AIを信じるか、自分を信じるか

 鬼怒川が306号室に着くと、そこはスタッフ達で混み合っていた。


「先生、依田さんが突然苦しみ始めました」

「AI診断は?」

「まだ時間がかかります。そういえば依田さん、入院の前日に温泉の掃除をしていたようです」


 温泉?

 鬼怒川の記憶の片隅に一つの疾患が思い浮かんだ。


——温泉と急激に悪化する肺炎と言ったら……レジオネラだ。


 レジオネラ肺炎とは、温泉などに稀に住みついているレジオネラという菌が原因の肺炎で、どれだけ元気な人でも急激に悪化し、時には死に至る恐ろしい肺炎だ。


「レジオネラ肺炎かもしれない。抗生剤、ニューキノロンの準備して」

「先生!」


 近くにいた師長が制した。


「AIの診断を待ちましょう」

「何言ってるんだ、待ってる暇はない」

「もしAI診断とは別の治療を先生がやって、患者が亡くなった場合、裁判で負けますよ。判例もあります」

「俺は医者だぞ、今まで勉強もしてきた。自信がある、それに状況は急ぐんだ」

「先生は確かに勉強してきたかもしれません。でもAIにはもっと多くの年月の情報が蓄積されているんです。リスクマネージメントの観点から、AIの結果を待たずに先生の判断で治療をすることは反対です」

「俺が信じられないっていうのか!?」


 別の看護師が駆け込んできた。


「鬼怒川先生のAI診断、出ました」

「なんて書いてある?」


 看護師は結果を読み上げた。


「依田さんに、パクリタキセル大量投与、ってあります。」


 鬼怒川は言葉を失った。


「嘘だろ……パクリタキセルって抗がん剤じゃないか。こんなの大量投与したら、元気な人でも死ぬぞ」


 固まっている鬼怒川に、師長が苛立ちをあらわにした。


「なにためらってるんですか。先生、決断してください」

「いや、待て。患者は依田さんで本当にあってるか?」


 看護師が紙を確認をした。


「はい、合ってます」

「これをしないとどうなるって書いてある」

 

 看護師が慎重に時の結果の欄に目をやった。


「死亡ってあります」

「確かだな? と死亡ではなく、死亡、とあるんだな?」


 看護師は真剣な眼差しで頷いた。


——どうする? 明らかに現状は抗生剤の方がいい。抗がん剤なんか投与したら殺しているようなもんだ。しかしAIが言うんだ、きっと何か意味があるはず。


 悩んだ挙句、鬼怒川はAIに従った。

 パクリタキセルという抗がん剤を大量に投与し、数時間後、予想通り依田は死んだ。鬼怒川は起訴され、被告人として刑事裁判に赴くことになった。


 鬼怒川の有罪は濃厚であり、いよいよ判決が下されようとしていた。

 裁判所でうなだれる鬼怒川に、裁判長が声をあげた。


「被告人は、患者の命を救うべき立場にありながら、個人の判断という義務を怠り、AIの判断に全てを委ね、医学的に誤った治療を施し、結果的に患者を死に至らしめた」


 鬼怒川はちらっと、弁護士を見た。高い金を払って雇ったのだが、どうやっても自分の有罪は免れないようだった。


——こんな時に電話なんかしてるよ、もう諦めて次の裁判のことでも考えてんのかな。


 鬼怒川が再び視線を落とした時だった。突如鬼怒川の弁護人の声が響いた。


「裁判長、待ってください、新しい証人を得ました」


 検察側が制する。


「今さら証人がいようと判決は変わらないだろう!」

「いや、変わります。被告人は無罪です。今からそれを証明してみせます」

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