第十二話 ご指名頂きまして
ダイジナ社との契約は無事に締結された。煙突のマツノは主にダイジナ社の社屋と関連工場の定期煙突掃除を任されたらしい。
ただそれはメゾン・スムース社のような大企業ならまだしも、煙突のマツノのような小さな事務所では明らかにキャパオーバーな内容だった。
アリスは新人として業務量の加減をしてもらっているが、先輩であるオーリオやリュゼは毎日朝から晩まで働きどおしになってしまっている。
「――だからさぁっ、言ってんだろうが! 社屋だけで大小合わせていくつ煙突があると思う? ざっと百はあるだろうが。他の仕事もあるんだよ? それをあんたは一体何人で回そうと思ってるんだい?」
「僕も入れて四人だよ。僕と君、そしてオーリオとアリスの――」
「あたしらを殺す気かいっ!?」
事務所上に居室を借りているアリスは、その日部屋を出た瞬間、リュゼの怒鳴り声に吹き飛ばされそうになった。
「お、おはようございます……。ツミさん、いったいこれは?」
「おはよ~。う~ん、リュゼちゃんとセオくんがちょっと揉めてて~……」
階下の事務所では、社長のセオにリュゼが詰め寄っている。真っ赤な髪が怒りで燃えているように見えるが、その顔には覇気がない。うっすら目の下が黒くなっているようにも見える。
「ちょっとじゃないでしょ、これは」
呆れたような声とともにアリスの後ろからやって来たのはオーリオだ。あくびをかみ殺しながら立つオーリオも、まるで登山でもしてきたばかりのように気だるげだ。
「リュゼさんの言うことも最もなんだよ。だいたい忙しすぎてあいつを探すこともできないし……」
(あいつ?)
アリスがオーリオに声をかけようとした瞬間、ドンッ、と机を叩く音が響いた。音の主はリュゼだ。
「みんなあんたとは違うんだよ……。だいたい、無尽蔵に魔力が湧いて出るような特殊体質と一緒にするんじゃねぇ。あたしはどうでもいい。あの子らの負担だけはちゃんと考えろ」
「それは……」
リュゼの声は絞り出すような悲痛なものだった。セオも黙ってリュゼを見つめるばかりで、対峙する二人の間に流れる空気には誰も触れてはいけないような雰囲気すら漂わせている。
誰もが息を飲んで行く末を見つめていたが、セオが深くため息をついたことで、この争いの決着がついたことがわかった。
「わかったよ……。少し調整してもらうか、人を増やすか考える……」
「初めからそうしとけ。昔からセオは見通しが甘いんだよ」
「うん、ごめんね。リュゼ……」
「ふんっ……」
フイっと顔を背け、自分の席に向かうリュゼを困ったような笑みで見送りつつ、セオは事務所入り口で立ちすくんでいるアリスたちに、何もなかったかのように声をかけた。
「さてと、みんなおはよう。お待たせしちゃったね」
「おはようございます……」
「おっ、おはようございます!」
いつものように席に向かうオーリオに続いて、アリスもおそるおそる席についた。隣の席のリュゼはブスっとふくれっ面で、面白くなさそうに椅子の上にあぐらをかいている。
そうこうしているうちにツミがスケジュール表を全員に配り始めた。しかし、アリスの元にやって来たツミはアリスに何も渡さなかった。
不思議に思ってアリスがツミの顔をみると、砂糖菓子のような笑みのツミが楽しそうに口を開いた。
「あのねぇ~、アリスちゃんは別の仕事があるのよ~。“お・と・ど・け・も・の” よ!」
◆◆◆
「アリスさん、お久しぶりね!」
「お、お久しぶりです、奥様……と、副社長……」
「ふんっ。よく来たな」
「……こちら、マツノから預かって参りました」
アリスが向かったは、忘れるはずもない、あの“ジョルナンデ家”だ。
『ジョルナンデ家の煙突掃除の今後の予定表を送ると言ったらね、ぜひ君に持って来て欲しいってことだったんだよ』
と、セオから封筒を渡されたアリスに拒否権はなかった。
――しかしだ。
(奥様は良いとして、問題はこの副社長よ……。私を目の敵にして、嫌味ったらしいったらありゃしない……)
ジョルナンデ夫人の後ろには用心棒のようにフェイスが立っていた。「よく来たな」というのも、歓迎の意味ではない。「面の皮の厚いやつめ」と同義だろう。
(奥様に書類を渡したらすぐに事務所に戻ろう……。早く戻れば私も何か仕事を手伝えるかもしれないし)
当初はそう思っていたアリスだが、そうは問屋が卸さないものだ。
「待って待って、すぐ帰っちゃうと困るのよ」
ジョルナンデ夫人は事務所に戻ろうとするアリスの腕を取ると、同じようにもう片方の手でフェイスの腕を取った。
「実はね、頼んでいた荷物を取りに来て欲しいらしいの。私、オーブンを見ていないといけないから、二人にお願いしていいかしら」
「ええっ!?」「お祖母様っ?!」
同時に声を上げた二人は思わず顔を見合わせた。アリスは明らかに気の乗らない顔をしてしまったが、フェイスの方もあからさまに嫌そうに顔を歪ませている。
絶対に避けたいイベントに、アリスは必死に声を上げた。
「私だけで――」「俺だけで――」
再び重なってしまった二人の声に、ジョルナンデ夫人は楽しそうに笑い声を上げたのだった。
「まあっ、息ぴったり! ほら、仲良しさんたちっ。どうかよろしくね!」
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