#6 月を待つ


 アルビナはいつもあの世界にいた。

 月と星の光が淡いだけで、灯りの全く無い夜の世界。泉の向こう側から寝静まった村を眺め、じっと空の光を焦がれるように仰ぎ見ながら独りで座っている。


  ……退屈じゃないか? いっつもそうやってて。

  どうして? ここは賑やかよ。月も綺麗。

  昇らない日はどうすんのさ。

  その時は星座を探すの。


 空が曇っている時もアルビナは外へ出た。雨の日も雨除けのフードを被り、森へ入る手前の大きな下まで走った。

 ずっと独りでいた。俺がその姿を見て外へ出る時でも、そこへやって来るまでは独り。俺が行かなかった時は……

 そんな時は、どうしているのだろう?

 ラティエのルフェは、アルビナに近づこうともしない。

 ならせめて俺だけは一緒にいようと思った。

「……何か悪いことでもあった?」

 ぼぅとしていた俺の顔を、アルビナが覗き込んでいた。

「何でもないよ」

「本当に?」

「本当だ。喧嘩だってしてない」

「うん、それは……分かってる。約束を守ってくれてるんだよね?」

 喧嘩をしないという約束。

 喧嘩したことが見つかる度それを約束させられる。つまり約束は守られてなんかいないのだけど、それでも喧嘩をしてふてくされる日は少なくなっていった。

「……違うよ」

「じゃあ、ようやく村のみんなと馴染んできたんだね」

「違う。ラティエなんか今も大キライだ」

「………」

 アルビナが表情を強張らせた。

 彼女はよくそんな表情をする。俺が「ラティエはキライだ」と言うたび、アルビナという少女は傷ついてるんだと思う。

 だって、何度も約束してきた。喧嘩はしないと。

 村に馴染んできたなら、彼女は一番に喜んでいた。

 両親が苦しみ、アルビナと呼ばれ、陽の光から逃げる羽目になっても、それでも「ラティエで育ったから」と言い聞かせていたんだろう。

「アルビナは、ラティエが好きなのか?」

「うん、好きだよ」

 ……嘘つき。俺は、心の中で呟いた。

「甘い果物がいっぱい食べられるし、野草やキノコも大好き。泉に月が映っているのを見るのが好き。こうして星座を探すのも好き。虫の声は賑やかで、夜は涼しくて……」

「でも冷たい奴でいっぱいだ」

「そんな事ないよ。みんな優しいよ」

 ……嘘。ならどうしてアルビナはここにいるんだ? 夜のこの場所にしかいられないんだ?

 どうして昼間の村で、村の子供達と一緒に駆け回ったりしないんだ? 大人の女達に混じって洗い物や蔦編みをしないんだ?

 どうしてそれが出来ないんだ?

 どうして、みんな優しいなんて言えるんだ?

