第一章 縁切り神社の怪異⑥

 形代の上半分を捜すのはひとまず後にして、亜寿沙たちは捜査本部が立つという北野署へ再び戻ってきた。

 捜査本部となった広い会議室には長テーブルが所狭しと並べられている。

 そこに北野署の刑事たちと警察本部から派遣された刑事たちが肩を並べて座っていた。最後尾の席に亜寿沙と阿久津も腰を下ろす。

 まだ刑事歴一年と一日しかない亜寿沙にとって、こんな大規模な捜査本部に参加するのは初めての経験だ。自然と緊張で顔が引き締まるが、隣に座る阿久津は早々にテーブルに突っ伏して寝てしまった。

 まったく、この人は始終眠そうにしていて、シャキッとする瞬間がまるでない。

 なんでこんな人と一緒に刑事の仕事をしなければならないのかいまだに納得がいかないが、嘆息一つついて心中のもやもやを吐き出した。

 そして、音を立てないように気をつけながら自分の座るパイプ椅子をそっと彼から椅子一個分ほど離した。彼と同類に見られることがたまらなく嫌だったから。

 少しでも功績をあげて、一刻も早くこんなだらしない上司の下からおさらばしなければと今日何度目かしれない決意を新たにする。

 捜査本部の方はというと、まだ殺人事件か傷害事件かも定かではないにもかかわらず、集められた人員の数は予想以上に多かった。

 一番後ろの席にいるため、背の高い亜寿沙はちょっと背筋を伸ばせばすぐに室内が見渡せる。ざっと数えてみたが、百人近くいるようだ。これは、市内の他の警察署からも人員が集められているに違いない。

「随分、たくさんいるのね」

 ぽつりとそんな独り言が口から漏れた。

 すると、すーすーと気持ちよさそうに寝息を立てて熟睡しているとばかりに思えた阿久津が、テーブルにつっぷしたままのっそりと顔だけこちらに向けた。

「行方不明になってる被害者の捜索も兼ねてるからだろうなぁ。まだ生存している可能性が捨てきれない以上、いっきに人員投入して捜索を進めるつもりだろう。近隣の署からも応援にきてもらってるはずだから、岩槻の前の同僚たちもいるんじゃないか?」

 阿久津に言われたとおり、よく見ると見慣れた後ろ頭がいくつか固まって座っていた。昨日まで彼らと一緒に仕事をしていたのに、既になんだか懐かしさを覚える。ちょっと戻りたい気持ちも湧いてきた。いや、ちょっとじゃないかもしれない。

 そのとき、会議室の前方のドアが開いて数人の男たちが入ってきた。その中で一際若いにもかかわらずエリート然としたオーラをまとわせている人物がいる。

 この捜査本部の本部長である、風見管理官だ。

 彼はみなの前に立ち、りんとしたよく通る声で話し始めた。

 いい男は声まで良い。

 風見は急な招集にもかかわらず集まってくれた刑事たちへ感謝を述べ、一刻も早く被害者発見に努めてほしいと激励の言葉を投げた。

 本部長の話が終われば、副本部長を務める徳永強行三係長が事件の説明に移る。

「本日午前十時過ぎ。堀川通でゴミ収集車が炎上した。発火元をつきとめるために車からゴミを出して調べていたところ、焼けたレジ袋の中から女性のものとおぼしき切断された右手首が発見された」

 徳永係長の話に合わせて、ホワイトボードに投影された写真が変わっていく。

 被害者は、山際綾子という女性でほぼ間違いないだろうとの見解を示した。

 彼女は一週間前の三月二十五日に勤務先の株式会社らくほくエステートを午後八時頃に退社したものの、それ以降の行動がつかめておらず行方不明となっており家族が行方不明者届を出していた。

 彼女の部屋にあったレシートから通っていたネイルサロンも判明している。そのネイルサロンに確認をとったところ、爪にしていたジェルネイルのデザインからしてほぼ山際綾子に間違いないとのことだったが、正式な確定は科捜研のDNA検査の結果を待つことになる。

