多国籍たこくせき企業というものがあるだろう? それと似たようなものでね。多次元宇宙の様々な地域に拠点を設けては、商いをさせてもらい、返礼として現地の文化から長所を学び取る。色々な文明を吸収しながら、より優れた総合商社を目指していくのが我々の在り方だ」

「んー? 共利共生を目指す会社の集まりなんですね」

「その通り。いわば多次元籍企業といった所か。我々はどこの宇宙にも居るが、どこの国の住人でもない。国家や世界の枠組みを超えた存在なのだよ、OK?」


「多次元宇宙っていうのは……宇宙は一つだけでなく沢山あるって考え方ですよね?  地球も、この世界も、その内の一つに過ぎない……と。はい、貴方たちが何者かは、なんとなく理解できました。でも、私がまず何よりも必要とする援助は、母国日本に帰してもらうことでは? まだ高校生なんですよ」

「それはちょっと難しいかな。なんせ日本政府とサンジェルマン・グループは未だ交渉中でね。彼等は我々を詐欺師と決めつけ、かたくなに別宇宙の存在を認めてくれようとはしないんだ。アカネ君だって昨日までは、そんな物があると信じてはいなかっただろう?」



 この人が悪い奴じゃないのは、穏やかな話し方と雰囲気で何となく理解できた。

 でも、だからって説明に納得できるのかはまた別の話なのでした。



「それと私が帰れないことにどんな関係が?」

「大アリだよ。もしも君が日本に帰ったとして。君やその家族が異世界での体験談を周りに漏らしたら、どうなる? 狂人扱いされて下手すれば心の病院行きだよ。悪徳政治家という輩は、都合の悪い真実を黙らせる為なら何でもするからね」

「黙っていますから!」

「沖合に流された高校生は、長期間、いったいどこに雲隠れしていたのか? 周りが釈明を求めてくるから、言うほど簡単ではないよ。それに我々の力でポータルを開くのには随分と経費がかかる。トラックが通れるサイズのトンネルを三十分開くと(計算機を弾く)電気代だけで一回 八千万くらいかな……日本円で言うと」

「は、八千万えん!?」

「経費から渡航費を算出すれば、チケット代はかなり高くつくけど。君のお父さんはその代金を払えるだろうか? または君自身が出世払いで出すとか?」

「そ、そんなー」

「こちらに来てしまったら、ムリして帰っても不幸にしかならないのさ。流石に気の毒なので新生活のサポートには全力を尽くす。これは善意の話なんだ。今の君にはそう感じられないだろうけどね」

「辛すぎて、もう泣きそうです。私はただ寝ていただけなのに」

「そこまで悲観したものでもないよ。アルデント・エクスプローラーにだって善い人は居るさ。それは保証する」

「魔物とか居るんですよね?」

「街の中なら安全さ。それで君は何か就きたい職業とかあるかな?」



 こちとら、バイトすらしたことがない高校生なんですけど!

 でも、私の頭にはパッと浮かぶ憧れのジョブがありました。



「メイド……貴族の館で働くメイドとか、どうでしょう」

「ふむ、悪くない選択だ。それなら予備知識が不足している者でも勤まるし。もしかすると素敵な恋が見つかるかもしれないね。青春がうるおうというものだ」

「ですよね、ですよね~。アニメで見て以来、すっかりビクトリア朝時代のメイドに憧れてるんです。そりゃもう、メイドオタークといっても良いくらい」

「前向きになれたようで、大変結構。では、そのように手配しよう。なに、世間の風向きは変わるものだよ。技術革新が進めばポータルを通すコストだって今より安く済むさ。日本政府との交渉だっていずれは解決するかもしれない。それまでは異世界の生活を楽しみたまえ」

「よ、よーし! 私やりますよ」

「グッド! 君の両親は口の堅い人かな? 身辺調査の結果が良好であるようなら、我々から接触を図り事情を伝えておくよ。もしかすると、いずれ君あての荷物が届くかもしれない」

