#26 喪失
眠っている間も、彼が何処かへ行ってしまうのではないかという懸念は消えませんでした。彼の手を握りしめる感覚だけをはっきりと覚醒させたまま、私は泣き疲れた思考を休ませる為に眠りに落ちました。……もっとも、目を閉じても変わらないこの闇があるだけなので、それで眠っていると言えるのかどうか分かりません。
ただナッツは、手を離さずにずっと側にいてくれていました。時折もぞもぞと動いていた所を見ると、彼の方はまともには眠っていなかったようです。私はそんな彼に、申し訳ない気持ちと、いくら責めても足りないほどの欲求の両方を抱いて、この朝を迎えました。
「行こう」
たった一言。それは、この世で最も短い朝でした。
目を醒ましている時でさえ、この闇が明ける事はありませんでした。聞こえてくる音もなく、側にいる筈のナッツも、俯いて重い事を考えているか、あるいは辺りを見回しながら、森の何処かに潜んでいるのかもしれない敵に、……姿の見えない敵に怯えていました。
そうして歩き続けることのどれほど怖かったことでしょう。ナッツの感じる恐怖も、私は繋いだ手を通して感じていました。私は自らが見ている闇と彼が見ていた闇の、その両方に呑み込まれてしまいそうで、震えていました。
この時の森はまるで生き物でした。
何処へ行こうとも分かる、この森からは逃げられないと、そう脅し掛けるように鳥の声と葉擦れの音を響かせていました。……私を捕まえようとする人間の意志か、それとも裏切り者を許さないルフェ達の意志か、あるいはその両方か。闇の中に鬱蒼と生い茂るこの森は、そんな悪意ばかりが渦巻いていて、行けども行けども何処か別の場所へ私達を導いてくれる事はありませんでした。
ナッツは何度も立ち止まり、辺りの様子を窺っていました。……しばらく前から、その行為は明らかに頻度を増していました。まだ人間と出くわした事はありませんが、ナッツが感じている緊張や恐怖から、それは随分間近に迫っているのは明らかでした。
彼はとてもつらそうでした。私の目に見える漆黒よりも暗い闇は、彼の中で時間を糧にしてどんどん膨れあがり、やがては彼自身を蝕んでいくというのも分かっていました。
「大丈夫」私に声をかける時、彼はいつもそう言います。「何も心配はいらない」「きっともうすぐだ」「この森は俺達の庭みたいなものだから」……言葉は違いましたが、意味は同じ。その全てが、私を不安にさせない為の嘘。しかし、現実に一番不安を感じているのは、人間の気配を目で見て肌で感じているナッツに違いありません。
「昔は……さ」
彼は何度目かの休みの時にこう言いました。
「アルビナが俺を守ってくれてたんだと思う。人間にもルフェにも怯えてた俺を、アルビナは『大丈夫だ』って励ましてくれた。短剣を向けられてたのに笑ってたんだ」
その話を聞いた時の私は、アルビナの名前が出てまた彼との距離を感じただけで、そんな話をしてくれた彼の気持ちすらも分からないままでしたが、
……不安と恐怖に押し潰されそうになりながら私を励まそうとするナッツを見ていて、何だかその意味が分かったような気がしました。
私は、やはり無力でした。今は光すら見えず、ただ彼に手を引かれ、彼の言葉に慰められてるばかりで、彼を勇気づける言葉の一つも届かせる事はできないのです。悔しくもあり、そして、私のせいで彼を悲しませているその事実に、我慢できないほどの罪悪感がありました。私は、決してナッツを苦しませてはいけないのに……彼を支える事どころか、アルビナを演じきる事すらできません。
もし、それでも彼の為にしてあげられる事があるとするならば……
「ねぇ、ナッツ」
眠りに落ちるほんの少し前の時間。夜に鳴く虫の声が少しだけうるさくなった頃に、私は彼に声をかけました。隣に肩を並べ、手を握っていてくれている彼は、眠ってはいないようでした。眠らないつもりだったのかもしれません。
私は構わず、言葉を続けました。
「辛かったら、いつだってこの手を離したっていいのですよ」
「……俺が君を見捨てられるわけがないだろう」
「私がアルビナではなくてもですか?」
ナッツが、首を動かす時の衣擦れの音が聞こえたような気がしました。
「本当は、もうずっと前に気付いていたのでしょう?」
