【エイルの挑戦状6】令和の人身御供
空を見上げると黒い夜空に散らばる満天の星々。
意識を吸い取られそうな程の多様な煌めき。
視線を前方に落とせば、目の前に連なる火の道標。
神輿に揺られながら、彼女を取り囲み揺らめく松明を眺めた。
先導するのは彼女の父親でもある名主様。
老いてなお
周囲には見知った顔ばかり。まるで逃走を防ぐように。囲うように。
嬉しくない。
小さい頃から、村のために身を捧げるのは当然である、と言い聞かせられて来た。
そして此度は、名主様を始め村の皆が、これは村の為になる栄誉なことだと私を褒めそやした。
最初は良かった。褒められると悪い気がせずに、てへへ、と照れ笑い。
普段、体が弱く野良仕事に向かず、役立たずの穀潰しと後ろ指を指されていたこともあり、人の役に立てると嬉しかったのだ。
だけど。
耳に響く、低く単調な祝詞を唱える声。声。声。
いつもはありがたいと思えるその格式あると言われている祝詞は、今は自分を生贄として差し出すための呪詛にすら思えてしまう。罰当たりと思われても。
碌に外に出られないために青白い肌。
切ることもままならず伸び放題の長い髪。
しかし唯一の私物、私の宝物の櫛で暇さえあれば髪を梳いていたためか、束ねた髪は滑らかに流れるようで、私の唯一の自慢の種だった。
そんな私が、なんで村一番の美しい娘、と言われたのか?
それは村の側のお山に棲まう火の神様が猛っているため、それを鎮める人柱が必要だから。
だから、私が美しい娘である必要があった。実際どうかなどはどうでも良くて。
ああ、私もお母さんみたいになりたかった。
嫁に行き、子供を産んで、育てて、子供たちに囲まれて。
この虚弱な体では過ぎた望みかも知れない、それでも。それでも……。
少し寒いな。
白装束に覆われた肩をそっと抑えながら、私は行く手で猛っている炎の神様の棲み処、山の頂上を、ずっと、ずっと眺めていた。
***
高台にあるその神社までは幾段もの石の階段が続いている。
まるで機械のように規則正しく、階段を叩く靴音でリズムを紡ぐかのように登る人影がひとつ。
その人物は階段を登り切り鳥居を潜ると、相も変わらず閑散とした境内を見回す。
そのまま神社の裏手にまわり、鍵のかかっていない扉を勝手に開けて家に侵入した。
古びた板張りの床を軋ませながら、躊躇なく、脇目もふらずに目的の部屋に辿り着き、声もかけずに障子を開けた。
「おい、生きているか」
不法侵入、と言われてもおかしくない壮年の男が声を出すが、応えはない。
床を見下ろし、畳の上に倒れ伏している男に目を止める。
とりあえず背中を踏む。
「ぐぇっ」
生きていることを確認すると、壮年の男は手に持っていたコンビニのビニール袋を畳に伏している男のそばに投げ落とした。
「どうせこんなことだろうと思った。
途中で買ってきた握り飯だ」
その言葉に弾かれたように反応し、倒れていた男はコンビニのおにぎりのシートを剥がす手間も惜しむようにむさぼり食べ始める。
その様子を見ながら壮年の男は大きくため息をついた。
「
そんな様で、除霊師として働けると思っていやがるのか」
壮年の男が声を掛けるが、鎮護と呼ばれた男はおにぎりをむさぼり食い続ける。
先の言葉に応答があったのは、袋に入っていたお握り六個を全て平らげてからだった。
「そう言うな。
大体、お前のところのマッドサイエンティストが変なものを発明するからいけないんだろうが。
大体よ、おれは除霊師じゃねぇって何度いったらわかんだ、
指についた米粒を舐めとりながら顔を上げ、礼も言わずに文句を垂れる。
「うるせぇ、何でもいいんだよ。霊害を何とかできればよ。