「荷物? 地球からの? それって誰が届けるんです?」

「グループ傘下の会社で働く、小さな配達員だ。君と殆ど同じ歳だから仲良くしてくれたまえ。少しばかり問題児ではあるけど」



 ―――



 そんなワケで、私はクラン家の天空屋敷でメイドとして働くことになったのだ。

 ええ、そう。屋敷が空を飛ぶから人呼んで天空屋敷。

 地上から遠く離れた所をただよう浮遊ふゆう島がクラン家の領地。


 なんでもクラン家のご先祖さまは、とても用心深く人間嫌いだったらしくて。

 いつ、自分の財産を他人に奪われやしないか心配でたまらなかった。

 その持病をこじらせた挙句にとうとう魔術を駆使して、自宅の屋敷と その周囲を大空へ浮かべてしまったんですって。壮大な引きこもりですこと。


 そのせいで地上との接触が殆どないミステリアスな屋敷が出来上がったの。

 食糧などの生活必需品は週に一回、出入りの業者が届けてくれるだけ。

 彼等は調教したグリフォン(ワシの翼と獅子の体をあわせ持つ幻獣)に乗って、この浮遊島を訪れている。外部との接触といえば、本当にその一点しかないんだ。


 サンジェルマン・グループもとんでもない僻地を紹介してくれたもんね。

 そりゃあ、ここなら魔物に襲われる心配なんてないのでしょうけれど。


 私の「天空メイド生活」がいかなるものであったのか?

 そりゃもう、現実と理想のギャップを思い知らされる日々でしたよ。

 まず教育係が厳しい御方で。



「アカネ、紅茶用のお湯が冷めているわよ!」

「あっ、はい。ただいま沸かしていますので。もう少々お待ち下さいませ」



 メイド心得、ご主人様とご家族の部屋にはお湯を常備しなければならない。



「厨房の方で石炭が足りていないようね。ちょっと運んでくれない?」

「あっはい。湯沸かしで使っちゃいました。今すぐに」



 メイド心得、屋敷内の火を絶やしてはならない。



「アカネ、もうすぐランチよ。石炭で汚れた服じゃ給仕できないわよ」

「あー、もう! ド畜生でございますわ」

「……今、何か言いまして?」

「いいえ、空耳ではありませんこと? リリムお嬢様。すぐに着替えてきまーす」



 メイド心得、食事時には給仕役で付き添う。

 そして、いかなる時も品性を忘れずに。



 ワタクシ、とてつもない忙しさに眩暈めまいがしてきますの。

 憧れのメイド服とヘッドドレスも慰めにはなりません。

 普通のお屋敷ならメイドといったら様々な種類がいるものなんです。


 女主人の身の回りを世話する「小間使いレディーズ・メイド


 台所のお手伝いをする「台所女中キッチン・メイド


 赤ん坊の面倒を任された「乳母ナニー


 屋敷内の清掃と美化を担う「家女中ハウス・メイド


 女性使用人の頂点に君臨する女性版執事「家政婦ハウス・キーパー


 などなど…。

 専任の使用人がそれぞれ仕事に励む、本来はそれが当たり前なんです。

 作業は沢山ありますから、手分けして効率よくやらないとね。


 ところが、配属初日にリリムお嬢様から告げられた私の役職ときたら。


雑役女中メイド・オブ・オールワークス


 オールワークス!

 何をやるのかって? 全部ですよ、新人に全のっけ。


 いじめかな?

