#7 神話の時代


 それから数日間は仲直りの言葉を考えて、夜はずっと一人で居た。

 泉のほとりにアルビナを見かけても、会いには行かなかった。

 帝国への報告だけは順調だった。あらかじめアルビナと二人で考えてあった“奇跡の少女”は、今やこの森の支配者とでもいうべき存在にまでなっていた。

 ……そろそろネタも尽きる頃。グランドール隊長も何らかの動きを見せるかもしれない。

 けど、俺にとってはアルビナとの問題の方が大きかった。

 どうしたら、彼女は一緒にこの森を出てくれるのか。アルビナの態度からしてそれは無理なのかも知れないが、だったらせめてラティエのみんなに歩み寄れる方法を、俺は考え続けた。

 だっておかしな話じゃないか。その容姿や過去があったとしても、アルビナは女神の巫女だっていうのに、ラティエの誰にも尊敬もされないだなんて。

 月神アーネアス。ラティエの女神は、森を守護し生命には恵みをもたらすという。

 人間の街で噂されるルフェの物語ではその神自体が女のついた嘘から始まっているが、ラティエのルフェ達は当然そんな風には思っていない筈で……

「そもそも、神って何だ?」

 ルフェは神を信じない。それは運命なんて枠に自分達の不幸を填め込みたくはないから。俺にはアーネアスを理解する事は勿論、その存在に注目する事すら無かったが、

 でも奇跡は、信じている。

 ……思えば恥ずかしい話だ。アルビナが奇跡を起こしたと喜んでいたにもかかわらず、それについての裏付けを何も考えなかったのだから。

 でも、どう調べたらいいんだろうか?

 絵があるというなら見に行けばいい。食べ物があるなら食べてみればいい。武器なら手にとって柄なり弦なりを手に取ってみる。その刃に触れ、あるいは振るってみる。けど、会ったこともない神となるとどうしたらいい?

 たいした時間も使わずにそれは容易に思いついた。

「……エシンは神官なんだよな」

 俺の父親であろうとする髭男。養子にゲンコツを落とす事だけが仕事じゃない。

 神官というのがどういう役割なのかはさっぱりだけど、アルビナの持っている知識とか幻想とか、そういう考えと近いことを知っているような気がした。

 確か、今は村長の所で会議があるとかで、この家には誰もいない。本当は聞こうと思ったのだけど、居ないなら顔を合わせなくて済む。本があれば十分。誰もいない狭い樹の虚の部屋を堂々と渡って、一番奥にあるエシンの書棚まで行く。

 日光の届かないそこは、ここの独自の魔法から作り出した光苔が部屋をうっすらと照らしている。部屋も独特なら棚もそうだ。死んだ樹木から作られたそれらの棚は、人間達が使うような直線的な形はしておらず、部屋の形に合わせた形をしている。人間の作る四角い家に慣れているなら、開け放たれた木箱という印象を受ける。しかし頻繁に使用されているのとエシンの真面目さがあって、本自体は見つけやすく整理されていた。

 ラティエは小さな村だが、本だけはそこそこあって、多くは村長や神官であるエシンの家に集められている。森の外へやってくる商人から購入し蓄えられる知識は、おそらく森の外に居た頃の名残りか、あるいは身を守る為に必要という自覚があるからなのだろう。森の外の商人から紙を調達し村の記録を付ける事も。聞けば、読み書きくらいは拙いながらも村の全員が学ぶのだそうだ。

 エシンの本棚には分厚い歴史書といくつかの言語辞書、童話や伝承をまとめた本もある。背表紙までしっかりと装丁されてあるのはそれら六割ほど。商人達との交易で手に入れるもので、ラティエでは貴重な外の文化である。逆に紙を束ねただけのものは、この村で起きた事を記した記録書。狩猟の記録や名簿なんか。星の位置を読み解いた占星術のような記録もあるが、月への独特な信仰があるラティエでのそれは、外の人間が編み出した術と大きく異なる。

 探しているのはそれらではない。

 装丁は立派だが背に何も書かれていない本を端から探していった。それらは、言ってみればラティエの史書だ。その日その日に起こる視野の狭い範囲の出来事ではなく、もっと広い重要な事柄や思想だけを抜き出して清書し装丁したもの。歳月を経ても後の世代に伝えるべき事柄を集めたもの。長い歴史の中で何度も書き直されたもの。文化と呼べるレベルに到達している集落ならば必ずある。

