必着! フェニックス運送有限越境会社 ― 七里靴の配達員、異世界を往く ―

一矢射的

第1話 「冒険者のおふくろさん亭」のアニキ 前編



「こんにちは~、いらっしゃいませ。冒険者のおふくろさん亭へようこそ」


 今日も今日とて、威勢と愛想のよい挨拶あいさつが店内に響く。

 西部劇でよくあるスイングドアを押し開け、板張り床を軋ませながら入ってきたのは、鎧兜で身をかため腰から剣を下げた冒険者御一行様だ。奥の席では常連の魔法使いが木製のグラスで麦酒をあおり、その隣ではトカゲ人間のリザードマンが骨付き肉を頬張っている。


 そんなコスプレ集団としか思えない連中を不動の笑顔で出迎えるオレは、この酒場で働くウエイター兼キッチン補助の日本人。名は春日部エイジ。

 この世界に来てはや半年。我ながら大した順応力で感心してしまうよ。


 そう、俺が転移したのは「アルデント・エクスプローラー」とかいう異世界。

 転移の際に「女神のガイド」なんて気の利いたものはなく(昔読んだライトノベルにはそんな設定がお約束だったのに)東京湾の沖合で予報にもない突然の嵐に巻き込まれた俺は、乗っていた釣り船からあっさり転落。目を覚ましてみれば、エメラルドグリーンの海原をのぞむ浜辺に漂着し、通りすがりの冒険者たちから介抱かいほうされていたという寸法だ。

 まったくどうしようもない不運。だが、唯一幸運だったのは彼等が俺にくれた魔法のペンダントだ。これによって言語の壁を乗り越えることが出来たのだから、まだ恵まれていた方か。


 アルデント・エクスプローラー、そこは中世ヨーロッパ風の街並みが広がる剣と魔法の文明けん。全ての冒険者がいつか勇者となり、魔王を倒してお姫様と結婚することを夢見る典型的ファンタジーワールド。


 女神の意志でないとすれば、なんで俺がそんな所に送られて来たのか? 助けてくれた冒険者連中に問えば、彼等には心当たりがあるという。

 『ポータル』と呼ばれる次元の門が開き、生じた空間の亀裂に飲み込まれた人間は「次元の漂流者」となって、異なる世界へと送り込まれるそうだ。完全なる自然現象であり、開閉を彼等の力でコントロールすることなど不可能なのだと。それから最近、俺のような漂流者がアルデント・エクスプローラーの各地で発見されていることも教えてもらったな。

 あまりにも頻発するので、しまいには異世界転移者も国からの自立支援が受けられるように法が整えられたのだとか。


 つまり、結論を述べれば。

 俺が元いた地球の日本へ帰るのは、もう絶望的だってこと。


 漂流者の先人たちもこの世界で地元民に混じって生きているらしい。

 それならさ、俺だけがそれをしないってワケにはいかないだろう?


 そんなこんなで、あれやこれやを経て、俺は剣の王国ジャナの首都エッジナにある冒険者の酒場で働くことになったのさ。店の名前は「冒険者のおふくろさん亭」モンスターとの過酷な戦いに疲れた戦士たちが、おふくろの味を求めて集ういこいの場だ。


 なぁーに、文化は違えど日本の外食産業でも働いていたこの俺だ。

 やってやれない事はないだろう。


 柳刃やなぎば包丁を西洋の牛刀ぎゅうとうに持ち替えるのは心苦しいが、仕方あるまい。


 酒場の店長は、まるでサンタクロースみたいに立派なヒゲをたずさえたドワーフのミスリオルさん。ドワーフという種族は人間よりも背が小さいが、みな髭モジャで筋骨隆々のガッシリした連中だ。手先がやたら器用でドワーフの鍛冶技術や宝石細工は各地で重宝されているが、ミスリオルさんは装飾よりも肉と酒をこよなく愛する根っからの料理人なのだ。


 多くのドワーフがそうであるように店長もまた職人気質で仕事には厳しいが、根は優しく異界転移者の俺にも親切な大恩人。彼に叩きこまれた……我々の世界で言えばドイツ・フランス風の料理もどうやら板についてきた感じだ。