 そうじゃなくて、リリムお嬢様の言い分はこう。



「広く浅くやるのが新顔の務めよ。そうして、少しずつ自分にあった道を見出していくの。地球では違うのかしら、日本人? 故郷がどこであろうと、人生はそうあるべきでしょう?」

「お姉さまったら、格好つけちゃって。素直に人手が足りないから頑張って下さいと言えばいいのに。大変でゴメンね。アカネさんだっけ? お空で暮らす不自由な環境だから、どんどん人が辞めちゃうんだ」

「お黙り、ヨハン! お姉さまの教育方針に口を挟まないで」


 リリムお嬢様は高飛車で誰にでも厳しい姉。弟のヨハン君は、金髪碧眼きんぱつへきがんの美少年で……私にとってお屋敷生活唯一の癒し要素。

 もっともまだ十四歳で、十六の私からみても背の低いお子様。

 恋愛対象としてはちょっとね。

 まぁ、そこが愛らしいのだけど。


 幼くして母を亡くした姉弟は父親のリィド・クラン氏と三人家族。


 リリムお嬢様は亡き母に変わって屋敷を仕切ろうと奮闘しているのだけど。所詮しょせんは十九歳の小娘。みんなが従ってくれるはずもなく(私が言える立場じゃないけどさ)努力は空回りして使用人から不興をかっているご様子です。


 それに実の所、お屋敷の空気がギスギスしているワケは他にもあって。

 それがご主人様であるリィド氏の道楽なんです。


 リィド氏の裏の顔はなんとサンジェルマン・グループの幹部。

 そのせいで地球をはじめとする他の宇宙にも詳しいのだとか。そして、性格は聡明そうめいかつ質実剛健でありながら、美しい物には目がないという欠点があるのです。


 屋敷のコレクションルームには真贋しんがんも定かでない芸術品がズラリ。

 更には「美しい動物」を手元に置きたがるので厩舎きゅうしゃはもう動物園のような騒ぎ。


 特に、屋敷の番犬であるフウリンにはご執着で、犬なのにまるっきり猫可愛がりの有様なのです。悲しいかな。ワタクシのオールワークスにはそのフウリンの世話も含まれているのでございますよ。あらゆる意味で、ド畜生でしてよ?



 ――――



 天空屋敷、雑役女中の朝は早い。

 フウリンが朝の冷えた空気を好み、敷地内を散歩したがるからだ。

 首輪にリードの縄をつけて、さぁ参りましょ……。


 ギュイーン!



「フウリン、止まれ! 止まってー! おねがーい! ストッピ」

「バウ、バウ、ワフゥーン!」



 しかし、これが散歩と言えるのか。引きずられている。それを通り越して、駆ける子どもの風船みたいに振り回されている惨状でしてよ?

 フウリンはこちらを無視して好き勝手に走り回る。私の両足は地面から離れて、胴体ときたら凧のように錐もみ舞いしちゃっています。


 フウリンはラフコリー種によく似た容姿の大型犬。

 エリ巻でもしているみたいに首回りの体毛が真っ白で、頭部の毛は茶色と黒色が入り混じった感じです。顔つきは狼のように精悍せいかんで、耳は狐のような三角形。そして最も目に付く特徴は、身長が二メートル半もあって、まるで馬のような大きさってこと。何でも神獣の一種なんですって。


 だから、か弱い高校生ひとりじゃ、こうして振り回されてしまうんですね。

 などと達観している場合じゃなかった。


 天空屋敷の敷地は落下防止用のさくで囲まれてはいるけれど、それもフウリンがイタズラするせいで所々破れているのですから。


 私の脳裏を悪寒がかすめ、心配は現実のものとなったのです。

 崖っぷちのぎりぎりでフウリンが方向転換をするものですから、私の体は柵の穴を潜り抜け雲海へと放り出されてしまったではありませんか。リードを握った手もすっぽ抜けて。


 え? ここって地上から何メートル? いや、何十キロ?

 これって、これって。



「ひいやぁああああ!!」



 悲鳴すらも風の轟音にかき消されて誰の耳にも届かない。

 死へと向かって真っ逆さま。


 けれど、その時たしかに視界の片隅でとらえたんだ。

 風圧で満足に目蓋を開けていられない中でも、目に映った小さな光。

 それが雲の間から見る間に迫ってきたかと思えば、両腕を目一杯広げて私を受け止めてくれたの。遊園地で乗るフリーフォールみたいな逆転のGが全身にかかり、落下が上昇へと切り替わる。凄まじい重力の変化に胃がひっくり返ったみたいだったわ。


