第十六話 悲しい煙突

 ダイジナ社の休業日に合わせて行われた定期煙突掃除。

 魔導煙突掃除は通常二人一組で行うことになっている。今回アリスはトーリオとペアで作業にあたることになった。トーリオはメゾン・スムース社時代にダイジナ社の煙突掃除を行ったことがあるらしい。


「雨ですねー」

「そうだね。晴れの日よりダストが眩しくなくていいけど」


 持ち場に向かいながらアリスはトーリオに話しかけた。窓からは厚い灰色の雲と、いつもより鈍く輝くダストが流れているのが見える。


 トーリオはオーリオとは正反対の性格をしていた。陽気ではつらつとしたトーリオはすぐに馴染んだように見えた。だが、オーリオの話を聞こうとした時だけは違った。


(何気なくツミさんがオーリオさんの話を振ったんだっけ。それまで笑顔を見せていたトーリオさんの表情が一瞬で曇って……。トーリオさんはすぐに笑って『普通の兄弟でした』と答えていたけど、あれはちょっと怖かったな)


 そんなことを考えているうちに持ち場に到着したらしい。トーリオが預かった鍵を使ってドアを開けようとしている。


「ここ、あんまり人が来ないところなんでしょうか……」


 アリスがそう思うのも無理はない。持ち場として指定された排出装置の置かれた部屋はフロアのだいぶ奥にあった。ドアにはうっすら埃がつもり、太陽の光が届かないせいか不気味な雰囲気を放っている。


「定期清掃のシールもはがれそうになっているし……」


 そう言いながらアリスが壁に辛うじてくっついている三角のシールに手をかざそうとすると、さっと脇から伸びてきた手がそれを遮った。ハッと顔を上げたアリスに、トーリオはにこっと笑って答えた。気づけばシールはすでに彼の手の中でくしゃくしゃになっている。


「はい、お先にどうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 有無をいわせないトーリオの雰囲気に、アリスは喉まで出かけた疑問を飲み込み、丸ブラシの柄を握りしめながら部屋の中に入った。


「――っう、あつ……こ、これは?!」


 薄暗い部屋の中には異様な熱気が漂っていた。全身に熱気を浴びたもののアリスの身体には一気に鳥肌が立った。アリスはこの熱気をかつてジョルナンデ家で体験している。


「トーリオさんっ、この煙突危ないです! 私、見てきます!」

「うん? うわっ、本当だ!?」


 慌てて声を上げるとトーリオも同じように異変に気付いたようだ。アリスはすぐに排出装置に近づき、魔力を繋げる――が、アリスの意識が煙突の中で見た光景は信じられないものだった。


「――っ! ト、トーリオさん……! おかしい、おかしいです、この煙突!」

「落ち着いてアリスちゃん。おかしいって、ただの詰まりじゃないってこと?」


 すぐに意識を戻したアリスは、トーリオに見てきたものを伝えようとごちゃごちゃする頭の中を一生懸命言葉にした。


「あの、詰まっているんです! もうずっと放置されていたような、苦しくて、ぎゅうぎゅうに絡まっているんです!」

「……かなり危険な状態ってことか」


 アリスの言葉を聞き、トーリオは難しい顔で眉を寄せている。アリスは一刻も早く何とかしたい気持ちでドアに向かって駆け出した。


「誰か呼んできます。もし何かあっても私はフォローしきれませんっ!」

「待って、アリスちゃん!」


 だが駆け出そうとするアリスの腕はトーリオによって引き留められた。振り向くと真面目な顔のトーリオがアリスを見つめている。


「いや、アリスちゃん。君がやるんだ」

「え?」

「少しでも早く作業を開始した方が良いだろ。それに君だってもう一人前の魔導煙突掃除人じゃないか。前も同じ状況の煙突掃除を経験しているって報告書を見たよ」

「それは……リュゼさんが――」


 アリスの心は揺れた。

 アリスだってできれば自分の手でダストを流してあげたい。ジョルナンデ家の後にも何度も魔導煙突掃除を行ってきた。誰かの手を借りたのはあの一件だけだ。出来ることなら早く一人前の魔導煙突掃除人として認められるようになりたい。


(もし、このレベルの詰まりを流すことが出来たら……みんなは認めてくれるはず。私はドゥールイズみたいに優秀じゃないし、リュゼさんやオーリオさんみたいに技術も魔力も強くない。でも、もし上手く行かなかったら……)


 迷っているアリスの心の中を見透かしたように、トーリオの掴む腕にギュッと力がこもった。


「大丈夫、危ないと思ったらすぐに戻ってきていいよ。いざとなったら俺がフォローするから。俺の方が実務経験で言えば先輩だしね」


 優しい口調でアリスを励ますトーリオの声はオーリオに似ていた。その声がさらにアリスの背中を押す。


「君の実力ならできるはずだよ」


(私の実力……)


 アリスの脳裏に浮かんだのはフェイスの顔だった。ジョルナンデ家ではフェイスに止められたことで煙突掃除が完遂できなかった。もし止められなければ、アリスだって成功させられていたかもしれないのだ。


「わかりました……。いざというときはお願いします」


 アリスはかちゃりと眼鏡をはずした。ダストをちりばめたような瞳にわずかに驚いたようなトーリオの顔が映る。

 異様な熱を放ちながらも静かな排出装置に、アリスは丸ブラシを自分の前に立て向き合った。


「早く、詰まりを取ってあげないと……。アリス、行きます……!」


◆◆◆


 アリスの声が聞こえ、再び室内には異質な静寂が訪れた。アリスの身体は淡く光り始め、魔力を使い始めたことがわかる。


 一人残されたトーリオは驚いた表情のまま光るアリスを見つめていた。しかし徐々に肩が揺れ始める。


「何これ、光ってる……。フッ、ク、ククク……いや、光るなんてありえないでしょ……ハハ、アハハハハッ!!」


 初めはこらえようとしたのだろう、しかし耐え切れずに噴き出したトーリオは、声を抑えようともせずに高らかな笑い声を上げた。


「さて、と。そろそろ止まるころかな」


 そう言ってトーリオは部屋についた小窓から外を見た。雨は依然降り続いている。

 

 トーリオがドゥールイズに出した指示はごく簡単なものだった。


『俺が魔力導管の場所を教えます。そこにあるバルブをちょちょっといじればいいだけですよ。もちろん魔力は必要ですけど、成績優秀なお嬢さんになら簡単な作業です』


 トーリオの計画、それは魔導煙突掃除の作業中に魔力の供給を止めるというものだ。魔力導管は頃合いを見てまた開けば良い。

 社員のいない社屋。マツノの他の社員は別の導管のラインに持ち場を設定している。そのため、ここで起きた“事故”には誰も気づきようがない。


「魔力の供給を止めれば死んじゃうかもしれないけど、一番手っ取り早い“事故”だからさ。ごめんねアリスちゃん。君が一番真面目で、一番馬鹿そうだったんだよ」





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