第十一話 依頼人の感じが悪い

 濃い栗色の髪は以前ジョルナンデ家で会ったときのラフなものではなく、いかにも青年実業家という雰囲気にぴっしりセットされ、青い瞳がばっちり見えている。


「副社長のフェイス・ジョルナンデです」


 そう言ってセオに丁寧に頭を下げたフェイスはアリスにぎゃあぎゃあ文句をつけていたせっかちな彼とは別人のようだった。


「社長が不在の間、私が責任者となっています」

「そうでしたか。煙突のマツノ社長のセオ・マツノです。どうぞセオと呼んでください」


 セオの柔和な笑みに先ほどからの殺伐とした空気が解れていくのがわかる。フェイスの肩がふっと下がったのは、緊張で身体が強ばっていたせいなのだろう。


「この度はわが社との継続契約を受け入れて下さって感謝いたします」

「こちらこそ。うちみたいな弱小事務所と契約を結んでくださるなんて、初めは何の冗談かと思いましたよ」


 そこでアリスはようやく今日の訪問の理由を知ることとなった。先ほどドゥールイズのメゾン・スムース社と解約のやり取りを聞いたばかりだ。煙突のマツノは、その後任に選ばれたということなのだろう。


(そんな大事な場面に私が来る必要あった……?)


 アリスは青ざめながら隣のセオを見上げた。だがセオは相変わらず笑みを浮かべたまま、静かに頷くだけだった。

 だがそこで口を挟んだのはフェイスだ。


「なんだ? 信じられないとでも言いたいのか?」


 とんだ被害妄想だ。

 アリスが思わず瓶底めがね越しにフェイスを見ると、彼はお決まりの仏頂面でこちらを見ていた。そんな顔をされたら、アリスだって自然と眉間のしわが深くなる……。


 我慢できずにアリスは隣のセオに耳打ちした。


「……申し訳ないけど、かなり嫌な感じですね」

「おい、聞こえてるぞ!」

「へへ……それはすみませんでした」


 間をおかず返ってきた声に、アリスは曖昧な笑みで適当に謝っておくことにした。


◆◆◆


 責任者同士の話は淡々と、しかし要点を抑えた無駄のないものだった。話の切れ間を見計らってメアリが運んできたお茶をすすっていると、おもむろにセオがアリスに問いかけてきた。


「そういえば、アリスは彼女と知り合いだったんだね」


 セオの指す『彼女』がドゥールイズのことであるのはすぐにわかった。フェイスも動きを止め、アリスの回答を待っているようでもある。


「……はい。学園の同級生だったんですけど、とても優秀で……。私なんか足元にも及ばない、って感じで……」


 アリスと違い何につけても優秀だったドゥールイズが、なぜ当時から自分に絡んできたのかは今もわからない。正直言って好きではない人物だが、苦しい状況に置かれている姿を見るのは気持ちのいいものではなかった。


(あんなに必死なドゥールイズ、これまで見たことなかった。いつも余裕そうにしていたけど、本当は色々悩んでいたんだとしたら……)


 それ以上口を開かなかったアリスの代わりに話を続けたのはフェイスだった。


「セオさん。今更で申し訳ありませんが、先ほどはお見苦しい場面を失礼しました」


 フェイスはテーブルにカップを置き、深々と頭を下げた。


「弊社としてはきちんと契約時の条件を満たして解約を申し出ています。実際、違約金も支払っています。通常は契約更新のタイミングまでは待つのですが、今回ばかりは社員の安心感を優先したいと思いまして……。ただ、少し性急だったかもしれません……」


 フェイスは話しながら苦しそうな顔をしていた。アリスも同じように胸が詰まる思いで聞いていると、じっと話を聞いていたセオが口を開いた。


「わかっていますよ、フェイスさん。規模は違いますが、私も社員を抱える経営者ですから」


 セオはフェイスを安心させるように伝えると、今度はアリスに微笑みかけた。


「アリスもね。あまり深く考えない方がいいよ。僕達は安心を売っているのに、彼女の会社は顧客からの信頼を裏切ったんだ。もちろん彼女がしたことではないけれどね」

「信頼を、裏切る……」


 確かにセオの言う通りだ。

 魔導煙突掃除人は人々の安全な生活を守るという使命の下に業務にあたっている。ドゥールイズの会社はその根本を揺るがす行為を行ったのだ。


 じっと考え込んでしまったアリスの耳に、フェイスの独り言のような呟きが届いた。


「かわいそうだとか、昔世話になったからとか、感情や義理だけで判断しては会社も社員も守れないことが多い。残念なことだがな……」


 それはアリスにはわかるようでわからない、責任を負う者の呟きだった。部屋の中にはしばらくカップとソーサーのぶつかる音だけが響いた。

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