第6話

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街はどこも平穏のまま、仕事を終えて好きにする人間であふれ始めていた。もう1、2時間ほどしたなら、完全に日が暮れて人が消えるだろう。夜遊びを出来るような場所もそこまであるわけではない。そうなったなら、人々は愛しき我が家ホーム・スイート・ホームへ眠りへ戻る。


だろうからこそ、イジンはこの日は眠らないでいようと決めていた。


竜を封じたナイフ————作られたのこそ100年程度だが、その前身から含めたなら一冊の歴史書が出来上がるくらいに古い、恐るべき呪具が見つかったのだ。おそらく根本は聖遺物に近い何かだろうが、それをこんな風に貶めることができるとは。


「ニタ。あの竜についてどう思う?」


イジンはそんな自分の考えを共有したくて、愛しき弟子に問いかけた。

その愛しき弟子は、見込んだ通りの目で応えてくれた。


「どう、ですか…………。そんなの、僕にはどうにもできない強いのにしか見えませんでしたよ。でもちょっと茶目っ気があるようで、割かしまともな中身を持ってて、少し抜けていて、老成していて————あまり人に危害を加えるようには、僕は思えませんでした。どちらかと言えば、本当は優しいんじゃないかって、思えました。たたき起こされて、使われたのに、怒ってるような、そんな感じで————」


「なんだ、分かってるじゃない。ならあのバカがどのくらいの年かはわかる?」


だからイジンは問いをつづけるのである。


「年ですか?えー、あー……わからないです」


ゆえに彼は少しも考えずに、無知の知を叩きつけた。


「多分ナイフと同じくらいなんじゃないですか?あれに封印されてたみたいなわけですし。でもそれにしては老練だったような…………?ああ、でもどうでしょうね?」


「フムン」


まあ結構。続けなさい。イジンは息を吐いて肩をすくめた。


「何ですか師匠?弟子がふがいないから使い物にならないとか思っているんですか?だったらちゃんと言ってくださいね?ここは思うだけじゃ、伝わらないんですから」


それでニタは不機嫌になる。


「そうじゃないわ。存外あなたも見る目はあるのねって言いたいだけよ。ニタ、推測はだいたい正しいでしょう。ロムレアニンスの歌古いおとぎ話を覚えている?」


どうにか機嫌を戻したいなとしてみるけれど、それでもやっぱり先生は自分のことをよく見ていないじゃないかと、不貞腐れたように彼は返事。


「覚えてますよ。それは。でもそれが何になるんです?」


でもこういうところがあるから、やっぱり弟子を取るのは楽しいんだよねぇと、イジンはまるで母親になったかのように微笑んで聞き出す。


「なら、言ってみなさい?」


やっぱりそうだ。ニタは本当に不貞腐れて、ぶつくさと答えるのである。


「……だいたい700年くらい昔の歌ですよね?森の奥の剣を抜いた勇者シフリートが、この世の宝物という宝物を隠していた悪竜ゴディノミーオを倒して世界に輝きを取り戻した。その時に同時に溜め込まれていた聖剣と森の剣で、人々の苦しみを何度も取り除くために戦った話————最後はその力を時の王に恨まれたけれども、彼は行き過ぎた力はいつか邪竜そのものになるんだって、自ら命を絶って剣を封印したという歌。……それで、いいんですよね?」


ほとんど説明でしかないが、大まかにはその通りだった。厳密に言えば聖剣は溜め込まれていたのではなく森の剣を叩き直して生まれているし、恨まれたのは時の王ではなくその王女で、色恋沙汰が原因だったが、大筋があっているならイジンにはそれでよかった。


「ええ。そうね。ロムレアニンスの歌はだいたいそれで正解。だったら何か気づかない?」


答えの部分は既にニタが言っていたので、さらに彼女はクイズする。やっぱりそれにも考え込むが、やっぱりわからなくてニタは投げ出した。まあしょうがないのでイジンは答えを出す。


「ま、そうなるわね。答えは聖剣よ、ニタ」


転移魔法を使おうと思って、イジンはおやと一瞬呆ける。すぐにまあいいやと指で光の線を空に描いて、ナイフと人の形を作る。そして翠に輝くそれらを、ぶすりと刺し合わせて殺したことにしてみせるのである。