 慣れてくると、この世界もそこまで悪くはない。

 人情って奴は、どこの異世界でも不滅なのだ。



「兄貴、聞いてくれ。俺達ついに難攻不落といわれた沼地の洞窟を攻略したんだぜ」

「そりゃすごいな。じゃあ、今夜は豪勢にパァーっといってくれ」


「兄貴ぃ、アタシ最近肌荒れが酷くてさぁ」

「野菜を食いなよ。サラダよりポトフみたいなスープ系がいいぞ」


「兄貴、砂漠の古代迷宮で相棒のハンフリーが……」

「気の毒だったな。しめやかに思い出を語りながら杯を傾けるとしよう」



 それにしても、いったいどうした事か。

 いつしか俺は皆から「おふくろさん亭のアニキ」と呼ばれていた。


 冒険者とは危険を買う職業。怪物退治や、野盗征伐、迷宮の財宝あさりなどで日銭を得ている。その世代別内訳は夢見る若者が圧倒的多数だ。三十路を過ぎればひと財産を築いて引退するか、手痛い失敗をやらかして命を落とすか……どちらかしかない。そんな訳で、必然的に店を訪れる客たちの大半がアラサーの俺よりかは年下という事になるんだよな。だから、兄貴と呼ばれるのも別に間違いじゃないんだが。


 この世界では新参者にすぎない俺が、兄貴でいいのかという気もしなくはない。

 まぁ、俺とのお喋りを目当てにやってくるお客さんもいるようだし、お店の売り上げに貢献できるのなら願ったりかなったりだ。出来る限り、俺もそれらしく振舞うようにしよう。そして次第に判ってきたのは、ここが飲み食いをするだけの施設ではないという事実。

 


「あの竜騎士サマかっこいいわ~。一緒にパーティー組んでくれないかな」

「人間嫌いで、誰とも組まない主義らしいぞ。残念だが」


「このヤバそうな魔導書、店だと買い取ってくれないんだけど欲しがる奴いる?」

「うーん、魔法使いは変わり者ばかりだし。居るんじゃないかな、多分」


「おい、知ってるか。どうやら東の竜臥沼りゅうがぬまに魔王軍の四天王が結集しているらしいぞ。魔王本人を見た奴も居るって」

「マジかよ、そこまで攻め込まれちまったのか。我らが勇者様は何をやっているんだ?」

「勇者の聖剣に四つの宝珠を埋め込めば、奴らと戦えるだけの力が手に入るらしいんだけど。あと一つがどうしても見つからないって噂だぜ。仲間が手分けして探しているんだとか」

「そんなんで間に合うのか。魔王とやらも一時期は大人しくしていたのに最近は侵略攻勢ばかりだな。よほど腹に据えかねる事でもあったのか」

「魔族の考えなんて判らんね、おおかた大切なヘソクリでも失くしたんだろ」

「へっ、人間サマで憂さ晴らしかよ。やってられねーぜ」



 どうやらこの酒場は情報交換や交流の場としても有用らしい。

 黙っていても国家機密レベルの話がポンポン出てくる。

 民間人である俺が事情通になれるのも、客人たちと深い交流を持っているお陰だ。


 仲介料として気前よくチップをくれるものだから、俺みたいな余所者よそものでもそこそこの生活レベルを保てている。冒険者さまさまってなモンだ。ホストなんて性分じゃないし、その金は彼らが命がけで稼いだものだと考えたら少しばかり心が痛むが……。


 重ねて言うが、この世界も決して悪い場所じゃない。

 ただほんの少しだけ平和と退屈が欠けているだけだ。

 だがしかし……。


 日本より過ごしやすいかと聞かれたら、俺は答えにきゅうしてしまう。


 柄でもなく、昔を思い返しセンチになっていたせいだろうか。

 仕事中だというのに、やらかしちまうとはザマァねえぜ。


 ガッチャーン!


 派手な音が店内に鳴り響き、積み上げられた皿が崩れ落ちて俺の足下で無惨な姿をさらしている。たまった洗い物を片付けている最中に、物思いにふけるべきではないな。ピーク帯が終わり、客数もまばらだったのがせめてもの幸いだ。

 俺の失態に店長の怒声がとぶ。ヒェッ、くわばら、くわばら。



「なぁーにやってやがる、エイジ。疲れているのか、最近ヘマばっかりだな」

「す、すいません。おやっさん」

「破片を片付けたら休憩に行ってきな。洗い物なんぞワシ一人で充分だ」

「お言葉に甘えさせて頂きます」



 まったく情けねえ。

 俺は店の裏口から出ると、夕暮れの空を見上げる。


 狭い路地裏、屋根の狭間から見えるのはあまりにも地上から遠い夕焼け。

 オレンジ色の空だけは日本とさして変わらない。


 おふくろは、オヤジは、兄貴たちは俺の事を心配しているだろうか?

