#11 儀式の夜


 痛みのせいで周囲にまで感覚が回らない。グランドールは俺を生かし、そしてそんな身体でも聞こえていることを確信してこう言った。

「貴様が持ってきた話が本当だと言うなら、ラティエまでの道を貴様自身が案内するのだ。……儀式の妨害が必要なら、そうしろ」

 切り離し捨てるしかなかった所有物を、外しても痛くない目に賭け直したというだけのこと。神なる存在を信じていない彼は、ルフェ達が行う儀式を邪魔する必要性など爪の先程も感じてはいないだろうから。

「……功績が欲しいだろう。生きて帰れたら、今度こそ貴様が優秀だと誰もが認めざるを得なくなる筈だ」

 何処まで本気か知れない……しかし最後の絶望の瞬間には手を延ばさずにはいられない、そんな自分には何の損失のない悪魔じみた誘惑を囁きかけ、グランドールは俺を森へと帰した。

 共は二人。……俺は顔さえも知らない、新入りもいいところの人間の兵士。それでもルフェに対しての尊大な態度は他の人間と何ら変わることはない。定時には暴力を振るって俺に道を尋ねる。グランドールが俺の利き腕と片足を予め潰して効かないようにしたのも、俺が彼らを出し抜けないようにする為。おかげで自力で走ることも剣を奮うこともできず、ただ人間の肩に担がれ、道を教えるだけの重い塊でしかありえない……

 ……彼らは、少なくともラティエの位置を確かめろと命令を受けているに違いなかった。例え俺が嘘の道を教えていたとしても、彼らは自分達が付けてきた目印でもって砦に帰還できる。……俺は、ただ打ち捨てられるだけだ。命が欲しければ……まだ死にたくないのなら、それがルフェを裏切る行為と知りつつも、道を教えていくしかなかった。

「見ろよ」

 兵士の一人が顎でしゃくって森の奥を指し示した。

 見るまでもなく俺は気が付いていた。闇夜森を越えたときの、空気の暖かさ……大きな儀式の準備に忙しい人々の喧噪。食べ物の匂いまでも。……目を閉じていても、風の流れがルフェ達の村だと教えてくれている。

「間違いないのか? おい……っ!」

 何も喋らずにいると兵士の一人が苛立った声で俺を小突いた。俺は億劫そうに目を開け、改めてその方向を確かめた。ラティエであるのは確かだが、それ以上に目を引いたものがあった。

 森の暗い合間、影絵のような植物たちを越したその向こうに、命の躍動を示す赤い篝火。

 集落の広場では、日常では見られない大きな火が燃え盛り、その周囲を村中のルフェ達が取り囲んでいた。

 ……歌が聞こえる。聞き覚えがあった。いつかアルビナが聞かせてくれただろうか?

 月の湛える雫。

 命の源。大地の呼吸。

 連綿と続く月と太陽の壮大な駆け引き。

 天より生まれ落ちた命達の、生と死の満ち引き。

 それは、アーネアスの紡ぎ出す壮大な叙事詩。空から見ていた月の語る神話……

「月は? 月はどうなった?」

 自分を担ぐ兵士達に、俺は慌てて尋ねた。

「月? 見たけりゃ自分で……」

「満月か? もう中天まで昇ってしまったのか?」

 俺が気にくわなくて渋っていた二人も、渋々、そして呆れながら教えてくれた。

「……直ぐに始まる。今夜が満月だ」

 火の周りに集まる人々の中に、祈りを身体に刻んだ白き巫女の姿を探した。

 だがそれは、現れるべくしてそこにいる全員の目の前に姿を見せた。

 篝火が一斉に消されると森の深みが一斉に光を奪った。そのなかで、自ら光を放つ満月と、それを浴びるアルビナ、そして彼女に付き従うような白装束の女達だけが、俺達に色を投げかけていた。

 アルビナに表情は無かった。白い肌に影を刻む模様が、夜の闇にもはっきりと浮かび上がる。腕や足に纏う鈴の、しゃん・・という音が静寂に澄み渡る村に響き渡る。それは水晶のようだった。綺麗で冷たく繊細で、何処までも広く透き通る音……

