#10 グランドール


 ラティエのルフェ達は知りもしないが、人間は既にこの森への侵攻する準備を着実に進めている。ルフェも所詮はこの広大な闇夜森に住む哀れな動物の一集団に過ぎない。自分達の活動圏の外にいる人間達など、彼らには見えもしないのだ。

 ……人間の攻めの要となる砦は既に存在する。周りの木々に伏せ忍ぶようにして、この場所にしっかりと根を下ろしている。

 それは平原に住む人間の例に漏れず、石造りの角張った建造物である。少しでも見つかりにくくするために周りの木の半分ほどの高さしかなく、それなりに敷地はあるものの施設のほとんどは地下に掘られており、通常人間が住む一階建ての家よりもさらに屋根が低く、一見して軍施設と思うには難しい外観をしている。それも侵攻の足がかりとする情報を得るためであり、軍一つを駐留させるには小さいが、……例えば伝書鳥イピの中継地点として諜報部隊の一部を長く置いておくには十分すぎるほどの施設である。

 俺が飛ばしたイピが辿り着くのもここ……諜報部隊の隊長グランドールは、ここで俺が飛ばした情報を受け取っている。

 彼については、諜報部隊の長である事以外に詳しいことを知らない。所属する場所のせいだとは思っているが。それでも、他の軍隊の長達……『机組』と皮肉で言われる指揮官達は、戦場に立つには難しい程の老齢である事が多い中、彼の若さだけは異様であった。

 噂だけならいくつか聞いている。曰く、世界中を回る旅の最中に腕と経験を買われた。曰く、王宮付きの側近である。曰く、俺達に姿を見せているその姿ですら影武者であり、本物は『机組』の誰かである……そんな途方もないものばかりでもない。悪い噂は、それに輪を掛けて多い。

 そして……当の本人もその全てを裏付けるほどに、恐ろしく、頭の切れる男だった。何しろ、数年間彼から諜報に必要な訓練を受けた俺にさえ、その正体を推し量らせる事は無かった。

 表向きの性格は知識派で、特に伝承や哲学についての言葉を多用する。造詣が深くそんな教育を受けられる高貴な生まれにあったのであろう事は推測できるが、それすらも演技ではないとは言い切れない。それ程に狡猾で、そして冷酷。表情一つ変えずに、部下を死地に追いやる嘘を平気で付く事すらあり、俺はその様子を何度も見てきている。

 俺がこれから相手するのはそんな男だ。

 意を決する暇もなく、俺は乱れた息を整え、そして警戒して集まってくる見張りに、諜報部の一員である事の合図を送った。

 ここまでは……

 そう、ここまでは、今までの俺にとっても容易いのだ。

 ……予想通り、グランドールのいる特別執務室の扉は、直ぐに開かれた。



 地下にめり込むその建造物の中で、隊長の居る特別執務室が地上にあるというのは奇妙と思う。建物が見つからない事を前提に作ってあるのであれば、使い勝手なども含めて確かにそこは一等室には違いなかったが……それを差し引いても何らかの攻撃を受ける可能性の高い場所である。加えてその部屋の窓は、格子こそはめられているものの、刺客を誘うかのように多い。

 いつもは首を傾げるだけで気にも留めない部屋だが、気持ちに含みのある今ばかりは、そういった部屋の構造すら気になってしかたなかった。

「ナッツ、戻りました」

 軍隊式の敬礼と共に決まり言葉を言う。ここでも俺はナッツと呼ばれている。本来なら、ここから事細かな報告と質疑応答が繰り返されるのだが……

 部屋の最も奥の壁に背を預けるグランドールは、書類に目を落としたままなかなかこちらを見ようとはしなかった。

 それとも、長く感じられたのは俺の緊張のせいだろうか。彼は薄い書類をバサっと机に落とすと、手を組んで言った。

「――――任務の途中だった筈だな。ここに戻ってきたその理由を、まず聞こうか」

 ここへ帰ってきた事を咎めるような視線に耐える為に、俺は一拍呼吸を置いてから、口を開いた。

 女神のこと、白い巫女のこと、予言のこと、儀式のこと、そしてそれが下される儀式が近いこと……それらは隠す必要の無いこと、そして彼らを動かすための餌となる情報。……まだ大丈夫、嘘を付いている訳じゃない。俺はやや誇大させて話しながらも、何度も自分にそう言い聞かせながら話した。

