第6話「調査対象の安否」

 通信制高校のギャル二人とは、午後三時過ぎに別れた。

 その後はジェラートショップから、喫茶店に移動せねばならなかった。

 午後四時からは、私の依頼人であるギャルと面談する約束だったからだ。


 一昨日も待ち合わせで使った店へ入ると、コーヒーを注文する。

 煙草たばこいながら黒い液体を飲み干し、おかわりを頼んだ。

 ウェイターが二杯目を運んできたところで、鏡峯めぐみが丁度入店してきた。

 昨日から今日に掛けての成果を、直接会って報告することになっている。


 鏡峯は制服姿で、学校の放課後にここまで真っ直ぐやって来た様子だった。

 ただし学校指定のタイはだらしなくゆるめられていて、半袖はんそでのシャツも着崩している。

 プリーツスカートは膝上丈に短くすそ上げされていて、太腿ふとももまで脚部が露出していた。

 耳元をピアスで飾っている他、手首にもシルバーのアクセサリを身に着けている。



 この日も紅茶とケーキを注文してから、鏡峯は直截にたずねてきた。


「それでどうなの、ここまでユッコのことを調べてみた感じは」


「柏木翔馬はともかく、君やその友人のようなギャルにばかり聞き取りしていると、まるで甘い食べ物を提供する店をはしごしている気分になる。気が滅入るな」


「いやそんな愚痴を聞くために呼び出したつもりじゃないんだけど……。あ、聞き込みで使った飲食代なら、あたしが半分支払おっか? こっちは頼み事を聞いてもらってる立場だし」


「……君は性格のいいギャルだが、ちょくちょく邪気なく探偵の矜持きょうじを折ろうとしてくるな。ハードボイルドの世界では、そんな甲斐性のない男は存在しないのだ」


「何それ。マジであんたって、よく意味わかんないんだけど。これでもあたし、地元のコンビニでバイトしてるから心配しなくてもちょっとはお金持ってるよ」


 やはりギャルとハードボイルドの世界では、価値観を共有することが困難なようだった。

 なぜ昨日から飲食代を経費として請求していないかを、いまだに鏡峯は理解していない。

 しかし私が想像している以上に、純粋な少女なのかもしれなかった。


 やがて紅茶とケーキが届くと、鏡峯は仕切り直すように言った。


「とにかくあたしの知らないところで、リュウちゃんがユッコの件で見聞きしたことを教えて」


「……わかった。だがリュウちゃんは止めてもらいたい」



 私は依頼人の要望に従って、昨日の調査で判明した事実を共有することにした。

 柏木翔馬をはじめ、通信制高校で山村夕子と交友関係にあった生徒から聞いた話。

 それに加えて、鏡峯や田中も出入りしていたという、アミューズメント施設で得た情報。

 山村夕子の電話番号を入手したことも、付け足して伝えた。


 鏡峯は、ケーキを大事そうに少しずつ食べながら、大人しく報告に耳をかたむけていた。

 そうして、ひと通り話を聞き終えたあと、フォークの先をくわえたままで眉根を寄せた。


「……駅前のゲーセンで、ユッコが年上の派手な男と一緒だったって。あの子にそんな知り合いがいるとか、全然聞いたことなかったんだけど」


 鏡峯が真っ先に食い付いたのは、「ゲームランドVEGA」で聞き出した情報についてだ。

 真偽のたしかさは別として、女子高生の山村が成人男性らしき人物と二人で行動していた、という状況に不穏なものを感じたのだろう。


「誰にでも、わざわざ日常会話では触れたりしないことぐらいある。むしろ話し相手が知らない人間のことを、互いのあいだに限定されるやり取りで持ち出す方が不自然だ。ましてや山村夕子は、私事を自ら語りたがる少女ではなかったのだろう。そうして君もまた、相手が自分から言い出さないことは、無理に訊かないのだと言っていたはずだ」


「それはまあ、そうかもしれないけどさあ……」


 私が述べた客観的な事実を、鏡峯は渋々といった調子で認めた。

 だが抗議してこなくても、納得も満足もしていないのは明らかだった。

 フォークをケーキの皿に置いて、こちらを恨めしそうににらんでくる。


「あんたは色々と手掛かり? みたいなのになりそうな話をあちこちで聞いてみて、今のところどう考えてんの。その、単にわかったことを言えってんじゃなくてさ。要するにね――あたしはユッコともう一度、昔みたいに連絡を取り合えるようになれそうだと思う……?」