何でもいいが、握り飯代くれぇは働いてもらうぜ。
それに、今回はお前も関係があるんだよ。いいから来い」
そう言うが早いか背を向けて廊下を進み始めた闖入者・偉士大に、鎮護は慌てて支度を整えてから追って行った。
***
「で、今回は何だってんだよ。
俺に関係があるって、どういうことだ」
神社の下に止められていた黒塗りの車に乗り込むと、運転手が静かに車を走らせ始める。
俺は慣れた雰囲気で、隣に座る偉士大に話しかけた。
「ああ、順を追って話してやるからよく聞いとけ。
いま、あまり例を見ない規模で霊害が発生していてな。
お前だけじゃねぇ、いろいろな奴らに声を掛けるって寸法だ」
「はっ、それで俺にまで神祇省様に声を掛けていただけるなんて光栄の至り、とでも言っておけばいいのかよ。
こんな辺鄙な神社にまで長官様が足を運ぶなんて、裏政府機関の名が泣くぜ」
「その内容だが、どうも慰霊碑の封印が破られてしまったようでな。
大人しく寝ていた霊が目覚めて、封を破ったその女に強力な霊が取り憑いちまった、ていう話だぜ」
「傍迷惑な話だな……てか、それと俺と何の関係があるってんだよ」
「あれだ、その封印破った女ってのが、お前んとこの巫女だってんだ」
「あの馬鹿巫女かっ!!」
なんてこった。
俺は車窓に流れる高速道路の景色を茫然と眺めながら、短い沈黙の後で何とか再び口を開いた。
「……で、誰が除霊しているんだ」
「今は神祇省の専属除霊師が当たっているが、まるで歯が立たねぇ。
京都にも声はかけてんだが、あっちも移動中だろう」
「今回はお前ンとこの自慢のハイテク除霊システムは役に立たないってことか?」
「愛ちゃんか。試したがポータブルでは上手くいかなかったから、規模を大きくして、再度実施を予定している。
おそらく、俺達が到着する頃には準備ができているはずだ」
「愛ちゃん……いくら
「設計者がそう名付けたのだから、その名でよかろう。
名称など、識別できれば何でも良いのだ」
「……一回、鏡の前でその名前を呼んでみたらいいぞ……」
ディープラーニングを駆使したハイテク除霊システム『愛ちゃん』。
人工知能に今までの除霊の成功例を学習させ、それらしい文言をひたすら霊に投げかけることで除霊を行うシステム。
クラウドシステムを使用し大規模な演算能力を持ち、学習しながらそれっぽい言葉を延々と投げかけるそれは、嘘みたいだけれどもそれなりに効果を発揮した。
個人的には、霊がそのはた迷惑な騒音に耐えかねて逃げてしまっているだけではないかと疑っているが……。
それはそれとして、激安で除霊ができるということで未だ試用段階ながら最近では引っ張りだこらしく、お陰様で零細鎮魂師の俺の仕事はあっという間になくなった。
……放っておくと、餓死しかねないほどに。
「で、俺たちはその現場に向かっている、ということだな。
場所はどこなんだ?」
「場所は火吹山。現在噴火活動中の活火山だ」
……え?
「おい、俺は鎮魂師であって、決してレンジャー隊ではないぞ?」
「無論、知っている。
だが、その山に所縁ある、質の悪い霊が目覚めてしまったようでな。
休火山だったはずが急に活発に活動を開始した、というのが実情だ」
「は? 一介の幽霊と火山活動がなんで関係するんだ?」
「ただの幽霊ではない。
五百年前の人身御供の霊が、長い時間をかけて山の精霊と同化した存在のようだ。
ずっと落ち着いていたのだが目覚めてしまい、同期して火山活動までが活発化している、というのが現在の見立てだ」
「……そういう大事なことは、出る前に説明して欲しいのだが」
「人の握り飯を条件も聞かずに食い尽くしたのはどこのどいつだ」
「握り飯六個で命を投げ出せるか!
