第一章 縁切り神社の怪異⑧

 翌日、手首のDNA検査の結果が出た。

 やはり予想通り、手首から検出されたDNAは山際綾子の自室にあったブラシの髪の毛から検出されたDNAと完全に一致した。

 これにより、被害者は山際綾子と確定される。

 しかし、それからさらに数日経っても、捜査本部の刑事たちによって行われた地取り捜査は芳しい成果をあげられなかった。

 地取り捜査とは捜査対象周辺に住む近隣住民への聞き込みをいう。

 手首入りのレジ袋をゴミ置き場に捨てた人物は、燃えたゴミ収集車の収集ルート近くに住んでいるか、もしくは仕事などで頻繁に訪れる人物なのではないかと当たりをつけて近辺の聞き込みが行われていたが、当日あやしい者を見たという情報は多数あがってはくるもののしんぴよう性のあるものはほとんどなかった。

 防犯カメラ映像の調査でも、特段怪しい動きをする人物はみつけられていない。

 山際綾子の自宅はふし区にあるためゴミ収集車の収集ルートとは一致しておらず、彼女の自宅からはけつこんらしきものも争ったあともみつからなかったため、彼女は自宅以外の場所で手首を切られたと考えられた。

 山際綾子の目撃情報も集まらず、彼女の捜索も暗礁に乗り上げている。

 彼女は三月二十五日に株式会社洛北エステートを午後八時頃退社したあと、こつぜんと姿を消したままだ。

 株式会社洛北エステートはJR京都駅の南側にある。通常はそこからきんてつきよう線で南下し、自宅のある伏見駅で降りるのが通勤ルートだったようだ。

 実際、その前日前々日には退社したあと駅の防犯カメラ映像で彼女の姿が確認できていた。

 しかし、三月二十五日は会社を出たあと、いつもと違う方向に歩いて行ったことまでは会社近くのコンビニの防犯カメラ映像から確認できたものの、それより先の行動は追跡できていない。

 繁華街を通り過ぎてしまえば防犯カメラの数も格段に少なくなる。

 交通機関の記録によると、三月二十五日の夜以降に彼女が自分の交通カードを使った形跡はなく、彼女らしき女性を乗せたというタクシー会社も見つかっていない。

 そんな中、阿久津たちが安井金比羅宮で発見した形代に書かれていた「A」というイニシャルは、大きな手がかりとなっていた。

 早速、彼女の会社、交友関係、親類関係からAというイニシャルを持つ人物が徹底的に洗い出され、彼らを参考人として北野署で話を聞くことになった。

 人手が必要なため阿久津と亜寿沙も、任意聴取の班に回される。

 北野署で参考人二人の任意聴取を終えて警察本部の自分のデスクに戻ってきた亜寿沙は、腰を下ろすやいなや深い嘆息を漏らした。手の中に包み込むように持ったマグカップのあたたかさとコーヒーの香ばしい香りが、疲れを癒やしてくれるようだった。

「なかなかそれっぽい人がいませんね」

 もちろん参考人たちから聴取した話をみにするわけではない。しっかりと裏付け調査はするのだが、それでもいまのところ任意聴取した参考人からはめぼしい当たりをつけられないでいた。任意聴取にあたる他の班でも同様のようだ。

