第5話 マネージャー
将来の夢は?
将来は何になりたいの?
そんな質問ならいままでに幾度となくされてきた。しかしどういう人間でありたいのか、と問われたのは初めてだと恭一郎は思った。自分はどういう人間でありたいのだろう。
「…明るくて、人を元気づけられる、人と共感して喜べる人間、でありたいと思います」
恭一郎は胸に手を当てて素直な気持ちを口に出した。
「神林らしいな。しかし、そうあるためにオマエが選んだのがマネージャーか。ほんとにそうなのか。自分で納得しているのか」
恭一郎の目に批難の色が浮かんだ。
「マネージャーじゃダメなんですか。マネージャーは野球部の一員じゃなかったんですか?」
「もちろんアイツらは野球部だ。プレーヤーもマネージャーも役割は関係ない。みんな野球部の仲間だ」
「だったら…」
「オマエの覚悟が仮に本物だったとしても、アイツらがオマエをマネージャーとして納得して受け入れられるのかなと思ってな」
「どういう意味ですか」
「アイツらは本当は野球がしたいんだ。知ってるだろ?
「僕だって続けたいです。大好きな野球です。続けたいですけど、でも思うように投げられないんです。イップスは日に日に悪化しているようで改善の糸口すら見えません。このまま中途半端にしているのは僕も辛いし、部のためにも良くないと思いました。…逃げたわけじゃないんです」
「外野手に転向するのはイヤか?」
「…イヤではありませんが、投げられなければ外野もできません」
「イップスの内野手が外野に転向して症状が改善された例もある」
「絶対ではありません」
「可能性はある。挑戦する価値はあると思うが」
「…僕の場合は、違うと思います」
「どうしてそう思う」
「……」
恭一郎は唇を噛んだ。どう説明していいかわからないし、説明してわかってもらえるかどうかもわからない。とにかくこれ以上自分のことで部に動揺を与えたくない。外野に転向するとなればレギュラー争いが激化する。少なからず波風が立つと恭一郎は思っていた。きっと部の雰囲気が悪くなると。
「神林。
「ホサツ?」
「補うに殺すって書いて補殺。守備の記録で使う言葉だ」
「…いえ」
「サードのオマエがゴロを捕ってファーストに送球してアウトを取る。この場合はオマエに補殺1が、ファーストには刺殺1が記録される。ヒットされたボールを外野手が捕り中継に入った内野手に送球する。その内野手がバックホームしてホームでアウトを取った場合、外野手と中継に入った内野手にそれぞれ補殺1が、ホームでランナーにタッチしたキャッチャーに刺殺1が記録される」
「はあ」
「補殺というのはアウトを取る過程を記録したものだ。英語ではアシストと言ってサッカーやバスケではよく聞くだろ? ただサッカーやバスケでアシストが記録されるのは得点した時でそれもせいぜい二人までだ。だが野球は違う。アウトを取る過程で関わった選手すべてに補殺が記録される。バックホームで外野手とキャッチャーの間に二人の野手が中継に入った場合は三人に補殺が記録される。これは守備の話だが、攻撃なら打って走者を還せば打点の記録がつく。そしてホームに還ってベースを踏んだ走者には得点という記録がつく。俺はさぁ、みんなに記録がつくっていうこの文化というか考え方が、野球ってみんなでやってるんだなぁって思えて好きなんだよな」
「はい」
「オマエの言った、どうありたいという人間像がほんとなら、ひとりで抱え込んでないで仲間に相談した方がいいんじゃないのか? 仲間にもそれを聞く権利があると思うが。本当に信頼する仲間ならな」
「……」
「俺の気持ちをこんなに言っておいて今さらズルいが、俺が喋ったことは強制ではない、アドバイスだ。最終的に決めるのはオマエだし、オマエが決めたことは尊重する。だがもう少し考えろ。オマエの申し出は一時保留だ。ただし主将と君嶋には伝えておくからな。ほかに何かあるか?」
「いえ」
「よし、じゃあ気を付けて帰れ。考え込みながら歩くなよ。轢かれるぞ」
設楽監督は恭一郎の方を向いて右手でバンと彼の胸を叩くと、ベンチから立ち上がって向かいの一塁ベンチへ歩いて行った。そこでは三人のマネージャーがまだ作業を続けていた。
「おーい、ご苦労さん。でも、もう遅くなった。そろそろ切り上げて帰れや」
(つづく)
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