 でも、誰かが空中キャッチしてくれたお陰で死なずに済んだ。


 私を受け止めたその人は、天空屋敷の柵をショルダータックルで貫通し、敷地内の土を両足で固く踏みしめたの。



「まったく、酷い労働環境ね。これは柵を修理してもらわないと。君、大丈夫?」



 そっと地面に下ろされた私は、助けてくれた相手が小さな女の子であることにそこでようやく気付いたってわけ。自分で柵を壊しておきながら柵の穴をののしったその方は、鹿みたいな角が生えた配達員さん。



「貴方は?」

「サンジェルマン・グループ傘下、フェニックス運送の配達員。メチャ子でいいよ」

「助けて下さってありがとうございます。つい、うっかりしていました。でも、でもでも私の目には貴方が下界から飛んできたように見えたのですけれど?」

「いや、地上からジャンプしただけ。いま丁度、浮遊島の真下にベブイルの塔って遺跡があるの。そこの屋上からなら、ギリギリ七里靴の跳躍ジャンプ射程距離内だからさ」

「グ、グリフォン便は使われないのですか?」

「次の定期便は三日後じゃん。アタシの場合、タイミングを合わせて塔のぼった方が早い」



 お陰で私も助かったワケですし。どんな話でも信じちゃう。

 私が拾った生の喜びを嚙みしめていると、メチャ子はフウリンに向き直って𠮟りつけたではありませんか。



「こらっ、フウリン。新人さんには加減しないとダメでしょ」

「……」



 フウリンったら、後ろ足で頭をかいてあからさまに無視しているんです。

 態度悪いなぁ、もう。(作者注:それは満足を表す仕草です)

 でも、何だかこの配達員さん、フウリンと顔見知りみたい?

 そこを問い質すと、配達員さんの背負ったバッグが開かれ、中から羽ばたく小さな機械が飛び出してきたの。そして、その空飛ぶマシーンがこちらの質問に快く応じたのです。



『腐れ縁という奴ですね。この屋敷には美術品の配達で何度も来ていますが、結局の所、配達員と番犬は天敵同士。まず仲良くなんて出来ませんよ』

「はりゃ、こちらは? メカの……トンボさんでしょうか」



 そのサイズは、メチャ子の立てた人差し指に止まれるほど。

 通常のトンボと同じだ。トンボが両目のライトを光らせながら会話をしてる。



『初めまして、アカネちゃん。この機体は「サンジェルマン・グループ」製の小型ドローン八式、タイプ・ドラゴンフライ』

「どうも……」

『そして、それを操作するのはナビゲーションAIシステムである この私。ハグロと申します』



 メチャ子がぷうっと頬を膨らませて口を挟みます。



「アタシのお目付け役だって、押し付けられたの。こんなの必要ないのになぁ」

『よく言えたものですね。少し目を離せば私闘ざんまい、お節介な暴力娘のくせに』

「なにさー、その言い方」


『この前の竜臥りゅうが沼だって、最後はどうなりました? 結局魔王軍を敵に回して四天王とバトルしたでしょ。四人中、三人まで倒しちゃうなんて! あきれましたよ』

「あれは、勇者からサインをもらうまで待ってくれと言ったのに。物分かりの悪い魔王軍が襲ってくるから仕方なく。勇者も四面楚歌で気の毒だったし……」

『貴方の優しさは素晴らしい。でも、いいですか? アンタは配達員。配達員の仕事は誰かとバトルする事じゃありません。荷物を置いたら何もせず帰ってくるんです。もう耳にタコができたでしょうが、何度でも言いますよ。それが私の存在意義ですからね』



 なんか凄い話になってる!

 地上で魔王と勇者の一大決戦があって、壮絶な痛み分けに終わったという話は聞いていたのですけれど。まさか、その現場にこの配達員さんも居たと? 

 冗談ですよね?



