#14 交渉


 人間の街に生まれたルフェ達は、そのうち森へ逃れたルフェ達を憎みながら育っていくようになる。

 俺は裏町をその日暮らしで生きていく、いわゆる宿無しの子供。人間であればそれは不幸な環境と慰められもするだろうか? しかし俺のようにルフェだったなら、それは幸運で自由な環境だった。何故ならルフェの残りの半分は、生まれついて奴隷の枷をはめられた、使い捨てにも等しい生活に閉じこめられる事になるからだ。俺はそんな彼らもよく知っていた。知っているからこそ、自分は恵まれているのだと思うことができた。

 それが軍隊に拾われたのは、一体何の縁だったのかはもう覚えていない。何か色々な事に巻き込まれて、気付いたときには、俺の腕にもあの奴隷達と同じ枷が填められていたのだ。

 教えられたのは、生き残るための知識と技。そして、恐怖と服従……

 その時は同胞もいたが、それを拒んだがために、俺の隣から一人ずつ消えていった。

 俺は、消えなかった。たった一人残っても、必死で足掻き続けた。人を殺した。赤子を殺した。悲鳴を聞いた。涙を聞いた。それでも何も変わらなかったけど、生き続けられた。それしか手の届くものはなかった。

 それが揺らいだのはラティエにやって来た頃。アルビナは、全てを知って、それでも尚手を差し伸べてくれた。「そこに居ちゃいけないよ」って、言ってくれた。そうして、この夜に光が差したのだ……

 俺とアルビナは似ている。そう思った。だから、アルビナを助けたいと、思うようになった。アルビナが俺にしてくれたように、俺にもアルビナが救える筈だって思った。

 散々足掻いて、信頼の全てを裏切って、それでも結局できはしなかったけど……

 今アルビナは俺の隣には居ないけど、きっと何処かに、アルビナと探した月が、まだ何処かにある筈だから、

 今度こそそう信じていられるから……俺は今、ラティエに全てを打ち明けた。

 アルビナの守ろうとしたものは全てこの村にあって、そして俺がそれを守れるのだから、

 今度こそ、それも、アルビナも守りたいって、そう思うからこうして打ち明けている。

 そうでなきゃ、俺はきっとラティエのルフェ達とも敵同士で、考え方なんて絶対に相容れないものでしかないのだけど、

 だからこそ、これからやって来る危機から守っていけると、そう思うから……アルビナの願った通りにそうしようと思ったのだ。

「……それで、お前はどうしようというのか?」

 全てを話し終えた上で、レダはそう聞いてきた。それは、前にエシンが俺に聞いてきたのと同じ問いかけであった。

 どうしたいのか。……このラティエで、このラティエの為に暮らしていくつもりがあるのか、と。

「俺は罪を犯した。けど、後悔はしてない。また同じ状況になったら、同じ事をすると思う」

 俺がそう言うと、周囲がざわつき始めたのが分かった。そのうち怒声も飛んできそうだが、それらの全てを長老レダの鋭い眼光が制していた。彼は、その眼光で今俺を見極めようとしている。

 幸いにもアルビナはまだ生きてこの村にいる。それはつまり、もう一度同じ事が起こるかもしれないということ。俺はしっかりとそこに釘を刺す。今度また彼らが彼女の命より村を優先するなら、俺は村の方を切り捨てる。

「それを知った上で、あなた方に決めてもらわなきゃいけない。……それでも許してくれるっていうなら、俺をここに置いてくれればいい」

 ……これは、彼らの中で俺の負い目を消す意味でも大事な選択なのだ。だから、俺の我が儘を通してもらうのでは、居場所など到底得られないのだ。

 あくまで決めるのはラティエのルフェ達であり、彼らの中で最も権力を持つ長老レダでなければならない。

「俺はラティエの脆い部分も、人間の考える攻め方も、外のことも知っている。その見識でラティエを守る事だってできる。あんた達がアルビナにした仕打ちは今だって許せないけど、彼女が生きてここに居続ける限り俺はラティエを守りたい。だから、あんた達にそのつもりがあるなら、俺に任せればいい」