「儀式の間隔から言って、今のこの儀式を許せば集落への侵攻は当分引き伸ばされるでしょう」

「……予言的中の確度は?」

「予言の内容を記録したものはありますが、その記録自体がどれほど正確か判断がつきません。後付けの可能性も当然あります。どの程度当たるかの判断は不可能です」

「だが、その白い巫女は予言を知っていた」

「はい。……彼女は長の娘に当たります。その立場にある者かと」

 ……嘘は言っていない。だがこれでグランドールを誤解させられれば……。それはこの二年の間に“奇跡の少女”を作り続けてきたのと同じ手法である。

 グランドールが再び資料に目を落として熟考を始めたのを見て、俺は言葉をもう一つすすめた。

「儀式は次の満月の夜。……その前に巫女をどうにかできれば、彼らは抵抗の手段をほとんど失う事になります」

「……抹殺か、あるいは拉致、といわけだな?」

「戻ってきたのは、その為の人手を借りる為です」

 女神の予言が下されれば、人間があの森に侵攻するのは難しくなる。儀式其れ自体の阻止行為は侵攻となんら変わりはしない。いくら武器もほとんど持たないようなラティエであっても相当数の戦力が必要となる。……その戦力が儀式前までに森を越えるのは、もはや不可能だろう。

 森を越えられる最小の戦力で妨害するならば、結局その二択しかない。当然、儀式前には巫女の周りは人が多い筈。隙が生まれるとしたら儀式の最中だが、それでは殺害の正否にかかわらず割いた人員が逃げきるのは難しい。多少の人員を割く事ができるなら、巫女を確保した後、彼女を盾に逃走するのが確実。

 ……どちらでもいい。俺はラティエまで彼らを連れて行けば、行為に及ぶその寸前まで集落のルフェ達の側に潜む事になるだろう。

 そして、ほんの少し……アルビナをどうにかしようと集落の外側で機会を窺う彼らを、ほんの少し邪魔してやればいい。そう、例えば

 忙しなく準備に動き回るルフェの一人に、人間が潜んでいる茂みの辺りに注意を向かわせる。……小火でも出せばいい。

 普段火を焚く事も少ないルフェ達は慌てて仲間を呼び、人間の隠れ潜む場所までやってくるだろう。さてどうなるだろうか?

 優秀な兵士なら、見つからないようにと隠れようとする。しかしルフェ達の庭である森ではそんなかくれんぼに勝ち目はない。火の原因を探して山狩りを行うルフェ達は、直ぐに人間と接触する事になる。

 ……その後、どういう状況になるのであれ、男達は森に集まり、そして儀式を控えた巫女と女子供は屋内に隠れる。そこからアルビナだけを連れ出すのは難しくはない。あとは、隙を見てラティエを抜け出せばいい。

 ……………………………

 ……ラティエはただじゃ済まないだろうが、知った事じゃない。どうせ儀式が阻止されれば、アルビナもあの場所には居られなくなる。アルビナには、あんな集落よりも外の世界の方がよっぽどいい筈だ

 その為に、人間を利用する。徹底的に―――――

 俺はもう一度返事の無いグランドールに進言しようとして、背に冷たいものが走った。

 グランドールの猛禽のような目が、黙って俺を見ていた。それは、どうするべきかを考えている目ではない。

 勘付かれた? ……いや、そんな筈は無い……

 俺は、我慢比べをするように、彼の目線に真っ向から向き合った。そして、言葉を、声を、息すらも呑み込もうとした。彼にとって都合のいい駒を装う為に。その間、時間が止まったように長く感じられた。