「……アルビナ……」

 小さく名前を呼ぶ。ここからはもう届かない、小さな、小さな声。彼女まではあまりに遠い。

「あれだな。……間違いない」

「ここまでは嘘はなかったわけだが、……さてどうする?」

「なに、白い巫女を殺していけば上々だろう。ここまで来て手ぶらで帰る事はない」

「違いない。おいナッツ、分かってると思うがお前は……」

「始まった……!」

「―――――――」

 音が鳴り出した。月に捧げる音楽。長い儀式が、始まる……

 いくつものバチが鳴らす太鼓から始まり、膜を踏み大地を踏みならす力強い音、管の空気が上げる鳥の声、張りつめた弦をかき鳴らす荒れ狂う風、小さな鈴と宝石の光。

 生まれてきた無数の音は初め、ただ各々が勝手に鳴らされるだけだった。やがて大気がその音達に満ちると、もうそれ以上何も生まれてはこなくなった。

 やがて音の中心に立つアルビナが静かに腕を上げると、騒がしかった音は少しずつ、少しずつ潜めていく。彼女を取り囲んでいた白装束が一斉に取り払われる。仕えていた女達はそうして、この闇夜の影の一つとなった。

 次に生まれたのは小さな音。アルビナが土を踏み鳴らす、ほんの寂しく微かな音……それは、再び生まれた太鼓と笛の大きな音に呑み込まれてしまった。

 しゃん・・しゃん・・

 アルビナが足を踏み出すたびに、鈴の音が鳴り出した。それは草の音よりはっきり、そして太鼓と笛の音よりも澄んで響き渡る。しかし追悼のようにもの悲しい響き。

 やがて白い巫女が強く足を蹴り出した。

 しゃん・・

 笛の音がそれに乗る。

 しゃん・・

 次は太鼓がその間を縫う。

 しゃん・・

 止んでいた弦と、琴の音も。

 しゃん・・しゃん・・しゃん・・

 やがて、全ての音が、彼女を中心に鳴らされた。

 激しく。さらに激しく、音楽は熱を帯びていく。白装束が再び回り出し手の打ち合う音が加わった。声は最後に生まれた。もの悲しい叫びはやがて歓喜へと変わり辺りを満たしていった。

 アルビナは、この火の無い大地から奏でられた音達が空に昇っていくのを、その赤い瞳で冷たく見つめていた。

 俺は…………ただその様子を見ている事しかできなかった。




 やがて曲が変わった。音の集まりだったものから、曲を象った旋律とリズムがその場に満ちていった。

 アルビナは白装束の一つを拾い上げ、それを身に纏った。辺りは、誰もが影となり、アルビナだけが白くあった。ルフェ達が闇の中で蠢き、旋律さえも重苦しい響きを奏でる中で、アルビナだけが白い妖精のように激しく踊り続けた。

 しかし彼女のその勢いはやがて小さくなり、そしてとうとう、天を仰いだ姿で動きを止めた。

 空には真っ白な月。アルビナがそこへ腕を伸ばす。その姿に、俺は目を見開いた。


 ―――やがて森が晴れた―――

 

 その詩を、知っている。


 ―――誰もその場を動けなかった筈なのに、誰もがその出来事すら分からず見ているだけだったのに―――


 アルビナが、いつか見せてくれた。月の女神の示す奇跡の話。


 ―――風が吹いて森が開けた。見れば泉が沸き上がっていた。泉には白い月。女神が、この水面に降りた―――


 ルフェ達はそうして、安住の地を手に入れた。一人の女の祈るとおりに奇跡は起きた。しかしその為に女は……

 アルビナの細腕に鉄の輝きが光るのを見て、俺は息が止まる思いをした。今度こそ、その姿は奇跡を起こした始まりの女に重なった。握られていたのは、逆手に持つ為に造られた独特な形の短剣……

 どうしてこうなった? それが不意に頭に浮かんだ。

 何がいけなかったとかじゃなくて、どうして?と。

 アルビナの周りには、うやうやしくかしこまる人達。耳を澄ませば、きっと聞こえてくる。

「さぁ、祈りを」

「巫女様が、祈りを叶えて下さる」

 平穏。文字通りに静かに暮らしていくこと。

 それは決して欲張りな事ではなく、生きているなら……受けた仕打ちや悲惨な時代を知るものなら、当然の願いだった筈だ。

 誰もがそんな希望を持ち、それを巫女の命に願っている。アルビナは、それを叶えたかったんだ……

 ……分かるさ。それを阻んではいけないのも。

 けど、彼女の願いはどうなる? これから死を決めた彼女が、生を願えないのは、どう受け止めればいい?

 俺が、連れ出せてやれば良かったのだ。この狭い世界から。

 俺だけが彼女の、そんな身の上を理解しているのなら、俺だけが彼女を助けてやれた筈なのに……

 ここにいる俺は弱くて、

 あまりにも弱虫で、

 泣き虫で……

 逆に俺自身が守られてばかりで……

 “弱虫ナッツ”のまま……

「おっと、声を立てるんじゃないぞ、ナッツ」

「これから、始まるんだからな」

 腕を縛られ、喉を押さえられ、声すら上げられず、身動きもできず……

 悔しい……!