 私は、答える前に内ポケットから、煙草のパッケージを取り出した。


ってもいいか」


「いいよ別に。ていうかあたしといるときは、いちいちかなくてもいいし」


 鏡峯は今どき珍しく、喫煙者に寛容な少女のようだった。

 私はありがたく煙草をくわえ、喫い口の反対側にライターで火を点けた。



「……ひとまず山村夕子の消息に関して、私が考えたことを順を追って話そう」


 おもむろに切り出すと、鏡峯は「うん」と言って先をうながしてくる。



忌憚きたんなく言えば依頼を伝えられたとき、私が真っ先に疑ったのは『山村夕子はすでに死亡しているのではないだろうか』ということだった。君に機嫌を損ねてもらいたくはないのだが、半年以上、それも年をまたいで七、八ヶ月ほども連絡が取れない、となると当然想定せねばならない可能性だろう。


 私が『電話に応答しない、メッセージアプリの返信がない、というような話か』とたずねたら、君は『そう』と答えて肯定したが、それでも短絡的に楽観はできなかった。

 例えば、仮に山村夕子を殺害した犯人がいたとして、その人物が彼女のスマートフォンを確保し、君からの着信をノーリアクションでながめている場合もあり得るからだ。


 一方、柏木翔馬は通信制高校のオンライン授業で、山村夕子が出席を取る際に『はい』と返事し、それは確実に本人の声だったと証言している。

 だがこれも、山村夕子の無事を担保する事柄というには、少々頼りない。

 授業中にリアルタイムでしゃべっているを聞いたというわけではないし、ごく短い『はい』のひと言なら、過去に録音しておいた音声を流す、という方法で彼女になりすますことができる。


 また、山村や柏木が在籍する通信制高校では、入学時にタブレットの購入が義務化されているそうだ。これをもしスマートフォンと同様に第三者が押さえているとしたら、ビデオ通話アプリで山村に擬態ぎたいすることはいっそう容易になるかもしれない。ログイン時に使用するパスワードを、直接PC本体に保存している状況があり得るだろうからな――……」



「ちょ、ちょっと待ってよ!? あんた、本気でそんなこと考えてんの?」


 私の推論を聞いているうち、鏡峯はやや蒼褪あおざめた顔になって叫んだ。

 喫茶店の中に響き渡るほどの声で、他の客が幾人かこちらを振り向いた。

 さすがに鏡峯も周囲の視線にすぐ気付いて、居心地悪そうに身を縮める。

 それから、感情のたかぶりを抑え込むようにして、先を続けた。


「だから、そのぅ――ユッコの身に何かあって、もう死んじゃってるかもしれない、なんてことをさ……」


「現時点までに得た情報を踏まえた上で、あらゆる可能性を排除するわけにはいかない。すでに山村夕子が死亡している、という仮説もそのうちのひとつに過ぎない。無論生存の見込みもないとは言わない」


「だ、だけどさ!! そんなこと今まで、ひとつも言わなかったじゃん。もし、ユッコがなんか危ない目にっていて、マジであんたが考えてるようなことになってるとしたら、もっと急いでどうにかしなくちゃいけないんじゃ」


「いや、その必要はない。というより正確に言えば、おそらく今更あわてたとしても意味がない」


 私は、煙草を口元から離し、煙を吐き出して言った。


「行方不明者が生命に関わる危険な状況に巻き込まれていた場合、基本的に最初の二、三日程度が生死を分ける分水嶺ぶんすいれいだと言われている。事件性がない場合なら、家出した人物などは大抵、二週間程度で自宅に戻ってくるそうだ。連絡を取れなくなってから半年以上も経過している場合については、最早あせったところで生き死にの結果自体をくつがえせない。山村夕子の安否に関して、今まで率直なところを言及してこなかったのも、それが主な理由だった」


