第一章 縁切り神社の怪異⑦

 本殿の前で一瞬足を止め、軽く会釈をしてから足早に通り過ぎた。

 その先に進むと、目の前にあの縁切り縁結び碑が見えてくる。

 そこにあるとわかっていたのに、見た瞬間腕にぞわっと鳥肌が立った。

 白い形代を大量に纏う異様な碑。

 昼間に初めてこの碑を見たときも驚いたが、照明に照らされて夜の闇の中に浮かび上がる姿は、日の光に照らされたときよりも一層すごみを増していた。

 今からこの碑をつぶさに調べて、山際綾子の手首が握りしめていた形代の上半分をみつけなければならない。

 ごくりとなまつばを飲み込んで、懐中電灯の入ったトートバッグを抱きしめる。

 碑に近寄らなきゃと思うのに思うように足が動かない。これ以上近寄りたくないという気持ちが強くなる。

 そのとき、肩をポンポンと数回軽くたたかれた。

 振り向くと、すぐ後ろに阿久津が立っていた。

「軽くなっただろ?」

「へ?……あ、あれ。ほんとだ」

 さっきまで鉛のように重くなっていた身体が急にすっと動きやすくなっていた。足の重さも感じない。まるで、肩に載っていた重荷がとれたかのようだ。

「ここは縁切り神社っていうだけあって、切羽詰まった願いを託しにくる人も多い。だからどうしても人の思いや念といったものがまりやすくなってしまって、寄りついてくることがあるんだ。そういうのは軽く叩いてやると離れていく」

「人の思いや念、ですか?」

 何を言っているんだろう、という目で阿久津を見た。

 亜寿沙はオカルトや幽霊のたぐいを一切信じてはいない。

 さっきのは、単に昼間とは違う場の空気にまれて恐怖心から身体が動かなくなっていただけのこと。

 それを見えない何かのせいにするだなんて、馬鹿馬鹿しい。

「昼間とは雰囲気がちがってて、ちょっと驚いただけです。そんなことより、早いとこやっちゃいましょう」

「……そうだな」

 阿久津はまだ何かいいたげだったが、あきらめたように肩をすくめた。

 亜寿沙はトートバッグをがさごそまさぐって懐中電灯を取り出すと、縁切り縁結び碑に貼られた形代を一枚一枚調べていく。

 しかし、やっぱり数が多い。

 千切れた形代なら他のものと形状が違うからすぐに見つかるかと思っていたが、認識が甘かった。形代は上にどんどん重ねるように貼られており、場所によっては紙の重さで形代の塊がいまにも地面に落ちそうなほどの量になっている。

 それを一枚一枚めくって、千切れた形代を捜していく。

 片手に懐中電灯を持ちながらの作業ということもあって、なかなか思うように進まない。

 碑の反対側で同じように形代捜しをしている阿久津に目をやると、なぜか彼は懐中電灯ももたずに作業をしていた。

 しかも彼がいる側は、照明のある場所から離れている。碑自体の陰になって手元なんてほとんど見えていないんじゃないだろうか。

「阿久津さん。懐中電灯忘れたんですか? それでしたら、比較的明るいこちら側の方を捜してください。私がそちら側を見ますから。それか、コンビニで懐中電灯を買ってきましょうか?」

 たしか東大路通を少し下ったところにコンビニがあったはずだ。

 しかし彼は、

「いや、いいよ。俺、夜目が利くんだ。この方がやりやすい」

 と言って、中腰になったままどんどん形代をめくっていく。

 亜寿沙にはほとんど真っ暗に思えるほど彼の手元は暗いが、機敏な動きで亜寿沙よりも早く形代を探っていた。

 日中はあれほどまでに始終眠そうでだるそうにしていたのに、いまはそんな気配はじんもない。

 この人、完全に夜型なんだろうな、と亜寿沙はそう納得した。

 逆に亜寿沙の方がうっかりするとアクビが出てしまう。

 何か話でもしていないと、寝落ちしてしまいそうだ。

 眠くなれば作業効率が落ちる。見落としてしまう原因にもなりかねない。

 亜寿沙は眠気覚ましもかねて、今朝からずっと気になっていたことを阿久津に尋ねてみた。

「ところで、ずっと気になってたんですけど、『特異捜査係』って何の捜査をする係なんですか?」

 捜査第一課は殺人や強盗、誘拐などといった強行犯を扱う部署だ。その中に、強行一係から八係まであり、さらに児童虐待を捜査する児童虐待捜査指導係や、長期未解決事件を捜査する特命捜査係、火事事件をメインに捜査する火災犯罪捜査指導係などがある。係によって扱う事件のタイプが決まっているのだ。