誰でもない私。ずっと心に留めていたそれを、私は初めて口にしました。
「何のことだよ」
「私が、アルビナではないということです」
ナッツが、息を呑む声が聞こえたような気がしました。気が付けば、秋を過ぎた夜の空気は一層寒くなっていました。私は、それに臆することなく言葉を続けました。
「私は、あたなに近寄るために、あなたの愛するアルビナになりすましていた別の何かです。きっと私が、あなたからアルビナを奪ったのに違いありません」
「やめろ」
「だから、ナッツに助けて貰ってまで生き延びる資格なんて、私には無いのです」
「それ以上言うなよ!」
怒鳴り声。それは森を震わせ、一瞬にして辺りは静かになりました。ただ風に枝のささやぐ音が、噂話をするように鳴っていました。
疲れに相乗された彼の怒りが彼の身体を熱くしているのが、目の見えない私にも分かりました。
それでも、私は言葉を止めませんでした。そうすれば、彼を……せめて彼だけは助けられる筈でした。
「ねぇ、ナッツ。聞いて下さい。私と居たら、ナッツはずっとアルビナに会えません。それどころか、ナッツは死んでしまうかもしれないのです」
自分でもおかしな事を言っていると思いました。
あれほどアルビナを嫌っていたのに、アルビナはもう居ないのに、またその名前を彼の前で言っているのです。その名前に頼らなければいけないのはとても悔しい事でしたが……彼が一番求めているものがそれなのだというのも私には分かっていました。私は……アーネアスに短い祈りの言葉を唱え、この嘘を続ける意志を固めました。
願わくば、彼の為に奇跡を。
「この森を出た所で、ナッツはきっとアルビナに会えます」
今まで苦しんできた、彼へのご褒美を。
「そんなわけないだろ」
「信じられないと思います。でも、この奇跡を信じて下さい」
「――――――――」
何かを言おうとして、彼は言葉を止めました。
気が付くと、彼と私を繋いでいた掌は、離れて冷たくなっていました。私は神事の舞の要領で、離れた手を前にかざしました。
「私は、アーネアスの巫女です……きっとナッツが信じてくれさえすれば――――」
しかし言葉は最後まで言う事ができませんでした。
私の身体を、ナッツの大きな腕が抱き寄せたからです。
「……もう止めろ」
「…………?」
「何でそんな事言うんだよ。何でそんな事出来るんだよ……お前の言う奇跡が、アルビナを浚っていったんだぞ……!」
かざした両手をがっしりと掴み、反対の手は片方の手は私の身体を支えていました。
私は、思い出しました。本来なら、このかざした両手には短剣が握られ、自ら刃を振り下ろすのだと言うことを。ナッツはその動きを遮るように、私の手を掴んでいます。
「君がアルビナじゃないって、そんな事は分かってたさ。君っていう存在が本当のアルビナを奪ったのも、何となく分かってた」
耳元で囁くような彼の声は、悲しみに震えていました。
「なら……どうして私を助けてくれるのですか?」
「どうしてお前を見捨てられるっていうんだ!? 俺を助けたのもお前だ。アルビナを失っても、俺はお前の為に生きなきゃいけなかった。お前の為に強くなったんだぞ。これ以上お前から何かが失われるのが嫌だったから……なのに、お前はまたそんな奇跡を盾にして俺を突き放すのか? 俺はそんなに頼りないかよ……!」
「そんな事無い……でも」
「俺はどんなことがあってもお前を守る。もう絶対に君を裏切らないから、だから……そんな嘘を言うな……! 俺なんかの為に、自分を犠牲にしようだなんて、そんな事絶対に考えるんじゃない……!」
(あ……)
気が付くと、私も又彼の背中に手を回していました。彼の大きな体を、小さな腕の中に、精一杯に抱き留めようとしていました。頬には熱い涙が伝い落ち、それがナッツの首筋を濡らしていました。
……それではいけないのに……
……私と居たら、この森を抜けられないのに……
目を醒ましてしまった私の感情は、しきりにナッツを求めて止みません。
(……後悔します)
ナッツを離したくない、このままナッツと一緒に居たいと泣いています。いつかは結ばれるという希望を捨てきれずにいます。
(……私はきっと後悔します)
私と居れば、ナッツも死んでしまうかもしれないのに。
私と居る限り、ナッツは救われないというのに。
(…いや……!)
