EPISODE4: 水晶の輝きに

 心世界の午前五時。太陽の様な恒星が西から上がり陽を差し込ませる。

 マルチーズは窓から差し込む木漏れ日の温かさを感じながら、眩しい寝から体勢を変える。ゆっくりと両後ろ足を上に伸ばし声に出さない欠伸を行っていた。


 マルチーズの目線の先で、布団に包まれたエルシーが柔らかな寝息をはいている。

 エルシーの顔を見つめながらマルチーズは音を立てずに着地し、エルシーの寝どこまで向かっていく。彼女の顔が朗らかになっていることを確認したマルチーズは、「ありがとうございました。この恩は、必ず返します」と小さい声で伝えた。


 エルシーは反応すること無く規則正しいリズムで寝息をはき続ける。

 マルチーズは彼女を起こさない様に細心の注意を払いつつ、昨日の探索で発見した猫扉キャットドアから外に出る。上を向くと、陽の光が差し込んでくる。

 

 マルチーズは「良い探索日和だ」と感じつつ昨日の森へと向かっていく。

 彼が森へ向かう理由。

 それは、昨日聞いた心世界しんせかいの情報が正しいか調査するためだ。

 もし夢の話が真実であれば、いつ命が脅かされても可笑しくない。


 だからこそ、マルチーズは「」を作りたくなかった。


 縁が出来れば相手に対し情が生まれるからだ。

 情があればあるほど、相手に対して傷をつける行動は出来なくなる。

 仮に、昨日親切だったエルシーが心世界で役割を持つ人物だとしたら――


 マルチーズは何も出来ず死ぬだろう。

 しかし、生きる上で後悔をしすぎることは歩みを止めることと同義である。

 後悔するなら失敗しても良いから行動するべきだ。


 マルチーズは猫ながら、まるで人の様な確固かっことした考えを持っていた。


 マルチーズが歩き出しておよそ二十分程度。心世界は。風はざわめき、木々はカサカサと音を鳴らす。なり続ける草木の音は、まるで森自身が生きているのではないかとすら感じさせる。


 彼は、化け物に襲われることは何も考えず、歩き続ける。そんな彼に、一つの収穫が訪れる。昨日倒れていた場所に一枚の紙が落ちていたのだ。

 俊敏に手足を動かし、一枚の紙を覗き見ようとする。

 その直後だった。マルチーズの頭上を一筋の矢が通り過ぎていく。その矢は明らかに彼自身を狙っているものだと理解した。確認していたら殺される。


 警戒心を強めていたマルチーズは両手両足を必死に動かし森の中へと逃げていく。

 後ろから「待て、黒獣! 逃がしてたまるか!」と女性の声が聞こえてくる。狙撃手は女性の様だ。最もそんな情報が役に立つかなんて知る由もない。


 マルチーズは風を切る速さで駆けていき、姿を完全に見られずに撒ききった。

 彼はほっと溜息をつくように足を止め呼吸を整えようとする。


「……なんだろう、これ?」


 マルチーズは、草木の中に落ちているひし形の水晶石を発見した。透明色でどこまでも透き通るそれは彼の心を穏やかにする。現実でも見ない様な石に見惚みとれ僅か数十秒だった時だ。


 ガラガラと土が砕ける音が響き渡る。その意味に気が付いた時、マルチーズは宙を浮いていた。彼は今いる場所が脆くなっている崖であると気が付かなかったのだ。

 高さは優に十メートルを超えている。着地出来たとしても、無事に生きることは出来ないだろう。


 マルチーズの前に、先ほど見つめていた結晶が浮いている。

 これが最期なら、この結晶を取って死のう。マルチーズは何故かそう考えた。


 風切り音と共に視界は高速で動いていく。それでも、不思議と恐怖心は無かった。

 死を欲しているわけではないが、避けられないならば受け入れるしかないだろう。


 マルチーズはそう思いながら、最期を遂げる。

 その顔は、何処か安らかだった。


 これで彼の物語は終わり。誰もがそう思っていた時だ。

 突如、彼の持っていた水晶が


 淡い光が、マルチーズの身体をゆっくりと包んでいく。やがて水素が燃えるような音が響いた後、光に包まれた彼の亡骸は綺麗に消失していた。



 家の窓から木漏れ日が差し込む午前八時の日曜日。

 私の飼い主は何時も、グランドピアノの前に座りピアノを弾く。ドビュッシーが作曲した和音と高音が美しく混ざった音楽は、私の聴覚を優しく撫でていく。

 私はそんな空間に酔いしれながら眩しい寝を何時も行っていた。


 そんなある日、私の飼い主は弾きながらとあることを言った。


「探究心を捨てない者は、世界を変える。道中で挫折があろうとも、探究する者は決して諦めない。強い心を持っている。お前もそういう生物になりなさい」


 数日後、私の飼い主の音楽は二度と聞けなくなった――



 どうして――忘れていたのだろうか。


 私は、ただのしがない一匹の飼い猫ではないか。


 何故、


 何故だ、何故なんだ。何故忘れられたんだ。

 あの人は、私のことを――


「いやはや、驚きました。私、驚き桃の木山椒の木です」


 感傷に浸るマルチーズの前に、一人の人物が現れる。ニッコリマークが書かれた段ボールを頭に被った聖女服の人間だ。はっきり言って奇妙としか言いようがない。


「嫌ですね、忘れたら困りますよ……って、そうでしたね。この格好をするのは初めてでした。私、すっぴんをさらすのがお恥ずかしぃっ!」


 その人間は、マルチーズの前で一人漫才の様な何かをし続ける。

 二回程同じような戯言ざれごとを吐いた後、その人間は自己紹介を始めた。


「改めて、自己紹介させていただきますね。私の名前はヘステア。この心世界の異変を解決するために参上した、所謂神様です」


 突然現れた変人に対しマルチーズは「……あぁ、そうですか」と返答する。


「その鋭い目つき……私、興奮します! 」

「そんなことより、一つ教えてください。私は何故喋れるのですか?」


 自称神であるへステアは、一旦だけ挙動を止めた。マルチーズはその行動に少し疑問を持ったが、へステアがすぐに喋りだしたため特に不思議に思わなかった。


「その前に、一つ条件があります。私の眷属になってください」

「絶対嫌です」


 マルチーズは流れる様に、彼女の発言を切り捨てたのだった。

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