第8話
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事後処理を大まかに終えたイジンたちは、ナイトの客室で夜を過ごすことになった。
呪いを使い人を殺すことは、当然ながら禁じられている。そもそも呪いは外の魔獣が人間にかけるものと決まっているのだから、それを人間が使うなどさらに理の外。悪くすれば王政の転覆すら狙えるものなのだ、だからそれに身を堕としたローランはきっと。
「……どうしたのニタ。あの女のことが気にかかるの?」
それを気に病むことはないんだと、イジンはニタの肩を叩いた。それを見上げると少年は、組んでいた指をなんとか引きはがし、またどうすればいいのかわからずに息を吐いた。
「気にかかる、ってわけじゃないんですけどね……。ローランさんは、もともとは優しい人でしたから。何度かダッハさんに連れられて夕食をごちそうになった時があるんですけど、その時も…………だから、あまり信じたくないんですよ。あの人が自分の夫を殺した、だなんて」
「信じられない?」
「……でしょうね。僕にはあんまり」
ニタはベッドに腰かけたまま、手をついて何もないのを見上げた。まだまだ知らないことばかり、まだまだ分からないことばかり。呪いのことも、
「でも、それは起こってしまった事実、なんですよね…………だから、そう信じるしかない。なのに、だからなんですよね……」
こんなことになるのは、生まれてこの方初めてだった。
誰かが誰かを殺すなんて、おとぎ話か遠い国の出来事。治癒魔法の広まった今ならば、刃傷沙汰になったとしても、治癒魔法でたいていはなんとかなるのだ————だから人が死ぬのは、無理な病気かいきなりの大けがかだけだった。
だから、この国はある種カラっとしたすがすがしさで包まれていると思っていた。殴ってわかりあい、本音をぶつけ合って理解しあう。そんな国なんだと、ニタは思っていた。
「人はそれが出来る力を手に入れたら、そうしてしまうものなのよ」
ゆえに数少ない解呪師として、彼は偶然発掘された古物などを相手にして、仕事をできたのかもしれなかった。カラリとしているからではなく、見せられないモノ以外を全て明らかにできるからこそ、彼は無垢な仕事でいられたのかもしれない。
けれどそうでないのを、イジンは見てきたのだろうか。
「まだ少しやることはあるでしょう。それまで私たちはへこたれている暇はないの、良くも悪くもね。だからやれるだけをやって、それから後悔するくらいがちょうどいいの。きっとね」
「それでもどうにかならない時は、あるじゃないですか。魔物の呪いならまだしも、誰かが誰かを殺す呪いなんて……重たくないんですか?先生には」
「そんなものを背負うのは、もう慣れたわ。あなたの何倍生きていると思っているの?ロクでもないクソみたいな理由での別離なんて当たり前のことよ。それがちょーっと過激だっただけ。気にしなくていいのよ、こんなことくらいね」
こんなことくらい、か。
彼女にとっては、もうそうなってしまったのかもしれない。
「……そんなものを、イジン先生は食べてるんですよね……大丈夫なんです?」
けれどニタにはまだ納得できるものではなかった。
そんなものに相対する仕事を自分で選んだのだからこそ、この世の人間には全てが優しくあってほしかったのだ。この世の人間には、誰かを獣に堕ちてまで消すようなのが、いないでほしかったのだ。
「私に言わせれば、普通の食事の方が毒のようなものよ。何の感情もなく殺しあって、何の理由もなく食べる。そんな何も想わない生き方がこの世には満ちているわ————それなら、何かを憎んで殺すことの方がよっぽど健全なのよ。それがもっとも人間らしい感情なのだから」
だから目の前の尊敬できる相手には、彼を否定してほしかったのかもしれなかった。
「そう、ですか……。やっぱり未熟ですね、僕は。こんな事普通にあるって受け入れなくちゃいけないのに、まだまだ胸の中にずっしりのしかかりそうで。このくらいのこと、大丈夫にならなくちゃいけないんですよね…………?」
ニタはほんの少し目を潤ませ、窓から外を見た。尊敬すべき人に見せたくないという強がりだったが、それ以上に自分のことを、世界全ての悪を見続けながらもずっと美しいままの月には適えないと思っていた。
自分はきっと、あの真っ白い輝きにはなれない。どこかで見えるとも見えないともしている六等星にすらも、危ういだろう。
「……僕は、これで…………」
ゆえに、イジンは既にニタのことを認めている。
「それは違うわ。あなたはそれでいいの」
優しすぎることそのものが、呪いを扱う上で最も大切な最後の砦であると、彼女は色の抜けきった体で包むように少年を抱きしめるのだ。彼がモノを知っていくたびに、どういう道をたどっても変わらない少年であることが、イジンがニタを弟子に取った理由だった。
彼女は続けた。
「人を呪うことは、自分も呪うこと。誰かを強く強く、殺すほどに呪おうと思うのならば、心の中にある自分だけの相手のことをも殺す————相手を知らねば、自分が何を呪おうと思ったのかすらも分からない。そしてそれを知ってしまっているなら、受け入れられないだけで許容してしまう。だから自らにも、その刃は折れ飛んでくる」
ぽんと、彼女の手がニタの胸に当てられた。
「自分が思っているよりも、あなたは強いのよ、ニタ。信じなさい自分を————あなたが見ている世界を、あなたが思う人のことを。そうすればきっと、あの月にだって手は届くでしょう」
そして言葉の通りに、月の雫が手のひらに集まる。夜の光が、彼女に注がれる。
「……そうですね。先生と一緒なら、きっと出来る気がします」
ニタは微笑む。最も大切な師匠は、ちゃんと名前で呼びなさいと彼に同じく。
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さかさま魔法使いと呪いのナイフ 栄乃はる @Ailis_Ohma
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