 鏡峯の反応をうかがうと、口をつぐんで呆然としているように見えた。

 現実を突き付けられ、感情の行き場を見失っているのかもしれない。

 私は、灰皿を手繰たぐり寄せ、その縁の上に喫いさしの煙草を乗せた。


 そろそろ鏡峯めぐみは、この件との向き合い方を、彼女なりに決めるべきだった。



「ところで実は今、山村夕子の安否を手っ取り早く確認できるかもしれない手段がある」


 私は、自分のスマートフォンを取り出して言った。

 電話帳のアイコンをタップし、一覧の「や」行から「山村夕子」の名前を選ぶ。

 柏木翔馬から聞き出した番号を画面に表示し、鏡峯の方へかかげてみせた。


「すでに報告した通り、私は山村夕子の電話番号を入手している。メッセージアプリの通話機能を使用するのではなく、普通に電話を掛ければ、こちらの呼び出しを受ける可能性がある。電話番号は特定の店やWebサービスで会員登録する際をはじめ、公的に身元を示す必要がある場合などで、山村が自発的に個人情報を提供していることも少なくない。


 だから知らない相手からの着信でも、確認のために応答するかもしれない。ただしこちら側の電話番号を山村が知らず、また君の関係者であると露見しない限りにおいて、おそらく一度だけだろうが。同じスマートフォンで二度は通話できない。柏木もすでに山村側に自分の電話番号を知られているせいで、連絡を取ることはできなくなっていた」


「……もしかしてリュウちゃん、そのために電話番号知りたがってたわけ?」


「目的のひとつとしてはそうだ。ただそれはそれとしてリュウちゃんは止めろ」


 ここへ来て電話番号の用途を伝えると、鏡峯はかすれ声で問い掛けてきた。

 猫のような瞳が、おびえたように私を見ていた。やり取りの中で次々と面持ちが変わる有様は、いささか滑稽にも感じられる。だが私には笑う気になれなかった。



「君には現在、二つの選択肢がある」


 私は、故意に感情を消して言った。


「ひとつは、山村夕子に電話するのは止めろと、私を制止するという選択だ。ただし君がそれを望むのならば、この件に関する私の調査もここで打ち切りにしようと思う。我がハードボイルド同好会は活動実績を作る機会を逸し、山村夕子の安否も不明なままになるが、この際仕方ない。


 一方で善かれ悪しかれ、君は真実を知ることから逃れられる。私はそれを否定しない。いずれ山村夕子のことを忘れられれば、平穏な女子高生生活を続けられるだろう。かつての友達一人を失い、誕生日のお返しもできなくなるという不義理な結末になるかもしれないが、君にとっては幸せなことかもしれない。元々連絡を寄越よこさなくなったのは山村夕子の方だったのだし、彼女の消息がわからないままでも、誰も君を責めないだろう」


「……じゃあ、もうひとつの選択っていうのは、あんたが電話するのをだまって眺めてること?」


「その通りだ。それによって山村夕子が呼び出しに応じれば、安否を確認できるかもしれない。あるいはそうならないかもしれないが、こちらを選択するなら私としては調査を継続したい。

 だから君が山村夕子の消息に固執するなら、このまま私に電話を掛けさせるべきだろう。

 ……しかしその場合も、君には強く警告しておかねばならないことがある」


 そこでいったん言葉を切って、私は灰皿へ手を伸ばした。

 煙草を指ではさみ、また唇で咥え、ゆっくりと煙を吸い込む。


 そうした私の所作を、鏡峯は神妙に見守っていた。


「仮に電話が通じて、山村夕子の無事が判明したとしよう。そうすれば当然、最悪の想定は回避されたことになる。だが無事だったからと言って、それで望ましいハッピーエンドが約束されるとは限らない。


 半年以上も君からの連絡に応じなかった彼女は、すでに君の知っている山村夕子ではないかもしれない。再び連絡を取り合えるようになっても、かつての友情を取り戻すことはできず、今の彼女に幻滅する可能性もないとは言えない。私が真相にたどり着くまで調査を続けた結果、君は知らなくてもいいことを知り、負わなくてもいい心の傷を負ってしまうかもしれない。それでもかまわなければ、私はこの番号に電話を掛ける」


「何それ。あたしのこと、おどしてんの?」


「そういうつもりはない。謎をあばくという行為がどういうことかを、事前に伝えているだけだ。もっと言えば、仮に私が自分のサークルの実績作りについてだけ考えているのなら、いちいち君にこんな断りなど入れない。さっさと山村夕子に電話を掛けて、その結果依頼人が何を感じようが無視してしまう」


 私はやはり、鏡峯が指摘する通り、偽物の探偵なのかもしれなかった。

 本物のハードボイルドの世界において、主人公は自分の利益を守るためなら、より残酷な判断を辞さない、という意見も存在する。ダシール・ハメットが描く探偵像に比べれば、私は遥かにやり方が甘い。