『さぁ、受取人をドン引きさせるのはこれくらいにしておきましょう。アカネさんに早く地球から送られた荷物をお渡しして』

「へいへーい」 

「え? 配達というのは、私あての? あっ、もしかしてお母さんが私に!?」

「うーんと、それなんだけど。アカネのお母さんは、貴方の無事を聞いてとても喜んではいたんだけどね。何を送るべきか咄嗟とっさに思いつかなかったみたいで。だから、アカネの部屋から面談時に要望があった品だけを持ってくることになって」



 膨らみかけた気持ちがたちまち萎んでいく。母さーん。

 私は半ばヤケになって、つい口走ってしまったのです。



「そうですよね。趣味と言えばアニメや漫画のオタクに。何を送ったら良いかなんて判りませんよ。母さんだって。まさかアニメのDVDってわけにはいかないし」

「なんかトゲがある言い方ね、それって自虐?」

「ええ! ええ! 普段から人付き合いを、人との縁を軽んじているから! こんな時に誰からも手を差し伸べてもらえない! 判っているんです。自分でも。祖母の時もそうでしたから!」



 あれはまだ私が小学生の頃だ。

 父の実家へとお泊りに出かけた晩、祖母がせっかく集まったのだから皆で花火をやらないかと持ち掛けてくれたことがあって。

 けれどその日は生憎、私が楽しみにしていたアニメの放映日。しかも待ちに待った最終回が放送される夜だったの。私は花火よりアニメが見たいと駄々をこね、とうとう祖母を怒らせてしまった。



「そんなにTVが好きなら、一人で見ていなさい」



 そう怒られても、私は態度をひるがえさなかった。

 家族みんなが花火に興じている中、ひとりTVの前で体育座りをしていた。

 だけど予定調和の最終回は期待していたほどではなくて、見終わった後に残されたのは苦々しい苛立いらだちだけだった。


 もちろん祖母には謝ったし、花火はまた別の機会にやれば済む話だった。

 そのはずだった。だけど、とうとう約束した次の機会はやってこなかった。


 二年後、祖母が病に倒れ帰らぬ人となった時、私は今更ながら取り返しのつかない事をしてしまったのだと思い知らされた。


 何をどうしようと、もう死者は帰ってこないのだ。


 祖母との縁は永遠に失われた。

 私は泣く泣く、祖母の遺品から彼女が大切にして物を譲り受けた。


 それがせめてもの罪滅ぼしになると信じて。



「それがこれです」



 私が無造作に受け取った小包を開くと、中からアミバリと毛糸玉が顔をのぞかせる。そう私が希望したのは祖母の「編み物セット」だ。

 メチャ子は暗い表情を隠すように帽子のツバを引き下げて、うなずいたのです。



「アカネの気持ち、わかるよ。アタシもお母さんと生き別れちゃったからサ。まだ死んだとは限らないし、むしろ殺しても死ぬような人じゃないから。どこかで元気にしているんだろうけどね」

「生き別れ!?」



 なんでもメチャ子が言うことには。

 彼女の生家は日本海の水底にある『竜宮城』なのだとか。

 そう、浦島太郎が亀を助けて案内されたあの竜宮城です。


 メチャ子の祖父はそこのアルジである東海龍王。

 メチャ子の母は龍王の娘にして第十五代目の乙姫。

 そして、メチャ子は次なる乙姫候補となるべく幼い頃から母に厳しくしつけられ、稽古ケイコの毎日だったそうなのです。


 嫌気が差したメチャ子は家出を決意。宝物殿から七里靴を持ち出すと、そのまま地球一周観光旅行へと出かけたんですって。


 ところが、その我儘わがままな生き様に罰が当たったのでしょうか。

 メチャ子が長い旅から帰ってくると、竜宮城が無くなっているではありませんか。


 建物があった海底には巨大なクレバスが走り、稲妻状の亀裂が口を開けているだけ。海の住人から話を聞く内に、彼女は次元の裂け目『ポータル』の存在を知ったのです。目撃者の談によれば、竜宮城は建物ごと空間の穴に吸い込まれて消えたのだとか。