 オヤジときたら寿司のことしか考えない頑固一徹だから、消息不明の息子をそこまで気にかけてはいないんだろうな、どうせ。

 兄さんやおふくろに苦労かけるんじゃねーぞ。


 あぁ、日本に帰りたい。せめて家族に無事であることを伝えてやりたい。


 こうして夕日を見ていると思い出す。

 こんな夕暮れの時間帯を日本では逢魔が時という事を。


 その名に恥じず、人外のモノが闊歩かっぽし、人々とすれ違う時刻だ。

 黄昏とは、何者かとすれ違う際「そこに居るのは誰ですか?」と問う「誰そ彼」が語源であると聞いた事がある。明かりの乏しい時代、歩み寄ってくる正体不明の誰かさんはさぞかし不気味に思えたことだろう。


 でも、今の俺は……そんな人外の誰かにすらも すがりたい気分だ。

 胸中に居座ったこの黄昏を何とかしてくれるなら、もう誰でもいい。

 神でも、仏でも、悪魔でも。


 その直後。

 路地裏で文字通り黄昏たそがれている俺を目掛けて、その「何か」が天より降ってくる。



「うわぁああ! どいて、どいて! そこ危ない」



 鈴が鳴るようなりんとした声と共に、気が付けば小さな人影が目前に迫っているじゃないか。俺が慌てて身をひるがえすと、その何者かは砂埃を巻き上げながら真横をずずずっと滑り抜けていく。靴の裏をレンガの鋪道にこすりながら、ソイツは母なる大地に緊急不時着する。


 背後にワダチのような跡を刻みつつ、それは中腰の姿勢となって着地の衝撃が抜けるのを待っているようだ。吹き上がった砂埃で辺りは咳き込むほどだ。

 まるでジェット機の着陸じゃないか。

 空を飛んできた? もしくは屋根を跳び越えてきたのか?

 彼女の背中に翼はないが、そう思わずにはいられない勢いだったことは明記しておこう。彼女……そう、凄まじい速度で路地裏に降臨したのは、俺の胸より身長が低く、まだあどけなさも残る少女である。

 彼女は服のホコリを払いながら腰を上げると、こちらを振り向いて微笑んだ。



「ごめんなさーい。まさか跳躍ちょうやく中に人が出てくるなんて思わなかったから。空中制御が難しいのよねぇ、この靴は」

「え? 何それ、どんだけ高く跳んでいたんだ? というか君は誰?」

「フェニックス運送越境会社、配達員のグミ・ント・シュエイロン・ウ」

「め、メグミちゃん?」

「ああ、日本の方にはそう聞こえるみたいですね。恵みという漢字とその意味はあってます。仲間からは略して『メチャ子』と呼ばれていますよぉ。やることなすこと滅茶苦茶なんで、お前なんてメチャ子だって。失礼しちゃう」

「ま、まぁ、現に俺は踏み潰される所だったしな」



 メチャ子ちゃんは外見からして不思議な娘なのだ。

 まずその流れるような亜麻色の髪とそれを束ねる真紅のリボンに目がいく。二重でまん丸、愛らしく大きな瞳は赤茶色で、中華の化粧を連想させる目尻の朱も(もしくは歌舞伎の隈取りか?)随分と印象的だ。子どもらしい童顔と八重歯がのぞく大きな口も人目を引く。

 黄色いボタンがついた真っ赤な上着は確かに郵便配達員のそれだが、黒いハーフパンツにはうっすらと鱗のような模様が入っている。艶やかな太腿に目がいけば、その下に古風だが風格の漂う濃緑のブーツを履いていることに気付くはずだ。

 背負った四角いバックパックもどこか小学生のランドセルみたいに感じる。


 だが一番の特徴といえば、配達員の帽子からはみ出した角だろう。

 鹿のように枝分かれした二本の角は帽子の飾りか、本物か、判断に悩む所だ。


 そんな不思議少女が、色んな物をはためかせながら俺の前に立っている。

 ベージュ色のマフラー、二股のお下げ髪、上着の長い裾。

 彼女の後方には色々となびいている。



 どう見ても、中世ファンタジーの世界観から逸脱いつだつした格好だ。

 そして、彼女の口から出た日本という懐かしい単語。

 驚きが覚めていくと共に、俺の脳に圧倒的興奮が押し寄せてくる。



「君は! もしかしてこの世界の、アルデント・エクスプローラーの人間じゃないのか!!」

「はい、その通り。フェニックス運送は多次元宇宙マルチユニバースを股にかける『境界線を越えた』運送・宅配会社なのです。口の悪い人は『次元密輸の運び屋』なんて言いますケドね。ああ、モチロン同じ世界の配達だって引き受けますよ? 頂けるものさえ頂戴すれば」

「じゃあ、ひょっとして俺が元の世界に帰れる方法を知っているのか?」

「それはイエスであり、ノーでもあるかなぁ」



 メチャは申し訳なさそうに頬をかく。

 彼女の勤め先は次元の門である『ポータル』を開く装置を有してはいるが、入口と出口の両方に巨大なマシーンを設置する必要があり、このアルデント・エクスプローラーに常設されている機械はたったの三か所だけだという。



