第一章 縁切り神社の怪異④
北野署は
大通りから道を逸れて裏の駐車場へまわると、停められた警察車両の後ろに後部が黒くなったゴミ収集車が見えた。
その脇には、畳六畳ほどの大きな青いビニールシートが敷かれ、焦げたゴミ収集車の中身とおぼしきゴミが広げられていた。
周りにはスーツ姿の刑事数人と、青い鑑識の制服を着た鑑識官たちが見える。
阿久津は大きなアクビをひとつしたのち、ゆっくりと彼らに歩み寄りながら声をかけた。
移動のバスの中でもずっと寝ていたのに、まだ眠いのだろうか。
「お疲れ様。これがその、燃えたゴミ収集車から出てきたゴミなのか?」
その声に反応して刑事たちが話を止め、一人が
ごま塩頭にベテランの風格を漂わせた五十代の小柄な刑事だ。
彼は露骨に舌打ちをすると、苦々しげに顔の
「これは三係の案件や。なんでお前みたいに妙ちきりんなヤツとこんなとこでまで顔あわさなあかんねん」
係長級である阿久津と対等な口調。そして、三係という言葉から、彼が捜査第一課強行三係の
そして、なぜか徳永係長が阿久津に対して嫌悪のような表情を浮かべていることもすぐに気づく。
そのことに若干の疑問を覚えつつも、亜寿沙は阿久津の後ろについて露骨にならないように気をつけながら辺りを見回す。
徳永係長がここにいるということは、ゴミの周辺で検分している若いスーツ姿の者たちは強行三係の刑事たちだろう。
強行係は殺人や死体遺棄、傷害致死事件などの強行犯事件の捜査を主に行う。
ついでに言うと亜寿沙が一番行きたかった部署でもある。
なんで自分は希望の強行係にいけずに、特異捜査係なんていう妙な係の配属になってしまったんだろうと気持ちが沈む。
そもそもどういう特異な捜査をするのかすら亜寿沙はまだ聞かされていない。
そのうえ、強行三係の係長である徳永係長の態度から、課の中で阿久津や特異捜査係がどういう目で見られているのかに感づいてしまったことが、さらに内心の落胆を強くした。
しかし、明らかに嫌悪感を滲ませた徳永係長の態度を、阿久津は意に介した様子もなくひょうひょうと受け流す。
「でも俺たちを呼んだのは、あんたんとこだろ? なんかそれ系のものが出たんじゃないのか?」
「ふんっ。呼んだんは鑑識の連中や。言っとくが、絶対に現場をかき回すなや。おい!
徳永係長はいまいましげに鼻をならすと、鑑識官の一人を呼んだ。
背中に『KYOTO POLICE』のオレンジの
少し茶色がかった髪色をした、眼鏡の青年だった。
しかも、苦虫をかみつぶしたような徳永係長の表情に対して、鑑識官の彼はきらきらと少年のように目を輝かせて阿久津を見ている。
「お待ちしてました、阿久津さん! ぜひ見ていただきたいものがあるんです!」
しっしっと言わんばかりの徳永係長をあとにして、亜寿沙たちは猿渡鑑識官に北野署の中へと案内される。連れていかれたところは刑事課だった。
雑然とした部屋の隅に長テーブルがいくつか置かれている。その上に今回の事件の証拠品とおぼしきものが整然と並べられていた。
もちろん、ゴミの中から出てきたという手首は既にここにはない。
置かれているのは焦げて半分溶けたレジ袋と、その中に入っていたという新聞紙だった。新聞紙は大手新聞社のもので発行日は数日前だ。
この新聞に
新聞にはところどころ黒く変色した血のシミができていて、腐敗したような異臭が漂っていた。
その臭いに思わず亜寿沙が顔をしかめると、すかさず阿久津が、
「臭いきついなら離れてていいぞ。なんなら鼻せんでも借りてくるか?」
と気を遣ってくれる。亜寿沙はぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、大丈夫です」
事実、鼻せんはスーツのポケットに常備している。ほとんどお守り代わりで実際に使うことは滅多にないが持っているだけでも心強い。
猿渡が何枚かの写真を差し出してきた。
それはこのレジ袋の中から出てきた手首の写真だった。
いろいろな角度から撮られた写真だが、切り口は生々しくべっとりと黒くなった血がこびりついており、断面の真ん中には骨まで見えた。
写真から臭ってくるはずなんてないのに、生臭い腐敗臭が急に強くなったような気がした。
手首は切断面こそグロテスクだが、その他の部分は青白くなっているものの
爪には可愛らしい桜の柄のジェルネイルがほどこされており、指は細く
この手首の持ち主は一体どんな事情があって、こんな風に手首だけをレジ袋に入れられてゴミに出される事態になったのだろう。
きっと何かの事件に巻き込まれたに違いない。
それを思うと、胸が痛くなる。
