第6話【記憶】
次の日、彼女は研究室へ来なかった。
「声は掛けたんですが、部屋から出てきませんでした。
精神的に参っている状況だったんで、
無理矢理連れてくることは控えましたが…」
「まあ、時にはそういった日もあるだろうし、一人でいる時間も必要だよ。
外にはまた、記者やライターが張っていて気が休まる時がないだろうしね…
それに、彼女がいない時でないと話せないこともある」
目を伏せ言い辛そうに、浮世絵教授は続ける
「昨日の議会で、軍からの要請があった。
彼女をいつまで匿うつもりなのか?とね。
機関は被害者全員の安否と保護を目的としている。
一応、私の在籍するアルテナ病院移転の為、権限で強制隔離は止めているが…限界がある。
話をしたところで、どこかのタイミングで施設への移動を強制される。
一週間……あと三日四日が限度だよ。
もしも、何かを調べたいなら急を要するよ。
それに私自身も、奏也君の気持ちを尊重したい気持ちはあるが、
早い段階でうちの病院に預けることをオススメする。
確かに能力自体の殺傷能力は低いだろうけど、暴走の可能性が高いあの子を普通の家で生活させるのは極めて危険だ。
こんな精神状態の子供を隔離させるのは忍びない気持ちもあるだろうが、君達の安全を考えたら早いに越したことはない」
「えぇ、わかってます」
その後、教授の助手と共に、頼まれた作業や資料をまとめた後、
音奈の元へ向かう途中で、影に潜んでいたクローが姿を現す。
「ミライ様の予想の通り、ミライ様が居合わせない時間帯で襲撃がありました。
数は10人…ミクちゃんに8人、音奈ちゃんに2人。
分断しようとした直後に全員を捕らえたのですが、
体内に爆弾を仕組まれていたらしく、無力化させた瞬間爆破。
水の能力で抑え込みましたが、遺体の損傷が激しく、形が残ったのですら二名でした」
「そうか…
広域警護になって悪かったな。
あとは俺に任せて、ゆっくり休んでくれ」
頭を下げるとクローはその場から姿を消す。
予想の通りの襲撃…
しかし、タイミングが気になる
以前からあったことだが、狙ったかのように俺がいない時を襲っている。
嫌な予感が確信へと変わりつつあった。
クローの話で聞いた、先日から彼女がいた湖へ行くと、そこに音奈の姿はなかった。
もう帰ったのかと思いつつ、座っていた付近を見渡す。
一瞬で周囲の空気が変わる
ザワリと木々が揺れ、鳥は羽ばたき、動物は駆け出し離れ、湖に波紋が広がる
「………やりやがったな、あいつ等……」
▽ ▽ ▽
長く続いた森の先、入り組んだ林に獣道…
疲労はピークに達しつつも直に待ち合わせをしていた街道に出ることに安堵しかけた直前…
暴れる袋を抱える男の背後から聞こえる、聞こえるはずのない声に驚愕する
「感知特化、あるいは隠密系能力者か…
監視役が離れた隙をついたなっ?
襲撃者の自爆という大きな印象を与えることで注意を引かせ、
その日二度目の襲撃の可能性という思考を吹き飛ばしたか…
仲間を囮にするようなやり方も気に食わないが…同じような手に二度も三度もやられてたまるか」
その怒気を孕んだ低い声に背筋が凍り、動きが止まる
ゆっくりと声のする方へ振り向く
「支…おう?なっ…なぜ……わかった?」
「抑え込んだのは正解だが、暴走で漏れ出す音奈の能力で自身の能力を乱されたなっ。
先程に聞いたいつもと異なる襲撃法、帰路に着いた報告がなかったこと、
音奈とは別に大きな足跡に抵抗した痕跡、仮に捕らえた場合、我が家とは反対の逃走経路…
まあ、他にも探し出す手段はあったんだが……
とりあえず、うちで預かってる大事な娘さんなんだ…返してもらおうか?」
ミクと違い、並みの腕力しか持たず、能力もまともに扱えない子供の誘拐。
だが、それでも重要な任を任される程に、それ相応の実力を男は持っていた。
しかし、そんな彼でも次の瞬間、視界はグラりと揺らぎ、そのまま意識は彼方へと消えていた。
そして、男が落としそうになる袋をゆっくり抱き留める。
モソモソと暴れまわるその袋に「大丈夫だよ」と声を掛け、
手で背中の辺りを優しく二度ほど叩くと、袋は静かにその動きを止める。
縛られた縄を解き、袋を剥ぐと、今にも泣き出しそうな少女の姿が露わになる。
そんな少女の視線と合わせるように腰を下ろすと、ポンポンッと頭を軽く叩く。
「だからこんな時間に、外に出歩くなっていっただろっ…」
静かな時間が流れていた。
帰路につくその背におぶられる少女は何も言わず、語らず、伝えようともせず、
ただただ、その身を預けていた。
いつもとは違う、見慣れぬ獣道を歩くとまた違う視点で山を見られる。
何を目的にこのルートを選び、どこへ向かい、どのように歩き、どこへ辿り着くのか…
そんなことを考え、思わず人の人生に当てはめてしまう。
奏也が選び、向かい、歩き、辿り着いた結果…
音奈が選び、向かい、歩き、辿り着いた今…
どこかで狂ってしまった歯車は、再びはまり直ることはなく、
触れた瞬間に、一つは粉々に弾け砕け散り、もう片方も今まさに壊れかけた脆い状態にある
そんな感じに思えてならなかった。
背中に少女のぬくもりを感じながら、
瞳を閉じ、昔を想い、ハッと一つ小さな息を吐き出し、改めてゆっくりと瞳を開く。
「辛いのか…?