大体、火山活動なんて個人で何とか出来るワケないだろ!」
「だからお前を連れて来た。
そもそもお前んとこの巫女が原因だっての忘れたか。
お前の仕事は神頼みだろ、なんとかしろ」
「言い方!」
……こうして、俺は活火山の鎮火に乗り出す羽目に陥った。
今回ばかりは除霊システム愛ちゃんの活躍を祈るばかりだ……。
***
その火山の麓に辿り着いたのは、そんな会話を交わしてからたっぷり二時間も経った後だった。
人里離れた山岳地帯の中にある雄偉なその活火山は火口から朦々と煙を吹き出しており、いつ噴火しても不思議はない様相を示している。
こんな状態で山に近づくのは勇気がいるのだが……偉士大は躊躇することなく、ずかずかと山を登り始めていた。ぴしっとしたスーツ姿に革靴で足取りも確かに山肌を登っていく偉士大はきっとロボットか何かなのだろう。
俺は神具が収められたジュラルミン製トランクを抱え、ひいひい言いながら必死でその後をついて行った。
やがて山の中腹あたりまで登ると、大きな石碑のようなものがあり、登山の格好をした馬鹿巫女が力なくもたれかかっている。
少し目に力をいれて見直すと、確かに強い霊的な存在が感じられた。
「あれが人身御供とされた者達の慰霊碑だ。
一人や二人ではない、何名もの犠牲者の名が連なっている。
どうやら、その人身御供にされた霊が、あれに憑いてしまったようだ」
「……それを全員、鎮魂するのか?
どれだけ時間と霊力が必要になるのか……」
「こちらで調査したところ、一人の霊格に集約されているようだ。
まだ若い女性の幽霊。数多くの人身御供の意識を取り込んだ霊体だ、強いぞ」
それをお握り六個で何とかしろと?
冗談にもほどがあるだろ。
「俺以外にも既に来ているんだろ?
とっとと行って除霊してくればいいじゃねぇか」
「いや、強力な霊場が出来ていてな、おいそれとは近寄れない。
まずは離れた位置から除霊を試みることになっている」
石碑の方角を見遣る。
そこには、山の中腹としては場違いな、まるでコンサート会場のような映像装置にスピーカーの数々が設置されていた。
「あれが『愛ちゃん』による除霊の準備か?」
「そうだ、あれで人工知能が弾きだした、最もこの除霊に有効と判断される除霊の文句を連続的に叩きつける」
「……とても除霊を行う言葉とは思えないけどな」
俺は頭を掻きながら、その巨大なシステムを見上げた。
何人もの作業者が急ピッチで組み上げているその様は、本当にこれからコンサートでも始めるのではないかと思えてくる。
「ああ、君も来ていたんですね。
半端な鎮魂の祭儀とやらで火山の鎮火まで可能と信じているのですか?」
後ろから爽やかで嫌らしい言葉がかかった。
「……よぉ、
「当然でしょう。
神祇省ご用達の除霊師といえば由緒ある我々のこと。
貴方は、まあ、おまけのようなものでしょうか」
この厭味ったらしい物言いの尊大な男は、しかし確かに実力、家柄共に間違いはなかった。
京を中心とした除霊の権威、
背後に何名もの男女が控えるが、これら皆、コイツの門弟であり、一級の除霊師なのだろう。
「まぁ、そうだな。
御神の御使い、白狐様を纏ったお前さんには敵わないよ」
「ほう、殊勝な。
ようやく私達と自分の立場の違いを
にんまりと笑う門武、追従する門弟たち。
「ああ、お前のケツに付いている白狐様の尻尾がぶんぶか振られているのが良く見えるぜ。
まったく、神祇省の顔色を見てご機嫌を窺うその調子には敵う気がしねぇ」
こんな僻地で人間内部の序列とか、まったくコイツらの気が知れない。
門武の顔など見続ける気も起らずに石碑の方に向かった、その時に。
『ジャーーーーーーーン!!』
凄まじい音が周囲に響き渡った。
何事!?
