丁々発止、とても良い

 鎧武者が槍を振るえば、その勢いが風となる。風は蘭学女中メイドの髪を撫で、長い黒髪が風に舞った。


「くっ!」


 前髪に視界を遮られた一番が、怜悧な顔から罵声に近い音を漏らした。忍者はそのさまを見ながら、あざけるように声をかける。


「視界が邪魔そうでござるな。切って差し上げるでござるよ」

「お断りですね。【ご主人さま】の趣味でもありますので」

「おや。【ご主人さま】は、とんだ変態でござったか」

「貴様!」


 忍者が一番を、そしてまだ見ぬ【ご主人さま】を嘲る。しかし、ただ無計画に嘲っているわけではない。彼が仕掛けているのは心理戦だ。挑発し、かき乱し、精神的な隙を探しているのだ。


「骨をも残さぬとはすでに決めている。だが、貴様についてはなにもかも残してやらん。客として来たことさえも、記憶に留めてやらぬこととする」


 しかし一番を名乗る彼女に、乱れはなかった。否、怒ってはいる。怒りに煮えたくってはいる。だが、その体さばき、武具の扱いには一糸の乱れもないのだ。

 怒りで早くなることも、感情の紛れで遅くなることもない。あくまでも均一に、滑らかに、彼女は動いていた。


「光栄でござるな。なんとしても押し通りたくなったでござるよ」


 滑らかな彼女への驚きを、忍者は口にもしないし顔にも出さない。出してしまえばそれは相手への崇敬となり、敵わぬと認めることになる。あくまでも彼女を打ち破るのが、己の使命への一歩だった。


「はっ!」


 ゆえに彼は、再び分身を使う。一対一では少々手に余る相手には、これを使うのが一番手っ取り早かった。三つ、五つと分かれるように動きを早め、波状攻撃をもって一番へと襲い掛かる。


「なんの!」


 しかし彼女もさる者だった。ほうきで、仕込み靴で、巧みに攻撃を受け流す。その度に鈍い音が上がり、細かい傷が互いに生まれていった。


「くうっ!」

「ぬうっ!」


 互角を悟った二人が、距離を取って息をつく。一番は、冷静な頭で考え込んだ。時間制限。五分身に代表される、相手の手数。自身の運動量。どう見繕っても、自分のほうが徐々に不利になるのは明白だった。

 ならばもう一人を呼び付けるか。彼女の脳裏に、選択肢が浮かぶ。しかし直後に打ち消した。なぜなら――


「ふんっ!」


 一番は近場の火器を手に取った。蘭学機関銃である。彼女の冷静さは、彼女の自律によるものである。今の彼女とくつわを並べるというのは、彼女の自律に付いてこられることが最低限となる行為だった。彼女が見る限り、それをなし得る蘭学女中は皆無であった。ならば、自分でやるしかない。


「薙ぐ!」


 蘭学機関銃を横薙ぎに振り回し、一番が動いた。分身、そして忍者本人に向けて次々と弾丸をぶちまけていく。まさに火力。物量の雨。しかし忍者は、巧みなステップで抵抗し、銃弾の露と消えるのは分身ばかりであった。


「くっ!」


 それでも一番は揺るがない。忍者が一人に見えるや否や、蘭学脇差ナイフを手に突っかかった。右、左。上、下。丁々発止のさばき合いが、またしても始まった。


「イッ、ヤッ、ハッ!」

「ぬんっ! せやっ! くうっ!」


 両者の叫びが交錯し、蘭学脇差とクナイがぶつかり合う。やがて両者ともに息を止め、ペースを上げ、互いの致命点を狙って技を放ち合うようになった。その分動きは大きくなり、仰け反り、下がり、下がったところに足技が飛び、転げる勢いで後転して距離を取り、と、目まぐるしい攻防が繰り広げられていく。永遠と続けられるかとさえ、錯覚するような攻防。だが。ああ、しかし。


「せりゃーっ!」


 それでも、それでも一対一の戦いでは忍者の方に分があった。その差は、男女という如何ともし難いものであったかもしれない。しれないが、それでも最後に渾身の蹴りを食らわせたのは忍者だった。仰向けに転ぶ一番の左胸に、クナイを押し当てる。


「降伏するでござるよ。拙者も、無体はしたくないでござる」

「お断りですね。敗北は、死をもって償うのみ」

「……」


 忍者は、一番の目を見た。【心通し】を使わずとも、彼女の目から全てが伝わって来た。ここで情けを掛ければ、いずれ己が同じ目に遭う。はっきりと、未来が見えた。


「ならば、逝くでござる」


 忍者は努めて、目の色を消した。それが生死を懸けて争った相手へ贈る、彼なりの礼儀であった。

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