 取り敢えず抜き出した数冊の本に目を走らせた。それは人間にも伝わっている共通の歴史から始まる。

 神話世界。竜族の支配と滅亡から始まり、世界を引き裂いた戦争、人の時代の始まり。この頃はまだ、大陸は“闇の海”と呼ばれる暗黒の中を漂っていた。それがある時陸同士が衝突して、今の世界が出来上がった。妖精をはじめとする“空想上の生き物”とされるいくつかの種族は、この頃に姿を消した。神話から歴史に変わったとされる大きな境目となる時代………

 頁をめくる手を止めて、俺はある事を思い出していた。

 それは、俺の上司……グランドール隊長の講釈での内容。何かにつけてはっきりしない事柄を難しく話したがる隊長の言うことだから、詳しい内容やその意図は無いのかもしれないけど、その神話と歴史の境目の時期を指して言った台詞は妙に頭にこびりついている。

「もっとも変わったのは、神の奇跡が起きなくなったこと」

 つまり伝承歌の中で時代を築いてきた神々は、それから後はどの歴史においても姿を見せることはなかった。

 魔法技術が神の奇跡に追いついてしまったからだとも言われるし、“神殺し”の英雄シーザーが変貌した神々を全て倒して回ったからだともいわれるが、そもそもそんなものは初めから存在せず、権力者が政治に利用しただけとも言われている。……ともかく世界には信仰はあっても奇跡は存在しないというのが今ある事実。

 その失われたはずの奇跡が、このラティエには存在する。当然だが、ルフェの一斉蜂起は神話の時代の終わりからかなり経った後の話。

 恐怖に似た不安を感じ、俺は次の本を手に取った。

 国の成り立ち、帝国の興り、そしてルフェの一斉反乱……アルビナがあの夜に話してくれたままの内容が、そこにはあった。

 たった一人の女が、ルフェをこの森まで導き、奇跡を起こしたという。……俺は、そこに『自ら短剣を突き立てて』という一文を見つけて、一度本を閉じた。あの夜、アルビナがした動作を思い出したからだ。

(伝説じゃないか、そんなの……)

 しかし、信仰の殆どが伝説を起源としていて、ラティエにはその伝説の一端が“奇跡”という言葉として残っている。

 高ぶった心を鎮めると、再び頁を開きめくっていく。探すのは、“アーネアス”。

 大地に対を為す、慈愛と定めの理に満ちたる女神……

 そしてそれは、アーネアスを記したものの最後……これから埋めていくべき白紙の頁の寸前にあった。

 “神降ろしの儀式”

 起源は当然、一斉蜂起の際に女がして見せた奇跡から。

 それを再現する為の儀式であり、ラティエの泉にて神を迎え、森を守護してもらうというもの。

 ラティエでは十年ほどの間隔で行い、ルフェの巫女が導いた女と女神の役を執り行う。

 俺はその本を床に落とすと、別の記録を探した。直ぐ隣か、そうでなくとも直ぐ近くにある筈だった。棚じゅうの本を何冊も床に重ねて、ようやくそれは見つけた。

 儀式の記録。清書されていない、古い紙束同然の本であった。

 そこには儀式の日程や巫女の名前、そしてその時に下された……まるで予言のような託宣までもが、事細かに記されていた。どうやら儀式は、この託宣を得るために行っているらしい。どの季節の果実が不作になるか、反対にどんな植物が豊作となるか……風、火事、雷、そして大地震と流行病。その全てが、帝国の侵攻と合わせて書かれてある。…風が帝国を襲うというもの、それ以外にも俺にとって覚えがあるものもいくつか見える。つまり、現実に起きたということ。

 なるほど、グランドール隊長が興味を持つわけだ。帝国はそれまで何度もここへは仕掛けていて、必ずと言っていいほど何かのせいで失敗していたのだから。……それは、まるで神の兵法書であった。俺が届けた『白い巫女が奇跡を起こす』という知らせは、さぞ彼を喜ばせたに違いない。

(月の森は奇跡に守られている)

 今更ながらに、その言葉が真実だと思い知らされた。確かにこの森には奇跡は存在している。

 託宣を下した巫女の名前を見た……イシュリオ、アールエン、イクシオニ、スピキアニ、イュルシ、……みな知らない名前だった。……約十年間隔の記録の筈なのに、最後の巫女の名ですら知らない。……この村で一度も会ったことが無い。それが何を意味するのか、容易に想像する事ができた。