「みんな、ナツェルの味方なんだよ」

「嘘だ!そんなの!」

 俺は思わず叫んでいた。嘘を付き続けるアルビナを見ていられなくなった。

「嘘じゃないよ。ナツェルは人間の街じゃなくラティエで暮らしていけばいいの」

「俺の事を聞きたいんじゃない! アルビナはどうなんだよ! みんなはアルビナの味方でいてくれるのかよ」

「………」

 アルビナはしばらく何も言わなくなった。急にがなり立てた俺を見て困惑している。

「だって、おかしいじゃないか! アルビナは巫女なんだろ? なのにどうして」

「…………」

「アルビナだけがラティエの悪者だ。そんなのってないだろ!」

「…………」

 アルビナは何も言わない。何も言わずに、目を逸らさずにじっと俺の言う事を聞いている。俺は、酷いことを言ってるんだろうと思った。アルビナを悲しませてるんだと……

 ……やりきれなかった。どうして、彼女はそうまでに頑ななのか。

「ねぇ、どうしたの? どうしてそんなに怒っているの?」

 やがて疲れて何も言えなくなった俺を見て、アルビナは心配そうにそう尋ねた。

「何か悪いことを言ったなら謝るから、ねぇ、あたしにどうして欲しい? どうしたら許してくれる?」

 何も悪いことなんか……

 言いかけて言葉を止めた。今なら言える気がした。

「森の外に行こうよ!」

「え……?」

「ラティエから出るんだ。それで二人で旅をしよう」

 アルビナはここに居ちゃいけないんだ。その想いが、俺の気をはやらせていた。

「平和なところ、戦争の無いところを二人で回るんだ。きっと素敵な旅になる。そりゃ、貧しい国や冷たい国もあるから、辛い想いもするかもしれない。けどもっと綺麗な事がいっぱい、いっぱいあるよ。景色だって、歌だって、食べ物だっていい。動物も花もいろんなのを見つけられる。誰かと話すのだっていい。きっとアルビナなら誰とでも仲良くなれるから。辛いことからはみんな俺が守ってやる。アルビナと一緒なら、何処だってきっと楽しい筈だ!」

「―――だめ」

 一言。アルビナは首を振ってたった一言、そう言って俺の希望を止めた。

「だめだよ。ラティエから離れられない」

「どうしてさ!? 簡単だよ。この森を抜ければもう外の世界だ」

「今ラティエには、あたしがいなきゃいけないんだよ。そうでなきゃ人間が攻めてくるから」

 そうでしょ?というように、彼女は静かに俺の目を見た。

「そんなのどうだっていいだろ。こんな村、無くなってしまえばいい」

「……ナツェルはそんなにこの村がキライ?」

「大っキライだ」

「―――――」

「アルビナだってそうだろう? どうしてラティエを庇うんだよ。アルビナは何も悪くないのに、ルフェは酷いことをしてる」

「……でも、ナツェルはここで暮らしていけるでしょ……?!」

 アルビナが声を高くした。俺は、それを見逃さなかった。

「ようやく、嘘じゃなくなった」

「え……?」

「今、否定しなかったよ。ラティエはやっぱりアルビナを苛めてるんだ」

 アルビナは、声を出せなかった。出さないまま、首を大きく振った。

「そうだろ? そんなことないって、言えないだろ!? だって本当の事だ!」

「ナツェル……っ!」

 溜まらず彼女は叫んだ。その時になって、ようやく気付いた。彼女が泣くのを堪えていることを。これじゃ、俺がアルビナを苛めているみたいじゃないか。

 アルビナ。どうしてそんな悲しい顔を我慢してるんだ?

 辛い想いをしてきたんだろうだろう?

「……みんなは……悪くないよ」

 そうやって、いつも我慢してきたんだぞ。声を掠れるほど涸らしても、ラティエのルフェを庇ってきたんだぞ。

「どうしてだよ……アルビナだって悪くないのに」

「……うん、悪いことしてないけど……ごめんね。もうこの話は止めよ。みんなのこと悪く言うの、よくないよ」

「でも、」

「キライなら、あたしを嫌ってもいい。その方がみんなとうまくやれるなら」

 そんなこと……

 違うよ。嫌われればいいのは、ラティエの奴らだ。

 俺は、アルビナのこと……

「……でも、みんなとは仲良くして」

 違うんだ。誤解したまんまだ。

 みんながアルビナを苛めるから、そんなラティエがキライなだけで……

 けどアルビナは泣いていた。きっと俺が泣かしたんだ。そう思うと、俺は何も言えなくなった。ごめんなさいすら、言えなくなった。そうしている内に、ここで会うときと同じように、彼女が先に口を開く。

「ごめんなさい。……今日はもう終わりにしよう。いっぱい喋って、なんだかあたし……疲れたから」

 何かを言う権利なんか無いんだと思った。みんなと同じように、俺もアルビナに酷いことを言ってしまったから。

 アルビナがこの村を離れられないと……今更ラティエを見捨てるような酷いことはできない性格だって、そしてすごく強情なんだって、それを分かっていながら……ラティエが嫌いだって言われると傷つくのを分かっていながら、俺がそれを言ったから。

 ごめんなさいも言えない。言えないまま、その夜はアルビナと別れた。

 振り返ったとき、アルビナはまだあの場所にいた。

 水面で揺れる月を独りで眺めていた。

 その姿を見ても、声を掛けてやることは、やはり出来なかった。

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