第一章 縁切り神社の怪異②

 集合場所の会議室から辞令交付式の会場へと案内されると、そこには警察本部のお偉方がずらっと並んでいた。

 式はつつがなく進み警察本部長から異動者一人一人に辞令が渡されたら、いよいよ捜査第一課へと配属になる。

「じゃあ、行こか。ついてきてくれや」

 一緒に辞令交付式に参列していた捜査第一課長が声をかけてきた。

 スキンヘッドの五十代とおぼしきこわもてだ。体格もいいので外見を見ただけだと暴力団関係者だと言われても信じてしまいそうな迫力がある。

「はいっ」

 羽賀課長に連れられて廊下を進み、『捜査第一課』の室名札のかかる部屋の前まで来ると亜寿沙の期待は最高潮に高まった。

 ここで働きたくて、いままで頑張ってきたのだ。

 刑事にあこがれて警察官になった亜寿沙だったが、いざ所轄署の刑事課に配属されてみたらそこで扱うのは管轄の地域内で起きた小さな事件ばかりだった。当たり前だが。

 警察本部にいけばもっと大きな事件を扱えると知って、すぐに目標を警察本部の刑事部に定めた。

 そのために昇任試験の勉強も頑張った。勤務評定を積み上げるために、朝は誰よりも早く出署して、他の先輩刑事たちに負けじと事件の解決に奔走した。

 そのおかげで一発で昇任試験をパスして巡査部長へと昇任し、そのうえ幸運にも昇任と同時に希望していた警察本部刑事部への切符を手に入れることができたのだ。

 まさかこんなに早く目標の場所で働けるとは思ってもみなかったけれど、人事は水ものともいう。多くの人が異動するタイミングでたまたまちょうどいいポストが空き、ちょうどいい人材として自分が当てはまったということだろう。

