第20話 毒殺犯
毒ガスが満ちた、薄暗いお館様の寝室にいたのはマリアさんだった。
「……ハルト? なんでここに……」
毒ガスの中で動ける人間は、俺の毒耐性を一時的に与えたレイナとアリシア様、それに毒対策をしている犯人だけだ。
現代であれば防毒マスクとか有るが、この世界に防毒マスクが有るかは俺は知らないし、マリアさんはマスクをしていない。マリアさんも毒耐性を持っているのか?
「たくっ、ダールが倒れている今夜がチャンスかと思えば、ハルトがダール並みに毒耐性を持っているとはね」
青い月明かりが照らすマリアさんの顔は、いつもの明るい笑顔はなく、冷酷な瞳で俺を見ている。
「まあ、子供が来たからといって、予定を変更するつもりはないけどね」
マリアさんは素手だ。特に武器を持ってはいない。どうやって殺すつもりなんだ?
「マリアさん! なんでマリアさんが毒を撒いたんだ! なんでこんな事をするんだよ!」
「ふん、殺すからに決まっているでしょ。しかも今夜は、伯爵が二人も滞在しているからね」
「だから、なんで!」
「ふぅ〜、うるさいガキだ」
マリアさんは、そう言って息を深くはいた。
「ハルトから殺すか」
マリアさんが妖しい笑みを浮かべ、俺の方へとゆっくりと歩いてくる。
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい。レイナを連れて逃げるか? しかし、その場合はお館様と奥方様は確実に殺されてしまう。
「アリシア様、レイナを連れて逃げてくれ」
「で、でもお母様が……」
アリシア様も両親が心配なようだが、今は逃げてほしい。
そんな一瞬の隙に、マリアさんはダッシュで俺に近接して右の手刀を薙いだ。
とっさに躱すが、鋭い手刀は俺の服を裂き、腹を薄っすらとかすり、その傷口から血が滲みでる。
この
俺は腹の傷の痛さより、料理屋のおばさんに買って貰った大切な服を切られた事に腹をたてた。
「マリアァァァッ! ぜってえに許さない」
大切な服だ。おばさんが服を買ってくれていなかったら、今の幸せもない。
「アハハ、いくら吠えても後の祭りさ。私の毒手を食らったんだ。レイナに別れを言っておいた方がいいよ」
俺の毒解析スキルが、腹に受けた傷にある毒を分析する。毒レベルは7。かなりヤバい毒だ。マリアの手には毒が塗ってあったのか?
見ればマリアはいつもの手袋をしていない。青い月光に照らされたマリアの銀色に輝く鉄爪と黒い右手。
前世の格闘漫画の記憶がフラッシュバックした。
鉄爪は2、3センチでたいした長さではない。鉄爪で傷をつけて、毒が染み付いた手で相手を毒殺する奇拳。
「……毒手拳かよ」
「アハハ、ハルトは博識だね。王立学院の入試問題の話は聞いたよ。生きていれば、学院にも入れたかもしれないね」
毒手拳は自らの手を毒漬けにし、その手で相手を傷つけ毒殺する暗殺拳法だ。一長一短でできるようなモノではない。
しかし、マリアは5年もお屋敷で働いている。どういう事だ?
マリアは黒い右手をペロりと舐めた。
ペロりと舐めたついでに自滅してほしいが、流石にそれほど間抜けではないだろう。
「……マリアは領内で横行している暗殺組織の人間なのか」
アリシア様が言っていた暗殺組織。
「まあね。長いことお屋敷で鳴りを潜めていたけど、レイクランド侯爵の暗殺指令がようやく届いたってわけ――さッ!」
グハッ!
細く長いマリアの横蹴りが俺の小さな体を吹き飛ばし、入ってきた扉脇の壁に背中から激突した。
「やれやれ、即死級の私の毒手を受けて、まだ生きてるって、ハルトはどれだけの毒耐性をもっているんだい」
そう言ったマリアは毒手のバッグブローでアリシア様を頬を叩き払う。
「キャァァァァァッ!」
赤い血の粒が舞い、アリシア様が吹き飛ぶ。
「フフフ、これでお嬢様は死んだわ。次はレイナかしらね……」
そして妖しく光る目はレイナを見つめた。
「やめろぉぉぉッ! お前の目的はお館様だろ! レイナは関係ない!」
「お館様を差し出すとか、見下げた忠誠心ね」
うるせぇ! お館様が毒殺されてもワンチャンあるんだ! それよりも、レイナが痛い思いをする方がよっぽど辛い。
俺は起き上がりレイナの前に立ち、両手を大きく広げた。
「そんなに妹が大切なら、こんな所に来ないで逃げればよかったものを」
「だったら、入口に『暗殺中の為、入室禁止』って貼っておいてくれ」
「フフフ、今度からはそうしておくわ」
クソッ、これはもう、マジで戦うしかないな。
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