第十七話 正しい邪魔

 ドゥールイズはアリスの事が嫌いだった。

 アリスの事を気にしなければいいだけの話だった。しかしどうしても彼女はドゥールイズの視界に入って来た。


 ある時、クラスの女子たちとアリスが会話しているのを離れた所でドゥールイズは耳にした。


『アリスの髪はくせがすごいけど、良く見るときれいだよね』

『えへへ、そう言ってもらうと嬉しいな。ママがしてくれたみたいに、毎日ブラッシング欠かしてないからね!』


 自慢げに語るアリスの声に、ドゥールイズは思わず反対方向に走り出してしまっていた。


(私なんか、私なんか……、誰にも髪を梳いてもらったことなんて無いのに! こんなに頑張っても、誰も見てくれないのに!)


 ドゥールイズはアリスが羨ましかった。

 何も持っていない、何もできない、何もかも自分より劣っているアリスなのに、羨ましくて仕方がなかった。



「――止めましょう、トーリオ」


 ドゥールイズがかけた呼びかけにトーリオの肩が跳ねた。トーリオの肩越しに、排出装置の前でアリスが煙突掃除を行っている姿が見える。


(相変わらず光るのは変わらないのね……変なの)


 昔から変わらないアリスの作業風景にドゥールイズはわずかに目を細めた。


「アンタ、なんでここにいるんですか」


 低く地を這うような低い声に、ドゥールイズはそちらに視線を向ける。視線の先には突き刺すようにこちらを睨みつけているトーリオがいた。

 トーリオが驚いたのも無理はない。今頃ドゥールイズはトーリオが指示した魔力導管の元で、バルブを操作しているはずだったのだから――。


「やっぱりこんなことやめましょう。私はこのままメゾン・スムース社を立て直してみせる。あなたはこのままマツノで働き続けた方が幸せよ。だから、もうこんな犯罪みたいな真似は――」

「日和るんですか?」


 ドゥールイズの言葉をトーリオの低い声が遮った。


「お嬢さん、なんか勘違いしていません? 俺は会社とか不正とか、そんなのどうでもいいんですよ。全部アイツの……」

「『アイツ』?」


 ドゥールイズに聞き返された途端、トーリオの目がカッと怒りに見開かれた。トーリオは勢いよく丸ブラシを投げ捨てると、そこに布があるのすらもまどろっこしいとでもいうように乱暴に作業着の胸ポケットをまさぐりだした。


「くそっ! どいつもこいつも邪魔しやがって!」


 興奮するトーリオが取り出したのは、小さな小瓶だった。中にはきらきらと美しくきらめく粉が詰められている――ダストだ。

 その粉の正体がダストだと気づいた瞬間、ドゥールイズは背筋が凍った。


「そ、そんなの使ったら……っ」


 トーリオが今から何をしようとしているのかがドゥールイズには手に取るようにわかる。ドゥールイズの足は震えるよりも早く駆け出していた。


「こんなの、全部ブッ壊してやる……!!」

「――アリスっっ!!」


 トーリオは高く腕を振りかぶった。


◆◆◆


「終わりましたか?」


 背後の気配にセオは笑顔を作り、ゆっくり振り向いた。


「お早いですね。まだ終了予定時刻にはだいぶありますよ」


 セオの言葉に一瞬たじろいだのはフェイスだ。確かに事前に告げられていた終了時間にはかなり間がある。だがフェイスもある程度の“返し”ができるほどには、社会経験を積んできている。


「善は急げ、と思いまして。終了確認のサインをお待たせしてはいけないでしょう?」

「急いては事を仕損じる、ともいいますよ。それにサインだけではなく、実際に見て回るのですから全部終わらなければ動けませんよ」


 フェイスの噂通りのせっかちさに、困ったように眉を下げたセオだが、当の本人はその言葉に怪訝な表情を浮かべていた。


「『全部見て回る』? これまではした事がありませんでしたよ……」

「したことがない? 法令で決まっているので必ず行うはずですよ」

「いや、無かったはず――」


 セオとフェイスが同じ答えに辿り着き、顔を見合わせた瞬間、元気な声が二人の間に飛び込んできた。


「おーい、前半終わったよ。ったく、雑・ザツ・ざつ〜! 前の業者の仕事が雑なんだよ! あー、くたびれた」


 苛立ちを隠しもせず戻ってきたリュゼは、セオと並んで立つフェイスの姿をみるなり意地の悪い笑みを浮かべた。


「お、せっかちボンボンじゃねぇか。ああ、今は取引先の副社長様でございますね。失礼いたしました〜」

「リュゼ、やめないか。申し訳ありません、フェイスさん」

「いえ、こちらこそその節は……」


 セオはフェイスをからかうリュゼをたしなめた。どうやらアリスの一件で、リュゼの中ではフェイスが“敵認定”されたらしい。


 リュゼはフェイスと顔を合わせたくないと今日も渋っていたが、作業終了後にすぐ帰って良いということで納得させたのだ。


 だが、言い返すかと思ったフェイスはリュゼの悪態に苦笑いするだけだった。セオがもう一度謝ろうと口を開きかけた、その時だった――。


 ドンッ、と短い地響きが聞こえたあと、すぐにバリバリバリッ……と何かが引き裂かれるような激しい音が響いた。


「何の音だ?」

「奥から聞こえた。あっちで作業しているのは……」


 セオとリュゼが顔を見合わせる。二人の顔からすっと表情が消えた。


「――セオ、あたしが行く!」

「僕も行く」


 同時に駆け出した二人をフェイスも追った。一人、呆然とするオーリオを残して――。


「あっちにいるのはアリスと、トーリオ……?」



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