#12 居場所
目を醒ます、その瞬間まで祈り続けていた。だから、その間は悪夢にも似た不安に窒息しそうになっていた。
儀式はどうなったのか? 矢を受けたアルビナは生きているのか?
そしてラティエは……?
身体が動かない。……当然だ。あれだけの仕打ちを身体に受けたんだから。
「半年は動けないぞ」
意識を戻して最初に聞いたのが、そのやたらと不機嫌そうなエシンの声だった。
「そのつもりでゆっくり眠れ。なに……命は取り留めている。安心しろ」
……と言いながらも、本人は決して安心させるような優しい声などしていない。
口がきけたら、いつものように殴られていただろうか? そんな風にも思ったが……
……ふざけるのは止めた。
怒っているのは当然なんだ。どれだけ頭の悪い大人でも、俺が何をしようとしていたのかくらいは理解できる筈。アルビナを助けたいが為に人間を呼び込んでしまった事も、想像できる筈なんだ。
ここのルフェ達は、裏切り者をどうするだろうか……?
「治療してくれたって事は、少なくとも自分達で処刑するつもりはないって事なんだよな?」
「………」
数日して喋れるようになった時、包帯を交換するエシンに聞いてみた。彼は最初何も喋らなかった。
俺が裏切り者だから。……義理であるにしても親子関係を結んでいたから、愛情と同じだけの憎しみがあったんだろうと思っていた。
仕方のない事だった。今まで裏切りを重ねて生きてきたからこそ分かる。それが許されない事だと。
「……処分が決まらないのだ」
彼は、治療を終えての退室際に俺にこう言った。
表情も声も硬くしたまま、きっと話すべきかどうかを沈黙する間もずっと考えていたんだろうなと、その様子から知ることができた。
「話し合いの結果、処刑は免れたが。治ったら追放ということもある」
仕方のない事だと、俺は思った。
「しかし結果として巫女を守ったのだという見方もある。……何処まで温情が与えられるかは、分からない」
「もう一つ、聞きたい」
「…………」
エシンは返事をしなかった。答えてはいけない事なら、答えないという意志だろう。俺はそれでも構わず尋ねた。
「アルビナはどうなった」
「……生きている」
彼は平坦に告げた。感情を殺した、何の味も無い声だったけど、
けど、その言葉の意味は理解できた。
「そっか……」
「………」
「良かった………良かったよ……」
そして理解できた途端、涙が溢れてきた。
沢山のものを裏切り続けてきた。俺はあまりに馬鹿で、最後の瞬間にはアルビナまで裏切っていた。俺が最後に見たのが、アルビナのあの悲しげな表情だったから……もしあの表情を抱えたまま、アルビナが死んでしまうような事があれば、俺はこの先どんな償いをしても許されはしないだろうと、思っていた。
犯してきた沢山の罪に対して、どんな罰が下ってもおかしくはなかったのに、最後の……本当に大事なものだけは、失わずに済んだのだ。
「……ほんとうに、よかった……」
何度も何度も、それを言葉にして声に乗せた。
そうしている内に眠りが訪れた。
今日でようやく、長い不安の夢からも解放される。
俺は、意識の最後の瞬間まで、安堵と感謝の言葉を声に乗せて、深い眠りについた。
それからどれほど時が過ぎたのかは、正直よく分からなかった。
義父であるエシンとその妻である義母は、様子を見るために度々この部屋を訪れはするのだが、……正直、俺に都合の悪い事は全て伏せてるんじゃないかという、そんな軽い被害妄想を俺は抱いていた。……大人になろうと決めた今でもこれほどに苛立たしいのだから、昔のもっとトゲトゲしていた頃の俺だったら、エシンと取っ組み合いの喧嘩をしてもう半年分は怪我をしていた事だろう。実際、彼らから得られる話の内容は少なかった。あの儀式の事は勿論、ラティエの事は内情も、そしてアルビナの事についても、彼らは口を開こうとはしなかった。
