第9話「鏡峯めぐみ」

「鏡峯、窓の外を目だけで見てみろ」


 私は、タンドリーチキンにナイフを入れつつ、鏡峯に声をひそめて話し掛けた。

 食事に意識が向いている素振りをよそおって、屋外の様子へ注意をうながす。


「座席の正面を向いたまま、こちらの視線を気取られないようにだ」


「……あっ。もしかして、今店の横を歩いてるのって――」


 通行人が山村夕子の母親だと、鏡峯もすぐに気付いたようだった。

 私と鏡峯が店の中からながめていることは、悟られていないらしい。


 さり気なく見守っていると、山村美佐子は道端で軽く手を上げた。

 市道の交差点を曲がって、ファミリーレストランの方へ近付いてくるタクシーを停車させる。

 目の前で車のドアが開くと、身体をわずかにかがめ、そそくさと乗り込んだ。それから後部座席へ腰を落ち着かせ、運転手に行き先を伝えたように見えた。


 タクシーは、ゆっくりと発車し、そのまま店のそばから離れていった。



「最初に『メゾン平伊戸』へ向かった際とは別の道を引き返してくるあいだ、市道の付近で車の行き来がある場所に出れば、こういう場面を見る機会もあるかもしれないと予想していたが」


 私は、コーヒーで鶏肉を胃の中へ流し込んでから言った。


「こうして実際に出くわすと、憶測に間違いはなさそうだとわかるな。どうやら山村夕子の母親は今、仕事のために出勤したらしい」


「でっ、でもユッコの小母さん、なんか車を拾って乗っていったみたいだけど」


 鏡峯は上擦うわずった声で言いながら、若干テーブルの側へ身を乗り出す。


「バスや電車じゃなく、タクシーで仕事に行くってなんか凄くない? 自分で車を運転するわけでもなくさ」


「おそらく途中で、同伴相手と待ち合わせているからだ。ただし対面する前には、いったんヘアサロンなどに立ち寄るかもしれないが。合流場所に一般的な公共交通機関で向かうのは、体裁ていさいが良くないのだと思う。山村夕子の家庭でマイカーを維持するのはどうも難しそうだし、彼女の母親が運転免許を所持しているかもわからない。タクシーなら、同伴相手が足代を持ってくれるのだろう」


「あっ、あの。同伴相手っていうのは、たしか――……」


「キャバクラのような商売で、ホステスが出勤時に店内へ一緒に連れ込む指名客のことだ。夜間営業で女性が饗応きょうおうするタイプの飲食店では、開店時の客足が鈍い日が多い。そこで店の得意客から指名を受けているホステスは、開店前にそうした相手と約束を取り付け、一、二時間ばかり食事やカラオケを共にする。その後は遊興した客をともなって、そのまま店に出勤するわけだ。山村夕子の母親は、見た目が若くて美人だし、金払いのいい客を捕まえているのかもしれない」


 私は、店内の壁面に掛けられた時計を眺めた。

 文字盤の上で長短の針は、現在午後六時過ぎを指している。

 山村夕子の母親がつとめている店は、午後八時か九時の開店らしい。



 それから私と鏡峯はまた、食事を続けた。

 言葉少なに料理を口の中へ運び、空腹を満たすことに専念する。

 そこへ新たに家族連れの客が二、三組、近くの席まで案内されてきた。

 そろそろ夕食の時間帯に入り、店の中にも活気が出てきた。


「どうしてユッコが自分の話をしたがらなかったのか、ちょっとわかったかも」


 鏡峯は、アボガドロコモコのハンバーグを食べながら言った。


「きっと自分の家に友達とかを近付けたくなかったんだろうね。それで明るいうちに知り合いが来て、自分の親と会ったりするのが嫌だったのかな」


「たしかに母親の反応を見る限り、山村夕子が過去に友人を自宅へまねいたことがなかったのは、間違いなさそうだと思う。君や私の訪問を、怪しむよりははるかに歓迎している様子だった」


「やっぱ小母おばさんがこれまで、ユッコに友達がいるかどうか心配していたからかな?」


「そう考えるのが自然だろう。そうして一方では君が指摘するような理由で、山村夕子が自宅に友人を呼ばなかったことも、可能性としてあり得る。彼女の母親には非常に失礼だし、個人的な所感を述べるならつまらない虚栄心だと思うが」