「ナッツ、お前……!」

「やめんか」

 今の立場をわきまえない俺の態度に、遂に誰かが我慢できなくなったようだ。俺など直ぐにでも絞め殺してしまいたいだろう。それでも、俺はそういった視線に耐える必要があった。でなきゃ、この村でアルビナを守る事なんて出来はしない。

 レダやエシンは、……恐らく俺のそういった立場や考えを分かっている。だからこそ、これほどに試すような目を……グランドールがよく俺に向けてくるような、厳しい目を向けている。……理解者である筈の彼らが一番の強敵なのだ。

「お前をこの村におくつもりがないと言ったら、お前はどうするのだ?」

「どうもしない。そうなったら、多分あんた達が村から出してはくれないだろうからな。またこの村を売るんじゃないかって、それを警戒して」

『………』

 周りの苛々が伝わってきた。誰もがそうしたいから、何も答えられないのだ。

「けどそれは当然の考えだ。危機感があるなら普通はそうする」

「それを分かっていて、そんな事を提案するのか?」

「……俺だって死にたくはない。だから、どっちも生きられる提案をしている」

 重く張りつめた沈黙が、続いた。

 レダもエシンも何かを考えているようだった。他の重役達は……口を挟めずにいる。きっとレダが出した決定に従うだろう。

 やがてその重い空気を、レダが破った。

「……子供だと思っとったが、なかなかに聡いのぅ。

 ワシらは、どうもお前を見誤っていたようじゃな。それとも、あの娘と会って変わったのかの?」

 まるで子供の成長を喜ぶように微笑み言った。

「ま、いいじゃろ。その辺りのこと、ナッツに任せても」

 その瞬間、息を呑む者がいた。反論しようと立ち上がる者もいた。だけど、結局レダの決定に逆らう事はできなかった。

「じゃが罪を償う義務も、お前は負わねばならん。そうして自分で信用を勝ち取り、皆を納得させよ」

「……はい……!」

 レダのその寛容な決定に、俺は胸を撫で下ろすよりも先に、レダに対する感謝とそして新たな決意をその身に刻み込んだ。





 長老レダの住む住居にて半ば突然にその会議と決定は行われた。だがこの狭い村である。噂はその日の午後には既に広まりきっていた。正式な発表はその日の夜……久しぶりに行われた火を起こしての晩餐の席での発表となったが、それすらも必要ないのではないかと思えた。

 ……しかしその決定を容易に受け入れられるほど、彼らも寛容ではない。その夜の間も、彼らの戸惑いは俺にすら聞こえ続けていた。

 その報告を兼ねた特別な宴の席だというのに、話題の中心である俺に声をかける者は居ない。しかし完全に無視を決め込んでいるわけでもなく、ただ、遠目から俺の方をちらちらと、その動向を監視するかのように、視線を向けてくる。……その中にアルビナは何処にも居なくて、そして俺は相変わらず一人だった。

 前からそうだった。篝火が照らす夜は、いわばルフェ達が名残惜しんだ昼間の延長に過ぎず、………この席においてもアルビナは、ルフェ達に混じる事はなかった。きっと家の中でずっと待っているのだろう。だから俺もそれがある時にはたった一人宴の隅に居て終わるのをじっと待ち続ける事にしていた。この宴は、ただ俺達の夜を浸食するだけだった。

 今夜もそうするつもりで、あの泉の淵へとやって来た。

 俺は仰向けに寝転がり、この空に月を探した。昨日の今日だから、こんな早い時間に昇るわけはないのだけど、それが分かっていてもなお、そうせずにはいられなかった。ここに居ていいのだと認められながらも、まだあの宴の中に入るのに躊躇いがある。

 これでいいんだよと、そう言ってくれるアルビナは、ここには居ない。きっとまだ何処かで、苦しんでいるに違いないんだ……

「―――ナッツ」

 名前を呼ばれた。まだその声を覚えてはいないが、……そうやって話しかけてくる奴は限られている。ましてや若い女の声となれば、一人しか居ない。

 俺は身体を起こすでもなく、ただ顔だけを寄ってきた彼女―――リュシケに向けた。

「何処に行ったのかと思ったじゃない……主賓が姿を隠して、何をするつもり?」

「隠れてたわけじゃないさ。それに、わざわざ俺に構おうって奴は居ないだろ」

「償わなきゃいけないって、言われたでしょ」

「急には無理だ。お互いにな」

「そんな……」

 リュシケは困ったような顔を浮かべた。

 料理の乗った皿がいくつかと酒の入ったジョッキを二つ、両手に余らせていた。彼女一人でそれを全部食べられるわけはないし、勿論給仕をしていたわけでもない。……気を利かせてくれたつもりなんだろうか。

