第2話 「冒険者のおふくろさん亭」のアニキ 後編
休憩なんて、もうクソくらえだ。
店内に舞い戻った俺は、店長の許可をもらってねじりハチマキをキリリと締める。
雑談中だった僅かばかりのお客様も何事かと興味津々だ。
騒ぎを聞きつけ、表から馳せ参じた物見高い連中までいる。
へへへ、ギャラリーの居た方が燃えるってモンよ。
まずは酢飯を用意しないとな。ライスはお店のものがあるし。
ボールにご飯と適量の酢を入れ、よくかき混ぜる。
しゃもじを切るように横へ動かすのがポイントよ。
ご飯と酢が適度に混じり、なじむまでは少し置いて冷まさねばならない。
その間に俺はマグロに似た赤身魚を華麗にさばいてみせる。
魚には包丁を入れる目というものがある。骨と骨の隙間に牛刀を入れれば、身を崩すことなく必要な部位を取り出せるってモンさ。
ギャラリーから喚声と口笛が飛び交う中、俺は長方形のサク(魚を解体し、寿司ネタに相応しい部位をブロック状にしたもの)になったマグロモドキを寿司ネタへと切り分けていく。刺身包丁全体をゆっくり引くように、丁寧に、丁寧に。
サクには斜めのスジが入っているが、それと交差する角度で包丁を入れるとネタの表面が美しく仕上がる。切り株の年輪みたいなスジ模様が、寿司のマグロにはついてるだろう?
流石は親父の愛刀「関の孫六」その切れ味は見事としか言い様がない。
ネタが出来たら最後はワサビ。
ちゃんとワサビの皮をむいて、サメ皮のおろし金でおろしてこそ本物だ。
金属性のおろし金は目が粗すぎるからな。
江戸前寿司とは、なにも東京湾の素材を使っているから江戸前寿司なのではない。
大切なのは、受け継がれた技術と精神だ。
この場でそれを証明してみせる。
久々の酢飯を握る感覚が、俺の眠れる職人魂を呼び起こす。
ネタとシャリを掴み、ネタの裏にワサビをなすりつけると、八手握りで両者を融合させ船底型の寿司を完成させる。
酢飯が多すぎても、ネタが大きすぎてもいけねぇ。
全てが適量でなければ寿司にならねぇ。箸でつまめば、シャリ玉(寿司のご飯部分)が崩れてくるぐらいの柔らかさにしないとな。
ブランクがあったって、手さばきは少しも衰えちゃいない。
握りの一手一手に魂を込めろ。それがオヤジの教えだ。
「へいお待ち! 小皿の醤油で召し上がってくんな!」
「すっごーい、美味しそーう」
平皿に載せるのは風情に欠けるが寿司下駄がないゆえに仕方なし。
お行儀よく前掛けなどして待つメチャ子は、提供した寿司に目を輝かせている。
ルビィのように艶のある立派なマグロ握り(モドキ)だ。
メチャ子は寿司の端に醤油をちょいと付けて口の中に放り込んだ。
「んっん~! ちゃんとトロける寿司の味。ピリリとワサビも効いているし。まさかコッチで寿司が食べられるなんてね。これは役得だわ~。もう、口の中が極楽」
「お嬢ちゃん、そんなに美味いのか」
「ホント、美味そうに食べるね、この子」
「こりゃたまんねえな。兄貴、俺にも作ってくれよ」
待ちくたびれたギャラリー達の
これで終われば万事めでたしめでたしだったのだが。
どこにでも天邪鬼という奴はいるものだ。
「古臭い、野蛮人が好みそうな食べ物ジャナイカ。スマートさが足りない」
食べもせず、突如インネンをつけてきたのは常連客の中で最も嫌な奴。
道化師の格好をした自称「謎の行商人」マリオンだ。
「冒険者の諸君、時代はタイムイズマネーだ。時間を大切にする者こそ、真の勝者となれるのだヨ。考えてもみなサイ、ダンジョンの最奥でモンスターの襲撃を警戒しながら呑気に食事なんて馬鹿げているデショ」
「そりゃそうだが……」
「そんな時にコレ。ハイパーサプリメント。この錠剤をぐぐっと飲めば一週間はお腹が満たされ空腹を感じなくなるノヨ。栄養もタップリ。食事なんて時間の無駄。荷物が軽ければそれだけお宝を持ち帰れるってものデショウガ」
なんて野郎だ。お食事
俺達がこれまでやってきた仕事を全否定しやがって。
食事は人間の文化だ。カラダと心の栄養だ。娯楽の共有だ。
野良犬が餌を食べるのとは違うんだぞ。
腹が膨れるなら何でも良いってワケじゃないだろ。
しかし、なんだ? そのふざけた錠剤は?