 今日聴取した相手もしっかりとしたアリバイがあるようで、容疑者の可能性は限りなく低いように思えた。

「まぁ、こういうのは気長にやってくしかないさ」

 向かいに座る阿久津にそう慰められる。

「そうですよね……」

 小さく息をつくと、こくりとコーヒーを一口飲み込んだ。

 捜査はときに長期に及ぶこともある。しかし、今回はいまだ被害者が発見されていない。死んでいるのか生きているのかすらわからない。

 その状況でいたずらに時間ばかりが過ぎていくのがもどかしい。

 と、そこに、

「やぁ、元気にやってるかい? それに岩槻さんも着任早々大きな事件に出くわして大変だったね。ここの職場にも、少しは慣れたかな?」

 長身の男が阿久津の肩にポンと手を置きながら、亜寿沙にもねぎらいの言葉をかけてくれた。

 風見管理官だ。

「は、はいっ」

 驚いた勢いで、手の中のコーヒーがこぼれそうになる。

 風見管理官は年齢こそ若いが羽賀捜査第一課長に次ぐ地位の人。

 職層でいえば、羽賀課長と同じ警視だ。そのうえ彼はキャリア組。これからどんどん出世して、警察行政の中枢を担っていくお方だ。

 ついでに今回の事件の捜査本部長でもある。

 そんな偉い人に声をかけられて、反射的に背筋が伸びる。

 それなのに阿久津は、風見の顔を見るやうっとうしそうにその手を払った。

「ぼちぼちやってるよ。なんかご用ですか? 風見管理官」

 それにどこか、返答がぞんざいだ。

 係長級の阿久津は警部補のはず。二階級も上の相手に対する態度とは思えず、亜寿沙は内心はらはらしていた。

 しばらく一緒に行動してみて、阿久津は始終けだるそうで眠そうではあるが、決して礼儀にもとるタイプではないと感じていただけに意外だった。

 しかし、風見管理官は気にした様子もなく、親しげな調子で阿久津に話し続ける。

「相変わらずだな。顔色が良くないぞ。ちゃんとご飯食べてるか?」

「放っておいてくれ。元からこんな顔色だよ」

「まぁ、たしかにそうだったかな。今度、ひさしぶりに一緒に晩飯食べにいかないか? ぽんちようにいい小料理屋を見つけたんだ。岩槻さんも一緒にどうかな」

「いいよ。お前一人で行ってこい」

「そう言うなよ。せっかく京都に赴任したのに、なかなかゆっくり出歩く暇もなくてさ。ようやく自力開拓した初めての店なんだから」

「そりゃ、管理官は忙しいだろうな。どんどん上に昇らなきゃいけない人は大変だろう」

「なんで他人ひとごとみたいに言うかな」

 風見管理官が苦笑を浮かべる。イケメンは、どんな表情をしてもやっぱりイケメンなんだななんて亜寿沙はつい思ってしまった。

 と、そのとき管理官席の方から「風見管理官。ちょっとよろしいですか」と徳永強行三係長が呼ぶ声が聞こえた。

 何か相談したい案件があるようだ。

「おっと、呼ばれちゃった。じゃあ、また。今度、メールするよ」

 早口でそう言うと、風見管理官は自席へ戻っていった。

 風のようにきて、風のように去って行く人だなぁなんて風見管理官の後ろ姿を見送ったあと、亜寿沙ははっとする。

「もしかして、私も一緒にご飯食べにいくんですかっ!?」

 あんな偉い人とご飯を食べにいくだなんて、歓送迎会の大人数くらいでしか経験がない。

 何を話せばいいんだろうと今から心配になる亜寿沙を見て、阿久津は小さく笑みを浮かべた。

「嫌なら嫌って言っておくよ」

「い、いえっ、決してそんなわけじゃ……」

 お断りするのも、気が引ける。

 迷う亜寿沙に阿久津は気遣うように言う。

「まぁ、あんまり気負わなくても大丈夫だよ。あいつはそういうの気にするタイプじゃないし。単に新人を労って、不満とか愚痴とか聞き出したいだけだろ」

「そ、そうなんですか……。それにしても、阿久津さん。風見管理官と親しいんですね」

 飛ぶ鳥を落とす勢いのキャリア組と、出世には全然興味なさそうな閑職刑事。

 なんだか意外な組み合わせに思えた。

「そうだな。一応、同期だしな、あれ」

「同期?」

「そう。大学でも同期でゼミも同じだったし、警察庁に入ったのも同じだった」

「警察庁……え、ちょっと待ってください。それって……」

 それが示すことの可能性を考えて、亜寿沙はしどろもどろになる。

 通常、警察官は各自治体にある都道府県警に採用される。

 もちろん亜寿沙も京都府警の警察官採用試験を受けて採用され、警察官になったのだ。

 だが例外的にそれ以外の採用ルートから警察官になる者もいる。

 それがキャリア組や準キャリア組と言われる人たちで、彼らは国家公務員試験を受けて警察庁に採用されたエリートだ。

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