 やがて最初に口から発したのはグランドールの方だった。目を閉じての溜息だった。そしてこう言った。

「手を出すな。今回は様子を見る」

「――――――――っ!??」

 最初、その意味が分からなかった。そして分かった途端に驚愕した。

「………不思議そうな顔をしているな、ナッツ」

 そして、グランドールは冷静に目を細める。……その様子を見て、俺はしまったと思った。

 彼は、こうして俺が驚くのを確かめたかったに違いないのだ。

「何故かね? 闇夜森に入るまであれほど人殺しなど嫌がっていた筈なのにな」

「………」

「その時の傷は、もう消えてしまったのかな?」

 冷たい、凍て付きそうになるくらいに冷たい、裏切り者を断罪する声……俺には、覚えがある。

 ルフェである俺にとって、それはたとえそうでなかったとしても浴びせられ続ける悪意。

「不満か?」

「疑うのは止めて下さい。……私は、命令ならそうします」

「……フン」

 グランドールは僅かに口の端を上げて笑った。

「理由を聞きたいか?」

「……はい」

「いくつもあるぞ。貴様の不備が」

 俺は口をつぐみ、それを肯定とした。彼は俺を見据えたまま話し始める。

「一つ。神など存在しない。神降ろしの儀式など、民衆を宥める為の騙し絵に過ぎんよ」

「しかし…」

 アルビナの言っていた災害は当たっていたんじゃないのか? 俺は躊躇い、言葉を飲み込んだ。グランドールのこと、どこから俺の企みを勘づくか分からない。そんな俺の考えを知ってか知らずか、グランドールが肩を竦めて失笑した。

「大風は確かにやって来た。貴様がここを出て数日後だ。本国では未曾有禹の被害が出た。死者も相当な数にのぼるそうだ」

「なら……」

「どうして森の中ならそれを知り得ないと思うのか? 君自身が報告に書いた事だ。希に外の商人から物を買うことがあると。道という脈には物と情報が同時に流れる……『海賊の住処』という古典の一場面だ。知らないだろうがね」

「………」

「予言が当たっているように見せかける手法など随分昔からあった。表現を曖昧にして、どうとでも解釈できるようにすればいい。君自身今回の報告では後付けの可能性も疑っていただろう。だからこそ予言など役立たずなのだよ。起きてしまってからそういう事だったのかと思わせる。分かるか? わけのわからない文章を並べて、『これは高名な予言者の言葉だ』と言って売れば、騙される者も多いのだよ」

 違う、あの時のアルビナの予言はそんな曖昧なものじゃなかった……

 だがあの時の自分が冷静じゃなかったのは否定できない。俺は、歯噛みしながら隊長の冷たい指摘を受け止めるしかなかった。

「……二つ。ここで儀式を阻止する為に小隊を組もうにも、ルフェに従おうとする部下など居ない」

 二つ目の指摘は、さらに納得のできない内容だった。街でも当然、それと戦っている軍ならば尚更、ルフェである自分の立場は低い。

「…………」

「悔しいかね?」

「――――いえ。慣れています」

「そうだな。貴様にも分かっていた筈だ。人数を使う為にここに戻ってきても無駄だということをな。

 その上で三つ目だ。そもそもここに戻るべきではなかった。儀式前の貴重な時間が無駄になる。それに貴様が“白い巫女”をどうにかしようと思うなら、貴様が単独で行うべきではなかったか?」

「……そんな……」

 そんな気はサラサラ無かったが、俺は冷静を装い反論した。

「…不可能です。こことの内通がバレでもしたら、それこそ……」

「それこそ、どうだというのかな?」

「……命を、落とすかもしれません。それに、実行してから待避するのも、一人では難しいでしょう」

 その言葉を聞いて、グランドールは笑ったような、あるいは落胆したような奇妙な表情を浮かべた。

「『盲目の将軍』という話にこんな台詞があるよ。忠誠を立てたいなら死を恐れるな。だが優秀と認めさせたいなら生き延びて見せろ」

「――――――――っ」

「今の君にそのまま送ろう」

 そう言って、彼はそのまま俺に背を向けて目を外した。その台詞で意味が知れた。引用ばかりを多用する彼だが、何が言いたいかが分かりにくい事はない。その内容は実に単純明快であり、それでなお本来なら言いにくい事も容赦なく、感情に突き刺してくる。彼の悪名高さを裏付ける部分の一つであった。

 彼はそうして部下を捨て駒にしてきた。そうして部下の亡骸の上を悠然と歩いてきた。罪を負い、嘆く人達でさえも見捨ててきた……!