慌てて音のした方を見遣ると、『愛ちゃん』のステージから白い
濛々とけぶる舞台に、ぼんやりと浮かぶ数体の影。
それが徐々に輪郭を結んで行くと、派手な舞台衣装を着た数人の女子達が現れて……
「おい、偉士大。なんだ、アレは」
「見て分からんか? システム愛ちゃんの除霊が開始されたのだ」
「いや、そこではなく、あのフザケタ映像は何なのだ、と聞いているんだ」
「
こいつ、投げやがった。
……いや、本気でそう思っているのかも知れないが。
呆然とその様子を眺めている俺達を他所に、舞台ではアップテンポな音楽に合わせて、
身に纏うのはアイドルのように派手な舞台衣装、手にはマイク。
畜生、開発陣の奴ら、完全に遊んでやがる! と思う間もなく、少女達は口を開き――
『ハライタマエ! キヨメタマエ!』
何かが始まった。
『フルベ♪ フルベ♪ ユラユラト♪』
『エロエロ♪ イムイム♪ エッサイム!』
『ジュゲム! ジュゲム!! ゴコウノスリキレ!!!』
少女達が微笑みかけ、踊りながら、ステージの大音響スピーカーから謎の呪文?が流れ出した。変なのも混じっているが。
どこからかき集めたのか分からない謎の単語が大音量で解き放たれる。それはもう、マシンガンのように。いや、ガトリング砲のように。
……これは悪霊でなくたって逃げ出したくなる。
「これが神祇省の最高頭脳が造り出した
お前、正気なのか? こんなのに予算を突っ込んだのか!?」
「それでも結果は出ている。
各地の霊障、霊害がいくつも、このシステムで鎮圧されたと報告を受けている」
きっと、これは依頼者が、こんなもんいつまでも鳴らされるくらいなら霊害の方がマシと考えて取り下げたんだろう。そうに違いない。
『うるさああああぁぁぁいい!!!』
突然、ステージに雷が落ち、機材から火花が飛び散った。
見ると、石碑の正面にぼんやりと人影が現れている。
白装束を着た、腰にかかるまで長い黒髪を垂らした女性らしき人影は、ステージに手をかざしながらわなわなと震えていた。
「永い眠りから目覚めかけて、微睡みを楽しんでいたのに、何を騒いでいるのか……!」
ステージ上の物がガクガクと音を立てて振動し、接続されていた電子機器に青白い電光が這い回る。
設置されたサーバーのディスプレイに謎の文字が踊り狂う。
「あははははは、取り憑いてやる! 呪ってやるわ!
私の爽やかな目覚めを邪魔する者に、災いを!!」
「畜生、やっぱり失敗したか!」
俺が神具の収められたトランクを掴みにかかると、それよりも早く門武一門が既に展開していた。
「貴女がこの御山に憑く霊体ですね!
私達の秘術を以て、疾く霊界へ送り返して差し上げる!」
そう言うが早いが、奴の門下と思しき者達が石碑の周囲に注連縄を張り巡らせ、幽霊の女を囲んだ。
「おいこら、門武! 俺ンとこの巫女がそこに転がってんだろ!
手荒な真似はするんじゃねぇよ!」
「
貴方とは腕が違うのです、安心しなさい!」
そう言って呪文を唱えると、注連縄で囲われた結界の内部が薄く青白い光で満たされ始める。
畜生、門武の野郎、腕はいいんだよな!
「これで動くことも叶わないでしょう!
さあ、すぐに霊界への門を開きます!」
ウチの巫女の背後に佇む女の霊は微かな身動ぎもせず、そこに佇んだまま。
青白い光はその女の霊を取り巻き、薄かった光が徐々に強まり、石碑も反射光で青白い柱のようにかわり行く。
「ははは、どうした! もう動くこともできないか!