 何度も、何度も、あの夜の光景が蘇る。アルビナの影が両腕を掲げ、そして両手に持った“何か”を自らの腹に突き立てる。

 気が焦る。けど、俺は目を逸らしちゃいけない。

 まだ……! まだ知らなければいけない事がある。また新しい予感を確かめるために、俺は次の本を手に取ろうとした――――――

 その時に……

「これより、会議の内容を伝える! よく聞くように」

 外から村中に響き渡る声。エシンの声……彼は、村長の所で会議をしていた筈だ。

 何の発表だろう。いや、今は資料を調べなければいけない。一瞬でそう思い直し、再び開いた儀式に関する本に目を落とした。

『おおよそ十年ごとに』

 その文が目に入ったとき、まさかと思った。俺は窓へと走って外を見やった。

 もうその場所には村中のルフェが、会議をしていた重役達を取り囲むようにして集まっていた。その中に……一瞬の違和感が飛び込んできた。

 それは白。白い少女の姿である。夜ほどの神秘性を見せないまでも、彼女が昼間の光の中に立つ姿を、俺は今までに見たことがなかったから………

 かなり無理しているのが分かる。手の先まで包む黒い装束。その上からさらに白い纏を掛け、彼女は陽の下で気を張っている。絹糸のような髪の毛も同じように黒と白の覆いがかけられている為、彼女自身の素肌が見えているのは顔のほんの一部だけだ。

 俺は確信した。顔を出していた窓から飛び出すと、二階以上のもある高さから飛び降りた。

「定時の儀式を執り行う時期になった。その必要性はみんなも既に感じていることだろう」

 始まった! やはり会議は儀式絡みだった。

「月は次の満月が輝天となる。その夜、月神アーネアスをラティエに迎え降ろす事になった」

 俺は走った。集まった人を掻き分け、囲みの中心へ。

「儀式の巫女役は、前から言われてきた通りアルビナに……」

「そんなの駄目だ―――っ!」

 聞こえているエシンの声が聞こえなくなるだけ、俺は叫んだ。辺りの人が一斉に振り向く。彼らの間を抜けて輪の中心……エシンや村長とそしてアルビナがいる所まで抜け出た時には、叫びすぎで胸の奥が痛み出す寸前だった。

「ナッツ、下がりなさい。お前が首をつっこめる事じゃない」

「それでも認めらんねーよ……っ!」

 せっかく整えた息を惜しまずに、俺はもう一度叫んだ。周囲がざわめくのを感じる。

「お前は何も知らないから」

「知ってるよ! さっきまで調べてたんだ、お前等の汚い過去もみんな……」

「ナッツっ!」

「ラティエのルフェは……!」

 手を上げるエシンに対して、俺は声で抗した。……いくら殴られたって、俺だけは喧嘩するべきじゃない。みんなに認めさせる為にも。

「ラティエのルフェは、人間に虐げられていた過去から抜け出したくて、この森にやって来たんだろ!? 人間が俺達の命を弄ぶから、それを認めたくないって――――――――それなのにこれはどうだ?! 巫女を犠牲にしてこの村が豊であればいいって、人間のしてきた事とどう違うって言うんだ?」

「違う!」

「違わねぇっ! 同じのを散々見てきたんだ! それが嫌だったから、死ぬ思いで俺はこの村までやってきた! ラティエのルフェは違うのか? どういうつもりで俺を迎え入れたんだよ」

 辺りは静まり返っていた。

 どれほど腑抜けていても、ここのルフェは人間を憎んでいる。それを、俺は二年近くも見てきた。

 皆、同じ気持ちの筈なんだ。アルビナを受け入れる事が出来ないはずがない。

 しかし……

「もう決まった事だ。ナッツ……!」

「納得できるか!」

「巫女も既にそのつもりでいる」

 エシンが言った。

 そんな筈が無い。そう思って側に立つアルビナに目をやった。

 彼女は、黙って何も言わずに俺を見ていた。エシンの台詞にさえ、何も……抗議をするのでも、取り乱すのでもなく、表情すら変えずに、黙って……現れた乱入者から目を逸らさないことで、それを肯定するように。

(アル……ビナ……?)

