第14話 下品で真っ直ぐな拳

「ちょっと待って」


 声を上げたのはカスミだ。彼女は両手を上げて無抵抗をアピールしながら、頭目に話しかけようとする。だが、彼がそれを許すわけもない。


「黙ってろ! 誰がしゃべっていいって言ったんだ?」


 頭目がカスミに耳を突くような大きい声を上げる。だが、カスミはその言葉に構わず彼に話しかけ続けた。


「まあ聞いてよ。アンタ達にも悪いことじゃないから。とりあえず、その女の人を人質にするのをやめてくれる?」

「ああ? んなもん聞くわけねえだろ」


 カスミは頭目が今左腕に抱えている女性を解放するように言うが、もちろん通るわけはない。

 だが、カスミは先ほどの言葉に付け加えてこう言う。


「私が代わりに人質になるわ」

「なんだと?」


 通常では考えられないカスミの提案を聞いた男達の頭目は眉を寄せて考え始める。そんな彼に、カスミは続けて自分の提案通りにする利点を話す。


「アンタにとっては人質がいるっていう状況は変えずに、もしもの時のために私達の戦力を削いでおくことにもつながるでしょ。今はその人が人質なんだし、そのまま刃を突きつけたまま私を拘束して、その後にその人を離すってことでいいわ。そしたら安全でしょ?」


 カスミの言は、確かにその通りだった。敵の力を削ぎつつ縛ることができるのなら、それ以上のことはないだろう。

 ただ、その提案に動揺したのは頭目の方ではなく寧ろレプトの方であった。彼はカスミの言葉に驚いて彼女の顔を覗き込み、止めようとした。


「おい、やめ……」


 だが、言い切る前に彼は口を止める。それはカスミの表情が、思ったよりもずっと緊張していなかったからだ。レプトの素顔を見た時の方がよっぽど深刻な表情をしていただろう。今の彼女の表情には深刻さではなく、寧ろ何か強かさのような色を感じるものがあった。そんなカスミの顔を見たレプトは彼女には何か思惑があるのだろうと考え、口をつぐむ。

 それとほとんど同じタイミングで、男達の頭目はカスミの提案をどうするか決めた。


「駄目だ」


 彼が出した答えは、否であった。自分より二回りほど小さいカスミの顔を睨みながら、彼は答えの理由を話す。


「自分に不利になるようなことをどうして自分から言ってくるか、何か策があるからだ。そんなのが分かっててどうして乗っかると思う? それに、そこのフード二人だけじゃなく、お前自身も相当腕に自信があるはずだ。どうせ、お前を拘束しようとしている隙に何か反撃でもしようと思っていたんだろう。させるわけがない。このままでいい。充分だ」


 男は、先ほどの部下達とレプト達の戦いを後ろから見ていてカスミがただの少女ではないことに気付いていた。その上、自分から不利な提案を持ち掛けてくるという不自然さからカスミの話を断る。


「あっそ」


 提案を切られたカスミだったが、彼女は全く問題がないとでも言うように乾いた声を上げた。レプトが先ほど彼女の表情に見た強かさは消えていない。

 カスミの声を最後に、一時静まり返る倉庫。男達には人質という優位がありながらも、先ほどのカスミの提案のせいで彼らの思考はそれに寄ってしまっているようだ。頭目も、すぐ断られるような話を持ち掛けてきたカスミの意図が何だったのかを考えるのに思考を割かれ、行動をすぐに起こせずにいた。

 そんな静寂の中で、突如、嘲るように鼻で笑う音が倉庫に響く。


「ビビってんだ?」


 カスミだ。彼女は男達の頭目を挑発するように歪んだ笑みを口に浮かべながら、彼に言う。


「アンタみたいなデカいのが、私みたいな女、それも子供の提案も飲めないなんてね。どんだけビビってんのよ。もうそれって慎重とは呼べないわよね、臆病っていうの?」


 聴く者皆が苛立つような軽い口調で、カスミは先ほどの頭目の行動が臆病だったと煽り始める。男の部下達は何も言えない。彼らは頭目の爆発を恐れながら、極度の緊張を持って黙り込んでいた。レプト達も、脇から余計な口を出すのはまずそうだと黙って成り行きを見つめる。

 周囲が黙っていると、カスミは半笑いで煽りを続けた。


「タマついてる? それでも男なのアンタ? 人を攫う勇気はあんのに私みたいなか弱い女の子を怖がるなんて可愛いわね。子犬みたい。撫でてあげましょうか」

「……てめぇ。言わせておけば……」


 カスミの挑発を受けて、頭目は分かりやすくこめかみのあたりに青い血管を浮き立たせる。ナイフを握る右の手はプルプルと震え、今にでも弾かれたように動き出してカスミに飛び掛かりそうだ。だが、彼のまだ冷静な部分がそうはさせない。カスミが実力者だと知っていながら一人でかかるのは明確に不利だと言う理性が、彼をせき止めている。

 そんな理性を崩そうと、カスミは再び大きく鼻で笑って品位の欠片もない言葉を頭目に投げかけた。


「毛無しのガキでももっと度胸あるわよ。いや、毛生えてないのね。ごめん。じゃあもう一回提案なんだけど、その髭、下に植毛したら?」


 カスミは全く恥じることなく、こう言ってのけた。彼女の言葉はあまりに下品で、とても少女が口にする言葉とは思えなかった。レプト達はもちろん、人攫いの男達、囚われている女性達も一様に彼女のことをドン引きした目で見つめる。

 同時に、頭目の方も反応があった。彼はカスミの言葉を受けると、一瞬だけ時が止まったかのように固まる。怒りで打ち震えていたのも、ピクピク脈打っていた青筋も止まった。ただ、彼が静かだったのはその一瞬間だけだ。その一瞬が過ぎると、最早絶叫するかのような音量でカスミに吠える。


「アマが、ぶっ殺してやるッ!!!」


 彼は左腕に抱えていた女を離し、右手に持っていたナイフを高々と振り上げ、駆け出した。そうしたのは、最早理性ではなく本能によるものだろう。男としての本能が、ここまで侮辱されて黙っているのは許せないという判断を下したのだ。マグマのような熱を持って、彼は自分を嘲った相手に突進する。

 だが、頭目と反してカスミは非常に冴えていた。彼女は冷静さを欠いて猪突猛進してくるただの獣と化した頭目が眼前に接近すると、右の拳を固く握りしめ、彼の顔面に正面からその凶器を突き刺した。判断力を欠いていた頭目にはそれを避けることも、避けようと思うことすらできず、まともにカスミの拳を食らう。その威力はすさまじく、真正面から向かってきた彼の体は真後ろへとそのまま、走ってきたときより更に強い勢いで吹っ飛ばされていく。まるで男一人の体がバレーボールのトスのように弾き返されたようだ。彼の体は約十メートルほど吹っ飛び、倉庫の奥の壁に叩きつけられた。その後の彼の顔の状態は言うまでもない。血にまみれ、鼻が折れ、恐らく流した記憶すらないであろう涙がぐしゃぐしゃの顔面を伝っている。意識はないが、手足はピクピクと痙攣しているため、息はありそうだ。

 カスミはそれを見ると、振り抜いた拳に付着した血を払い、聞くことができないだろうと分かっていながら、倒れている彼に言い放つ。


「他人の権利を踏みにじった罰よ。反省することね」

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