はははははは! はははっはははっはははっはは!!」
門武の哄笑が周囲に響き渡った。
それに追従するように門下生たちも笑い始め、あたり一帯に不気味な笑い声が響き渡る。
耳を塞いでいても聞こえてくるその不愉快な声に思わず俺は疑問を口にした。
あいつらの笑い声に負けないよう、腹の底から、怒鳴りつけるように。
「なあ偉士大、腕は認めるが、本当にあんな奴らがお前の部下でいいのか?」
「除霊の成果は出している。何の問題もない」
偉士大は両耳を指で塞ぎながら謹厳な表情でそう答える。
……コイツが内心で何を考えているのか、それが一番の疑問だ……昔から。
と。
突然、地面が揺れ始める。
頂上の火口付近に黒い雲が集まり始め、火山雷の稲光が幾重にも走り、耳をつんざくような雷鳴がここまで轟き渡った。
「おい、やばいぞ! 本気を出してきた!」
流石にアホのような笑い声を止めた門武達は、呪文を強め、早々に決着をつけに入る。
「邪霊よ、退け! 開け、霊界の門!」
叫び声と共に印を切り、そして石碑の輝きがいや増して――
「はい、もしもし?」
何故か隣で偉士大がスマホに出ていた。
……なんでこのタイミングで。
『あなたが責任者でしょう?
この煩わしい結界を外して頂戴。私は石碑から動けないんだから、こんなの迷惑ったらないわ』
――!?
スマホから漏れ聞こえてくる声。
偉士大が咄嗟にスピーカー音声に切り替えて、俺も聞きとれるようになった。
内容からして、どう考えても目の前の幽霊からの通信になるわけだが……なんで?
『ほら、早くなさいな。
さっきの騒音を撒き散らしていた機械、呪いで私が乗っ取ってあげたわ。
もたもたしていると、インターネットを使って、世界中のどのサーバーにでも私の特製の
「おい! なんで火山に憑いていた霊体がインターネットだのサーバーだのなんて知っているんだ!」
あまりの非現実に――いや霊だの何だのと言っている時点で普通の人からしたらとっくに非現実なのだろうが――思わず口を出してしまった。
『この憑依した娘の記憶から、基本的な知識は貰ったわ。
それでそこの怪しげな設備に取り憑いたら、もう情報が出るわ、出るわ。
ちょっと面白いからインターネット上のウィルスとかいうのを呪ってみたら、私の思い通りに使役できる使い魔みたいにできたのよ。
すごいでしょ?』
スマホのスピーカーから流れる音声は門武一門にも届いているらしく、それ以上の呪の発動を躊躇っているようだ。
『言っておくけど、そんな術で私は浄化されないわよ?
ちょっとうざったいだけ。
そんなことしたら、貴方の町に某国の大陸弾道弾をお見舞いしてあげるからね』
「ちょっと待てください、そんなことができるのですか!?
まだ取り憑いてから、ほとんど時間なんて経ってないじゃないですか!」
門武が悲鳴を上げるように叫んだ。
それに応えたのは、どこからともなく別のスマホを取り出して話をしていた偉士大だった。
「事実である可能性が高い。
いま確認をしたところ、日本各地のスーパーコンピューターが謎のハッキングを受けて乗っ取られている。
更に、世界各地の官公庁機関から、日本からハッキングを受けていると、怒涛のように非難の声明が出ているようだ。
軍関係施設からは声明が出ていないが、代わりに戦闘機を急いで準備している映像が多数、人工衛星から届いているそうだ」
「聞きたくなかったよ……」
『ほーほっほっほっほっほ!!』
スマホのスピーカー音声で高笑いをする女の声を聞きながら、門武一門は諦めて霊装を解除せざるをえなかった。
「お前の要求はなんだ!」
偉士大の大きな声が響く。
『……要求?』
「そうだ!
このまま、インターネットから世界中にウィルスをばら撒いていれば、この日本と言う国そのものが世界の敵になる!
国が火の海になる前に、事態を鎮静化せねばならん!
故に、貴様の要求はできる範囲で聞く! 要求を言え!!」
『……要求……』
幽霊の女は片頬に人差し指を当て、首を傾げている。
「要求がないのならば! また、静かな眠りにつくがいい!!
我々が責任を持って鎮魂の祭儀を取り仕切り、安らかに
交渉と見せかけてさり気なく成仏へ誘導する偉士大。
『嫌よ』
「何が不満だ!」
そら、いきなり成仏は不満だろうさ。
この人、しれっと酷いこと言うからなあ。
『私は……何か、何かやりたいことがあったはず。
せっかく起きたんだもの、それを見つけて為すまでは寝ないわ』
「そんなに時間はかけられない!