「聖剣が倒す敵は邪悪でなければならないわ。けれど勇者は聖剣に貫かれて死んだ。ということはその聖剣はもう邪剣に他ならないのよ、なんせ救世主を殺してしまったのだから————なのに、未だそれは聖剣として扱われ、勇者も救世主として扱われる。出自そのものは聖なるものなのに、本来は正しいことのための剣なのに、これでどちらも邪悪になった。けれど現実は正しいまま。どこかおかしいでしょう?」


彼女はそう続けると、ナイフをつまんで人形から引き抜いた。すると両方の色は紫に毒々しく変わり、何かが流れるような絵になる————それは神々の黄昏も思わせる紫暮で、触れてもいいちょっとした魔導の絵なのに危険に思えた。

イジンはまだ口を開く。


「ここで問題は、その負のモノはどこから生まれてどこへ消えるのか、ということ。聖剣そのものの正しさは消えることはないわ。けれど逸話から生まれる邪気というものは相殺されるわけじゃない。ならばそれは、中に残るしかありえない。勇者の死体はいつか消え去るものだった、だからもう問題はなくなった。けれど問題はその剣————形として残る、その剣なのよ、ニタ。いつかはそれを超える量が放たれてしまう、いつか爆発する危険な物体。英雄の残した、最悪の邪剣」


ゆっくりと輝きを持ったまま、彼女の手のそれは膨れていった。それが水を入れすぎた魚のようになると、丸く薄くなりすぎて、中に閉じ込めている虚無が目に映る。そして線の太さが限界の細さに至ったなら、それはホウセンカが裂けるようにはちきれて壊れると見えた。

だから彼女は、それをあたりから押し付ける何かを、描いて加えて止めるのだ。


「だから歌が必要だった。聖剣が聖なるものであることをたたえる歌が必要だった。人々の記憶の中に、聖剣が正しい力を持ち続けていると示すことが必要だった————呪いが増えることだけは避けられないなら、消しあう呪いじみた輝きが必要だった、というところ。だからそれは、歌われ続けて今まで残された。英雄の聖剣の正しさを、ずっと」


それは音符になってぴとりと剣にくっつく。すると真っ白い元の色へと戻って、元の形へ治っていった。もう二度とあんなことにしないぞと、太陽のような白さに治っていった。これこそが自分のありようなんだと、剣は素直に治っていった。


輝いていると信じられているから輝いているようなもので、美しくあろうとしているからこそ、美しさがにじみ出るようなものなのだろうか。

と色々をニタが考えたところで、イジンはそれらをきれいさっぱりスッパリ消して、どうでもよいと述べるのだった。


「ま、このあたりは今はどうでもいいわ。いつかの未来の為に必要な呪物。それが聖剣だったと覚えて頂戴————そして、今考えるべきはその先。その聖剣が、今はどうなっているか、というところよ」


じゃあ一体今までのは何なんですか——!と言いたくなったが、ここまで話されればニタにももうわかっていた。

彼女は新しく剣の絵を描くと、それを二つに分けた。そして一つを粉にして、もう一つをさらに細身の針にして、説明というものはこれで最後と付け加える。ニタはそれを、おおよその理解とともに聞く。

その聖剣がどこに使われたのかを、どうあったのかを耳に留める。


イジンが推理を始めていく。


「おそらくあのナイフ、元はそれの一部だったのでしょうね。消し去る時に誰かが破片を残して、それが少しずつ呪いを帯びていくのに気づいて封印した。けれどそれを誰かが見つけてしまって、忘れ去られたころに呪殺道具として使えることに気づいた。つまり————」


ここまでくれば、誰がそれをしたかを明示してしまう美しくもない当たり前の推理だった。半分頭の中に埋めていた、見たくもなかった理屈。


彼はそれをしかたないことと考えつつも、どうしてそうあらねばならなかったのだとも崩れる。赦されることではないが、しかしそうあるのが人間なのだと、表でも裏でも彼は悲しむ。


静かな空を、少年は見ないようにしている。


「幸い、まだ救いはあるわ」


彼女はそれに手を差し伸べる。知見が深いということは、きっとそれに何度も対峙したということで、それはきっと彼女にもそんな記憶があったということで。


彼はそれに耳を傾けた。

日も同じように、暮れるだろうと思われた。


その英雄が安らかに眠れたのかを、少年は頭の片隅で願っていた。



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