旅の始まり

第2話 二人のフード

 二年後


 太陽が高く眩しい空に鎮座する真昼、天上からの光を避けるように影が至る所に差し込む暗い街があった。背が低くボロボロな建物が所狭しと立ち並び、互いに日照の恵みを奪い合っている、そんな街だ。並ぶ建造物はどれもコンクリートの壁と鉄板をつぎはぎしたような、ひどく荒れたものである。それらに挟まれる少しだけ明るい大通りでも、チラリと横を見てみれば幾本も伸びる暗い路地に目が向かってしまう。その路地の奥へと目を少し凝らしてみれば、陰鬱な目をした人間が路傍に座っている光景や、人と人とが争っているのが見えるのだ。争いは殴り合いにまで発展するものもあり、それはこの街において珍しい光景ではなかった。そういう、物騒で暗い街だ。

 そんな街の一本の通りに、周囲から見ても目立つフードをかぶった二人組が歩いていた。その二人組にはまず大きな背丈の違いがあって、片方は大柄な大人ほどあるのに、もう一方は十五、六の少年ほどの大きさだった。大小の違いが激しい二人がフードをかぶり、横に並んで歩いているという光景はそれだけで周りの目を集めるが、彼らの注意を引きつける要素はそれだけではない。二人共、子供が背丈ほどの剣を腰に提げているのだ。いくら殴り合いの喧嘩がそこら中で起こる街でも、剣を持つ二人組がフードをかぶって歩いているなどという光景は珍しいのだろう。通りの人々は二人が横切ると必ずと言っていいほど彼らを目で追った。


「……見られてるな」


 フードの小さい方が通りを歩きながら呟く。彼の言葉に、大きい方はため息をついて言葉を返す。


「仕方ないだろう、レプト。俺達の恰好はどこに行ってもこうなる」

「まったく……殴り合いより変な恰好して歩いてる奴らの方が珍しいんだから、たいそうな街だよな」


 レプトと呼ばれた小さい方のフードは、路地の奥で怒声を上げながら拳を振るい合っている男達を横目に皮肉げに言った。


「その内人攫いなんかも大通りで普通に起き始めるようになるぜ、きっと。そこまでになった時は俺達、こうやって歩いてても変な目で見られなくなるかな」

「笑えないな」

「まあ、俺達のことを不思議がってる内はまだまだ安全ってことだ」


 レプトの冗談にもう一人のフードはあまり反応せず、ただ、街の治安が悪いことを本気で嫌がっているように周囲を改めて見まわした。彼は街の纏う空気を見てため息を吐く。


「なら、ずっと奇異の目で見つめられていたいものだ」

「え、ジン……お前そういう趣味だったのかよ」

「ん、いつから趣味の話になった?」

「あ、あぁ……いや、何でもねえよ。俺が悪かった」


 冗談だと全く気付かれずに自分の言葉を流されてしまったレプトは、少し恥ずかしそうに頭をかいて再び目線を歩く方向へと向けようとした。


「……ん?」


 その時だ。隣の男から視線を前方へと向ける際、レプトはふと大通りから伸びる一本の路地に目を引かれた。何かしらの問題が高確率で起こっているこの街の路地への興味でそうした訳だが、彼はそこに予想外なものを見つけた。

 人攫いだ。暗く影が差し込む路地裏で、喋ることができないように口に白布を巻かれた女性がフードで顔を隠した人物の肩に背負われている。女は人攫いから逃れようと必死に暴れていたが、彼女の体は縄で縛られていてうまく力が入らないようだ。全く拘束から抜け出せそうにもない。人攫いはそのまま、女を路地に面する建物に連れ込んでいった。一連の動きは音もほとんどなく、目立つこともなく行われた。街の人の目線がその人攫いに向かうことはなかった。

 レプトは今まさに目の前で人攫いが起きた現場を見て、口をあんぐりと開けて先を行くジンを引き止める。


「さっきの、冗談のつもりだったんだけどな……おいジン、見ろよ」

「ん、何だ……ああ」


 レプトに引き留められたジンは、路地の先で起こっている人攫いを目にして眉を寄せる。フードで見づらいが、彼の目は通路の先を睨んでいる。ジンのその表情を確認したレプトは、腰の剣の柄に一瞬だけ触れて人攫いが消えた建物の方へ足を向けた。


「やめろ」


 だが、その歩はジンに肩を掴まれることによって止まる。


「っ、何だよ。あの人のこと、助けねえと」


 レプトは半ば苛立ったようにジンの手を払い、彼の制止を拒んだ。そんなレプトに、ジンは深くため息を吐きながら首を振ってレプトの問いに答える。


「騒ぎを起こせば、追手に手がかりを与えることになるかもしれん。他人を助ける余裕は俺達にない」


 ジンは静かに、しかし厳しい口調で答えた。それを受けると、レプトは一瞬だけ黙りこくってしまう。心当たりがあるようだ。

 ただ、それでもレプトは反対の意を示す。


「……だったとしても、助けるべきだろ。助けたからって、急に俺達が死ぬわけでもないんだし……」

「少しでもリスクは避けるべきだ。それに、どうせ彼女も死ぬことはないだろう。攫ったり、誘拐したりするのはその相手が利益になる時だ。価値があるのなら、彼女が殺されることはない。反面、俺達は彼女を助けることによって命を失うかもしれないリスクを冒すことになる。どうするべきか、言うまでもないだろう」


 ジンは、女を助けることは自分達二人にとってリスクのある行為であるとレプトに説明した。レプトはそこまで聞いて、ジンに向けていた目を下ろす。そして、その目線を女が攫われていった路地に向け、再び地面に戻す。そして、瞼を閉じて一言こぼした。


「……そうだな。あいつが不幸になっても、俺がそうなるわけじゃない」


 そして、再び二人は進行方向に体の向きを直して歩き始めた。二人の足取りはさきほどよりもずっと重い。


(……本当に、これでよかったのか)


 すぐにレプトは先ほどのことについて考え始め、思考をそれにとらわれる。直ちに彼は目線を真っ直ぐ前に向けることができなくなった。心に纏わりつく粘着質な感情が、レプトの体にのしかかっているようだ。


(……今からならまだ……)


 そして、背丈に見合った若い優柔不断さがレプトの背を押した。彼は目を閉じ、深く息を吸って深呼吸すると、目の前のジンの名前を呼ぶ。


「ジン!」

「……ん、なんだ」

「わりぃ、俺行くわっ!!」


 大声を上げてレプトは勢いよく方向転換し、後方へ駆け始めた。


「あっ……」


 ジンは離れていくレプトの背に反射的に手を伸ばそうとするが、全く届かない。唐突な彼の行動に不意を突かれたジンの手は空を掴み、制止する暇もなくレプトの背は遠のく。


「……」


 あまりにも急な出来事にジンはその場にしばらく立ちすくんでしまう。彼の行動の意味を遅れて理解したジンは、自分の頭を叩き、舌打ちする。


「クソッ、何をしているんだ俺は……」


 目を覚ますように首をぶんぶんと振って、改めて彼はレプトが消えた方向へと目を向けた。そうして、ため息を吐いてレプトが向かっていった方へと彼も歩き出す。


「もういい、仕方ないか……クソ」

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