日本が火の海になるぞ、お前は故国が沈んでもいいと言うのか!」
『え? 別に構わないけど?
この身体で、どこか別の国に移動すればいいんでしょ?
この御山そのものが無くならない限り、私の力は問題ないわ』
「貴様……!!」
偉士大がぎりっと歯軋りをする音が聞こえてくる。
しれっととんでもないことを言う霊。
つまり除霊は不可であり、この国の破滅は不可避ということだろうか。
……いや、そうはさせない!
「おいっ! 今すぐその傍若無人な振る舞いを止めるんだ!」
超々ジュラルミンで造られた弓を構え、青いシャフトの矢を番えた俺は、霊に向かって警告を発する。
その矢が狙う先は――霊が取り憑いている、ウチの神社の巫女の額。
『何をやっているの?
あなたは、この娘の神主でしょう?
記憶を読めば分かるわ、あなたはそんな非道なことができる人ではない』
「うるせぇっ!
てめぇこそ、今すぐその
その
額から珠のような汗が噴き出す。
矢の照準が少しでも外れたら終わりだ。確実に当てなくてはならない。
もし間違ったら、俺は自分の命で贖わなくてはならない。例えそれが的外れな贖罪になったとしても。
この矢は、文字通り俺の命懸けの狙いなのだ。
『そんな脅しは私には通用しないわ。
……あら。
この娘さんの記憶を読ませてもらったら、あなた、随分と慕われているじゃない?
大切な娘さんをあなたの手で殺すつもり?』
「だから、うるせぇって言ってんだよ!」
そう言うと俺は一呼吸を鎮めて狙いに集中して、矢筈から手を離した。
軽やかな弦の音がビン、と響いて、そっと矢が空を走り始める。
ふわりと柔らかく揚力を受けたその青い矢は僅かに持ち上がり、やがて俺の目が引いた射線をなぞるようにたどって、標的に突き刺さった!
カーン……
硬質な、澄んだ音が空に響き渡る。
馬鹿巫女の額、その脇をすり抜けた青い矢は一閃、後背に佇立する石碑のど真ん中に突き立っていた。
『――なぁっ!?』
蹲っている馬鹿巫女の後背に在るその幽霊の輪郭がブレる。
電波の悪い状態で受診した映像を映し出された画面のように、輪郭にノイズが走るかのように部分的に、瞬間的に形が崩れては戻る。
そのできた隙を利用して、俺は立て続けに六本の青い矢を放つ。
場所を変えながら、馬鹿巫女に当たらないよう放たれた矢は、石碑の中央に突き立つ最初に当てた矢を中心に六角を形作るよう配置されていた。
「お前の象徴とも言える石碑に突き立てた。
どうだ、力が出ないだろう」
笑いながら、俺はその幽霊に向かって語りかけた。
「安心しな、これは人間に例えていうなら鎮静剤を射っているようなものだ。
お前の魂を傷つけるようなものじゃぁねぇよ」
幽霊はゆっくりとその面を上げた。
輪郭はややぼんやりとして、ふわふわしている。
「俺は霊を
魂を慰め鎮める、鎮魂師だ。乱暴はしねぇよ。
――その青い矢は『鎮魂の矢』。
霊を鎮める効果を持つ、俺の念を注ぎ込んでいる、言ってみれば俺の願いそのものだ。どうだ、悪い感じじゃぁねぇだろう?
その馬鹿巫女からは
だが、悪いようにはしないつもりだ。
だから、どうしたら良いかを、話し合おうぜ。」
その言葉を聞いた幽霊は小首を傾げた。
「――チンコの矢?」
『ふざけんなっ!
なんでこんな大事な場面でそんな聞き間違いするんだよっ!』
思わず顔を赤くして、大声で叫んでしまう。
あー、びっくりした。
「――ん……。
あれ……鎮護……さん……?」
その声の大きさと、幽霊による干渉の力が低下したためか、憑依されていた馬鹿巫女が意識を取り戻したようだ。
「おう、気が付いたか、馬鹿巫女。
気分は悪くないか? 大丈夫か?」
ぼんやりと体を起こして、左右を見回す。
それから再び俺を見た頃には、目の焦点が戻り、力が少し感じられた。
「――あの。鎮護さん。聞いて下さい」
「おう、どうした? 馬鹿な真似をした謝罪なら後で構わないぞ?」
「鎮護さん、私と結婚してください」
俺は、目が点になるという体験をした。
「……は? なんでそうなる??