 皿の料理を片付けたあと、私は再度コーヒーカップの縁に口を付けた。

 すでに冷めた黒い液体は、香り以上に苦みが強まっているかに感じた。


「違法なやり方にうったえているわけでない限り、子供を親一人で養育し続けることにはほこるべき点こそあれ、嫌悪すべき点などない。ましてや現代社会で年間何組の夫婦が死別や離婚をするのかも考え合わせれば、然程特殊な環境でもないだろう。無論経済的な不遇については、充分な社会的支援がされてしかるべきだが、そこに恥じらいを覚える必要もない。そもそも問題解決能力に自ずから限界がある女子高生の境遇など、本人よりも社会全体で負うべき責任の比重がずっと大きいはずだ」


「……なんかあたしにはややこしいこと言ってるようにしか聞こえないけど、あんたが考えてるっぽいことは何となくわかるよ。一応ね。でもあたしが感じたのは、そういう問題じゃない」


 私が意見を述べると、鏡峯はメイクで描いた眉根を寄せる。

 会話相手の不見識を、非難するような物腰だった。



「理屈はともかく、あの子はみんなと少し違うってことでしょ? 他人がどれだけ綺麗事並べてみたって、そこはどうしようもない。だからユッコはそういうところを、他の誰にも知られたくなかったんだと思う」


「どうしようもないことを呪い続けて、他者と迎合するために隠匿し続けることが健全だというのか。家庭環境に多少異なる部分があるからといって、もし山村夕子の素性を周囲の人間が受け入れられないとするなら、それは彼女を取り巻く側の相手に問題がある。そういった不寛容な人間関係であれば、私はかえって早く解消してしまうべきだと考えるが」


「……それって『そんな友達だったら、さっさと縁を切った方がいい』ってこと?」


「日本の国内に限っても、我々の社会には一億二〇〇〇万人の人間が存在する。たとえひと組のグループから爪弾つまはじきにされようと、望めば新しい人間関係を構築する方法はあるはずだろう」


「簡単に言うけど、それがもし身近なところで上手くいかなかったらどうすんの?」


「孤独を楽しめばいい。一人で過ごすことは自由で、他者のわずらわしさから解放されることだ」


 私は、率直な考えを提示してみせてから、いったん席を立った。

 コーヒーを飲み干したので、カップに二杯目をれてくるためだ。


 私がテーブルを離れる直前、鏡峯は何事かを言い掛けたようだった。

 ところがこの際は機をいっしたので、憮然ぶぜんとした表情を浮かべ、すぐに口をつぐんだ。

 ドリンクサーバーから引き返してくると、同じ話題で会話を再開し、抗議してきた。



「やっぱわかってないよねリュウちゃんは」


「何度も言うが、リュウちゃんは止めろ」


「孤独を楽しむなんて、そんなの女子で共感できる人は絶対ほとんどいないし。もしたまにそういう子がいるとしても、ユッコはそういうタイプじゃないの」


 私の呼称に関する要望を無視して、鏡峯は先を続ける。


「だって誰かが一緒にいてくんなきゃさ、自分がわかんなくなるじゃん。自分がここにいていいのかとか、自分がいることに何の意味があるのかとか。誰かが受け入れて、そう、自分の居場所みたいなの? そういうのを作ってくれなくちゃ。でなきゃ大抵の女子は、安心できないわけ」


「要するに君や山村のような女子高生は、自分を肯定してくれる相手が必要だというわけか」


「あんたに言われるとなんかムカクツけど、まあだいたいそんな感じ……」


 鏡峯は、メロンソーダのグラスを手に取りながら言った。

 炭酸飲料を口にふくみ、美味くもなさそうに飲み下している。

 それが私とのやり取りで機嫌を損ねたせいか、時間の経過でソーダの炭酸が抜けたせいかは、判断が付かなかった。おそらく両方が原因かもしれなかった。


「でもって女子のグループっていうのはさ、リュウちゃんが考えてるような、わかりやすい理屈で誰かと誰かが集まってできてるもんじゃないわけ。もっと、お互いの空気感? そういうのが合いそうな子同士で、みんなが相手と距離を測りながら仲良くなっていくもんなんだから」