「手を貸して。半分はあなたの分よ」

「……頼んでない」

「それでも食べなさい。あなたの為にわざわざ持ってきてあげたんだから」

 ……俺はしぶしぶ、皿を受け取って土の上に置いた。そこに盛られた料理の多さに、少し驚いた。いくら火を使える限られた夜であっても、肉料理ばかりどうしてこんなに?

「もしかして、肉嫌いだった? 外の生まれだから好きかな思ったんだけど」

「――――――――」

 何か答えようとして、……何も答えられなかった。確かに来たばかりの頃は、ここの山菜やキノコばかりの料理に辟易した。いつの間に、俺は肉が嫌いになったのだろう……?

「いや、食べるよ。嫌いじゃないからさ」

 そう言って気持ちを誤魔化すも、リュシケの表情は和らぐ事はなかった。

「………………」

「――――――」

 彼女は俺の隣に腰を下ろしてなお、キョロキョロして、

「………………」

「――――――」

 不安と戸惑いの表情を、交互にさせていた。

「わ……私達じゃ、話ができないわね」

「話があって来たんじゃなかったのかよ」

「……そう……なんだけど……」

「……軽蔑しただろ」

 声を掛けたとき、彼女はただ目一杯に首を振るだけだった。言葉はない。……やはり、話は続かなかった。

 やがて彼女は、静かにその感想を話してくれた。あるいは、落ち着くための時間を作っていただけなのかもしれない。

「……でも、ますます不思議に思った。どうして、あんな事をしたのかって」

「分かる必要も無い事だ。君は、俺じゃない」

「あなたは、ここに居て良かった筈でしょう? ここに居るのが、正しい筈でしょう?」

 ふと、その台詞に心当たりがあって、俺はふとリュシケの方に目をやった。

 ……俺が彼女と話したがってないのを読み取ってか、リュシケは少し困ったような表情を浮かべていた。

 俺なんかより長く生きている。アルビナよりもまだ年上だろう。

 ……こんな事を考えた。エシンが俺にとって父親だったなら、リュシケは何だろうか?と。やって来た頃の俺はどうしようもないくらいに絶望していて、そのせいで二年もの時間がありながら、結局ラティエのルフェ達へのわだかまりを消すことはできなかったけど、もし俺がアルビナの言う通りにちゃんと村に馴染めていたなら、きっとエシンは父親で、彼女は……頼れる姉のような存在になっていたのではないだろうか。

 勿論、現実にその暗闇は存在していて、俺はアルビナと出会い、彼女に助けられた。その頃から、ラティエのルフェ達と混じる事など絶対に無い、彼らなど信用に値しないと思っていた。

 けど確かに俺は、この二年の間に肉よりも山菜や果物を好きになり、エシンを父親と思うようになり、リュシケとこうして話をして、そしてあれほど嫌っていたラティエの中で生きていこうとしている。決して消える事はないと思っていたルフェ達への不信感ですら、……そのものは決して消えずに残ってはいるものの、形を変え、今は共存しようとしている。

 確かに、何かが大きく変わっていった。まるで、二年前にはあり得なかったその“もう一つの可能性”が少しだけ現実に重なろうとしているように。

 このまま完全に重なってしまえば、それはどうだろう? 平穏……人間の中で暮らしていた頃にはあり得なかった幸せが、きっとそこにある事だろう。俺は家族や仲間と暮らしていく。エシンを父と呼び、リュシケを姉のように慕った筈だ。


 ―――みんな、ナツェルの味方なんだよ。


 けど……


 ―――ナツェルは人間の街じゃなくラティエで暮らしていけばいいの。


 アルビナは、何処にいる?