お前、まだその幽霊に悪い影響でも受けていやがるのか?」
「結婚したら、私を甘やかしてください。
いっぱい稼いでください。家事も全部お願いします。私の我儘は全部聞いて下さい。
……いかがですか?」
「『いかがですか』じゃねーよ!! なんだその奴隷みたいな生活は!!
大体お前、俺より一回り近く下の十六歳じゃねぇか!! はえーよ!!」
「あっれー、おかしいなぁ?
民間伝承とか古文書とか調べまくって、この御山の石碑は願いを叶えてくれるありがたい碑だ、ていうからわざわざ来て、お札剥がしてからお願いしたのに」
「お前、そんなつまんねぇ理由で、これだけの人間を巻き込みやがったのか!
その願いってのは、人身御供を捧げることで、荒ぶる神を鎮めるってもんだよ!
断じてお前みてぇな自分勝手な奴の欲望を叶えるもんじゃねぇよ!」
――くっそ! なんだコイツ、そんな下らないことでわざわざこんなところに神頼みに来やがったのか!
頭はやたらといいくせに、なんでこうズレてんだよ!
「なんですか鎮護さん!
こんな可愛い乙女心を袖にするなんて! ひどいじゃないですか!」
「全然可愛くねぇよ!
見ろ、あの呆然とした門武一門の顔とか、苦虫を嚙み潰したような偉士大の顔とかをよ!
お前、どんだけ人に迷惑をかけたら気が済むんだよ!」
「むぅ、ひどいです! 庇ってくれたっていいじゃないですか!
いつも金がないっていうからボランティアの無償の愛で巫女さんやってあげている恩も忘れやがってです!
もう、うまくいかなかったのは、この矢のせいです!
引っこ抜いてやるです!」
「あ、おい、やめろ――」
人がどんだけ苦労して、この矢を射ち込んだと思って――
『復活!』
沈黙していたスピーカーモードのスマホが喋り始めた。
「『ほほほほほ、これでもはや私達に敵はいないわ!』」
うわ、馬鹿巫女と幽霊が完全にシンクロしやがった。
幽霊が馬鹿巫女の身体と被っていて、もう取り憑かれているというか完全に一心同体じゃねぇか。
「『全世界のネットワークも再度征服した。
この火山の力も完全に私が掌握したわ。
どう、これで私にはもう逆らえないわ』」
ぐ……。
もう俺の鎮魂の矢も効かないだろう。
馬鹿巫女から霊を
……万事休す。これからこの国は世界の敵となるのか……
「もう一度聞く。貴様の要求はできる範囲で聞く! 要求を言え!!」
偉士大が再び交渉に入った。
「『――そうね。この娘のおかげで、私も自分の望みを思い出せたわ』」
そう言って幽霊と――その依代たる馬鹿巫女が同時に微笑んだ。
ぴっ、と人差し指を立て、要求を述べる。
「『私はもはや火山の化身と呼んでよい存在。だから要求する。
私に人身御供を差し出しなさい』」
まさかの人身提供の要求。
馬鹿巫女の、まるで奴隷のような要求に感化されたか!?
「どんな人身御供を所望だ!? 何名くらい必要なのだ!」
うわ、話に乗っているよ、偉士大。
願わくば、交渉のための方便であることを望む。
「『そんな何人もいらないわ。私が欲しいのは一人だけ。
――その男を提供なさい』」
そう言って幽霊と馬鹿巫女は、シンクロした状態で俺を指さした。
ふ ざ け ん な っ !!
「おいこら、お前ら、何言ってやがる!