その時は、もう直ぐそこまで迫っていました。
耳を澄ませば、私達を窺う人間達の足音さえ、聞こえてきそうな気がして……
ひょっとしたら、私達はその足音に殺されるかもしれないという事も分かっていて……
……それでもなお、今この時の温もりを手離す事はできませんでした。
(まだ……離れたくありません……側に居て欲しいのに)
「……随分なタイミングでやって来てしまったようだが―――――」
そんな不穏な声が、この時間を奪っていきました。
「偶然を祝福するにしても、私は無粋過ぎたかな、ナッツ?」
それは私達二人以外の誰かの声、そして、まったく聞き覚えのないのに、ナッツとは親しげに話す、しかし悪意に満ちた嫌な声……
そして、その人に付き従うように声を潜める、あと二人の気配。何も願わず、自らを押し殺し、じっと黙って私達の様子を窺っています。
「必然だろ」
彼の声に、ナッツが応えました。私の手を握り、ゆらりと身体を起きあがらせ、……怒りを……今まで見たこともないような恐ろしい声で、その人を威圧していました。
「てめぇがそう仕組んだ、グランドール。逃げ場を無くして、少しずつ追いつめて……相変わらず陰険なやり口だ」
「一番効果的なやり方だ。むしろ徹底的と言って欲しいな。……この網に掛かったせっかちが、よもや君とは思わなかったがな」
私達が彼の仕掛けた罠に填められたのは明白でした。もう逃げられない……ナッツは、こうなることを知っていて、私を守ると言ってくれたのでしょうか……?
「誰…ですか…?」
「グランドールだ」
彼は忌々しげに名前を告げた後、吐き捨てるようにこう付け足しました。
「…ろくでもない奴だよ」
「かもしれないな。だが、任務を投げ出し、我々に反旗を翻すお前はそれ以下ではないか。あまつさえルフェ達の守護神を村から連れ出すか。何もかも裏切り逃げ回るのがお前の生き方かな?」
「うるさい……!」
怒りを振りまくナッツの声。きっと彼こそが、ナッツが怯えながらこの森を彷徨う原因なのでしょう。
そして、帝国の人間。
それは、声色や喋り方でも分かりました。冷たく固い石のようでもあり、また嫌味なほど滑らかに整った、しかし決して同じ目線ではあり得ないような喋り方をしていました。それは、成人したならおおよその男女が同位となるラビアでは聞かれない声色でした。
「君のせいであのルフェ達も散り散りだ。集落は制圧し、大部分は捕縛した。統制を無くした蛮族というのは、まこと哀れだったよ」
「大丈夫……大丈夫だから」
宥めるように私の肩に触れるナッツの掌は、小刻みに震えさえいました。それなのに、彼は小さな声ではありましたが私にこう言ったのです。
「絶対にお前を守る、から……!」
私は、ナッツの手を握りしめました。
今もまだ、目は光を受ける事はできません。それが、あまりにも悔しくありました。勿論、たとえ目が見えたとしてもこんな状況など変えられる筈がないのかもしれません。それでも……目が見えたら、何とかできたような気がしてならないのでした。
(どうして……私の目は、どうしてしまったの……?)
今も目の前には、暗闇しか見えていません。
まるで、シーザーさんと悪魔が戦った時のよう。
あの時と違うのは、この闇は気配などでは無く、もっと漠然とした深いものであるということ。しかしそれ故に、何処まで続いているような気がして……希望すらも呑み込んでいってしまう……
どうすることもできません。心の何処かで、冷静な理性すらも私にそれを告げていました。が……
「離れるなよ」
ナッツだけは、それに気が付いていないのか、それともまだ希望を捨てずにいるのか、今もあの人間を前にして一歩も退きはしません。それが、今目に見えている絶望をより鮮明なものにしていました。
(いや……離れたくない……!)
