仕事の悩み相談所in異世界!?

aoiaoi

奇妙な女

 ここは、とある転職エージェントの相談窓口だ。

 デスクの向かい側の青年は、せっかくの長身の背を丸め、どこかふてくされたような暗い顔で俯いている。

 俺は、いつものように手元に揃えた来談者のキャリアシートを具に読みながら、彼へのアプローチを試みる。


「……なるほど。職歴を見ると、どの会社も短期間で離職しちゃってますね」

 ボソボソと不明瞭な声が答える。

「そうなんです。

 なんというか、こんなはずじゃなかった、自分にはもっといい仕事がある、こんなところじゃ満足できない、みたいな気持ちにすぐ囚われてしまって……だからと言って、何か自慢できる能力があるわけでもないのに」

 ふうっとため息をつくと青年は力なく項垂れ、自分の掌に視線を落とした。

 そんな彼に、俺は穏やかに言葉をかけた。

「その気持ち、よくわかります。

 僕も、この仕事が本当に自分に合っているのか、ちゃんとわからないままもう10年この仕事してますしね。時々、『やめてやるこんな仕事!』って本気で思う時もあります」

「え、あなたもそんなふうに思うんですか? こんな窓口に座ってても?」

「もちろんです。玄関出るのが嫌でたまらない朝も普通にありますよ。

 けれど、誰もがそんな気持ちを抱えながら働いているのかな、と、時々思うんです。『この仕事はまさに自分にピッタリだ』とか、『この仕事やってる自分って最高だし悩みなど何一つない!』って言い切れる人って、もしかしたら世界中探したっていないんじゃないかなと思うんですよね。苦労も不満もない仕事なんて絶対にない」

「……苦労も不満もない仕事なんて、絶対にない……」

 俺の言ったワンフレーズを小さく繰り返す彼の様子を見ながら、俺は話を進める。

「ええ。

 こんなはずじゃない、納得いかない、うまくいかない……そんな気持ちを味わいながらも、反省したり、自分自身を省みて改善したり。仕事をするって、そういうことの繰り返しで出来てるのかもしれませんね。苦しいからこそ、自分も成長するんだと——そう思えたら、少し楽になりませんか?」


 青年は、顔を上げ、俺を見つめた。

 窓口に座った時にはどんよりと曇っていた表情に、今は少しだけ晴れ間がのぞいている。


「……俺が仕事続かなかった原因は、きっとそれなんですね。

 どこかに百点満点の仕事が必ずあるはずだと、どこかでそんなふうに思い込んで。

 そうじゃなくて、苦しくて悩みだらけなのが仕事。働くってそういうものだと……今度はそう思って、次の就職先決まったらもう少し歯を食いしばって頑張ってみます」

「頑張ってください。応援しています」


 立ち上がって丁寧に一礼する青年を笑顔で見送り、俺は画面に向き合う。

 彼に紹介した求人等の記録を確認し、今回のカウンセリング内容を詳細に入力する。

 現状では根気は今ひとつかもしれないが、笑顔が爽やかで人当たりもいい好青年だ。遠からず新しい仕事を得て、ここには来なくなるだろう。


 この窓口には、「就職決まりました!」と笑顔で報告に来る者はほとんどいない。再就職口を斡旋してなんぼという仕事だ。

 悩みを打ち明け、受け止め、互いの思いを深く交わし合った彼らがその後、どこでどんなふうに頑張っているのか。人としてそれは当然知りたいが、この仕事は特定の相手と特別な関係を築くわけにはいかない。

 様々な事情で仕事に躓きかけた人々を受け止め、支え、再び立ち上がる彼らの背を見送るのが、俺たちキャリアカウンセラーの仕事だ。


 フロアに小さなベルの音が流れる。終業時刻が来た。来談者も今日はもう待合席に残っていない。残業なしで帰れそうだ。

 身支度を整え、ビルのドアを出た。

 秋の夕暮れはあっという間に夜の闇に変わる。同時に、風の冷たさが一気に身に染み始める。俺は着ていたトレンチコートの襟をかき合わせながら駅へ向かった。


 いつもの大きな通りの赤信号で、足を止める。

「こんばんは」

 不意に、横から声をかけられた。艶のある女性の声だ。

 こんな声の人間はとりあえず職場にいないと思いながら、声の主に顔を向ける。

 そこには、豊かなメリハリのある長身と柔らかな栗色の髪を波打たせた眩しいほどに美しい女が微笑んでいた。


「行きましょう」

「え?」

 そんな短いやりとりをした次の瞬間、俺は何か訳のわからない激しい力に背を押され、大きな横断歩道の真ん中へ飛び出していた。

 何を思う間もなく、猛烈な勢いで走ってくるトラックのライトの中に立ち竦む。


「——……」


 大型トラックに凄まじい勢いで撥ね上げられ、宙に体を浮かせたのは一瞬のはずなのに、その時間がなぜかとんでもなく長い。

 痛みも苦しみもなく、ふわふわと柔らかい空気の中を浮遊するようだ。


 なんだこりゃ?


「さあ、一緒に。こちらです」

 戸惑う俺に寄り添うように宙を舞いながら、その女は一層美しく微笑んで優しく俺の手をとった。


 それと同時に、暗く閉じかけていた俺の視界は白く眩い光の中に吸い込まれた。


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