 考えたときには、既に身体が動いていた。彼との間にあった机の上まで音もなく数歩で跳躍すると、袖に仕込んでいた短剣を引き抜き、背を向ける彼の首筋に当てた。思考の分け入る隙も無いほどに一瞬の間の事だった。

 ……迂闊と思い悩むほど状況に余裕など無かった。もう、こうするしか無かった。

 彼は微動だにせず、そして俺は力一杯に歯を食いしばった。今すぐ殺してしまいたい衝動を無理に抑え込んだ。

「……驚いたな。入る前に武器は預ける決まりだが、一体何処に隠していたのやら」

 言うまでもない。人間など誰も信用出来ない。そう思うからこそ、武器は手放すことができない。無論、今までここで隊長と対峙していた時も、最後の一本だけは手放したことはない。調べられる手順を知った上で、袖、襟、ベルト裏、靴の裾へと移動させる事は、さほど難しい事ではない。

「……破れかぶれとはな。ナッツ」

「黙れよ! その態度が、気に入らないんだ!」

 声が外まで聞こえても困る。俺は声も押し殺し、彼だけに聞こえるようにして話した。

「俺がルフェだろうが何だろうが、お前の命令なら人を動かせる筈だよな」

「物理的な脅迫では君のものにはならん」

「分かっているさ……お前は俺の存在を知られないように命令すればいい。森への侵攻と巫女の捕獲を」

「……君は、その間もずっと隠れているつもりか」

 彼は失笑をもらした。不意に動いた首に短剣が掠め、首筋を浅く裂いた。俺は短剣を深く当ててもう一度警告したが、それでも彼はひるむ様子を見せなかった。

 次第に、俺の心に焦りが浮かんでくる。俺は冷静を努め、今自分の握った命にさらなる脅しをかけた。

「……できるさ。できなかったとしても、お前の首をラティエに持って帰ればいい。ルフェも巫女も、大喜びする」

「もっと実のある話をしようじゃないか。理想論では思考を熱くするばかりで冷静にはなれない」

「理想論だと……っ」

「さっきの続きを話そうか。貴様の不備の四つ目――――――」

 殺してしまえ! 本能がそう叫ぶ。だが、それではアルビナを助けられる術を完全に失ってしまうと、冷静な自分がそれを押しとどめ、

 そして、今までの経験が、更なる危機を警告してくる。この男は危険だ、しかしもうどうしようもない所に自分は立って居る、やはり軽率な事をしたんだ、と。

 そして、短剣を宛う彼の喉から、その決定的な状況が聞こえる……

「私は貴様の定時報告の嘘も見抜いていたよ」

 予感は次第に確信と変わり、俺の思考から溢れ出すように現実へと形を為していった。

 それは、気配。

 特別執務室での報告は原則隊長との二人だけが基本……だがその時ばかりは、二人しかいない筈のこの部屋に、いくつもの気配を感じた。それは突然現れたんじゃない。最初からここに潜んでいて、俺を窺っていたのだ。

「貴様がここにやって来た時から警戒していた。何かある、とな。勿論事前に手は打たせて貰ったが」

 不自然に思えた格子窓の外に、今は少なくとも四人。……まだいる。狙撃穴でもあるのだろうか? 気を張り巡らせれば、壁や天井、そして扉の奥からも感じられる。目だけを配ってみても誰もいない。誰もいないように見せかけている……

 しかし、神経を研ぎ澄ませば弩の弦の張りつめる音が、確かに聞こえてくる。

「私では人質にならん。私の部隊がどういう所なのか、分かっている筈だ」

 グランドールは会議室でしか働かないような机組とは違う。こういった状況に躊躇いは見せない。俺自身、そう教え込まれてきた。いざというときは、隊長の身体ごと俺を撃ち貫く。

 どれほどの人数が配置されているか、など、考えるだけ無駄だろう。強引に押し通るのは、砦の一つと戦うのにも等しい。丈夫な格子がはめられ、その外に人が待機しているとなれば、そこからの脱出も難しい。そもそも、配置されているのはこの部屋の周囲だけだろうか? 外へ出たとして、そこから逃げ切れるのか?

