第七話 煙突のマツノ

◆◆◆


「アリスちゃん、おめでと〜う!」

「うわあっ!?」


 初仕事の疲れからたっぷり眠った翌日、アリスが事務所へ入るなり事務のツミが飛びついてきた。


「見たよ報告書〜! 初仕事無事に完了できたんだね〜! それもだけどアリスちゃんとリュゼちゃんが無事に戻ってきてくれて私嬉し〜いっ」

「つ、ツミさん……苦しい、です……」


 アリスはふわふわのマシュマロのようなツミにぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、必死で声を出した。だがアリスの訴えはツミに届くことなく、半ば諦めつつあるところにリュゼが出勤してきた。


「おはよーございまーす」

「リュゼちゃんおはよ〜う! 昨日はお疲れさま〜」

「ツミさん。報告書ここ置いとくんで」


 リュゼはツミに包まれているアリスの姿を一瞥したものの、特に声をかけるでもなくバサッと机の上に報告書を置いた。


(ああ……、リュゼさんに改めて昨日のお礼をしないと……)


 自分の席に去って行くリュゼの後ろ姿に、アリスの脳裏に昨日の初仕事の記憶がよみがえってくる。


 ジョルナンデ家での初仕事を終えたアリスとジョゼに、ジョルナンデ夫人は何度も礼を繰り返した。


「何度も言うけれど、本当にありがとう。私たち、あなたたちに命を救われたようなものだわ」

「いえいえ。詰まりがすっきり取れたので良かったです。あの、私たち次があるので、今日はこの辺で失礼します……」

「あらごめんなさい、すっかり引き留めちゃったわね」


 何度も繰り返されるこのやり取りに、リュゼは早々に離脱していた。ようやく辞去を切り出したアリスに、夫人はこれまでで一番申し訳なさそうな表情を見せた。


「謝って済むことではないのだけど、本当にごめんなさい。あの子には後でしっかり言い聞かせておくわ。まさかあんなにせっかちだと……」


 それは彼女の孫、フェイスの事だ。彼はいつの間にか屋根裏から姿を消し、帰るまで姿を見ることは無かった。夫人は「バツが悪くて隠れているはず」と言っていたが、いい大人のとる態度ではないなとアリスは密かに思っていた。


「いいえ、お気になさらず……。では、どうぞ今後とも煙突のマツノをよろしくお願いします!」


 勢いよくペコリと頭を下げ、アリスは夫人に背を向けた。だが、すぐに夫人はアリスを呼び止めた。


「あ、あとね……」


 立ち止まり、振り返ったアリスに、夫人はにっこり笑って言った。


「その髪の毛も素敵よ」

「ありがとう……ございます」


 夫人の言葉にアリスははにかみながら笑顔を見せた。煙突掃除の作業後、アリスのひどいくせっ毛は見事なストレートヘアに見た目を変えていたのだ。

 なぜか昔から魔力を使うと髪のくせが直り、くせっ毛がまっすぐに伸びる。まあ、次の日には元通りなのだが。

 とはいえアリスだって普通の女の子なので、誉められるのは悪い気がしない。ペコっと頭を下げた後、心を浮きたてながらアリスはリュゼの元に向かったのだった。



「ツミ、そろそろアリスを離してあげて」

「あ、ごめんね〜」

「はぁ、はぁ……。お、おはようございます」


 アリスが回想に浸っている間、どうやらセオが出勤してきたらしい。

 セオ・マツノ――煙突のマツノの社長だ。瞳も髪も色素が薄く、年齢不詳。物腰も柔らかく、捉え所のない人物だが、アリスの研修を担当してくれたオーリオは「すごい人だ」と言っていた。


「うん、おはよう。リュゼから聞いたよ。昨日はお疲れさま」


 とぎれとぎれのアリスの挨拶に答えたセオは、労いの言葉を口にした。だがアリスはその労いを素直に受け取るわけにはいかなかった。


「いえ……私は何も。リュゼさんが、全部――」

「ね、すごかっただろっ?!」


 思わず出てしまった落ち込んだ発言だったが、セオから返って来たのは興奮気味の声だった。


「リュゼはねえ、同期の中でもずば抜けて魔力が高かったからなぁ。いいなあ、久しぶりに僕も見たくなってきた。ねえリュゼ、今出せないの?」

「そんなバカスカ出してたまるか。疲れんだよ、あれは」

「アリスちゃん、実は二人は学園の同期なんだよ〜。私はちょっと上の代だったんだ~。歳は内緒だけどね」

「ツミさんは余計なこと教えなくていいんすよ」


 突然始まった二人のやり取りにぽかんとするアリスに、ツミが説明を加えてくれた。セオに絡まれ出したリュゼは面倒くさそうに手をひらひらと振り、アリスに視線を送った。


「そんなことより、新入りが気になること言ってたんだよ。セオも聞いといてくれ」

「ああ、そういえばそうだった。リュゼからも聞いたけど、君の言葉で教えてくれる?」

「あっ、はい……。あの、実は――」


 アリスはそこでようやく落ち着き、ジョルナンデ家の屋敷の煙突に詰まったダストの違和感について説明した。清掃時期から間もなかったこと、そしてわざと詰められたようなダストの様子……。セオはアリスの説明をじっくり聞くと、「ふぅん……」

と怪訝そうな表情を浮かべ、すぐににっこりと微笑んだ。


「ま、あんま気にしないで。あとは僕に任せてみるといいよ」


 そう語るセオの大きな手がアリスのくせっ毛をポンポンと撫で、瓶底めがねの奥のアリスの瞳を見つめて言った。


「だからさ、これからもいっぱい力を貸してね」


 それからしばらくセオの姿を事務所内で見かけることがなかった。というのも、急に仕事が舞い込むようになり、アリスたちは大忙しの日々を送っていたからだ。

 

 そんな時だった。チムフィッズを揺るがす大ニュースがアリスたちの元に飛び込んで来たのは――。

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