「それも一日中ポータルを開きっぱなしってワケじゃなくて。輸送トラックが通り抜ける短時間だけ開くものなの。私たち配達員はそのトラックから荷物を受け取ってお客様の所へお届けするのが仕事なのよ。部外者を勝手に通したら会社の規則や多次元宇宙警察がうるさくてね。密入国はさすがにちょっと……。次元の漂流者は貴方ひとりじゃないし。オジサン、見た所、緊急性も低いモン」

「そうか、無理を押し通すにはきっと面倒な手続きが必要なんだな。しかし、トラックがあるならそっちで配達もしたらどうなんだ?」

「ふふん、あんなドン亀に負けるようなノロマに配達員は務まりません。それに、異世界で都合よくガソリン給油や充電ができるとは限りませんゆえに」

「へぇ?」

「まぁ、それはともかく。この店で春日部エイジという方が働いているはずですが? もしや……」

「うん、俺だけど」

「ややや、丁度良かった。春日部栄一郎さまからお荷物が届いています」

「オヤジから? オフクロや兄貴じゃなくて?」



 日本から荷物が届くだけでも驚きなのに。

 送ったのは頑固職人のオヤジだという。


 メチャ子は背負ったバックパックを下ろし、中から紙包みを取り出す。

 伝票に書かれた達筆の文字は確かに見覚えのあるものだ。

 なぜかあふれてくる涙をぬぐいながら、俺は包みを開こうとする。

 震える手でようやく開かれた荷物。


 中から出てきたのは、醤油の入った小瓶。ワサビ二本。おろし金。

 そして、よく研がれた柳刃包丁である。



「な、なんてもの送りやがる。あのオヤジ」



 荷物に同封されていたのはごく短い手紙である。



『お前の雇い主であるミスリオルさんから、現状を伝える一筆を受け取った。まずは無事でなによりだ。けれど、昔から母親に甘えん坊だったお前の事だ。どうせ早く帰りたいなどと泣き言を漏らしているのだろう。もっとしっかりしろ。お前を俺から薫陶くんとうを受けた一人前の寿司職人なんだ。自慢の息子なんだ。うつむくんじゃねぇ、顔を上げろ。異世界に自分の店を持つまでは帰ってくるな。帰ってきたら外に放り出す。旅先に根付いて日本の食文化を広めてみせろ。それが出来てこそ成熟した日本男児よ。餞別せんべつとして愛用の包丁をくれてやる。粗末に扱ったら承知しねえぞ』



 アイツ、言いたい放題に書きやがって。

 何が自慢の息子だ。一人前の寿司職人だ。

 店は兄貴に継がせるつもりだったんだろうが。

 だから俺は家を出て他所の寿司屋で修行を……家族に迷惑をかけたくなかったから。


 包丁と言ったら料理人の魂じゃないか。

 それを俺なんかに。……くそっ!



「くぅううう、あのオヤジ。味な真似しやがる!」

「異世界じゃ手に入らないだろうからって、醤油とワサビはオマケだそうです」

「その通りだな。求めても手に入らないから、俺ときたらもうすっかり諦めていたよ。だが、それはとんでもないあやまちだった。やってやる。たとえゼロからだって」

「そうこなくっちゃ! ああ、そうだ。乗り気になった所へ悪いんですケド、ここにサインを頂けます? すいませんね、こちらも遊びじゃないんで」



 悪魔の契約書を連想させる羊皮紙。それが彼女の物品受領書だ。サインを書き入れると、メチャ子は丸めた受領書を空高く掲げてガッツポーズをとったではないか。



「よっしゃー! 配達完了ミッション・コンプリート!」



 小気味よく清々しい態度。俺も見習わないとな、接客業として。

 更に間髪入れずにこんな事を言いだすのだから彼女は侮れない。



「そうそう。良かったら、今から寿司をご馳走してもらえません? アタシが仕事で日本に行く機会があったら、親父さんに感想を伝えてあげられますよ。それに、この後もまだ配達があるので出来れば腹ごしらえを済ませたいかな……なんて」

「今すぐか? 嬢ちゃん、どこまでも滅茶苦茶だな」



 でもまぁ、シーフードスパゲッティやサラダに使う魚介類が倉庫にあるから、やってやれないこともないだろう。異世界に冷蔵庫はないが、代わりに痛みやすい食材には魔術師が冷凍魔法をかけてくれる。よく凍らせた魚なら寄生虫の心配もないはず。

 酢に関しては、意外かもしれないが西洋でもよく使う。ワインに酢酸菌をくわえて発酵させればそれだけで酢になるのだ。すし酢ではないが代用してなんとか……いける! 


 やせても枯れても俺は寿司職人。

 たとえ異世界だって寿司を握ってやるぜ。



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