「ああした集団が形成される過程は、スクールカーストとは関係していないのか。山村夕子などは無論、君や田中と在籍する高校自体が異なるから、根本的に学校内の立場を測ることは不可能だろうが」


 素朴な疑問を投げ掛ける一方、ここでは「リュウちゃん」という呼び方を注意するのを一時的に止めた。どうせ鏡峯は聞く耳を持たないし、言及するのが面倒臭くなってきたからだ。


 鏡峯は、こちらの心中など気にする素振りもなく続けた。


「いやでも、そりゃやっぱ関係はしてるよ。陽キャか陰キャか、頭いいか悪いか、服がオシャレかダサいかとか……。ただそれとは別に何となく合う合わないってのがあるじゃん。女子はそこ重視するし、合えばわりとカースト超えて仲良くなるのもある」


「今回の依頼で、君と私を仲介した人物との間柄もそうなのか。彼女はギャルではないが」


「あんたとあたしを仲介した――って、だからリナりんのことでしょ? まあ、それはそう」


 仲介者の呼び方を名前で言いえてから、鏡峯は首肯する。


「リナりんは中学の頃から、あたしとは比べものになんないぐらい勉強できた。でも案外話すと趣味近いところもあって、なんかお互い楽しいんだよね。そういうの大事」


「つまり、通常なら人間関係に分断の生ずる要素があっても、君と私の妹には親交があるということだな。それはわかる。しかしそれなら山村夕子はなぜ、家庭環境の差異を周囲との溝になると考えているのだ」


「そこはそのとき自分と仲がいい友達のグループが、どういうとこなのかってのがあるじゃん」


「君と私の妹が中学時代に人間関係を構築していた頃とは、状況が異なるということか?」


「そうそれ。あたしは今でもリナりんとそこそこ仲良くメッセージのやり取りとかしてるけど、だからってあの子をユッコやセアラに紹介しようなんて思わない。特にセアラみたいな子はさ、自分よりも頭いい相手はみんな自分を心のどっかでバカにしてる、って考えてること多いから。藤凛みたいな学校に通ってる子のこと、メッチャ嫌っているし。ちょっと自分のやることに文句付けられるだけでも、恥をかされたって思うらしいんだ。それでメチャ怒ったりする」


「強烈な被害妄想だな。申し訳ないが、私の理解を超えている」


「でも実際そんなもんじゃないの。あたしだって高校進学してから、本当のところはリナりんにどう思われてるかわかんないし……」


 こちらの所感に対して、鏡峯は薄い笑みを口の端に浮かべて言った。

 それが私には、いささか投げ槍で、自嘲的な面差しに見えた。


 何も言わずに様子をうかがっていると、鏡峯は左腕でテーブルに頬杖ほおづえを付いた。

 そのまま幾分、店の窓側へ顔を向け、見るともなしに屋外を見ているようだった。



「今のあたしは中学の頃と違って、こんな格好してるわけだしさ」


 鏡峯は、空いている方の手で、胸元のゆるんだタイをまんでみせた。

 着崩した制服のギャルファッションを、殊更ことさらに主張した仕草だった。


「そうした服装を君が身に着けるようになったのは、高校へ進学して以後だと聞いている」


 私は、二杯目のコーヒーをひと口飲んでから言った。


「それもやはり、現在の人間関係が影響した結果なのか」


「まあそう。セアラとかユッコとか、あと他の高校入ってから仲良くなった子とか。そういう子たちは、ギャルみある服着てメイクしてる。それがグループ内でみんなが考えてる可愛さだし、まあリナりんには言わないけど、藤凛の女子みたいな格好はイケてないってことになってる」


「それは君たちの狭いグループの中で共有された価値観だろう」


「んー、まあ日本中に同じようなギャルファッションしてる子はいるから、あたしたちだけってことはないけど。でもリュウちゃんが言いたいことはわかるし、その考えでだいたい合ってる。逆言うと、同じものが好きっていう女子同士の――何だろ、仲間意識みたいな? そういうのをはっきりさせるためのメイクだったり、服装だったりする感じ。みんな一緒で安心みたいな」