寂しいのか…?
悲しいのか…?」
ぺこりと静かに頭を下げ、頷く音奈を背中で確認する。
「それでいいんじゃないか?
辛いのも、寂しいのも、悲しいのも…
失ったものがとても大きくて、大切だった証拠だよ。
忘れてやるなっ
なかったことにはできないし、その事実も消えはしない。
俺達生きてる人間ができることなんて、忘れないでいてやることだけなんだから…
死んだらもう…覚えていてあげることすらできないんだから…
ただ一つ言えるのは……
せめてその思い出は、辛い記憶じゃなく楽しかった時の記憶してやれ。
多分その方が、奏也は喜ぶ」
その言葉に何を想ったのかわからない。
背中に頭を押し付けるようにくっつけ、しばらくの時間は過ぎる
それは10秒か…1分か…10分か…
瞳を潤ませた少女は、抱きつくように顔を押し付け、声のないまま泣き叫ぶ。
響くことは決してない…
届くことも決してない…
なのになぜか聞こえる、響くその泣き声を優しく包むように、
寄せた彼女の背中を優しく叩く。
「泣きたい時は泣けばいいし、立ち止まって休んでもいい。
強がって頑張るのは一人だけの時でいい。
今はまだそんな必要なんて何もない。
また明日から、頑張ればいいんだから…
今はまあ、俺やクローや教授…
それにバカな愚妹もいる。
頼ればいいさ」
静寂は続く
それは、今尚変わらず…
獣も…鳥も…虫でさえも、その周囲には存在しなかった。
森にはただただ、一人分の足音しか響かない
なのにそこに降る雨は、しばらくの間、止むことはなかった
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少女が二人と獣が一匹
自宅の部屋のベットの上に、彼女等はいた。
先日、抜け出した一件で盛大に怒られた結果、
ミライが家に帰ってきた際に、希を施設まで送るのを条件に我が家で遊ぶように、
半ば強制的に決められてしまったのである。
「元気になったのですねっ!
連れて行かれた後どうなったか心配してたのですが、よかったのですよっ♪」
「本当によかったよ、ミクちゃんも含めて……
あんな号泣しながら連れて行かれる人、初めて見たから…
それに懐いてくれたのか、元気になってからもアタシの後をついてくるんだよねっ
施設では飼えないけど、外で待っててくれるから、いつでも会えて嬉しいよっ♪」
そこには真紅に染め上げられた当時の面影は欠片もなく、
まるで白雪のような獣毛に身を包んだ四足の獣がひょこひょこと足下へと近付いてくると、体をスリスリと擦り寄ってくる。
「はう~///可愛いのですよっ!」
「だよねっ♪
でも、さすがにそろそろ名無しのままじゃ可哀想なんだよねっ…なんて呼んであげたらいいかな?
確か名前は…ハクロウ…だったっけ?」
「あらっ!じゃあ名前はクロちゃん!!!」
「…………え?」
「クロちゃんなのです!」
「ええええぇぇぇえええっ!!!
よりにもよってそこを取るの?
白いのにっ?」
「なのです!クロちゃんなんです!!!」
「確かお兄さんのお友達に同じ名前の人いなかった?
混乱に混乱が重なってわけがわからないことになってるんだけど…」
「クローさんはクローさん!クロちゃんはクロちゃんなのですっ!!!」
そうして視線を白狼へと向けると目を潤ませ「ウォンッ!」と短く返事を返す。
「見るのですよっ!
すごく喜んでくれているのですよっ♪」
「こ…これは…喜んで…いるのかな?
ま、まあ可愛い名前だし、いいんだけど……」
そんなほのぼのとした光景を見ながら、外で項垂れる者が一人。
ハア~と大きく溜息をつきながら、二人の少女達を遠くから見守る。
数日前に買い置きしておいたアンパンを食べながら、その者はそっとぼやく。
「私の注意不足とはいえ、短時間での大規模探知に多人戦闘…
更に警護はブラックですよ……ミライ様……」
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