「『白い巫女』を引き渡せ」
「断る!」
「分かっていた。今のは最終勧告だ。これで遠慮無く君を処断できる」
ジャ………
弦の鳴る音がしました。先程から話している人間のリーダー……グランドールではありません。側に付き従う兵隊が、機械式の弓を構えた音。その音は、最初に感じた気配よりも二つ多く聞こえました。まだ潜んでいるのかもしれません。
「帝国の法に則り、背任者を処刑する」
辺りの空気が張りつめていました。何かの拍子に、全てを一瞬で終わらせる何かが始まりそうな予感が、空気に溶けてこの場にいる全ての人間を興奮させています。
勿論、それにもっとも敏感なのは、実際に矢を向けられているであろうナッツだった筈です。
「ナッツ……っ、駄目……あなただけ逃げて」
「馬鹿! そんな事できるか!」
「私なんかいいのです! 私は……謝らなくてはいけなかったのに……」
「君はアルビナじゃない!」
そう言うと彼の手が、私の肩から離れました。
「けど、死なせない……! そう決めたんだ!」
「ナッツ……!」
駆け抜けていく足音が聞こえました。風の感触を残して、彼は私の側を離れていきました。
打ち合う剣撃の音。それに混じり、いくつかの悲鳴も聞こえました。そして……
「走れ!」
私に向けられたナッツの声。
「え……?」
「走るんだ!」
「でも……」
「見えてないなら、何処でもいい! そのまま前に走るんだ!
どうなっても、君を、連れて行かせないから……!」
“どうなっても”
その言葉に一抹の不安を覚えながらも、これ以上ナッツに反する事はできないと思った私は、彼の言う通り駆け出しました。
「子供を逃がすな! そいつが全ての元凶だ!」
グランドールの声。同時何人もの足音が近づいてきます。鋼鉄の掌が、何度も私の体を掠めました。しかしそれすらもなんとか避けて、地面の起伏すらも分からない闇の中を走りました。
「あ……!」
それでも駆け抜けるのは簡単ではありませんでした。目の前にあった木の根に躓き、派手に転がり、そして大木の幹にしこたまに体を叩き付け……それでも、直ぐに体を起こして私は走りました。
「! くそ……っ!」
ナッツの声。直ぐ近くで私を守ってくれていました。
(……立たなきゃ……!)
ナッツが守ってくれているから……!
体を必死に奮い立たせますが、全身に走る痺れにも似た痛みは、いつまでも私の体を縛り続け、一向に言うことを聞いてくれそうにありませんでした。
「撃て!」
ザザザ……!
合図と共に、茂みを貫き矢の飛ぶ音が聞こえました。
私はそれから逃げるため、体を引きずるようにして前へ、前へと、走っているのか這っているのかも分からない姿勢で進み続けました。
「―――――」
「ナッツ!」
ずっと後ろの方で、ナッツの声が聞こえたような気がしました。先程まで叫ぶように元気だったその声が、掠れ、消えかかっているのに気が付いた時、私は思わず背後を振り返りました。
「ば、馬鹿……! 立ち……止まるな……! 逃げろ、アルビナ……!」
(アルビナ)
その名前が、耳に残りました。
それは、ナッツが私を呼んだ名前。
きっと、彼にとって本当に守るべき人の名前……
ただ咄嗟に叫んだだけの言葉。
けど、彼と、私を繋ぎ止められる唯一の名前。
その名前に起こされるように、私の瞳が醒めました。
闇よりは幾分か明るい夜が、辺りに満ちて、そして。
あれほど激しかった息が止まりそうな程に、私は驚愕しました。
ナッツも、私の背後………直ぐそこにいました。
背には幾本もの矢が突き刺さり、身体中に切り傷を纏い血を流す彼は、瞳だけは強く私を見つめてはいるものの、まるで死霊の騎士のように。
私は彼の悲鳴を聞きませんでした。矢を受け、刃に切り刻まれながら……それでも悲鳴一つ上げず、握った短剣を構え、私の後ろにずっと付いて……うまく逃げられない私を庇って……
「……止まるな……っ! 走れ、アル……ビナ……!」
「い……いや……嫌っ!」
もう走れませんでした。こうして逃げる事に、彼を失う以上の意味なんて見いだせる筈がありません。