 では、特異捜査係はどんな事件を担当する係なのだろう? しかも二人だけの係で、昨年度までは阿久津一人だったというのだからますますわからない。

 亜寿沙の疑問に阿久津は手を止めると、しばらく考えてから弱ったなぁというように頭をいた。

「まだ言ってなかったっけか」

「……そんなに言いにくい部署なんですか」

 亜寿沙も形代捜しの手をとめる。言いよどむほどの事情のある部署なのだろうかと不安が大きくなる。そもそも配属されて丸一日近く経つのに、具体的な捜査対象を聞かされていないこと自体が尋常ではない。

「いや、うん……まぁ。さっきの反応見てても、岩槻がそういう系統のことを嫌ってるのがわかったしなぁ」

「さっきの反応?」

 一瞬何を言っているのかわからなかった。そんなまずい反応なんてしただろうか。

 わけがわからずきょとんと彼を見返すと、阿久津は空中を三度叩く真似をした。

 それで、先ほど阿久津に肩を叩かれたときのことを思い出す。

 そのとき自分は何と言ったか……。

「あ!……え。オカルトとか幽霊とかそういうもののことを言ってるんですか?」

 先ほど亜寿沙は確かに、そういう類いのものは信じていないと態度で示した覚えがある。

「まぁ、それに近いな。うちの『特異捜査係』は通常の捜査の対象からは外されてしまう超常的なものや怪異と呼ばれるものを考慮した捜査を行う。もっと平たく言うと、幽霊だったり、君がいうオカルト的な不思議な現象だったり、目に見えない存在だったり、そういうものが残してくれたヒントも考慮して捜査をするってことだ」

「…………!」

 声が出なかった。

 なんなのだ、そのふざけた業務内容は。

 あきれて、二の句がつげない。

「……そんなもの、何の証拠にもなるわけないじゃないですか! ふざけないでくださいっ」

 だって幽霊や目に見えないものは、人が恐怖やストレスにさらされたとき、または何らかの精神疾患などを原因として脳が作り出してしまう幻想にすぎないからだ。

 そんなものを利用して捜査しようなどと、馬鹿げているにもほどがある。

 昼間見た、徳永強行三係長のどこか馬鹿にした態度も今となればうなずけた。

 正気のじゃない。心の中で膨れ上がる阿久津への不信感を心の中だけで押しとどめることができず、語気が強くなった。

 しかし阿久津にはまるでれんに腕押し。彼は軽く肩をすくめると、ひょうひょうとした様子で亜寿沙を眺めてくる。

「でも実際に、そういう方面からの捜査で事件の解決を見ることもあるんだ。俺は昔、とある事件を追っているときに鬼にまれてから、鬼の性質を帯びちまったんだよ。そのおかげで怪異に遭遇することが多い。そこから得た証拠やヒントを元に捜査していたら成果を多くあげるようになったが、周りにはなかなか理解されにくい。だから、風見管理官が俺が自由に動けるようにってんで上に進言してくれて俺だけの係が作られたんだ。まぁ、他の係から厄介払いされたともいえるけどな。そして今日、いやもう日が変わって昨日のことか。君が配属されてきて二人態勢になったってわけだ」

 つまり、亜寿沙は阿久津が厄介払いされた係に配属されたということだ。それはイコール自分も閑職へ追いやられたことと同義だ。

 もしくは、彼の監視役でも期待されているのか。

 しかも、今度は鬼と来た。彼はどこまでそんな非現実的な話をするのだろう。もしかして本気で信じ込んでいるんだろうか?

 だとしたら、彼のことが本気で心配になってきた。

「あ、あの、阿久津さん! それってたぶんストレスなどからくる幻視とか幻聴とか言われるものじゃないかと……」

「あ、あった! これだ!」

 意を決して忠告した亜寿沙の言葉は、阿久津の歓喜の声で打ち消される。

「あったって……え、形代の上半分ですか……?」

 亜寿沙も阿久津のそばへ駆け寄ると、阿久津は形代の束を手で持ち上げるようにして、その下に貼られていた小さな紙切れを指さした。

 懐中電灯で照らしてみると、それはたしかに下半分が千切れ、上半分だけになった形代だった。

 すぐに亜寿沙はトートバッグの中からスマホを取り出すと、北野署で写真にとってあった手首が握っていた形代の写真と照合する。

 千切れた部分がピタリと一致した。筆跡も同じだ。

「間違いなさそうですね。これが、山際綾子さんが握っていた形代の片割れ」

「そうだな。そして、彼女が別れたかった相手のことも書いてある」

 そこには黒サインペンで『Aさん』と書かれていた。

 上下の形代を合わせると、『Aさんと縁が切れますように。山際綾子』となる。

 これが山際綾子が安井金比羅宮に祈った願いごとのぜんぼうだった。

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