 どうして、こんなにも俺は弱い?

 人間を恐れ、ルフェにもなれず、アルビナすら救ってやれず、

 それなのに、

 どうして彼女と出会ってしまったのか……

 助けてやる事も出来ず、ここで奇跡を願っているだけの、弱虫が……!

(誰か……! こっちに気付け! 気付いてくれ……!)

 それだけでいい。それだけで、このどうしようもない事態を止められる。

(女神アーネアス! 見てるんだろ! 降りてきているんだろ!)

 予言を下すため。人々の祈りを叶える為に……

 俺の願いは聞こえているのか?

 俺は強くなりたい……!

 今度こそアルビナを守れるように。

 今自分を押さえつける運命を押しのけられるように。

 アルビナを死なせない。絶対に……!

 聞こえているだろう? 今まで叶わなかった俺の声に。

 気付いているだろう? ここまで迫っている悲惨な出来事に。

 どうか、アルビナを助けられるほんの一瞬の奇跡を……!

 誰かがここにいる俺の存在に、気付いてくれるだけでいいんだ……!



 音が止まった。

 アルビナの瞳が虚空を泳ぐ。

 刃を振り上げる。

 俺は最後の瞬間まで祈り続けた。

 いよいよその腹に刃を突き立てる為、

 赤い瞳が、閉じられるその寸前に、

 彼女の目は、俺の方を向いて止まった。

 彼女が、俺を見つけた。

「ナ……ツェル……?」

 唇が聞こえるはずのない声を紡いだ。



 ヒュン……

 空を切る、そんな音が鳴った。アルビナと俺の目が合ったその僅かな隙に、彼女の胸に一条の矢が突き刺さった。

 悲鳴に続き、喧噪が上がった。一杯に見開いた赤い瞳を俺に向けながら倒れていくアルビナを、俺はただ黙ってみているしかできなかった……

「焦りすぎだ! 何故撃った!?」

「あの女、こっちに気付いてた……!」

「はぁっ?」

「目が合ったんだよ! ちくしょう!」

 広場の真ん中に人が集まっていくのが見える。けどアルビナがどうなったのかは分からない。

 ……こいつらが撃ったんだ。俺の隣に居る人間、俺が連れてきてしまった人間が。

 二人は一瞬の判断ができていないようだった。だがアルビナに駆け寄っていったルフェ達が引かないのを見て、……あるいは自分達の方には誰もやってこないのを見て、苦し紛れにこう言った。

「いや、いいのさ。タイミングはずれたが仕留められたじゃないか。気付かれる前にとっととずらかるぞ」

 ……絶対に逃がすか!

 彼らが慌てて腰を上げたその瞬間に、俺を押さえつける手が弛んだ。ほんの一瞬の事だったが、そのタイミングを読んで、俺は喉が張り裂ける程に叫んだ。

「ここに人間がいるぞぉっっっっ!!!」

 片方が直ぐに気付いて再び押さえつけられたが、もう遅い。俺をどうにかしようとするその間に、二人が確実に逃げられたであろうタイミングはもう完全に逃してしまっていた。

 当然隠れてなんかいられない。儀式に臨んでいた他のルフェ達も、俺達が揉み合うその気配を感じ集まってきている。彼らが経験浅い素人であることが愉快でたまらなかった。

「くそっ……! お前など始末しておけば良かった……っ!」

 兵士の一人は、俺のそんな表情をしている事に腹を立てた。さっさと逃げればいいものを、何度も何度も俺の顔面を殴りつける。

「おいっ! 何してるんだよ、ソイツも連れて、さっさと撤退するぞ!」

「うるせぇっ! コイツ、殺してやる……っ!」

「それどころじゃないだろう!」

 何かが、彼ら二人を狂わせたんじゃないかとさえ、思えた。

 笑いが止まらなかった。絶望的な状況にあり全て失いながらも、最後の最後では、ほんの僅かなどうでもいいような願いが、慰めのように叶う。……思い返せばそれは初めての事じゃない。

 ……いつも、そうして死ねなかったんだから。

 今度はどうだろう? 必死だったから、俺自身の命なんてどうとも思っていなかった。

 だから、きっと今度こそ死ねるよな。地獄にコイツらを道連れにしたら、アルビナと再会したい。いや……アルビナは、地獄には行かず月に召されるんだっけ? それでも、いいや……

 俺は自分の意識を手放そうとした。その時に……


 ザンっ!


