第5話「安千谷里奈」

 目抜き通りを道なりに進むと、やがてアーケード街に差し掛かる。

 丁度その辺りで、交差点の一角に華やかな外観の建物が見えてきた。

 地上七、八階ほどのビルで、壁面が明るい青と黄色で塗装されている。


 ここは総合アミューズメント施設の「ゲームランドVEGA」だ。

 鏡峯や田中が以前、山村夕子と街中で遊ぶ際は頻繁ひんぱんに出入りしていたという場所である。

 信号が青になるのを待って、交差点を渡り、正面の出入り口から建物の中へ踏み込む。


 店内には様々なゲーム筐体きょうたいが並び、それが大音量の音声を鳴り響かせていた。

 だが騒々そうぞうしさに反し、来店客の姿はあまり見当たらない。平日の日中だからだろう。



 私は、リズムゲームのコーナーをすり抜け、サービスカウンターまで歩み寄った。

 若い男性店員が両替機の前に立ち、てきぱきと働いている。小銭を補充しているようだ。

 作業を済ませるまでそばで待って、こちらへ振り向いたところに声を掛けた。


「すみません、ちょっとおたずねしたいことがあるのですが」


「……はい、いかがいたしましたかお客様」


 六月にトレンチコート姿の男を見て、店員は奇矯ききょうな人間と出くわしたと思ったに違いない。

 しかし少なくとも表面上は、それを露骨に態度で表すようなことはしなかった。


 私は、あらかじめ用意していた名刺を取り出し、提示してみせた。

 表面に記載された文字を、店員は目を見開いて見詰める。

 相手の印象に残った頃合で、素早く引っ込め、懐中に納めた。


 名刺には、探偵事務所の名称と住所、氏名、連絡先が印字されている。ただし、すべて架空のものだ。調査で素性を隠したい場合、普段から身分をいつわるために持ち歩いている名刺だった。現代は家庭用のパソコンでも、そこそこ見栄えの良い品が作成できる。

 私は今まさしく、鏡峯めぐみが言うような偽物探偵以外のなにものでもなかった。


「この写真に写っている女の子を、こちらの店で見掛けたことはありませんか」


 次いでスマートフォンを差し出し、画面に表示された写真を店員に見せる。

 鏡峯めぐみ・田中聖亜羅・山村夕子が、並んで一緒に写っている画像だ。


「こっちの右端の子なんですが、どうも家出でもしたようでして――」


 写真の中の山村夕子を指差しながら、故意に低い声で続ける。


「ずっと連絡が取れなくて、皆が彼女の消息を心配しているのです。しかし本人が自分の意思で姿を隠したとなると、行方不明者届を出しても警察は捜査してくれません。それで私が捜索しているのですが、この子の知り合いから得た情報によれば、過去にこちらへ何度も出入りしていたそうなのです」


「ああ、なるほど。そういうご用件でしたか」


 私の身分までふくめ、半ば以上はでっち上げだ。

 しかし店員は、得心した様子でうなずいた。


 警察には民事不介入の原則があり、自発的に行方をくらました人物に関して、緊急の捜査対象としないことは事実だ。たとえ高校生でも、普段の素行が好ましくない場合は、明確な事件性を証明できない限り、猶更なおさら切迫した事態と受け止められることが少ない。

 鏡峯めぐみは、昨日「仮に山村が失踪しっそう者だと確定しているなら、警察に行く」という旨の話をしていた。だがこうした問題は実のところ、それで解決するほど簡単ではない。


 それゆえ、この店員が勝手に想像力を働かせた結果、誤解を抱いたとしても責められはしないだろう――

 例えば、山村夕子は「プチ家出常習犯のギャル」で、私のことは彼女の捜索を依頼された民間の専門家に違いない、などと。

 人探しをしている点に関しては、実際にその通りなのだが。



「……う~ん。しかしどうもダメですねぇ、私にはよくわかりません」


 男性店員は、少し考え込んでから首をひねった。


「正直に申しますと、こういう見た目のお嬢さんは、当店のお客様の中にわりと多いのですよ。過去にお見掛けしたような気もするし、初めて拝見するような気もします。申し訳ありません」