アルビナは、生きてはいるようだった。聞く度に彼らはただ「生きている」とだけ答えるから問いつめたことがある。
エシンの部屋で読んだ記録によれば、儀式に臨んだ巫女は、儀式中の自刃行為で死ななかったとしても、その後は正常な意識が戻る前になんらかの形で死亡している。女神をその身に降ろすというその行為自体が、依代となった者の意識を壊してしまうのかもしれない。
そして、アルビナはそうした症状にかかっているんじゃないか。
今も、憎しみと悲しみを浮かべて涙を流すアルビナの表情が、脳裏から離れない。確かにあれはアルビナだった筈だけど、……あの離れた位置から、人の腕を切り落とし、なおかつ人一人を樹に叩き付けたその尋常じゃない出来事が、アルビナ自身を壊してしまいそうな気がしてならなかった。
でも、儀式は最後まで行われてはいない筈で、だからこそアルビナは生きているんだと、俺は信じている。それぐらいでしか自分を安心させる事が出来ない。知らないという事に、苛立ちばかりが募ってくるのだ。
あの時の問答は、その苛立ちが溢れてエシンにぶつかったのだろう。
アルビナは、本当はもうアルビナじゃなくなってるんじゃないのか? それとも、やはり生きていないのか? 声の荒くなるのに任せ、黙り続けるエシンに、何度もそう迫ったのだ。
「死ぬはずがないだろう!」
そんな俺に、エシンもまた苛立ちをぶつけるようにして怒鳴っていた。
「お前よりも事情が複雑だ。だからこそお前の処遇も決められないんだ」
その言葉の意味は、随分先まで分からなかった。俺が意味を尋ねるよりも先に、エシンは外へ出て行ってしまうからだ。
アルビナについても結局そのまま……
彼がさらに口を堅くしてしまったので、結局分からないままだ。
「生きている」という、その言葉だけを信じるしかなかった。
季節はひと巡りする気配を見せていた。……俺の怪我は思いの外重傷のようで、身体は少しずつ動くようになったが、仕事をする為に森に入るのはエシンによって止められていた。……あるいは、怪我というよりももっと別な理由が他にあったように思える。まぁ、そのくらいは覚悟していた事だ。言ってみれば、この部屋は俺のために用意された牢獄のようなものなのだろう。
あの時何があったのか、というのは随分遅くになってエシンから尋ねられた。俺は……おそらく皆が欲している答えだけを、返してやった。即ち、アルビナを助けたいが為に、月の森へと人間の兵士を連れてきた、ということ。
エシン溜息一つをつき、それ以上は何も尋ねようとはしなかった。「あの二人だけならそれでいい」と、それだけを言った。
………………
「俺は、どうなるの?」
「どうにもならん。怪我を治すのが先だ」
「もう平気だ。もう働けるよ」
「お前はラティエで暮らしていこうと思っているのか?」
「――――――」
エシンの台詞に拒絶を感じて、俺は言葉を詰まらせた。
「出て行けと言うなら、素直に出て行く。もう迷惑は掛けられない」
「私はお前に選ばせようと思っている」
ここに居たい。当然じゃないか。アルビナもそれを望んだ。
けど、……それを口にするのはどうしても躊躇ってしまう。
裏切り者の俺に、居場所はあるのだろうか? 果たしてここに居ていいのだろうか?
「当然お前がここで生活するには障害も多い。お前自身が持ち込んだ不信は、そう簡単には拭えない。お前はそれを、少しずつ拭っていかなければならない。それは考えるよりもずっと難しいことだ。お前にそのつもりがあるのか?」
エシンの表情は厳しかった。当然だ。彼は村の重役にある。
だからこそ、甘やかすことなんかできない。
……俺はこの人にも、随分迷惑を掛けてしまったんだろうな。
やはり決心はつかなかった。考える時間が欲しい。
「もう少し、時間を下さい」
エシンは何も言わなかった。何も言わずに部屋を出ることで、肯定してくれた。
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