「これが発見された手首です。現物は既に科捜研の方に回しています。まだ殺人事件なのか、傷害事件なのかすら判断できる段階にはないですが、DNA検査で被害者の特定を急いでいます。それで阿久津係長をお呼びしたのは、これを見て欲しかったからなんです」
猿渡がそう言って渡してきたのは、『証拠品』と印字のあるファスナー付きのビニール袋に入れられた白い小さな紙きれのようなものだった。
阿久津が手にしたそれを、亜寿沙も横から
縦十センチ、横五センチほどのくしゃくしゃになった白い紙きれだ。
「なんでしょう、これ……」
紙きれには不思議な模様が描かれていた。
黒い真っ直ぐな線と、その下に〇で囲んだ『金』という文字。こんな模様、亜寿沙はいままで見たことがない。
さらに、その右脇には黒サインペンで『と縁が切れますように。
「なんか
猿渡は少し興奮気味に言った。早口になると若干舌ったらずな話し方になるようだ。
阿久津はそれを蛍光灯に
「なんか見覚えあるな、この模様」
「ガイシャは、その紙をぎゅっと握りこんでたんっすよ。あまりに固く握りこんでたから、指を開いてこの紙を取り出すのが大変だったんっす」
その話を聞いて、亜寿沙は「え?」と驚きを口に出す。
「まだそんなに死後硬直が残ってたんですか?」
警察学校で勉強したことを思い出す。
死後硬直とは死後に起こる筋の硬化をいう。死後、アデノシン三リン酸が分解され減少することによって生じる現象で、人が死ぬと
それだけがっちりと握りこむほどに指の筋肉が硬直していたということは、死後半日程度しか経過していないことになる。
そうなると逆算すれば、手首が切られたのは昨日の深夜ごろということだ。
しかし猿渡はゆるゆると首を横に振った。
「いや、それが……。科捜研の報告待ちっすが、検視した検視官によるとこの手首は生命反応がなくなってから数日は経ってるんじゃないかって話でした」
猿渡の話を聞いて、阿久津は「ふぅん」と
「じゃあ、なんだってまた、そんなに指が開かなくなってたんだろうな。普通はそれだけ時間が経てば弛緩するもんじゃないか」
「そうなんっすよね。それに、今のところまだゴミ収集車のゴミの中から火事の火元になったモノも発見されていないんですよね。なんか不可解なことばかりなんすよ、この事件」
燃えたゴミ収集車の中から女性のものとおぼしき手首が見つかったというだけでも充分不可解な事件だと言えたが、詳細を探れば探るほど現場の刑事たちでも首をかしげるほどに不可解さが増していた。
どことなく薄気味悪いものを感じて三人とも押し黙ってしまうが、その沈黙を阿久津の声が破る。
「ああ、思い出した。これ、縁切り神社の『形代』だ」
「カタシロ、ですか?」
阿久津から渡されて、亜寿沙はその紙切れをまじまじと見つめた。
「そう。通称・縁切り神社。正式名称は
そういう人気のスポットなどには疎い亜寿沙は初めて聞く神社だったが、猿渡は阿久津の言葉でピンと来たようでパッと顔を輝かせた。
「あ、あそこか! 俺、知ってます! 妹が行ったって言ってました。めちゃめちゃ強力に縁切りしてくれるってんで有名なとこですよね。あいつ、当時ちょっとストーカーっぽい人につきまとわれてたんっすけど、あそこで祈ったらテキメンだったって言ってました! 相手が急に病気になったとかで遠方の実家に帰ったんで、つきまとわれることがなくなってありがたかったんっすよね」
「妹さんの元彼とかそういうのか?」
阿久津の言葉に、猿渡は苦笑混じりに首を横に振る。
「単なるバイト先の先輩っす。当時バイトしてたファストフード店の一年先輩だとかで、なんか気さくに話しかけてくるなと思ってたら、待ち伏せされたりつきまとわれたりするようになって、一時はうちの実家に避難したりもしてたんっす」
「うわぁ……」
思わず亜寿沙は声をあげた。
猿渡は女性の亜寿沙よりも少し小柄で、顔も男性にしては柔和で可愛らしい見た目をしている。彼の妹さんならきっと、さぞ可愛らしいことだろう。
「そりゃ、災難だったな。あそこの神社はそういう悪縁を、多少無理やりにでも切ってくれるって有名だからな。縁切りを願った相手じゃなくて、自分が病気になって実家に帰ることで縁が切れたってケースも聞いたことがあるから、そうならなくてよかったじゃないか」
「まじっすか……ひえっ」
なかなかパワーの強い神社のようだった。
亜寿沙も今後縁を切りたい人間が出てきたときにお願いしてみたい気持ちにもかられるが、やるとなったら神様の縁を切るパワフルさにちょっと
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