地球の科学力だってそんな品は発明されてないぞ。
その時ふと、マリオンの前掛けについた黄金のメダルが目に留まる。そこには刻まれているのは「尻尾をくわえた蛇が、細い体で∞の数字を描いたマーク」あれはつまり、不滅の象徴「ウロボロスの紋章」って奴か?
どういう意味だ?
奴の性格が蛇みたいに陰険なのは確かだが。
とにかく、今はコイツを黙らせないとミスリオル店長がオカンムリだ。
「おいおい、マリオン。止めてくれよ。そういうのは店の外で頼むわ」
「真の商売人はビジネスチャンスを無駄にしないのヨ。客寄せパフォーマンスありがとうネ、寿司職人さん。でも君の出番はもう終わったわけ、お分かり?」
「相変わらず、ムカつくなぁ。袋叩きになる前に出て行ってくれ」
「おお怖い! ソレが客への物言いカネ。だが、文明人には強い武器があるのだよ」
外国の食文化を頭ごなしに否定する奴。そんな奴が文明人であるものか。
ケンカ腰でそう言いかけた俺も、マリオンがショルダーバックから出した物騒な代物には思わず口ごもる。なぜって、それはどう見ても……。
「知ってるかな、コレ。ウチの目玉商品。誰でも『
「はぁ? 手りゅう弾みたいなものか? そんな物、屋内で使ったらお前もタダじゃ済まないだろうが」
「さて、どうかね? 簡易バリアの性能を試してみるのも悪くないジャナイ。最強の盾と矛をぶつけたら両方くだけるなんて、そんなのダタのお伽噺デショウガ」
コイツ、頭がおかしいのではないか?
もう止める暇すらない。
ヘラヘラ笑いながら、マリオンはピンを抜き手投げ弾を頭上へ放り投げたのだ。
和やかな空気が一転、酒場はたちまち阿鼻叫喚の大騒ぎだ。
けれど、そんな中で一人だけ冷静さを失わなかった者がいる。
そう、配達員のメチャ子だ。
目にもとまらぬ早業とはこの事だろう。彼女は瞬時にマリオンが投げた爆弾に追いつくと、烈風の空中回し蹴りでそれを店の外へと蹴り飛ばしたではないか。その際に窓ガラスが一枚割れたけど、そんな物は些細な犠牲だ。
それより肝心なのは、店の外に爆弾を蹴り飛ばしたとて往来にも人通りがあるという冷徹な現実。やはり犠牲者が出るのは間逃れない運命だ。なんてこったい!
だが、俺が両手で顔を覆っている間にもメチャ子は走り出していた。
速きこと風のごとし。
揺れているスイングドアだけが、彼女が店を出た唯一の証しだ。
そして、窓ガラス越しではあったが……俺は確かに見たのだ、奇跡の瞬間を。
彼女は自ら蹴り飛ばした手投げ弾に容易く追いついてみせると、その下でのけぞりオーバーヘッドキックの要領で「更に」上空へと爆弾を蹴り飛ばしたではないか。直後、爆発の衝撃波が付近の建物を揺らし、閃光が街を照らす。
あまりにもスピードの次元が違いすぎるせいで、マリオン本人にも何が起きたのか把握できなかったらしい。ぼう然としている間に、戻って来たメチャ子の飛び蹴りがマリオンをコンマ一秒で床へと寝かしつけているのだから、もう俺の解説すらも追いつけやしない。
足技の奇術師? 竜巻の化身? どんな形容も彼女の実物には物足りないだろう。
「いったいこれは!? 何がどうなってるんだ?」
「ああ、アタシの靴は特別性でね。七里靴って言うんだけど」
何でもそれは妖精が作った魔法の靴で、履いた者は超高速の移動が可能になるという。本気を出せばわずか一歩の跳躍で七里(二十七キロとちょっと)の距離を進めるのだとか。
どんな速度で飛べば、かくも滅茶苦茶な動きが可能となるんだ?