 二十八歳。OL。家族から借りてきたという写真に写るのは、黒い髪を肩までおろした地味で大人しい印象の女性だった。

 また、燃えたレジ袋は京都市内に多くあるスーパーマーケットのものと確認がとれたと、他の刑事から報告もあがる。

 そうやって現在わかっている事柄について情報共有がなされたあと、さらにこれからの役割分担が発表された。

 阿久津が言ったように、多くの人員が割かれているのは山際綾子の捜索だった。

 警察本部の強行三係と北野署の刑事たちは、引き続き加害者の捜査にまわる。

 阿久津と亜寿沙の特異捜査係は現状の捜査を続けて構わないとのことだったので、このあと再び安井金比羅宮に戻ることになった。

 捜査本部の会議が終わり、刑事たちがバラバラと会議室から出て行く。

「さてと。俺たちも現場に戻るか」

 両腕をあげて気持ちよさそうに伸びをする阿久津。亜寿沙は、情報を書き留めていた手帳をパタンと閉じてトートバッグにしまった。

「綾子さん、早く見つかるといいですね」

 生きた状態で保護されることを祈っている。でも、もしすでに命がない状態だったとしても、早く見つけてあげたい。待っている家族のところに返してあげたい。

 阿久津も同じ考えなのだろう。

 席を立ちながら静かな声で「そうだな」と返してくる。

 まだ生死不明な現時点では、生存していることにけて捜索せざるをえない。

 しかし、実際のところ、生きている人間の手首を切り落とすのは非常に困難だ。

 どれだけ薬や酒で意識を失わせようとしても、手首を切られる激しい痛みで抵抗されるのは必定だろう。血も大量に出るに違いない。

 加害者が何らかのメッセージを発したい強い欲望があるならまだ、そういう困難な方法をとることも考えうるが、現実は違った。

 手首は隠すように新聞紙にくるまれて、レジ袋に入れられて一般ゴミとして捨てられていたのだ。

 ゴミ収集車が火事にならなければ、あのまま普通にゴミ処理場に運ばれて他のゴミとともに燃やされ跡形もなく灰になっていただろう。

 あの手首が発見されたことは奇跡に近い。

 それを考えると、山際綾子は既に殺害されていて、加害者は彼女を殺害したあと身体をバラバラにして一般ゴミに隠して処分しようとした。その一部が偶然発見されたと考えるのが一番自然に思えるのだ。

 手に施されたジェルネイルは控えめながらも可愛らしいものだった。

 亜寿沙も夏になるとネイルサロンを訪れて、フットネイルをしてもらっている。警察官という仕事がら手の指にジェルネイルはできないが、足なら仕事中はパンプスに隠れてしまうからだ。

 爪を磨いてもらい、可愛らしく彩られていくのを眺めていると気分が上がって楽しくなる。オフのとき、サンダルの隙間かられいに仕上がったネイルが目に入るとうれしくなる。

 山際綾子も、自分と同じ気持ちでジェルネイルを施してもらっていたんじゃないだろうか。

 そんな彼女がなぜ、右手首を切り離されてゴミに出されるようなことになったのだろう。

「早く、みつかるといいです」

 もう一度、同じことを亜寿沙は繰り返した。今度は唇をみしめて。

 悔しかった。そうやって、自分と同じように日々をさいな喜びで彩って生きていたかもしれない彼女が、どうしてこんな酷い目に遭わなければならなかったのか。そのことが悔しくて堪らなかった。

「そうだな。そのためにも、俺たちは俺たちのやるべきことをやらないとな」

 阿久津の言葉に、亜寿沙は大きくうなずいた。

 彼女は縁切り神社に祈ってまで誰と縁を切ろうとしていたのか。それが分かれば、重要な手がかりになるかもしれない。

 形代の上半分に書かれているのは、加害者の名前かもしれないのだから。だから、まずは千切れた形代の上半分を見つけ出すことが大事なのだ。

 境内での形代捜しは他の参拝客がいない時間帯にしてほしいと神社側に言われたこともあって、亜寿沙と阿久津が再び安井金比羅宮を訪れたのは深夜十二時を少しまわったころだった。

「やっぱり、夜になると雰囲気が全然違いますね」

 ここの境内は二十四時間開かれてはいるが、さすがに深夜となると境内に人影は無く、ところどころにつけられた照明がスポットライトのように辺りを照らしている。

 昼間来たときも静かな境内だなと思ったが、いまは昼間とは全然違う静けさが漂っていた。

 物音一つしない境内。

 昼間とは違う建物の陰影が、まるでどこか知らない世界に迷い込んでしまったようなうすら怖さを感じさせる。

 時折耳をかすめる表通りの車の音が、どこか遠くに聞こえた。

 建物の陰に何かおそろしいものが潜んでいるような、そしてこちらをじっとうかがっているような、そんな想像をしてしまって怖さに足が止まる。

「いやいや、だめだめ。仕事なんだから」

 亜寿沙はぶんぶんと頭を横に振ると、怖い妄想を振り払っておおまたで参道を歩いて行く。

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