 本当に彼女なのかと疑った。夜には月の下でくるくると表情を変化させていた彼女は、今はまるで感情を盗まれた人形のようで……しかし、巫女に徹するその姿には覚えもあった。

「神降ろしの儀式を行う事ができれば、アーネアス様がラティエを守って下さいます」

 静かに、ゾッとするほど美しく涼しい声で、白い巫女はそう告げた。

 初めて会ったあの夜にアルビナがして見せた姿、そして人間の侵攻を阻む予言を下した時と、全く同じ姿だった。

 あの時は、その姿が神にも見え、その言葉が俺を救ってくれさえした。

 けど、これではまるで、その姿にアルビナが食われてしまったかのようだった。月神アーネアスが、夜にしか生きられないアルビナを食おうとしている……

「っアルビナ! アルビナ! アルビナ……っ!」

 俺は何度も叫んだ。アルビナが失われないように。月の彼方に消えてしまわないように。

 両肩を掴んだ。瞳をじっと見つめた。髪にも背中にも手を伸ばした。

「いいのかよ!? それで……! そうなって、消えてしまって、それでいいのか? その為に……ラティエに居なきゃいけないって……」

「……っ」

 アルビナは堪えるように目を薄めた。唇を固く引き結び、それでも何も言わなかった。目を逸らさなかった。

「もうやめてはくれないか。少年……」

 その様子を止めたのは長老レダであった。アルビナの養父にして、村の長でもある人。

「嫌だ! こんなの、馬鹿げてる!」

「外から来たばかりのそなたには、そう見えるのかもしれん」

「そんなの関係ない」

「いや、……そなたは人間の中で生きて、人間の常識で判断しておるよ」

「人間と一緒にするな! 俺だって、みんなだってルフェじゃないか」

「そう……ルフェだ。ラティエに暮らすここに集まった全員が、我等の仲間であり、たったこれだけしかいない」

 俺はその言おうとした事を理解して、声を無くした。

「国と言うにもあまりに小さい。人間と戦うにはあまりに弱い。それが我等じゃ」

 俺は辺りに目をやった。村中のルフェ達が全て集まって、それでも百人に届くかどうか。女子供が半分以上……

 狩猟道具の他には武器らしい武器すら持ち合わせていない。人間に攻められたなら逆立ちしたって勝てないと、俺はよく知っている。

「いつ帝国が滅亡の使者を寄越すともしれん。我等だけでこの村を守っていくには、この儀式が必要なのじゃ。馬鹿げた犠牲と感じたならそうなのであろう。だが、現実にラティエ全ての運命を天秤に架けるならこうするほかあるまい。それでラティエは救われてきた」

 人間は絶対に攻めてこない。そう言ってやりたかった。

 言って、その証拠を全て見せてやれれば……俺はどうなるか分からないけど、アルビナは助けられるかもしれない。

 覚悟を決めようとしたその矢先……

「ナツェル、」

 本当の名前を、アルビナが呼んだ。俺の覚悟を止めるように、彼女は黙って首を振った。

「…………っ!」

 俺は声を詰まらせる。アルビナは慈愛に満ちた声で、しかし淡々と告げる。

「儀式により、皆が守られます。勿論、あなたもそうです。アーネアス様は慈愛の神……」

「そんなわけ……!」

「ラティエに居られるよう、アーネアス様に―――」


  あなたはここにいていいんだよ


 アルビナが、そう言ったような気がした。アルビナの嘘で自分が救われたように、これからアルビナを犠牲にした儀式で、俺は村ごと守られる。

 けど、そんなのってない……どうして俺はここに居ていいのに、アルビナはここに居て殺されようとしているんだ……!

「さぁ、皆の衆も聞いての通りだ。巫女様が儀式に臨んで下さる。その時に、我等がこれからも生きられる事を知るだろう」

 長老レダのその言葉で、辺りが安堵の息を漏らした。誰もが、それで良かったと、そう言っているような気がして、俺は悔しかった。そして、俺もまたそれで命を救われるルフェの一人なんだと、改めて思い知らされた。

 エシンが俺の肩を叩いた。

 それでも、俺は何も言えずにアルビナを見ていることしかできなかった。

 彼女は、一度だけ長く目を閉じてからまた巫女の表情に戻り、喜ぶルフェ達の間を抜けて家へと戻っていった。

 振り返ることはなく、またその後ろ姿から本心を探らせるような事もしなかった。

「巫女様」

 と、誰かが呼び始め、皆がそう囁くようになっても、

 そう呼ばれるままにアルビナはあった。

 儀式に臨む事が決まった今、もうアルビナへの陰口を叩く奴は一人もいなくなっていた。

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