もはや計算するのも恐ろしい。
超音速をあそこまで精巧に使いこなすなんて、どれほどの才能と修練がそれを可能とさせるのだろうか? そんな動きに人の動体視力はついていけるのか?
俺のような一般人ではまったく想像もつかない。
「あーあ、いけないアタシったら。まーたまたまた仕事中に私闘を。始末書モンだわ、こりゃ。エイジさん、美味しいお寿司ご馳走さまでした。申し訳ないけど、そろそろ行かないといけないの。それでコイツ、街の憲兵に突き出してもらえません?」
「構わないが、もう配達に戻るのか?」
「次の仕事も急ぎなんで。勇者に宝珠を届けなきゃいけないんですよ、竜臥沼まで。どうも伝説の宝珠のラスト一つは、地球にあったらしくて。向こうで暮らす転移者が持ち出したんですかね」
「え、それってまさか」
「ありゃ、いけない。今度は依頼内容を明かしちゃった。今のはオフレコでお願いしまーす。ねっ! ねっ!」
「あ、ああ。プロも大変だな」
「それじゃ! 腹ごなしがてら、いっちょ世界を救ってきまーす」
まったく名に恥じぬ滅茶苦茶な配達員じゃないか。
多少の事件には動じない、ベテランの冒険者たちが例外なく目を白黒させてるよ。
唯一、それでも落ち着いていたのは店長のミスリオルさんだけだ。
「ああいう化け物クラスの人材が頑張っているお陰で、俺達は安心して酒場の経営に励めるというわけだな。なんとも有難い話さ」
「そ、そうですね」
「そう気を落とすな。お前の寿司だって悪くはなかった『冒険者のおふくろさん亭』にまた名物料理が増えるわけだ。オヤジさんへの感謝を忘れず、精進しろよ」
「オッス! あの子に負けず、頑張ります」
「それとな、その醤油とかいうラベルを見て思い出したんだが。エイジ以外にもこの国で暮らす日本人は沢山居るだろう。その中の一人が、たしか同じ調味料を作っていたぞ」
「マジっすか!」
素人に醤油作りはキツイと思っていたので大助かりだ。
それに、店長やオヤジの言う通りではないか。
今はメチャ子の気迫に圧倒されてしまったが、俺達とあの子はまったく別の戦場で日々の激闘を繰り広げているんだ。俺達の戦場はココ、キッチン。肝心なコトを忘れちゃならない。
それにしても、色んな意味でスゴイ子だった。
どんな比喩でもあの子の前では色あせて見えるが、一つだけ良い名を思いついた。
止まらずの配達員。
どうだ? ピッタリだろう?
俺だって修行を続ければ、いつかはきっとあの子の足技にも負けない超一流の職人になれるはずだ。
冒険者のおふくろさん亭のアニキ。
まずはその名に恥じぬ寿司職人を目指すとしよう。
配達員とオヤジのお陰で、俺はやっと生きる目標を取り戻したのである。
見ていてくれよ、親父。
俺の異世界転移は、これからが本番だ。
タンポポの綿毛が飛んだ先で芽を出すように、安住の地を求めてさまようのが生き物の定めだ。俺の場合、それが異世界だっただけさ。
親譲りの柳刃包丁を手に、俺という男の冒険が今始まったのだ。
やってやるさ。ここは『
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