1-6
「うっ……」
痛みに呻きながらピエリスは頭に手を当てる。それと同時にピエリスは悔しさに唇を噛んだ。
公爵にまで仮病令嬢だと思われたくはないと、常に纏わりつく痛みに耐えながら話していた。その努力も不意の頭痛で無駄となってしまったのだ。
「体調が優れないのか? 今、医者を呼ぼう。頼めるか?」
「はい、もちろんです」
ピエリスを支えるように側に寄った公爵が護衛に視線を送れば、護衛は一瞬の迷いもなしに敬礼すると部屋から出ていった。
「ま、待ってください。私の噂をご存知ないのですか?」
「君の噂か? 一応聞いたことはあるが……。それよりも大丈夫なのか? 辛ければそこに座ってるといい」
「えっと、はい……」
噂を知っていると言いながらも心配する様子の公爵に困惑しながら、ピエリスは椅子へと腰を下ろした。
自分に仮病令嬢以外の噂があるのだろうかと不思議に思いつつピエリスは公爵の顔をじっと見つめる。すると公爵は困ったように視線を逸らして、手で自らの目を覆った。
「その、申し訳ない。今の私にとって、君は目の毒でね。聖水も残り少ないから、あまり見つめられると困る」
「あっ、申し訳ありません。その、仮病だとは思わなかったのかと気になりまして」
ピエリスが思わずそう聞くと、公爵は不思議そうに首を傾げた。
「仮病なのか?」
「違いますが……」
「なら、心配するだろう」
公爵は当然のように言い放ち、指輪をしまってからピエリスの側に歩み寄った。
「君がどんな噂をされてようと関係ない。辛そうにしているならば、私は心配する」
「でも、医者も健康だと言いますよ」
「それでも、だ。健康ならば辛くないとも限らない。何をどう感じるかなど人それぞれだろう?」
公爵は視線をピエリスに向けないままに、けれど真剣な表情をしていた。
「ありがとう、ございます」
会って間もないが、ピエリスにはその表情が作り物だとは思えなかった。それでもまだ半信半疑のままにピエリスが感謝を述べると、公爵は静かに頷く。
そして部屋にしばらくの沈黙が訪れた。
「失礼」
ごそごそと公爵が懐に手を入れて聖水の瓶を取り出す。この短時間で三本もの聖水を空にするというのは、常識に疎いピエリスから見ても明らかに異常だった。
「その、状況は悪いのですか?」
ピエリスがそう問いかけると、公爵はちらと窓の外を確認してからピエリスに向き直って小さく頷いた。
「……そうだな。聖水がなくなれば、その日の内に私は死ぬだろう」
その表情は相変わらず真剣なものだったが、ピエリスにはそこに恐怖や不安はないように見えた。
「怖くは、ないのですか?」
「怖い、か……。確かに怖いな。私のために誰かが犠牲になってしまうなら」
「それはどういう?」
不思議そうにピエリスが首を傾げる。
すると、公爵はピエリスに一歩詰め寄って囁くように言葉を続けた。
「護衛がいない今だから言うが、私は君に結婚を断って欲しいんだ。会ったこともない私のために抱かれて欲しいなどと、私は思っていないからな」
公爵はそれだけ告げて一歩下がると少し困ったように微笑んだ。
「私の使用人や護衛達がどうにも私を死なせたくないようでな。初めは使用人自らが身を捧げようとしたんだ」
「そんなことが……。けれど、それではダメだったのですか?」
「彼女達はあまりにもユーラリア家に対する忠誠心が高くてな。公爵家に自分の血を混ぜるわけにはいかないからと、交わった後に自害するつもりだったんだ。そんなの、許せるはずがないだろう?」
公爵は深く息を吐き出して頭を抱えた。
「仕方がないから、護衛達に使用人を見張るように伝えたんだ」
「だから館に人の動く気配がないのですね」
ピエリスは納得したように小さく頷く。それと同時にピエリスは公爵の人望に驚いていた。
命を捨ててでも救おうとするほどに公爵は良い人物なのだろう。そう思うほど、少し話しただけでも公爵の人の良さはピエリスにも伝わっていた。
「歓待できなかったことは申し訳ない。これも彼らの策のようでな。私が部屋で自分を律している間に、結婚相手を探す噂を広めていたらしい」
「公爵様本人の意思ではなかったのですね」
「当然だ。身代わりに誰かを犠牲にしたいなど思っていない」
胸を張って強く言い切ってから、しかし公爵は少し困ったように背を丸めた。
「とは言え、褒められた手段ではないがどうか彼らを責めないでやってくれ。私のことを思っての行動なのだ」
「大丈夫です。私は悪いことだと思いませんよ。元々貴族社会なんて、人身売買のような結婚だって珍しくないですからね」
「それは否定できないがな……。さて、医者が来たようだ。私はここを去ろう。聖水も残り少ないのでな。どうかゆっくり休んでから、帰るなり好きにするといい。我が家の者には丁重に扱うよう言っておく」
公爵が窓の外を見つめて立ち上がる。相変わらず視線を合わせようとはしなかったが、公爵の顔には何かしらの覚悟が滲んでいた。
誰にも頼らずに死ぬ気なのだ。そうわかってしまって、ピエリスは思わず公爵の袖を掴んで引き止めた。
「ユーラリア公爵様、最後に先ほどの指輪を見せてもらってもいいですか?」
「指輪を? 構わないが、これをどうするーー」
公爵が言い終わらぬ内にピエリスは取り出した指輪を手に取り、自らの薬指に通す。
その直後に護衛が医者を引き連れて部屋の中へと戻ってきた。
「何を……」
「貴方と共に生きることを誓います、ユーラリア公爵様」
そうピエリスが咄嗟に言った理由は幾つもあった。
仮病だと疑わないでいてくれたことが嬉しかったから。幸せにすると誓ってくれたから。話していて優しい人だとわかったから。
それら全てを含めて、ただピエリスは公爵を死なせたくないと思ってしまったのだ。
「あぁ、当主様! 上手くいったのですね!」
護衛が喜びの声を部屋に響かせる。
だが、その様子を見守る余裕はピエリスにはなかった。公爵の話を聞くために我慢し続けていた頭痛が激しさを増して、ピエリスの意識を奪おうとしていたのだ。
「あ、目の前が暗くなっ……」
「ピエリスお嬢様!」
護衛が駆け寄るのが見えた瞬間、誰かに抱きとめられたのを感じてピエリスは意識を失った。
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