 その言葉を聞いた直後、私は失笑しそうになるのを密かにこらえていた。

 こうして聞き込みしている私自身も、最初に鏡峯から写真を見せられた際には女子高生ギャル三人を、誰が誰なのか判別できなかったからだ。



 それではどうしようかと考えていると、そこへ別の店員が近付いてきた。

 こちらは女性で、もう一人よりも少し年上に見えた。


「何かお困りでしょうか、お客様」


 男性店員は自分の仕事に戻り、新しい店員が入れ替わりで私に応対する。

 改めて同じ説明を繰り返し、スマートフォンで山村夕子の写真を提示してみせた。

 女性店員は、画像を食い入るように見詰めたあと、きっぱりした口調で答えた。


「この女の子のお客様なら、たしかに何度かご来店して頂いています。ただし私がお見掛けしたところを最後に記憶しているのは、かれこれ半年ぐらい前だと思いますが」


「間違いありませんか。先程の店員さんは、他に似たような格好の女の子は多いので、仮に来店していたとしても見分けが付かない、というようなことを言っていましたが」


「ああ、なるほど。男性であれば、この年代の女の子がこういったファッションをしていると、うっかり他の誰かと見間違えたりするかもしれませんね。でも私ははっきり見覚えがあります。特にこちらのお客様については、以前まではよくご来店頂いていたはずですから」


 念押ししてくと、女性店員は柔和な面差しで言った。


「それに目鼻立ちもこう、雰囲気がある方ですので」


「そうですか。私は男なので、見分けるのに苦労する側の人間なのですが」


「たしか私の記憶ですと、こちらのお客様はゲームフロアよりも、他の階へお越しになる機会が多かったですね」


「他の階というと、ボーリングやカラオケの施設ですか」


「そうですね、あとはビリヤードを遊んでらっしゃっていた日もあったと思います。スカッシュをプレーする施設でお見掛けしたことはないと思いますが」


「この子はいつも、この写真に写っている二人と遊んでいる様子でしたか」


「……それはどうでしょう、必ずしもそうではなかった気がします」


「そうすると、もっと他の友達と連れ立っていた?」


「そういうときもありましたし、お一人だったこともありました」


 そこまでなめらかな口調で話してから、しかし女性店員はいったん口を閉ざした。

 何事か言いよどんで、言葉選びに迷っているような様子だ。ついさっき柏木翔馬も、会話の途中で同じような素振りをのぞかせていた。


 何秒間かそのまま待つと、女性店員は口篭くちごもりつつも先を続けた。


「でも、そのぅ、いましがた申し上げた半年ほど前のことなのですが――そのときにはたしか、お探しの女の子のお客様と、もう一人一緒にいらしていて、二人連れだったように思います」