「消息不明になった祖父ちゃんグランパとママを探す為、ポータルに詳しいサンジェルマン・グループに参加して、そのままこき使われる羽目になったというワケなの」

「いやいやいやいや、それって全然釣り合わない重さの話じゃございませんこと? オタクの陰キャラトークに対する返しとして少々重すぎでしてよ」

「うーん、そう? どちらも大切な家族であることに違いはないとおもうケド」


『この子が身の上を話すなんて滅多にないこと。大人の職場に混じって生きているせいで同年代の女性が少ないんですよ。友達として仲良くしてあげて下さいね。アカネちゃん』

「は、はぁ」


「編み物が得意なんでしょ? 今度アタシにも教えてよ」

「いや、それがまだまだ未熟で。本棚の編み物図鑑がないと難しい物は作れないかもしれません」

「え? もしかしてそれも届けるべきだった?」



 私は慌てて首を横に振る。サンジェルマン・グループの人から聞かされた、一度トンネルを開くと八千万の説明が頭を かすめたからだ。

 けれど、メチャ子とハグロはそんなこと全然気にしてない様子なのだ。



「いや、いいよ。また何かのついでに届けるから」

『我が社としては編み物セットだけに八千万は使えません。八千万をかけて届ける価値があるもの。そのとして転移者の荷物を送ってもらう感じですから』

「ついで!」

『全ての荷物は本部に集められ一度検査を受けた後、宛先へ配送されます。別に大したコストはかかりませんので遠慮はいりませんよ。荷物ならね』

「八千万かけても届けるべきもの。そんな物がこの世にはあるんですね」

「あるよー。こないだの竜臥沼に届けた宝珠もそうだし。今回はコレ」



 メチャ子は玩具でも自慢するみたいな気軽さで、バックパックに刺してあった杖を引き抜いたのです。



「ローレンス砂漠の発掘現場で今、砂嵐の精霊が暴れているらしくてさ。そういうのに詳しい別宇宙からワザワザ『精霊封印の杖』を貸してもらったってワケ。それをアタシに届けろって事は……これはもう遠まわしにぶっ倒してこいと言ってるわよね?」

『言ってません。遭難者の救援部隊は別途派遣されていますから。貴方は届けるモンを届けたら現地の冒険者に任せてそのまま帰れば良いんです』

「はーい、ケッ」


「大変なお仕事をなさっているのですね」



 友達? こんなスゴイ人となれるのかな?

 彼女の日常を聞けば聞くほど別次元の話題に圧倒されるばかりだ。

 メチャ子はそんな私の戸惑いを知ってか知らずか、親友みたいなフォローを入れてくれるのだけれど。



「それにさ、思い出ってお金には変換できないものだし。アカネの荷物だってある意味では八千万かけても届ける価値があるとアタシは思ってるよ。友達のメモリーギフトだもんね」

『そうやってあざといアピールをするから、嘘くさくなるんですよ。友達が少ないのバレますよ。……って、メチャ子さん、後ろ』



 ずっと放置されて退屈していたのだろうか。

 背後から忍び寄った悪戯者のフウリンが、メチャ子の握った杖をくわえこんでそのまま奪い去ったではありませんか。



「こっ、こらー!! それは大切な……返せ、バカ犬!! 傷付けたら酷いぞ」



 屋敷中に聞こえそうな音量で罵倒を浴びせながら、メチャ子はフウリンを追いかけたのです。それを見たハグロが一言。



『それ、上司のペットなんですけどね。傷付けたら酷いですよ』



 なんというコンビでしょう。

 ああ、でもフウリンが私に懐いてさえいれば。一声かけるだけで盗った物を取り返せただろうに。つくづく「しつけ」の大切さと、自分の無力さを思い知った次第であります。


 やがてメチャ子は、唾液でビチョビチョになった杖を取り返し天空屋敷を後にしたのです。本当にウチの子が申し訳ありません。

 どうか無理はなさらぬよう……魔王軍にも負けないあの子に余計なお世話かもしれませんが。



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