 どうしてこの願って止まなかった幸せな風景に、アルビナが居ない? 俺のそんな生活を一番に願ってくれたアルビナが、アルビナだけが、どうしてここに居られないんだ?

「ね、どうしたの?」

 何度か声をかけられて、俺はようやくリュシケの顔を覗き込んだまま考え事をしていたのに気付いた。

「私、何か変な事言った?」

「……もし……さ」

「うん?」

「もし、二年前に俺がやって来た時、素直にラティエのみんなの中に馴染んでいたら――――」

 そこまで言ったところで、ようやくリュシケは笑みを浮かべた。

「そうなってたら良かったのにね」

「どうしてさ」

「こんなややこしい話にならずに済んだでしょ?」

 悪戯っぽく笑うリュシケ。だけど、俺は一緒に笑う事は出来なかった。

「それに、もっと話す事だってできた筈。二年も一緒の村に居て名前を覚えてもらえないなんて、そんなの嫌よ」

「……アルビナは?」

「え?」

「もしそうなったら、俺はアルビナと会ってたと思うか?」

「―――――――――」

 言葉は、返っては来なかった。俺はリュシケの返事を促すように、彼女の口元を見つめた。

「あの子の事、そんなに大事?」

 戸惑うような声で返ってきたそれは、しかし質問の返事ではなかった。明らかに、彼女が話を逸らそうとしているのが分かった。

「今更だよ。そんなこと」

「……そうね」

「いつもそうだ。この村のヤツらは、アルビナの事ってなると途端に口を閉ざすんだ」

 彼女はまた黙り込んでしまった。みんな同じ反応。それは、彼女にとっても例外じゃない。

 怒りが湧かないでもない。それはほんの小さなわだかまりで、もうどうしようもない現実に対するただの我が儘でしかないのは分かっているけど、なかなか収まりはしなかった。

 だから、こんな八つ当たりじみた意地悪を告げてみたくなったのだと思う。俺は、冷たくリュシケに告げた。

「さっきの質問の答え、教えてやるよ。もし俺がアルビナと出会わずに、ラティエの中で馴染んでたら、きっとこの村はもう無くなってた」

「―――――え……?」

「人間に為す術もなく滅ぼされてたよ。生き残った奴らはみんな奴隷だ」

「……でも、ナッツは……」

「大切だって思ってるなら、守ろうとはするだろうさ。けどどうしようもない筈だ。俺みたいな子供の言うことを大人が信じる筈もないから、結局一人で何にもできずに終わる。この間みたいにな」

 リュシケが戸惑っているのは直ぐに分かった。俺の言っている事が、自分の理屈に合わないのだろう。きっと彼女の頭の中では、俺が裏切らずに居さえすれば、人間に負けるはずがないと思っている。だからどうしてそんな結果になるの?と尋ねたいのだ。半分以上は勘づいている。だけど言うのははばかられる。だから、何も聞けずに黙っている。俺はさらに意地悪く彼女を追いつめていった。

「俺が儀式を邪魔しなければなんて考えてるなら、無駄だぞ。俺が知らせなくても、儀式の前に人間はやって来た筈だからな。アイツらは、元からそれくらいの軍事力を持ってるんだ。俺は最悪の事態だけを避ける為の保険のようなもので、ほとんど捨て駒と同じなんだから」

「……アルビナは……あの子は一体何をしたの?」

 リュシケが、ようやくそれを聞いてきた。俺はもう一度、脅しつけるようにリュシケを見つめ返した。彼女は、目を反らしこそすれど、言葉を引っ込める事はしなかった。

 だけど教えたりはしない。あれは俺とアルビナだからこそできたこと。二人だけが共有することができる秘密なんだ。

「アルビナを、頼むよ」

 俺は返事を返す代わりにそれだけを言って、その場所を後にした。

 リュシケもそれ以上何かを聞いてくることはなかった。

 宴も半ばになって俺の話題が尽きたのか、大人も子供も随分と賑わってきていた。俺は彼らの目に触れないように裏を周りながら、家路へと帰り、そして直ぐに眠りに落ちた。

 人々の歓喜の声が聞こえる中、その夜は夢を見ることさえ無かった。

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