「そのもう一人というのは、どういった人物でしたか」


 私は、尚もうながすように問い掛ける。

 ゲームの音にき消されそうな低い声で、女性店員の答えが返ってきた。



「たぶん女の子より、ひと回りぐらい年上の男性でした。わりとこう、派手な感じの身形みなりをした方です」




     ○  ○  ○




 山村夕子の消息を追いはじめて、三日目の朝が来た。


 この日は、スマートフォンのアラーム機能で目を覚ました。

 時刻は午前六時五〇分。

 ベッドから抜け出し、自分の部屋を出る。

 階段を下りて、リビングのドアを開けた。


 室内に入ると、隣接したキッチンに見慣れた家族が立っている。

 制服のブラウスとヴェストの上から、エプロンを着用した女子高生だ。

 髪は黒いセミロングで、目元が涼しい。


 妹の里奈だった。IHコンロの前で、朝食を作っている。


 私がダイニングテーブルの傍まで近づくと、里奈も私に気付いたらしい。

 手元のフライパンへ注いでいた視線を上げて、こちらへ一瞥いちべつくれる。



「おはようございます兄さん。今朝は早いのですね」


 里奈の口調は素っ気ない。

 とはいえ家族にも挨拶あいさつを欠かさないところが、律儀で真面目な性格を物語っている。

 私は、ひとまずテーブルの席に着き、その上に置かれていた新聞を広げた。

 昨日は野球が移動日だったので、スポーツ欄にも試合の結果は載っていない。


「なあリンダ」


「……リンダは止めてください、里奈です」


 私が考案した呼び名で声を掛けると、妹はいつも怒る。


 ちなみに愛称の由来ゆらいは、ハードボイルドミステリ作家ロス・マクドナルドの娘リンダだ。

 一昨日「リュウちゃん」と呼ばれた際、鏡峯と似たようなやり取りをしたような気がするが、かまわない。自分がやられて嫌なことを他人にするな、などというおきてはハードボイルドの世界に存在しないからだ。

 そんな綺麗事を『マルタのたか』のサム・スペードが聞いたら、嘲笑するだろう。


「安千谷夫妻はすでに出勤したのか、リンダ」


「父さんと母さんなら、ついさっき家を出ましたよ。あとリンダは止めてください」


 共働きの両親について訊くと、里奈は不機嫌に答えた。


 父母はそれぞれ、IT関連企業とデザイン会社につとめている。

 どちらも相変わらず、朝と夜の区別なく多忙そうだった。



 やがて里奈が朝食の皿を運んできて、ダイニングテーブルに並べていく。

 私のぶんまで用意してから、エプロンを外し、差し向かいの席に腰掛けた。

 妹は愛嬌あいきょうに欠けるところがあるものの、細かいことによく気が付く。

 例によって、良く言えば世話焼き、悪く言えば過干渉だ。



「兄さんは先日めぐみと会って、頼み事を引き受けたんですよね」


 里奈は、テレビのリモコンを手繰たぐり寄せ、電源ボタンを押した。

 地上波放送のチャンネルを替えると、情報番組が画面に映る。


「それでどうなんですか、あの子の件に関しては」


 里奈の問い掛けには、遠慮がない。


 探偵業の守秘義務については、少しも気に掛ける素振りがなかった。

 関心がないのか、あるいは知りもしないのかはわからない。それとも鏡峯を私に紹介したのが自分だから、特権的に調査状況を聞き出せると考えているのだろうか。


「まず依頼人について言えば、おまえに鏡峯のようなタイプの友達がいるとは思わなかった」


 私は、新聞を閉じ、コーヒーカップを口元でかたむけた。

 当たりさわりのない範囲で答えて、逆に訊き返す。


「中学時代からの知り合いだと言っていたな。昔からああなのか」


「知り合った当初について言えば、そういうわけでもありません」


 里奈は、顔だけ横へ向けて、有機ELテレビの画面をながめていた。

 手元では、シリアルの器に牛乳を注いでいる。器用な手捌てさばきだ。


「元々どちらかと言えば明るい服装を好む子でしたが、ああまで派手な格好をするようになったのは、やはり高校に進学してから仲良くなった人たちの影響が大きいのではないでしょうか」


「おまえが今通う高校には、鏡峯みたいなギャルはいるのか」


藤凛とうりん学園にはいませんよ。少なくとも、わたしが風紀委員長になってから、委員会に極端な着衣の乱れで処分を受けた生徒は存在しないはずです」


 里奈は、またしても愛想なく答える。


「そもそも藤凛と梓野西は、環境も生徒の種類も違いますよ。兄さんもOBなのだから、察しが付くでしょう」


「私が在校していた頃とは、必ずしも同じ状況とは限らないだろう」


 私はトーストをかじってから、それをコーヒーで胃の中へ流し込んだ。


 テレビの番組は、地域報道のコーナーから、レジャー情報を伝える内容に切り替わった。

 近日開催の野外ライブイベントについて、ロックバンドやボーカルユニット、ダンスグループなど、様々なアーティストが順に紹介されている。先月半ばから毎週一回放映されている番組内企画で、これが全六回のうち第四回目らしい。