逃げている間ずっと光を見ることの無かった私の目は、しかしこの時だけは、彼のあまりに悲惨な死を、私に見せつけていました。
「っ行け―――っ!」
「無駄だ。」
それでも叫び続ける彼の背後に……軽鎧姿の人間の男。先程からナッツを苦しめていた、あのグランドールである事は、声で分かりました。
ナッツからは見えない位置に立ち、そして彼の頸元を掴み、手に持った剣を彼へ向けて振り上げ、
「あ……」
「君を、断罪する」
冷たい声。
生気すら無くしていくナッツの瞳。
振り下ろされる銀光の刃。
ナッツが、死んでしまう。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず上げた悲鳴。
その時に、感じた――――――――――――――――
何か、大きなものが生まれる、気配。
辺りから驚愕の声。私も又、同時に見ることができました。生まれ出でたその大きな何かが、疾風となって森中を走り抜ける、その様子を。
何が起こったのかすら分かりません。
気が付けば、私はただ一人、その場に膝を付き、人間達は皆、地に倒れ臥していました。
つむじ風というのではなく、この森全てを揺るがす何かが、辺りを駆け巡ったように感じました。
「! ナッツ……!」
私は彼の姿を……彼が先程まで居た筈のその場所を探しました。しかしその場所に、皆と同じように地に臥している彼の姿を見つけるよりも先に、目に入ってきた物がありました。まるで、彼と私との間に立ち塞がるかのように地に突き刺さったそれは、
――――大きな黒い剣。私はそれに、見覚えがありました。
間違いありません。特徴という特徴が全くないのに、これほどまでに印象的な物は、剣と言わず、私は他に見たことがないからです。
(シーザーさんの……)
『……絶望するな……! 彼諸共破滅するつもりか』
(え……)
声。
何処にも姿の見えない彼の声は、まるで私の頭の中に直接響いてくるかのように、私の耳に聞こえてきました。
「一時の方向だ! 構え、撃て!」
グランドールの合図。彼は私よりも先にシーザーさんを見つけていました。放たれた矢は私に向かってくるかと思いきや、直ぐ横を掠め、茂みの中に消えていきました。しかしそれよりも数瞬だけ早く、そこから飛び出してきた影が一つ。
右へ左へ、あるいは木の上へ。木々の間を巧みに矢をかわし駆け回るその人は、大きな肩当てマントの男……シーザーさんでした。
「取らせん!」
自分の剣が突き刺さっている方へと駆け抜けようとするシーザーさんの前に、グランドールが立ちはだかりました。彼は剣を振り、シーザーさんの影を切り裂こうとしましたが、シーザーさんはあの人並み外れた跳躍でグランドールの身体ごとその攻撃をかわしていきました。
「バック! 撃て!」
宙へ逃げたシーザーさんへ向けて、グランドールのはるか後方で待機していたのであろう兵士達から、さらに幾本かの矢が放たれました。今度こそ避けられる筈の無いそれを防ごうともせずに、彼は……私の直ぐ前に着地しました。右の二の腕に一本……あの猛襲にさらされながらたった一本だけ刺さったそれにすら、シーザーさんは表情を変える事無く、無事な方の腕で軽々と私の身体を抱え上げました。
「ここを離れるぞ」
「――――っ! 嫌ですっ!」
私が抗議の声を上げるより早く、彼は私の身体を腕の中に抱き込み、そして再び走り出しました。
「そいつを絶対に逃がすなっ!」
グランドールの慌てふためく追撃の声。
飛び交う矢が森を揺らす音、シーザーさんが森を掻き分ける音……
そして、
「ナッツ……! いやですっ! 降ろして下さい! まだあそこにナッツがいるんです!」
あの場所に残された、消え去ろうとしている命の灯の、遠ざかるのだけを感じながら、私は……
また、何もすることができなくて……
ナッツを、助けられないまま……
もう会えないような気がしました。
……自らがアルビナとしての意味を失った時から、別れが来ることを予感していましたが、
こんな別れ方は、哀しすぎました。
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