 鏡峯は再度、口を噤み、幾分うつむいた。


 会話が途切れたところで、私は何気なく喫茶店の出入り口を眺めた。

 若い男女や中年の夫婦、老紳士など、想像していたよりも様々な層の客が来店して、あるいは去っていく。ここでしばらく人間の動きを観察していると、社会や人生の縮図を見出したような錯覚におちいりそうな気がする。


 私は、そのまま煙草の残りを灰にするまで待った。


「……わかった、いいよ。ユッコに電話しなよ」


 鏡峯は、意を決した様子で顔を上げた。


「ていうかズルいよリュウちゃんは。ここまで来て、今更引き下がれるわけないじゃん」


「君の意志は理解した。しかしリュウちゃんは止めろ」




 私は鏡峯の許可を得て、スマートフォンを改めて手に取った。

 山村夕子の電話番号を画面上でタップし、本体を耳に当てる。

 尾を引くような呼び出し音が、受話口から聞こえはじめた。


 ゆっくりと間延びしたテンポで、無機質なコールが鳴っている。

 一回……二回……。


 鏡峯は、居住まいを正して、私の耳元にあるスマートフォンを凝視していた。


 コールは尚も続く。

 三回……四回……五回……。


 そのあと一瞬、間を挟んで、呼び出し音が途切れた。



<――はい、もしもし? どちら様ですか>


 呼び出しに応答があった。

 受話口に出たのは、若い女性だった。

 柔らかく、透明感のある声音だ。


 私は、迷うことなく返事した。




「こちらは宅配サービスの『ホシマチ運輸』です」




 差し向かいの席で、鏡峯が猫のような瞳を見開いていた。

 私の言葉を耳にして、完全に意表をかれたようだった。

 しかし私は、かまわず続けた。


「恐れ入りますが、山村夕子様でしょうか。送り主のネット通販会社Amandaアマンダ様から、お届けの品が一点ございます」


<……えっ? ……あ、はい。Amandaの、ですね?>


 受話口の相手は一瞬、当惑したような声を発した。

 だが何某なにがしか心当たりがあった様子で、こちらに訊き返してきた。

 しかも自分が山村夕子であることを、率直に認めたようだった。


 僥倖ぎょうこうだ。私は間を置かず、たたみ掛けて芝居を打った。


「もうすぐそちらへ配達にうかがう予定ですが、配送先として指定のご住所を確認させて頂いてもよろしいでしょうか。お手数をお掛けして申し訳ないのですが、運搬中に送り状の文字が一部分かすれて、読み取れなくなってしまいまして」


<はい? うちの、住所ですか?>


「そうです。えーと、星澄市内ですよね」


<ええ、そうです>


「星澄市、平伊戸……?」


<はい、平伊戸です>


「以下は印刷の文字が少し汚くなっているのですが、たぶん次は数字で、一か、二か……」


<あ、四だと思います。四丁目なので>


「なるほど、失礼しました。そのあとの番地なども頂戴ちょうだいできますか」


<はい、四丁目七番地メゾン平伊戸二〇二号室です>


「星澄市平伊戸四丁目七番地メゾン平伊戸二〇二号室の、山村夕子様でよろしいでしょうか?」


<そうです。あの、ところでお聞きしたいのですが、送り状の品名は何と――……>


 受話口かられる言葉を聞き終わるより早く、私はスマートフォンの通話を切った。

 山村夕子の電話番号は、その場で手早く着信拒否に設定してしまう。


 鏡峯は、まだ唖然とした表情でこちらを見ていた。



「よかったな。どうやら山村夕子は無事に生存しているようだ」


「……あ、いや。それはなんかこっちにも伝わってきたけど――」


「山村の住所だが、星澄市平伊戸四丁目七番地メゾン平伊戸二〇二号室で間違いないようだな。これで彼女と直接接触できる算段が付いた」


 新たに入手した情報について、私は今一度繰り返した。


 ところが鏡峯は、まだ事態をみ込めず、慌てふためいているようだった。

 半ばテーブルの上へ身を乗り出し、抗議するような調子でまくし立てる。


「ちょっ、ちょちょちょっと待ったリュウちゃん!! ていうか何なの今の!? どういうことだかまるっきり意味わかんないし、こんなの全然聞いてなかったんだけど!」

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