 この幸運をかさなきゃ! と軽くこぶしを握ると、亜寿沙は課長に続いて捜査第一課に足を踏み入れる。

 室内に入ると、十台ほどの事務デスクがくっついた島がいくつか目に入った。

 その奥に課長席と管理官席がある。

 デスクの数にくらべて、室内で仕事をしている人数は思いのほか少ない。

 ざっと数えると四分の一くらいだろうか。なんらかの事件の捜査にでかけているのだろう。

 刑事の仕事にデスクワークは欠かせないが、それでもやはり仕事の基本は現場に出て足で稼ぐことだと亜寿沙は思っている。

 課長に連れられて、まずは管理官席へと案内された。

 ノートパソコンとにらめっこしていた管理官は亜寿沙たちに気が付くと、すっと立ち上がって人好きのするさわやかな笑顔とともに二人を迎えてくれた。

 管理官というと、羽賀課長の次に位置する捜査第一課のナンバーツー。

 階級は警視あたりでないと就けないポジションだ。

 てっきり羽賀課長と同年代の五、六十代の人かと想像していたが、意外にも管理官席で迎えてくれたのは三十前後のイケメンだった。

 ということは、間違いなくキャリア組のエリートだろう。

 管理官席の席札には『かざ せいいち』とある。

 そのうえ、立ち上がった姿は亜寿沙はもちろん羽賀課長よりも高い。

 亜寿沙も女性としては背が高い方で一七〇センチ近くある。

 その亜寿沙が見上げる姿勢になるのだから、一八〇センチはくだらないだろう。

 引き締まった身体にぴったりと合った上品なスーツは、オーダーメイドに違いない。

 職場で思いがけずイケメン俳優と出くわしてしまったような錯覚を覚えて、うかつにも一瞬ぼーっとしてしまった亜寿沙だったが、

「やあ、待っていたよ。岩槻巡査部長。君の評判はあちらの課長からも聞いている。期待してるよ」

 と声をかけられて、我に返る。

「は、はいっ。よろしくおねがいいたしますっ」

 慌てて深く頭を下げた。ついれてしまったことが恥ずかしくて、顔が熱くなる想いだった。

 風見は爽やかな笑顔を亜寿沙に向けたあと羽賀課長へ短く声をかける。

「このあとは僕が」

 羽賀課長も小さくうなずき返した。

「そうか。そうやな、その方がええやろ」

「はい」

 風見は再びにこやかに亜寿沙へ向き合うと、

「ついてきてもらえるかな」

 という言葉とともに先導して歩き出す。亜寿沙はここまで案内してくれた羽賀課長に頭を下げると、すぐに風見の後ろを追いかけた。

 ついて歩きながら、つい風見の後ろ姿に目が行く。後ろから見てもイケメンらしさと自信があふれているようだった。

 こんな上司の下で働けるなんて、まるでドラマの中にでも迷い込んだような心地だった。

 刑事ドラマを見ながらいつも、あんなイケメン刑事どこにいるのよなんて思っていたが、いるところにはいるものだ。

 心浮き立つ亜寿沙が連れていかれたのは、部屋の一番奥だった。

 そこにはデスクが四つくっついただけの小さな島があった。

 しかも、そのうちの一つにはプリンターが置かれ、もう一つにはカバンやら資料が入った段ボールが雑多に置かれていたので実質デスクは二つだ。

 そのうえ、今は誰も座ってはいない。

 こんな小さな係なんて、この警察本部の刑事部にあっただろうか。

 事前に昨年度の刑事部のデスク配置図は見てきたのだが、そのときにはまったく気がつかなかった。

 風見はきょろきょろと辺りを見回して誰かを探しているようだ。

「あれ? さっきまでそこのデスクに突っ伏してたんだけどな。どこいったんだろう。係長!」

 もう一度、風見がりんとした声で「阿久津! どこいった?」と呼びかけたところで、壁際のパーティションの向こうから「ふぁい……」と間延びした男の声が聞こえてきた。

 パーティションの奥はソファなどが置いてある休憩スペースになっているようだ。

 そこからアクビをしながらのっそりと顔を出したのは、無精ひげが生えた三十前後の男だった。

 頭をぼりぼりと無造作にく仕草といい、よれっとした安スーツといい、精彩というものがまるで感じられない。

 だらしない、というのが真っ先に浮かんだ印象だった。

 風見とのあまりの落差に、亜寿沙は顔が引きつりそうになるのを我慢するのが精いっぱい。しかも、ふわりと苦手な香りまで鼻をかすめてくる。

「十時に新しく部下になる人が来るって、言ってあったじゃないか」

 あきれたような風見の言葉に、

「ああ、そうだった。たしかに聞いてた。すみません」

 彼は謝りながらも、あまり悪びれた様子もなく頰を搔く。

 これ以上言っても仕方がないと思ったのか風見はため息を一つつくと、亜寿沙に彼を紹介した。

「彼が、阿久津係長だよ。君が配属になった特異捜査係の係長だ。とは言っても、特異捜査係は君と阿久津の二人だけの係なんだけどね」

「……え? あ、は、はいっ」

 思わず妙な声が出てしまって、慌てて返事をした。

(二人だけの係!? それも、このだらしない上司と二人!? 冗談じゃない! 私は風見管理官みたいな人の下で働きたいんです!)

 ついそんなことを瞬間的に思い浮かべた。本来、自分のような若手が配属に文句をいうなどあってはならないことだが、大きな期待を持っていたぶん落胆も大きくてそのことが表情ににじみそうになる。

 それを寸前で押しとどめて、いつものポーカーフェイスでうまく隠したつもりだった。いままでそれで失敗したことなんて一度もなかった。

 しかし、阿久津という目の前のだらしない上司は、亜寿沙の表情を一目見ただけで何かを察知したようで、

「あー。管理官。俺はいままでどおり一人でいいですって。彼女は他の係に付けてあげた方がいいんじゃないっすかね。俺みたいなとこに付けるのは、あまりに気の毒だ」

 そんなことを風見に進言する。

 だが風見は阿久津の言葉を苦笑一つで受け流す。

「これは上の判断で決まったことだから、いまさら覆すことはできないんだ。以前から、一人で係を名乗ることに疑問を呈していた者も多かったからね」

 と、この配属はいまさらどうにもならないようだった。

「……そうですか。じゃあ、岩槻だっけ。申し訳ないけど、よろしく」

「は、はいっ」

 こうして、京都府警察本部刑事部捜査第一課特異捜査係は二人だけの係として新たなスタートを切ることになった。非常に不本意な気持ちを亜寿沙の心に残しつつだが。

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