 音が鳴った。

 世界中を吹きすさぶ風を一秒もないような間に詰め込んだような、そんな音。

 そして、さっきまで俺を殴りつけていた男の、声にもならない悲鳴……

 目を開けた時に目に飛び込んできた光景は、俺を完全に覚醒させた。

 両腕のない人。……いや赤い塊。それが、俺の上に馬乗りになっていて、


 ガウンっ!


 今その身体すらも吹き飛ばされた。先に吹き飛んだ彼の腕と共に、それは近くの樹にぶつかり、ひしゃげた音を立てた。

 何が起きたのか分からなかった。一時は魔法かとも思ったが、それはあり得ない。これほどの使い手などこの村には居なかった筈だ。

「巫女様……!」

 ルフェのうちの誰かが叫ぶのが聞こえた。まさかこれはアルビナがやったのか? いや、もしそうだとしたら、これはアルビナというより、その体に降ろされた人ならざる女神の力か。

 痛む身体をなんとか起こし、さっきまでアルビナが踊っていた広場に目をやった。

 胸に矢を受けたまま、アルビナは立ち上がって、そして今の惨劇を自分がやったと言わんばかりにこちらを見ていた。

 憎しみと、それ以上の悲しみをその顔に浮かべ。


(え………?)


 違う……

 それは、今までに見たこともないような表情だった。

 短剣を突き出されても気丈に俺を励まし続け、夜にはたった一人で泉の落ちた月を眺め、あまりに酷い宿命にも耐え、それでも命を投げ出して生まれた村を守ろうとした、俺が知るアルビナのどの表情とも、その悲しげな表情は重ならなかった。アルビナであったのかどうか、俺には自信が持てなかった程だった。


「どうして―――――?」


 俺の呟いた声が、彼女の口の動きと重なった。いや、声こそ聞こえなかったが、もっと悲痛な想いがあったように思う。俺が感じたようなただの疑問じゃない。

 確かに以前に見た。信頼を裏切られ、願いを裏切られた人が、こんな表情を俺に向けていたのを。

 俺は、そうして理解した。

 彼女が何度も言っていたこと。


  ――――みんなと仲良くして。ずっとこの村にいて。


 あの輪の中で踊る彼女は、短剣を振り上げる最後の間際まで、それを願っていたと思う。

 対して俺の仕打ちはどうだ? ……人間の力を利用しようとしてラティエを出て、そしてやはり傷ついて、戻ってきたときにはラティエを陥れようとする人間を連れてきた。

 馬鹿だ……っ 俺、本当に馬鹿だよ……っ

 自分がどれほど弱くたって、そんな願いくらい、裏切らずに守ってやれた筈なのに……!

 それだって分かってた。アルビナを守るためなら、誰を裏切ったってもう傷つかないとさえ思っていた。

 けど、その為に……大切な人を無くさない為に、大切な人の願いに背いていた……っ!

 あの狼が言っていた通り、俺は何処まで行っても、最後の最後まで裏切ってばっかりだ……!

「……ごめん……俺……」

 悲痛な表情で涙を流し続ける彼女に、俺はその言葉を呟いた。

 けど、きっと届かない事も知っていた。

 ……約束は、守る。

 俺は死なない。生きて、きっと強くなってみせる。君を守って、君を連れ出せるくらいに強くなったら、そう君に認めて貰ったら、今度こそ……

 だから、君も……ここで死んじゃ駄目だ……

「あ……! あいつが……魔女が……っ!」

 生き残ったもう一人の兵士が悲鳴じみた声を上げ、再びクロスボウを構えていた。

 それが見えていたから、俺は自然と身体を彼の前へとかしていた。

 慌てる事もなかった。心は穏やかで、そしてボロボロだった身体も、流れるようにクロスボウの前に身を投げ出していた。

 ドシュ……っ!

 放たれた矢が、俺の腕を貫通した。

「こいつ……最後の最後まで裏切るか……!」

 その憎まれ口が最後となった。俺は縛られたままの両腕で、彼の腰のナイフを抜き取り、怯える彼の喉元へと突き刺した。それが俺にできる最後の一撃だった。

 倒れるままに、そいつに覆い被さりながら、俺は意識を失くしていった。その途上も、俺の心は身勝手な祈りに満ちていた。

 ここで眠っても俺は死ねないから。……アルビナの願いを叶えるまで、死ねないから……

 アーネアス。儀式を止められて怒っているかと思うが、

 どうか、……アルビナを助けてやって欲しい……

 そして俺もまた、命を留められるように……

 この後どんな困難に遭おうとも、俺はきっと耐えるから……

 どうか……どうか……


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