「みんな一緒で安心か。その話はギャルの概念を理解する上で、多少腑に落ちたかもしれない」


 私は鸚鵡返おうむがえしにつぶやきながら、鏡峯・田中・山村の三人が揃った写真を思い出していた。

 細かい差異はありつつも、がいして類似的で、似通ったギャルファッションの女子高生たち。


 鏡峯めぐみが語る「ギャルの世界」の住人にとっては、それが共通の価値観や連帯意識の象徴なのかもしれなかった。個別に見分けるのは難しいが、しからば意義を納得できなくはない。

「ハードボイルドの世界」に住む私には、ほとんど共鳴できない主張だが。



「まあ全員がそういう感覚でギャルファッションしてるってわけでもないし、単にこういう格好が好きっていう子も多いだろうけど。セアラなんか元々そういう感じっぽいし。ファッション誌にもギャル出身のカリスマみたいな読者モデルがいて、そういうのにあこがれる子も見掛けるし」


 しゃべりながら今頃になって、鏡峯はロコモコの付け合わせだったポテトを摘まんでいる。


「けどうて女子が女子の考える可愛さ? そういうので着てるファッションていうのはガチ。だからたまに男であたしらみたいなの嫌うやつもいるけど、そんなの最初から相手にもしてないし。ちょい胸元開いたトップス着たり、ショート丈のスカート穿いたりしてるのは、全部女子が自分のためにそうしてるわけ」


「理由はどうあれ、第三者にあれこれ言われる筋合いはない、と?」


「そそ、ほんそれ。むしろ女子がみんな男ウケ狙った格好しないことで、あたしらのグループの中じゃ、美人もブスもあんま意味なくなる。なんつーの? 生まれつきの顔とかスタイルとか、そういうのでお互い比べ合うの少なくて済むじゃん。そこは女子的に楽だからマジで」


 鏡峯は、メロンソーダを飲み干すと、中座してドリンクサーバーの方へ歩いていった。


 そのあいだに私はまた、二口三口とコーヒーを喉に流し込む。煙草の味と香りが恋しいのを、カフェインで誤魔化ごまかし続けているのだった。全席禁煙の店内ルールがうらめしい。

 試しにスマートフォンで、この近辺に煙草が喫える飲食店がないか調べてみた。

 しかし残念ながら、ここより他に待ち時間をつぶすのに適当な場所が見付からない。喫煙者には肩身が狭い時代だ。



 そうするうちに鏡峯が戻ってきたので、いましがたのやり取りを再開した。


「今の話に基づくと、君たちのギャルファッションは仲間内での連帯感を強め、異性からの外見的な評価を回避する手段ということになる」


 私は、ここまでの会話を整理しながら言った。


「しかし一昨日に田中聖亜羅と面会した際、彼女はそれ以前に他の男性とも遊んでいたことが、本人の発言でわかっている。あれは田中個人が異性から好意を寄せられたことになり、グループの連帯感に水を差す行為と認識されるのではないのか?」


「ああいや、それはそんなでもないかな。別に男ウケを狙ってないからって、みんな恋愛自体が悪いと思ってるわけじゃないし。あのとき会ってみて何となく伝わっただろうけど、何だかんだセアラなんかけっこー男子と遊ぶの好きだからね。それに口は悪いけど、乙女なとこあるんだ」


 鏡峯は苦笑しながら、ドリンクサーバーでいできたばかりの飲み物へ手を伸ばす。

 グラスの中身は、先程までと違って、グレープフルーツジュースになっていた。


「ていうかあたしらを見た目で否定しない男なら、逆にちゃんと中身見て好きになってくれてるってのあるし。そこには純愛? あるのかもしんないし、それでハッピーになれるなら、普通に友達みんな応援すると思うんだよね。まあ言うてこんな格好ばっかしてると、単に手っ取り早くヤれそーな女だって勘違いしてる男が声掛けてくることも多いから、そこんとこの見極めミスるとヤバいけど……」


 田中聖亜羅は、あのとき面会前に遊んでいた男性について「明らかに身体目当て」だった、という旨の人物評を話していた。それが的確な判定だったのかは、わからない。

 仮にその洞察が正しかったとして、過去に異性の思惑を見誤ったことはなかったのだろうか。


 世の中には「勘違いしている男」の方が遥かに多く、年若い女がどのような容姿であれ、純愛なるものを軽率に期待するのは、危険なこと――

 私自身はどちらかと言えば、内心そうした考えを持っている。


 甘やかな夢想は、ときとして少女を傷付けてしまうはずだった。

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