 ……不可能だ。

「ナッツ、君は優秀だった。だから逃げ道が無い事も直ぐに分かるだろう」

「うるさい………」

「兵を配置したのは念の為だったわけだが、私は正直驚いている。君がまさか、こんな無謀な行動に出る程に追いつめられていたとはな」

「うるさいって言ってるだろう!」

「つまり、報告の全てが嘘というわけではないらしい。奇跡云々は嘘だとしても、白い巫女の存在、それに儀式についても真実なのだろうな」

 見透かされていた。それも完全に。

 一瞬で彼を殺せるような体勢にありながら、立場は全くの逆。握った短剣が、まるで細い針のように小さく意味の無い物のように思えてくる。

 焦るな。焦れば、グランドールの思惑から出られない。冷静に、コイツに何も悟らせずに、駆け引きをするんだ。

 しかしそう思えば思うほど、行き詰まる思考は汗となってこぼれ落ちた。それが、今も背中を向けているグランドールにも感じられたのかどうか……

 彼は、いつもの調子を崩さずに話し続ける。剣を突きつけられたその喉から、俺を惑わせる言葉を吐き続ける。

「ナッツ、君は間違いなく優秀だよ。それは認めよう。訓練でもそうだった。そして今私の命を握っている。その状況が何よりの証拠だ」

 耳を貸すな。考えろ。ここを脱出する方法を……!

 だが、気の焦りに反して、グランドールがあの余裕の含んだ声は、雑音のような俺の考えですら打ち砕いて耳に入ってくる。

「私としても、こんな事で君を失うのは惜しいのだ」

「うるさいっ黙れよ!」

 グランドールは、俺を揺さぶるつもりだ……! 再び、自分の手駒に戻すために……

 コイツの誘いなんかに乗っちゃいけない! それじゃあ、ラティエに辿り着いた頃の……アルビナに会う前の俺と、何にも変わらないんだぞ……! 何をするために、ここへ来たんだナツェル……!

「冷静でいたまえ。そうすれば君は誰よりも優秀でいられる。……私を殺し、君も死ぬ。そうして出る目、外す目、果たして釣り合うのかね?」

「―――――――」

 生きなきゃ。それだけ―――――――それだけを残して、思考が止まった。

 どうやっても生き残れない。アルビナを助けられない。それを完全に理解した頭が、考えを止めたのかもしれない。

 力が弛んだ。ほんの一瞬……それを感じたときには、もう俺の身体は宙に浮いていた。背中の痛みが悲鳴を上げるよりも先に呼吸を止めた。僅かに咳き込んで……喉に詰まった血を吐き出して、………そこまでして、前が見えた。視界にグランドールの冷たい表情。

 殺されると思った。ああ、もう駄目なんだと、思った。

「……今の貴様は優秀でも忠実でもない。クズだ」

 悔しかった。どうしようもなく……彼に勝てなかった事じゃない。アルビナを助けられないこと、そして……

「それでもルフェの住処までの道を知っているのはお前だけ。……いいだろう。自分がルフェだということに感謝するといい」

 また人間に利用され、ルフェを裏切らなきゃいけないということ。

 グランドールが俺の頭を押さえつける。利き腕を叩き潰され、足には刃が突き立てられた。

 身体が引き裂かれたかのようだった。左足と右腕。逃げ出せないように、抵抗できないように。思考すら鈍らせる痛みと熱が体に残った。

 でも生きなきゃ……

 生きてアルビナの所へ戻らなきゃ……

 けど、戻ったところでもうどうしようもない……

 駆け寄ってくる兵士の足音と影。

 それに混じって、あの狼の視線もまた感じていた。

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