なんで俺を所望すんだよ! 偉士大、その物を見るような目で俺を見るな!」
「『何を言っているの! あなた、さっき私に卑猥なものを射ち込んできたじゃない!』」
「だから違うっつってんだろ!」
「――いや、いいだろう。
全世界のネットワークから手を引き、活火山を鎮め、世界各国からの非難声明の沈静化に協力してくれるなら、その男をお前に提供しよう」
「『それに、私の存在の自由と行動の自由、決して私に攻撃をしかけないことを約束しなさい』」
「承知した」
「――て、承知した、じゃねーよ!
お前、俺を生贄にするんじゃねぇ!」
半泣きで叫ぶ俺の肩をぽんと叩く偉士大。
「お前一人で全て解決するんだ。黙って犠牲になってくれ」
「おいふざけんな、いいわけねぇだろう!」
「お前が食べた握り飯六個、もしくはその代金を今すぐ返すのなら考えよう」
ぐ、と言葉に詰まる。
くそう、握り飯が憎い。
「大体おまえ、俺なんか人身御供として受け取ってどうするつもりだ!
俺を殺して、魂を取り込むつもりか!」
矛先を幽霊に向け、指をびしっと指し示す。
「『――? そんな野蛮なことはしないわよ?
私の望みはね、人身御供に遭う時に願ったこと。
私のお母さんみたいになりたい。
嫁に行き、子供を産んで、育てて、子供たちに囲まれて生きたいの』」
「幽霊に結婚とか出産とか無理だろ!」
『大丈夫よ、この娘が手伝ってくれるわ』
「鎮護さん、私、力を手に入れましたから!
もう鎮護さんは私の言いなりです!」
……こいつ、幽霊に憑依されて言いなりになっていた訳じゃなかった。
正気のまま、この幽霊とシンクロしていやがったのか!!
「待て待て待て!!! この世には俺よりもっといい男がゴマンといるだろ!
なぜ俺に固執するんだ、お前は!!」
俺の最後の足掻きに、幽霊は頬を赤く染めて――あれ、幽霊だよね――俯きながら小さい声で答えた。
『先ほど、卑猥な矢を私に向けて射ちこまれてしまいましたので――もう、この方に貰ってもらうしかないかと――』
「そうです、鎮護さん! 男なら責任取らないと、です!」
「諦めろ、鎮護。人生ごと。お前はもう詰んでいる」
最後をそう締めて俺の肩をぽんと叩く偉士大の最後の一撃に、俺はもう力なく崩れ落ちるより他にできることはなかった。
***
高台にあるその神社、鳥居をくぐるまでに幾段もの石の階段を登らなくてはならないその神社は、それ故に静けさと清涼さが密かな自慢の社であった。
鎮魂師・鎮護は、その好もしい静けさに身を浸しながら、日課の神具の手入れをしていた。
幾多の死線を共に潜り抜けて来た弓。
長い月日をかけて自身の祈祷を納めて来た矢。
次なる戦いのために、これらの神具を調えているこの瞬間、心が洗われるように清らかに感じられる瞬間に、彼は満たされるのだ。
そう、そんな満ち足りた毎日、だったのだ……
「あなた~、ご飯の用意ができましたよ~……って、きゃー!!
これ、一回やってみたかったの!!」
「はいはーい、鎮護さーん、ごはんですよー!
っても、あたしも霊ちゃんも料理できないから、いつものコンビニにぎりですけどー!」
自称・嫁共の姦しい声が境内に響き渡る。
その声を聞き、神具の手入れをしていたその手が止まる。
数瞬の停滞のあと、溜息と共に彼は立ち上がり、彼女達の待つ部屋へと歩き出す。
時に令和四年。
除霊界に彗星の如く現れた三人組。
長い黒髪を持つ切れ長の瞳の強力な力を持つ美女と、不世出の天才と呼ばれる愛嬌のあるアーモンド様の瞳を輝かせた少女、そして彼女達に付き従う男は、世界中のどのような霊的問題も瞬く間に解決してしまうと各地の同業者に怖れられる存在となっていた。
事情を知る者は、蔑みと憐憫の想いを籠めてその男を呼ぶ。
――令和の人身御供、と。
【令和の人身御供・完】
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