憧れの刑事部に配属されたら、上司が鬼に憑かれてました

飛野猶/角川文庫 キャラクター文芸

第一章 縁切り神社の怪異①

 四月一日。

 多くの人が希望に胸を膨らませて新たな生活をスタートさせる特別な朝。

 今年は暖冬だったためか既に桜は満開を過ぎて散り始めているが、あたたかな風がそよそよと吹いて薄桃色の花びらを運んでくる。

 そんな心地のい朝だった。

 出勤や通学の人の波が落ち着いた午前十時二十七分。

 京都市らくちゆうを南北に走る大通りの一つであるほりかわ通をじよう城方面にむけて南下していたゴミ収集車が突然、後部から火を噴いた。

 ゴミを入れる開閉口から漏れ出た火は瞬く間に大きくなって、ものの数分で開閉口を包み込むほどの火勢となった。

 ゴミ収集車に乗っていたのは西部まち美化事務所の職員が二人。

 定年間際のベテラン職員と、まだ入所して数年の若い職員だった。

 ハンドルを握っていたベテラン職員がすぐさまゴミ収集車を路肩に止めると、若い職員が燃えさかるゴミ収集車から飛び出す。

 若い職員がゴミ収集車の運転席と後部ボディーとの間に装備されている消火器を手に取る間に、ベテラン職員は運転席で操作して開閉口を大きく開いた。

 中は、まるで火炎地獄をおもわせるほどにオレンジ色の炎一色に染まっていた。

 春のうららかな陽気を吹き飛ばす熱気が、消火器を持つ職員の肌をじりじりとあぶる。

 彼は熱に目をすがませながらも、慣れた手つきで消火器のレバーを握って消火液を勢いよく炎へと吹きかけた。

 ベテラン職員が少し離れた場所で電話をかけているのが見える。119番へ連絡をしているのだろう。

 そのあいだも消火液を吹きかけ続けるが火の勢いは強く、一瞬火勢を弱めることはできたものの消火液が尽きればすぐに炎は大きくなった。

「くそっ」

 彼は消火器を地面にたたきつけたくなるのをぐっとこらえた。消火器は消火液を交換すれば何度でも使えるのだ。壊したら弁償ものだろう。

 きっと火を噴く原因となった火元はゴミが詰まっている後部ボディーの奥の方にあるのだ。そのせいで、火元に消火液が届いていないに違いない。

 もとより、ゴミ収集車の火災は珍しいことではなかった。

 あってはならないことだが、京都市内でもたびたび起きているのだ。

 原因は、本来燃えるゴミと一緒に捨てることが禁じられている電池類や、まだ中身が残っているスプレー類、カセットボンベ、使い捨てライターなどだ。

 それらがゴミを積み込むための回転盤による圧縮で可燃性ガスが漏れ出したり、電池類や金属の摩擦によって起こった火花が他のゴミに引火したりして発火するのだ。

 ちゃんとゴミ出しのルールを守ってくれれば、こんな事態にならずに済むのに。

 大半の人はルールに沿ってゴミ出しをしてくれるが、一部の人間のせいでこんな事態にまでなってしまう。

 やりきれない気持ちを嘆息に変えて吐き出したとき、人の気配を感じて歩道の方に目をやった。

 見ると、堀川商店街の人たちが水をあふれんばかりに入れたバケツを持ってかけつけてくれていた。

 彼はわずかに目元をくしゃっとゆがませ、

「ありがとうございますっ!」

 大きな声で礼を言うと、そのバケツを受け取って炎へ掛ける。

 そのあとはベテラン職員も交じって、商店街の人たちとバケツリレーをして水を掛けつづけた。

 おかげで何とか火をそれ以上大きくせずに抑え込むことができ、最後はサイレンとともに到着した消防車の放水で鎮火したのだった。


 その後、西部まち美化事務所に戻ったゴミ収集車は、警察と消防の立ち会いのもと、火元を確認するために中のゴミを排出させる。

 しかし意外にも、あれだけ勢いよく炎を燃え上がらせていたにもかかわらず、燃えたのは開閉口のあたりに詰められていたゴミだけだったようで、奥の方はまったく燃えていなかった。

 その様子に立ち会っていた若い職員は、あれ? と違和感を覚える。

 火元がゴミ収集車のボディーの奥にあったから、消火器だけでは鎮火できなかったのだとばかり思っていたのに、予想に反して燃えたのは開閉口の方にあったゴミだけなのだ。

 それならなぜ、消火器でもバケツリレーの水でも鎮火できなかったのだろう。

 もしや、ガソリン缶のような強い可燃性のものがゴミとして捨てられていたのか?とも思いながら、消防の人たちと一緒に広げたゴミを検分してみたのだが一向に火元となったものがみつからない。

 心の中で何かがおかしいと感じ始めた彼は、検分に参加している他の職員たちや消防職員たちをそっとうかがってみるが、誰の顔にも戸惑いの色が浮かびはじめていた。

 と、そのとき。

 検分に参加していた職員の一人が、ぎゃあ! とのどの奥から絞り出すような声をあげた。

 腰を抜かしたように地面に座り込み、手に持ったトングで一つの小さなゴミ袋を指し、「あ、あ、あ……」と声にならない声を出している。

「どうしました? 何かみつかりました?」

 立ち会いの警察官がそのゴミ袋を調べると、すぐに表情を硬くして、

「それ以上このゴミに触れないでください。他のゴミにも! ただちに署に連絡します」

 と鋭い声で周囲に呼びかける。

 なんだなんだとそのゴミの周りに、検分に参加していた人たちが集まりのぞき込んだ。そして、そのゴミを見た誰もが息をんだ。

 半分焼けた白いレジ袋から、新聞紙にくるまれた白いものが見える。

 なんだろう? と、若い職員もそのゴミを凝視するが、ソレが何か分かった瞬間、吐き気を覚えて口に手を当てた。

 それは人の手だった。

 手首のあたりで切られた人間の手だ。

 マネキン人形の手首などといった人工物ではないことは、どす黒く変色して骨が露出した切断面が生々しく物語っていた。


    *  *  *


 ポニーテールの髪を揺らして、いわつき寿は目の前の建物を見上げた。

 すっと背筋が伸びた気持ちで、誇らしさと期待に胸を膨らませる。

 ここは京都御所の西側に位置する官庁街。

 その一角に最近できたばかりの六階建ての建物が、今日から亜寿沙の職場となる場所だった。

 京都府警察本部。

 心の中でそうつぶやくとともに心が弾み、同時にこれから抱えるであろう責務の重大さを思って気持ちが引き締まる。

 東京の大学を出たあと、京都府警の警察官として採用されて四年。

 交番勤務からはじまり所轄署の刑事を一年経験したあと、巡査部長昇任試験に合格し、昇任するタイミングで警察本部刑事部捜査第一課への異動がきまった。

 巡査部長昇任の平均年齢は三十歳くらいだと言われているから、警察官として採用されてから五年足らずの二十七歳で巡査部長に昇任するのは同期の中でもかなり早い方だ。

 亜寿沙は春のあたたかな空気を胸いっぱいに吸い込むと、ポニーテールを揺らしてさつそうと警察本部へ入っていった。

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