Ⅱ 花喰いの魔法少女

 リランスビア国のシンボルとなっているこの教会には、実は一般人には知られていない、ちょっとした秘密がありますの。

 まず、教会の奥まで行きますと、濃青の扉が構えています。

 その扉を開き、地下へと続く石畳の螺旋階段を下りていくと、開けた空間に出て。

 数十歩いくと、重厚な扉が眼前に現れます。 

 夜から朝にかけ扉には錠が掛かっていますが、太陽が傾きかけているであろういまならば、シスターが持ち歩いている鍵がなくとも中に入れますわ。

 中には一体何があるのか、ですか?

 ふふ、焦らないで。

 扉を開けてみましょうか。


「マリア様、食事をお持ちしました」

 天鵞絨の床に咲く銀糸の華。

 月光の如く青白く煌めくステンドガラスを背に佇む白き聖母像。

 仄かに漂うクチナシの香りの中、パイプオルガンの荘厳な音色を奏でる、少女の形をした〈悪魔〉。

 ここ、地下大聖堂まで食事を運びに来たシスターの気配を感じ取ると、マリア様と呼ばれたわたくしは鍵盤から指先をそっと遠ざけ、

「ありがとう、その辺りに置いておいて」

 長く伸びた前髪からブルーとエメラルドグリーンのオッドアイを覗かせて、ゆるりと微笑みかけます。

 彼女はわたくしの魔力に当てられ、僅かに頬を染めると目を逸らし、さっさと出ていってしまいました。

 そうしてまた、静謐の中にわたくしは独り。

 ここは、悪魔、或いはマリアと呼ばれたわたくしを幽閉しておくための監獄なのです。



◆◆



 わたくしの母は、誰とも交わらずに双子の娘を授かったそうです。

 姉は神の寵愛を受けた〈奇跡の子〉だと祝福されましたが、妹であるわたくしは「奇跡は二つも起こり得ない。これは悪魔の子だ」と、存在を否定され。

 産み落とされて早々に母から引き離されたと、司祭から聞いています。

 どの国でも双子というのは忌み嫌われるもので、それは此処でも同じ。

 わたくしのこの状況は、それゆえのもの。

 仕方がないと思う反面、何故数分遅れで産まれたというだけでわたくしがこのような仕打ちを受けねばならないのか、とも思います。

 嗚呼、しかし、それよりも。

 此処は肌寒く、いくら甘く熟した果実を潰して飲み下そうとも決して満たされることのない心の乾きを覚える事の方が、わたくしにとっては問題でして。

 そんなあるとき、

『まだ見ぬ片割れへ。司教には内緒で、七つの大罪をテーマにした物語を書きました。今の私に出来るのは、精々あなたの退屈しのぎに成り得るモノを与えることだけ。次はこの国で有名な御伽噺でも持ってくるわ。あなたの姉、フローレンスより』

 いつものように、頭上から響く聖歌で目を覚ますと、傍らに見覚えのない一冊の本と、姉を名乗るヒトからの手紙が置いてありました。

 何の前触れもなく姉の方から接触してきたこともですが、わたくしは姉が書いたと云う物語に酷く衝撃を受けましたわ。

 本の類は聖書しか目にしたことがなかったわたくしには馴染みのない世界観、鮮烈に描かれたヒトの感情。

あまりの情報量の多さに眩暈を起こし、それでもページを捲る指先は止められず。

 特に、色欲の物語では夢中になってしまい、全身が燃えるように熱かったのをよく覚えています。

 そうして、物語を読み終えたわたくしはある考えに至ったのです。


「主よ……邪心を抱いた私をお許しください」

「ふふ、大丈夫よ。神が貴女をお許しにならなくても、わたくしが貴女の罪を許します。だから、わたくしに全てを委ねなさい。そして、人の温もりを教えてちょうだい」

 わたくしは母から得ることの出来なかった熱を欲し、それを得るためには世話のために監獄へとやって来るシスターたちを色香で誘惑するのが一番良いと思いました。

 彼女たちの奥の奥まで触れ、純潔の花を散らし蜜を味わう。

 熱という熱を、食らい尽くす。

 ただ熱が欲しいだけなら、抱き締めてもらうだけで良いとある者は言うかもしれないし、わたくしは手段を間違えたのだとある者は非難するかもしれない。

 けれども、初めてわたくしがこうしたとき。

 あんなに乾いていた心が、温かなもので満たされ、気持ち良いと感じてしまったのですから。

 仕方がないと、思いませんか?



◆◆



 一人、また一人と、わたくしの監獄に堕ちていく。

 いつしかシスターたちの中で地下大聖堂は〈秘蜜の花園〉と呼ばれるようになり。

 わたくしは〈花園の聖少女マリア〉と密かに信仰されました。

 なのにわたくしの心は完全には満たされず、新たな花を食みながらその理由を考えました。

 そして、あるとき気付いたのです。

 幽閉されてから一度もその姿を見たことがない、奇跡の子。

 わたくしの片割れである姉に触れたい。

 血の繋がりがある彼女にわたくしの存在を認めてもらいたい。

 シスターの一人にそのことを洩らすと、少し困ったように眉尻を下げてこう返されました。

「フローレンス様なら数ヵ月前、勉学のためにこの国を発たれましたよ」

 ふ、と目の前が暗くなる。

 手紙を受け取ったあの日から、姉はわたくしを想ってくれている、そしていつの日か迎えに来てくれる、と。

 そんな、根拠のない自信を抱いていたのかもしれない。

 だから、わたくしを置いて行ってしまったという事実は胸に深く突き刺さり、どろどろと言葉にし難いモノが溢れ出ていく感覚にわたくしの意識は溺れた。



────花園の聖少女マリアの物語は、絶望に濡れて、閉幕。

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