第十話 競合他社さんでしたか……
「――どうしてですか?!前代表の件はお騒がせして申し訳ありませんでした。でもわが社との契約期間はまだ残っていたはずです」
部屋からは若い女性の悲鳴にも近い必死な声が漏れ出てくる。ジョルナンデ夫人とアリスたちは部屋の入口にそっと近づいた。そこには挙動不審にウロウロする一人の社員がいた。
「まあ、メアリ。一体どうしたの?」
ジョルナンデ夫人が声をかけると、メアリと呼ばれた社員はすごい勢いでこちらに顔を向けた。ジョルナンデ夫人の姿を認めた彼女はみるみる泣きそうな顔になりながら、あっという間にアリスたちの側にやって来た。
「奥様~! あの、お客様が……メゾン・スムース社の新代表の方がお見えになっているのですが……」
「メゾン・スムース社? まあ、あの件ね……」
ため息交じりに答えたジョルナンデ夫人の顔に渋い表情が浮かぶ。その表情とメゾン・スムース社の名に、アリスは先日学園で目にした雑誌を思い出した。
(メゾン・スムース社って、代表がこの前辞任して……)
アリスが思わずセオを見ると、アリスの視線に気づいたセオと顔を見合わせる形となった。
「まあ、あちらさんも大変だろうからね」
セオが仕方ないよ、とでもいうように呟くと、今度は低い男性の声が聞こえて来た。
「前代表の件はだけではありませんよ。違約金はお支払いします。あくまでも『こちら都合の解約にする』と、先日文書でお渡ししたはずですが……」
「納得できません! わが社はどこよりも高い技術力で――」
「確かにやるべきことをしてもらえればいい。しかし今や御社はその基準に値しない。わが社はそう判断したまでです。ただ、私は『契約解除』とすべきだと思いましたがね――」
(ん……? この二人の声、どっちもどこかで聞いたことが……。特に新代表の声にはじわじわムカつきが……)
淡々と、しかし丁寧に答える男性の声に、アリスはどこか聞き覚えがあった。そして必死に食い下がる新代表という女性の声には、不思議と苛立ちが湧いてくるのだ。
部屋の中で繰り広げられる争いの結果はすでに見えていた。いくら新代表が食い下がろうとも、男性に考えを変えるつもりは無さそうだ。
「不祥事を起こした前社長とあなたが同じとは思わない。しかし、社をすぐに立て直す力をまだあなたは持ち合わせていない」
「――っ、そ、それは……」
全く調子を変えない男性の声は非情なまでに現実を告げていた。新代表も突き付けられた現実に言葉を詰まらせてしまったようだ。
「実際……」
そこでようやく男性の声に感情がこもる。ため息交じりのその声には、失望と怒りがこもっているようにアリスは感じた。
「私の大切な人の家も、危ない状況だったのでね。水に流すには大きすぎる出来事です」
静かに、しかし強い思いを乗せた男性の言葉にそこにいる誰もが口を閉ざした。
(そういえば奥様のお宅もともすれば危ない状況で……あれ、そういえばその時にこの声を聞いたかも……)
先日の初仕事の光景を思い出しつつあるアリスの腕を、ツンツンとつつく者があった。パッと目を上げると、そこにあったのはジョルナンデ夫人の笑顔だ。
沈黙が落ちる中、ジョルナンデ夫人は一人つかつかと扉に向かい、辛うじてノックはしたものの、返事を待たずに勢いよくドアを開いた。
「フェイス、まだお話は終わらないのかしら?」
「――おば……っ!? も、もう終わります……って、うわ。本当に来たのか……」
「あ、あなた――っ?」
突然の来室者に驚いた男性は、ジョルナンデ夫人の横に立つアリスの姿を一目見るとさらに驚き、嫌そうな顔を見せた。アリスはアリスで、おぼろげに思い出しかけていた記憶が鮮明によみがえる。フェイスに負けず劣らず嫌そうな顔をしてしまったアリスに、さらに別方向から声がかけられた。
「アリス……っ」
「ドゥールイズ……」
その声の主は、これまで散々アリスを馬鹿にしてきた元級友、ドゥールイズ・ナーサムのものだった。
まさかここで会うことはないと思っていたのだろう。まるで化け物を見るような顔でアリスを見ていたドゥールイズの表情は、みるみるうちに屈辱に染まっていった。
「あなた、私を笑いに来たのねっ? はっきり言いなさいよっ! 契約のために頭を下げる私を笑いに来たんでしょう?! 出来損ないのくせに――っ!」
突然激昂し始めたドゥールイズが、動けずにいるアリスの元にたどり着くことはなかった。気づけばフェイスの大きな背中がアリスの目の前にあったのだ。
「落ち着いてください、ナーサムさん。この方々は私がお呼びしたのです。私の客人に何かご用ですか?」
フェイスが静かに問いかける。と、同時に警備人が回り込むようにドゥールイズの背後に立った。振り返るとメアリが息を切らして立っている。
もう、ドゥールイズの滞在が一刻も許されていない空気が室内に立ち込めていた。
「……っく!」
ドゥールイズは吐き出したかったであろう息をグッと飲み込み、唇を噛んでわずかに俯いた。そしてすぐに顔を上げると、フェイスを睨みつけ無言のまま部屋を去っていった。
アリスの横を通り抜ける時もドゥールイズは何も言わなかった。
ただ、もしアリスがこの時俯いていなければ、まっすぐ前だけを見つめるドゥールイズの危うさに気づけていたかもしれない――アリスがそのことに気づけたのは、ずっとずっと後のことだった。
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