【第2回「エイル&クロノヒョウコラボ企画」】後輩のおくりもの

 振り向くとそこには、ちょうど自分の腰丈くらいの生物がいた。

 灰色の硬質な外皮、体格に比して大きな顎から覗くのは白く鋭い牙。それが群を成している。

 少し警戒するように唸り声をあげ跳び掛かってきた。


「いやああぁぁ!!!」


 悲鳴を上げて走り出す。

 体が重い。

 普段の六倍の重力なのだ、パワースーツを着ていても体を上手く動かすことができない。


 異形の生物はすぐに追いつき、防護しているパワースーツを齧り、爪を立てる。

 嫌な響き、スーツを通して感じる振動。


 怖い、怖い、怖い!


 瞳に溜まる涙で視界が潤み、足がうまく動かず地面に倒れた。


 ――助けて――!


 ぱんっ!


 その時、彼女の耳に乾いた炸裂音が届いた。


 ぱんっ! ぱんっ! ぱんっ!


 何度も続く音。

 気が付くと襲撃者は散り散りになり、私は涎でべとべとになったスーツを着て一人で倒れていて。


「大丈夫か?」


「先輩!」


 四つん這いになりながら、敬愛する相手の声に涙が溢れ出る。

 そのみっともない姿を自覚し盛大に恥ずかしい思いをするまで、さほど時間は必要なかった。


*** 


 薄暗いコンクリート造りの廃墟の中。

 巨大なしゃぼん玉のような気泡の中で毛布にくるまり、自分のスーツを修理してくれている先輩を眺める。


「先輩、自分の未熟で迷惑ばかり、すみません……」

「何言ってんだ、十四歳になったばかりだろ?

 お前の世話をするのも、お前が生きてくれている証拠で俺は嬉しいんだよ」


 目線はスーツに落としたままで先輩は答えてくれる。


「じきにホームへ帰る飛宙艇の出発時間だ、急がないとな」


 そう言った先輩はぴくりと体を止め、それから自分のスーツから何かを取り出して作業を続けた。


「そうだ! 先輩に渡したいものがあるんです!」


 私は先輩にお願いしてスーツのポケットから白い箱を出してもらう。

 本当は手ずから渡したかったのだけど、仕方がない。


「これは?」

「えへへー。いま、二月中旬ですよね。昔の風習を真似て、お世話になっている先輩にプレゼントです!」

「……お前、まさかこれ収集品か? ご法度だぞ?」

「まあまあ、少しですよ!」


 笑ってごまかす。

 先輩は少し呆れ顔になってから、苦笑してくれた。


「昔、まだ地軸移動ポールシフトが起こる前、冬は寒い季節だったらしいですよ? 白い雪の中で贈り物なんて素敵ですよね!」

「今は気候変動で二月はまだ暑いもんな。六月に降る雪は黒ずんでいるし。

 昔は毛で覆われた柔らかくて美しい動物がいたと言うし、美しい世界は記録の中、だな」

「成層圏の変質で遮断されない太陽光から身を護るために外皮が異常発達、でしたっけ? あいつら、全然かわいくない」

「地球はもう俺達が住める環境ではないからなあ。大気組成も狂って、その防護膜がないと呼吸はおろか肌を晒すこともできない。まして太陽光に肌を曝したら数秒で終わりだ」

「でも月には食料が限られているから地球に漁りに来なきゃならない、ですねー」

「漁るはひどいだろ」


 お手上げをした先輩は止めていた手を再び動かす。

 私の為に一心に修理をしてくれる先輩の背中を見ていると、こんな世界に居ながら心が温かくなる。


 ――先輩。


 心の中で呟く。

 恥ずかしいような、くすぐったいような。変な気分。


「よし、着てくれ!」


 こちらを見ないでスーツを膜に入れてくれる。

 毛布を外し裸に近い肢体にスーツを着る。先輩がすぐ側にいるのに変な気分。


「先輩、さっきのプレゼントは、基地に帰って一人で開けて下さいね!」


 飛宙艇に戻る途中、念を押す。

 インターコム越しに見える先輩が苦笑して了承してくれた。


「飛宙艇が見えました! 間に合いましたね、良かった!」


 やっと、スーツを脱げる!

 その一心で私は飛び跳ねる。


「しまった! さっきの所に、修繕道具を忘れた。

 先に飛宙艇に戻っていてくれ、すぐに取って来る」

「え? 先輩、一人で大丈夫ですか?」

「誰に言っているんだ?」


 先輩に小突かれる。

 こんな些細なやりとりでも楽しい。


 急いでくださいね!


 それだけ伝え、私は飛宙艇に走った。


***


『――そんなわけで、俺のスーツは破損し、もう俺も長くない。行ってくれ』


『そうか――すまん。燃料も、食料も限られているんだ』


『知ってるさ。気にするな、じゃあな』


 通信士に伝え、しばらくして飛び去る飛宙艇を見送った。

 若い彼女が生き残るのが正解なんだ。

 彼女の壊れた大気浄化ユニットが収まった自分のスーツをポンと叩く。


 最期くらい防護膜を張りスーツを脱ぐ。


 そう言えばアイツからプレゼントとか渡されたっけ。

 開けてみると、白い文字が書かれていた茶色いハート形の板。


 文字を読もうと傾けると、どろりと溶けて崩れ落ち、もはや原型を留めない。

 そうか、今年は酷く暑さが残っているから外気温は五十度くらいあるのか。


 最後まで後輩の期待に沿えない己を自嘲し、残暑を少し恨む。

 その茶色く甘い粘体を舐めながら、せめて後輩の気持ちに添いたかったな、と徐々に薄れゆく意識の中で思う。


 ……全く後輩のプレゼントを溶かすとは、この冬の残暑は酷かった。

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