 尚、ライブ会場は星澄市郊外のぎんの森、公演の日程は今月下旬の三日間だという。


 私はかつて田中聖亜羅が山村夕子と面識を得たのも、同様のもよおしだったことを思い出した。

 当初はSNSで知り合い、のちにライブ会場で接触した――鏡峯は、そう言っていたはずだ。



「めぐみから頼まれた案件自体に関しては、どうなんです?」


 里奈は、テレビの方を向いたまま、スプーンでシリアルを口の中へ運んでいた。

 有機ELの画面の中では、ライブに出演予定のアイドルグループが挨拶している。


「あの子が探しているという友達とは、もう一度連絡が取れるようになりそうなんですか」


「調査の経過から考えるなら、それなりに手応えは感じている」


 私は、とぼけた政治家のような調子で言って、再び具体的な回答はひかえた。

 実際にはまだ先行きはわからなかったが、それを正直に言うつもりはなかった。

 里奈はテレビを眺めつつ、器用にシリアルを食べ続けている。


「そうなのですか。めぐみの頼み事を引き受けてから、実質二日足らずしか経っていませんが」


「内容だけで言えば、それほど障害が多い事案ではないよこれは。ただハードボイルドの世界であれば、このあとマフィアかギャングかヤクザが登場して、いきなり脅しを掛けてきたり、私の命を狙いはじめるかもしれない」


「何ですかその物騒ぶっそうな話は。いったいどうして、そういうことになるんです?」


「大抵その理由がわからないから、小説なら謎が謎を呼ぶミステリ展開で面白いのだ。ひとまずチャンドラーの『長いお別れ』でも読んでみるといい」


 私は、サラダを咀嚼そしゃくして飲み込み、トーストを平らげる。

 テレビ番組のレジャー情報が終わるタイミングで、里奈はこちらを振り向いた。

 そのとき私はすでに席を立ち、リビングを出て、洗面所へ向かおうとしていた。


 だから会話は中断され、この場でそれ以上調査状況を追及されることはなかった。




 顔を洗って、歯をみがき、自室に戻って着替えを済ませる。

 いつもの服装で自宅を出て、JR明かりの園から電車に乗った。


 本日も片道一時間掛けて、隣町の藍ヶ崎大学まで通学する。

 一限に法哲学、二限に不動産法を、それぞれ指定の教室で聴講した。

 この日は三限にも外書講読の授業があるのだが、自主的に欠席する。


 午後からは星澄市内に引き返し、駅前のジェラートショップへ向かった。

 所定の時刻になるまで店内で待つと、ほどなく女子高生二人が姿を現す。



 通信制高校の生徒で、柏木翔馬から紹介してもらった少女たちだ。

 いずれも鏡峯や田中と同様、派手なメイクと服装のギャルだった。

 二人まとめて面会することにしたのは、田中聖亜羅のときと同じ理由による。

 私と初対面の少女が、念のために一対一になる状況を避ける配慮だった。


 尚、このギャル二人は、依頼人が鏡峯めぐみである事実を把握していなかった。

 柏木は気を利かせて、私が誰の意向で行動しているかを、伏せていてくれたからだ。

 今回の案件で初めて、鏡峯の名前が秘匿され、私は探偵らしく聞き取りにのぞんだ。

 事件の風評を無用に拡散しないためにも、おそらく意義のあることだった。



 店の新作ジェラートをおごると、彼女らは軽い調子で調査に協力する姿勢を示した。

 とはいえ二人共、それほど山村夕子に関して目新しい情報は持っていなかった。


 それどころか二人共、根本的に山村の消息を心配こそしていても、あまり深刻に受け止めてはいない様子だった。柏木翔馬も指摘していたが、友人が学校に来なくなるということは、通信制高校で珍しい事態ではないらしい。

 さすがにプライベートで連絡が取れないのは不可解だと感じているようだが、鏡峯めぐみほど山村の現状を気に掛けていないのは明白だった。



 このときのやり取りで唯一興味を引いたのは、ギャルの一人が「山村夕子と同じドーナツ店でアルバイトしていたことがある」という話だ。


 そのギャルは、スプーンでジェラートをすくいながら言った。


「もっとも夕子は、もう辞めちゃったけどねそこの仕事。たしか半年ぐらい前に」


 やはり半年前。

 当時、山村夕子に何かがあったことは、間違いなさそうだった。

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